ゴブリンと稽古
閑静な森の中の少し開けた所には、三匹のゴブリンが転がっている。
そのうちのザブとギギは頭を抱えて悶絶しており、ベルに至っては意識がなく白目が剥いていて少し気味が悪い。
その場に立っているのは無傷の俺と、少し遠くにいるダチョウのような大きさの鳥である。
『かゆい! けれど足が痒い所に届かない』
『それわかる。俺らの足じゃ痒い所になかなか届かないからな。せめてハーピーみたいな手が付いた翼が欲しい』
『もう魔物じゃねえか……それよりちょっと痒いから腰の上の方掻いて』
『わかった』
『……おいちょっと待て』
『……ん?』
『……ん? じゃねえよ! 思いっきり俺の腰を蹴りつけているだろ!?』
『いや、しょうがないだろ。俺の羽で掻くとこうなるぞ?』
『うっははは! むずむずする!』
『だろ? だからこうやって足で掻いてやっているんだよ』
『……何か釈然としねえな』
ダチョウもどきを眺めていると、痛みで悶絶していたザブとギギがふらふらしつつも立ち上がった。
『馬鹿な! 一瞬でやられただと!?』
『い、意味が分からねえ』
頭にはぽっこりと腫れ上がったタンコブができており、それを抑えてながら呻く。
「いやいや、当たり前だよ、馬鹿みたいに突っ込んできて」
ゴブリン達との三対一の勝負。
結果は見ての通りだが、決着がつくまでが一瞬だった。
いきなり跳躍して襲いかかって来た、隙だらけなザブとギギを脳天に一撃で沈めた。
そして最後に跳びかかってきたベルには、ホブゴブリンと俺に挑発してくれたお礼に三連撃を同じく脳天にお見舞い。
ザブとギギは痛みで転げ回り、ベルは白目をむいて気絶。
そして今の状況という訳だ。
『殺られる前に殺ることの何がいけないんだよ?』
涙目になりながら抗議するギギ。
「いや、確かにそれはあるけれど。そんな状況じゃないし、攻め方が悪いよ。いきなり正面からジャンプして襲いかかるなんて。三対一の意味がないよ」
『じゃあ例えばどうするんだ?』
「散開して背中をとるとか、じわじわと攻撃して相手の隙を待つとかあるだろ? 空中に跳び上がったら身動きとれないんだから」
何気なく答えたものだったのだが、ゴブリン達にはそうでは無かったらしく、動揺を露わにする。
『お、お前やるなぁ。というか実は性格悪い?』
『じわじわ弱らせて一気に攻めるのか……狡いな』
「これくらいなら誰でも思いつくわ!」
ひ弱な肉体ながらも進化し繁栄してきて種族なんだ、知恵で勝てなければ終わりだろう。
『人間って怖えな』
それについては俺も同意だ。しかし普通の人間からしたら魔物の方が恐ろしく見えるのだが。
「というかギギ、その丸太みたいな棍棒持ちやすいのか? ぼこぼこしていて持ちにくそうだぞ? しっかり削って自分の手に合わせろよ」
『お、おう。その方がいいのか?』
「自分の命を預ける武器だろう?」
『お、おう。わかった』
俺の気迫に押されたのか、ギギが素直に首を縦に振る。
「よーし、じゃあもう一回やってみるか!」
『『ベルは?』』
「……引っぱたいて起こしてやれ」
この後ベルを叩き起こして幾度もなく対戦を繰り返したのだが、ゴブリン達にタンコブが積み上がるばかりだった。
日が傾き、空が赤や紫といったグラデーションのように染まる。
へとへとになったゴブリン達を見送って屋敷へと戻ると、そこには珍しくギリオン兄さんの姿が。
あの屋敷に引きこもってばかりの兄さんが、魔法の練習以外で外に出るとは珍しい。
何をしているのだろうか。
傍にはジュリア姉さんが座っており、何やら話をしている。
あ、ギリオン兄さんが怒って、ジュリア姉さんが笑っている。からかわれたのであろうか。
俺が近付くと、ジュリア姉さんが先に気付き、ギリオン兄さんが勢いよく振り向いた。
そして俺へと指さし告げる。
「よしジェド! 俺と一対一の魔法の勝負だ!」
それ一週間前にも似たような事をグラディス兄さんに言われたよ。やっぱり正反対に見えて兄弟なのだと思う。
ギリオン兄さんの傍では、ジュリア姉さんが俺達の様子にこにことしながら眺めている。
絶対この状況を楽しんでいる。
「拒否権は?」
「無い」
即答だ。
「魔法の訓練に付き合ってやっているだろ」
「ぐっ……そう言われると弱い」
「ギリオンったら五才年下のジェドに大人げないわねー」
「うるさい! ともかく訓練の成果を見るためのものなんだ! いいからやるぞ!」
自分でもそう思ってしまったのか、誤魔化すようにまくしたてるギリオン兄さん。
多分本当の理由は新しい魔法を使いたいから、とか魔法の衝突の反応を見たいからとかだと思う。実際何度か付き合わされたのだし。
「わかったよ」
「どっちが兄かわからないわね」
そう言い残すとジュリア姉さんは赤いロングスカートを翻して、安全な屋敷の玄関へと腰掛ける。
あの安全地帯から見守るらしい。
羨ましい。俺もあそこに座りたい。
「よし、じゃあ行くぞ!」
「えっとルールは?」
