無事転生
女神メリアリナ様に新たな世界の説明もほとんど無いままに、俺は神界を後にした。
鮮やかな翡翠色の粒子に包まれた後は、ふわっと体が浮いたような感じがした。
そして俺は何かに持ち上げられるような感覚と共に目覚め、大きな産声を上げた。
「おぎゃあああ。おぎゃああ!」
微かな意識の中、俺は訳も分からずに声を上げた。
視界は真っ暗で見えない。手足も思い通りに動かすことができない。はっきりとは聞こえない聴覚からは僅かばかりの声を拾うことができた。
「――まれたわ。――達の子供よ」
「ああ。――そうな子だ。お前に――よ」
「――ございます」
「ありが――」
壊れたテープのように男性と女性二人の会話の一部分が聞こえた気がした。日本語でもない、英語でもない聞いたことのない言葉。
しかし、俺は確かにその言葉を理解した。聞いたこともない、知らない言葉なのに。
『子供』と、とても優しい声がスッと俺の耳に入ってきた。
それが理解できたのは、メリアリナ様にお願いした『全言語理解』の能力とやらのお陰なのか。
そして俺は抗えない眠気に襲われて意識をだんだんと手放す。
……そうか。俺、本当に転生したのか。
暖かい誰かの胸の中で、安らぐような声を聞きながら俺は眠った。
× × ×
――それから一か月。
最初は自分の自我が全くなく、ずっとフワフワとした意識の中で過ごしていた。最近はようやく自分の意識の中で過ごせるようになってきた。
しかし、意識が芽生えるとこれが案外暇なのである。
毎日似たような生活パターンで、部屋には俺の母さんが常に傍にいる。
俺の母さん。名前をクレアという。
ピンクと赤が入り混じったような鮮やかな髪色をした女性。髪は肩で切り揃えられており、服は清潔感ある真っ白なカッターシャツのようなもの。下はアンブレラスカートのような形の茶色いスカートをはいている。
流石は異世界。俺の母さんの容姿の良さに戦慄を感じてしまう。
顔はもちろん、若く美人。きめ細やかな白くみずみずしい肌がそれを証明してくれている。
それに髪の色が赤色? 少しグラデーションがかかったピンクも混ざっている。地球であった染料で染めたものとは大違いの鮮やかさ。
この世界の人々は皆こんな感じなのだろうか。
自分の容姿にも期待をしながら、様々な妄想を膨らませていく。
それにしても広い。
赤子を育てるだけの部屋にしては広すぎやしないだろうか。ふかふかのベビーベッドの傍には母さんが椅子に座り書物らしき物を読んでいる。
ここまではいい。この世界の標準の家の造りがどうなっているのかは、俺にはわからないのだから仕方がない。
しかし、空いているスペースが広すぎる。結構な大きさのベビーベッド一つを中央に配置しているのにも関わらず、左右、上は壁に密着しているのでスペースは無いが、下の方にかなり余裕がある。
俺が小さくなったから。だけでは無いと思う。
部屋には本棚が二つ設置されているくらいだ。
地球での大きな家のリビングくらいはあるはずだ。
もしかして俺の家はお金持ちなのか?
そう問いかけるように母さんへと視線をおくる。
すると俺の身じろぐ音が聞えたのだろうか、母さんは読んでいた書物を端に置き、笑顔になる。
「あら、起きちゃったの―? お昼寝はもういいの?」
俺を指先であやしながら、母さんは微笑む。
ちょ、や、やめて。そこくすぐったいです。ちょ、あああ!
「あははは、ジェド君可愛い」
赤子の俺が抵抗できるはずもなく、母さんのしなやかな指に蹂躙されていく。
ちょ、ちょ! あああああああ! 駄目! 駄目!
俺の静止の意識とは反対に、俺の表情はにっこりとしてしまう。
それを見た母さんは、さらに喜び首を撫でたりしていく。
ち、違うんです! これは赤子特有の顔の筋肉の緩み、エンジェルスマイルなだけであって! ああああくすぐったい!
母さんはひとしきり撫でると満足したのか、俺を指でぷにぷにとつつく。
「あー、ジェド君の肌もちもちねぇ。私にもその柔らかさが欲しいかも」
そうですかね? 母さんの肌はハリがあって綺麗なんだけど。
視界いっぱいに映る、母さんの顔を眺めながらそう思う。
心底楽しそうな母さんの微笑みを向けられて、少し照れくさくなってしまう。
母さんが俺を抱き上げる。
柔らかな感触に全身が包まれる。
暖かい。
心地のいい感触に身をゆだねていると、眠くなってきた。
「あらあら」
俺の変化に気付いたのか、母さんはクスリと微笑み、ゆらゆらと抱き続ける。
すると扉から控えめなノックの音が響き、誰かが部屋へと入ってくる。
「ジェドはどう――おっと眠っているのか?」
大きめだった男の声が途中で小さくなる。
半目で男を見ると、俺の父さんであるジェラルドであった。
新緑を思わせる緑色の髪の毛をしており、髪型はつんつんヘアーだ。何やら紫土色の豪華なコートを羽織っていても体格の良さがわかる。
「今眠りそうになっているところよ」
「そうか」
二人はそのまま無言で俺を眺めていた。
部屋には三人の息づかいの音だけで、静けさに包まれていたが不思議と悪くはなかった。