「怪我しなけりゃ大丈夫だ!」
「それ無理あるよね!?」
俺の突っ込みも気にせずに、詠唱を始めるギリオン兄さん。
相変わらず無茶苦茶だと思う。
「【ティム・シュラーク】ッ!」
ギリオン兄さんお得意の風の初級魔法。俺が以前にオーク相手に使った物と同じだ。
相変わらずその詠唱は歌うように滑らかで、速い。
魔法言語によって魔力が奔流を起こし竜巻となり、俺へと襲いかかる。
遅れて俺も同じ呪文を発動させる。
属性の相性もあるけれど、基本は同じ属性のものならば魔力の高さで押し切れる。
遅れて俺の腕から放出される風の唸り。
発動が遅いせいか、目前まで迫っていたのだが魔力量が多いために何とか相殺させる事ができた。
「今の危なくない!? 明らかに俺の魔力が低かったら怪我してたよね?」
「うっせ! あのタイミングで防げる方がおかしいんだよ!」
「うーわ! そんな事言うならこっちも考えがあるもんね!」
「【イグニ・フレア】」
俺が初めて使った火の魔法。俺の手の平から浮かび上がる火球は大きく膨れあがる。
「はっ! お前が初めて使って暴走させた魔法じゃねえか。ちゃんと使えるのか?」
自分の詠唱スピードには自信があるらしく、俺の火球を見ても全く警戒しないギリオン兄さん。あの余裕ある笑いは水属性を持っているから容易に防げると高をくくっているのだろう。
俺は余裕の態度をしている、ギリオン兄さんから少し離れた場所へわざと火球を飛ばす。
「【マイム・シールド】 ん? やっぱりまだ制御ができていないのか?」
ギリオン兄さんの前に湧き上がるように出現した水の壁だが、俺の火球はそれにぶつかることなく、横を過ぎていく。
そして遥か後方へと向かう瞬間。
「爆破」
ちょうどギリオン兄さんの横側で火球を勢いよく爆破させた。
「んどわあああ!?」
爆風に煽られて、たまらずに吹き飛ばされるギリオン兄さん。
これで、静かになったか?
などとフラグみたいな物を思ったのが悪いのか、ギリオン兄さんは身体を土に汚しながら立ちあがる。
「ええい、ジェドの癖に小癪な。いつのまにそんな芸当を」
歯を食いしばりながら、呻くギリオン兄さん。
冷静になるどころか火を点けてしまったらしい。
これだからギリオン兄さんと魔法の一体一なんてやりたくなかったんだよ。
玄関の方をちらりと見れば、ジュリア姉さんがぱちぱちと手を叩いている。
『とめなくてよろしいのでしょうか?』
『面白いからいいのよ』
などとメイドとの会話も聞こえてくる。
とめて下さいジュリア姉さん。
「よーし、こうなったら使ってやるよ! 俺のとっておきの魔法を!」
爆風により、ずれた眼鏡を指で直しながら高々と宣言するギリオン兄さん。
それにしてもあんなに転がっていたのに、どうして眼鏡は無傷なのだろうか。
「どうせ風の中級魔法が使えるようになったんでしょ?」
俺が嘆息しながら喋ると、ギリオン兄さんは表情が抜け落ちたかのように固まる。
「…………」
どうやら図星だったようだ。
屋敷の玄関ではジュリア姉さんがお腹を抱えて楽しそうに笑っている。
辺りに響くのは笑い声のみだ。
「……とにかく食らえ! 【ル・シュトルム・フロッゾ】ッ!」
うわ! 弟に中級魔法をぶっ放してきやがった。信じられない!
風の斬撃を思わせる暴風の嵐。それは透明に近い色をしており、まるでかまいたちのようだ。
俺はそれを予期していたために冷静に呪文を唱える。
「【ロ・ゼルド・シェル】」
「なっ!?」
それをキーワードに地面が隆起して、俺を中心にして殻が出来上がる。
硬質な物に金属がぶつかり合う音。本当にこれかすりでもしたら死ぬよね?
「お前も三属性持ち? それに中級魔法を!?……」
信じられないといった様子で俺を指さすギリオン兄さん。
いや、ごめんなさい全属性持ちなんですけれど。
「ちょっと何なのよさっきから! 晩御飯がもう出来ているのよ! って庭がめちゃくちゃ!?」
玄関の扉を勢いよく開けた母さん。そして庭の惨状を見た瞬間に悲鳴を上げる。
俺とギリオン兄さんの魔法の衝突のせいで、綺麗な芝のような草は千切れ、爆法によって大きく剥げている。
俺が土魔法を使った所なんかは地面がぼこぼこになっているというひどい有り様だった。
「ギリオン! またジェド君に魔法をぶつけあおうとか言ったんじゃないでしょうね?」
全く持ってその通りでございます。
「えっ、いや、これはジェドとの魔法の訓練であってだな」
しどろもどろになりながら、何とかギリオン兄さんが弁護をするが、そこにジュリア姉さんが口を挟んだ。
「ギリオンが中級魔法を使いたいから魔法の撃ち合いを持ちかけたわぁ」
「わー! お前!」
「ギリオン! ちょっと来なさい! 今日はお説教よ!」
「ちょっと何で俺だけ!? それよりジェド! お前に話が―ー」
母さんに引っ張られていくギリオン兄さん。
その日ギリオン兄さんは今日の事だけでなく、日頃の行いも怒られることになり、長い間説教を喰らっていた。




