八龍統べし竜人の王(作:仲遥悠)
竜人。それは、星の南東を治めし勇敢な種族。その武勇は大陸全土に轟き、唱えし覇は他の種族に戦慄をもたらす。
竜人。神話に謳われし神龍を起源とするその者達は、屈強な肉体に鋼の意志を秘め、義に暑き剛の者達。
龍王。それは全ての竜人を統べ、その炎は神の身をも灰にするとされる、竜人族族長の称号。最も鋭き牙を持ち、最も堅き肉体を持つ、最も尊き存在であり、かの者の命には絶対服従せねばならない。
龍王。神聖なるその存在の姿は、その御名は畏敬、あるいは恐怖の対象として遍く認知され、偉大なるかの者を指し示すのに相応しき、導なり。
かの者の名はヴァルザイン。
八竜を統べし龍王なり――
「グルジフ殿! グルジフ殿ー!!」
扉を開け放った声の主が、そこで実務に励んでいる竜人族第四族長補佐官グルジフの机に一枚の紙を叩き付けた。
「ガルタコフス騒々しいぞ。あったか、何か?」
「見てくださいこれ!!」
「む…?」
『和平交渉に刺客現る』と題された紙に眼を通したグルジフは顔を上げる。
「誠かこれは」
「ハッ。死が確認されています、矢に倒れた人間族の王ドゥーガ殿は」
「何と…このタイミングで……」
狼狽の様子を見せる地龍人グルジフは書いていた紙を退かすと、別の羊皮紙を取り出して文を認める。
「渡せこれを、他の七龍人に。開くぞ龍議を」
「ハッ、直ちに!」
筋骨隆々とした上半身から、恵みある大地と同じ茶色の竜翼を生やしたガルタコフスは、敬礼をして慌ただしく退室して行った。
一人になったグルジフは、今一度紙を読み直すと深々と溜息を吐く。
予感はあったのだ。いや、正確には予見されていたのだ。
「なりましたなお言葉通りに」
口から出たのは独り言ではない。特定の人物に対して発された言葉だ。
「なかろうならないはずに。怪しかったのだそもそも、開催時期がね」
物影から姿を現したのは武官服に身を包んだ黒髪の男。
困ったように肩を竦めて見せたこの男は、先日届けられたドゥーガからの書筒を一蹴した人物だ。
「身一つで我々の誰かがもし、向かっていたのなら。証明出来ないんだ身の潔白が」
グルジフは先程読んだ文章の内容を爪でなぞると、「確かに」と頷く。
「放たれた矢、エルフ製。毒が入っていたとされる水が入ったグラス、割ったのはワース殿。人間族だった、場の設営をしたのは。来なかった、有翼人は。…獣人も怪しい、ここまでくると」
「そう。どの種族にもあるんだ、犯人の可能性はね。…以外のね、この竜人族の」
男の言葉は正しい。
何故なら、会談当日から数えて三日前より、全竜人の外出は禁止されていたのだ。
全ての竜人は例外無く、その部族を収めている族長補佐官の直属部下が王命の下見張っていたので、誰一人として怪しい者は存在しないと、グルジフ自身自信を持って言える。
和平会談の書筒が届いた時、この国内閉鎖案を提案した男の狙いはつまり、竜人族が潔白であるアリバイ作りにあったのだと、彼は舌を巻かされた。
「誰にもさせたくないんだ。ようやく平和の礎を築いた兄上の邪魔は」
「分かりますぞ。あの方の切なる願い…叶えたいのです私も。違うのですからな、昔の我等とは」
「そうさ。この平和、先代達の血の上に成り立つ…壊す訳にはいかない、それを」
「後で、じゃあ」と言うと男もまた、グルジフの執務室を後にする。
今度こそ一人になったグルジフは急いで、族長の下へと向かう用意をし始めるのだった。
竜人国。
大陸の南東に位置するこの口ではかつて、戦乱が絶えることはなかった。
同族で争い、領土拡張のために他国と争う――それは、蛮族と揶揄されても当然である程に、血で血を洗う戦いの繰り返しであったという。
しかし、それは先代までの話であった。
病気に倒れた当時の龍王に代わって国事を担うことになった先代の王は、いずれ訪れるであろう共存の時代を求めたその下準備として、富国体制を行い始めたという。
既に機能を完全に停止させていた龍議を復活させて各竜族の不満を聞き、武力解決ではない問題の解決方法を探ったのだ。
時として危険に晒されることもあったそうだ。国民の糾弾も激しく、一時期は殆ど味方が居ない状況もあった。が、それでも当時の王は諦めずに、現王に王位を譲る直前まで共存の道を説き続けたそうだ。
――そんな偉大な父の背中を見て育った現王とその弟は父の後を引き継ぎ、国内安定に努めた。幼いながらも、必死に国務や諍いの平和的解決に努めた彼等の姿に、先王の姿を重ねた各部族の族長達は次第に心動かされるようになっていった。
「手を取り合おう、皆で」ーー先王は、何度もその言葉を謳ったという。
資源枯渇のために侵略を行っていた竜人族であったが、思えばそもそも、資源など枯渇していなかったのだ。
火があれば、暖を取れ鉄が打てる。
水があれば、生活水に困ることはない。
風があれば、どこからか花の種を運ぶこともあるだろう。
地があれば、栄養のある土にて作物が作れる。
雷があれば、他国の商人から仕入れた「機械」と呼ばれるものが使える。
氷があれば、食物を保存出来る。
光があれば、心を明るく照らせる。
闇があれば、静寂による安寧が心を癒すのだ。
八の自然を司る竜人族に、資源の枯渇などあり得なかったのだ。当時それに気付いた長達は、拍子抜けの表情を見せたという。それは、多くの者を手に掛けてきたが誰もが、良心を捨てることなどなかったためだ。竜人が義に厚いと謳われた所以である。
そうして全ての竜人族が互いに手を取り合い、竜人の国には平和が訪れた。
そんな時だ。和平会談の要請が龍王の下に届けられたのは。
誰もが和平を望んだ。しかし、人間の王が倒れたとの報せが国にもたられた時、それは落胆に変わったという。
だが、「もしかして」と、彼等が同族を疑うことがなかったのは、未だ短い間ながらも、確かな絆が形作られているからでは、ないであろうか。
――彼等は皆、同じ一人の王に支えし、また王に支えられし、「皆の一人」なのだから――
* * *
一時間後。
背中に海を仰げる丘陵地帯に建つ城の会議室では、八竜人族それぞれを治める八龍人と、彼等が唯一忠誠を誓う族長の弟が、主の訪れを待っていた。
「…しかし、壮観ですな。いつ見ても」
それぞれ席に座る人物達の姿を見ると、グルジフは込み上げるものを感じずには居られなかった。
この光景はいわば、彼のような世代の竜人からは奇跡のようなものなのだからだ。
「うぉぉぉんおんおんっ!! 泣げるぜごればぁ…っ、う、うぉぉぉんっっ!!!!」
もっとも、既に滂沱の如き涙を流している人物も居たのだが。火竜人を統べる竜人族第一族長補佐官、フレグレイオンだ。
「あ``〜、敵わない暑くて…滲んでくるじゃない、汗が…」
その正面では、氷のような視線を彼に向ける竜人族第六族長補佐官、イスタルジアが鬱陶しそうに胸元を仰ぐと、そんな彼女を意味深な瞳で見つめていた青髪の女性が机をバンと叩いた。
「え〜!? 汗ですか!? なりましょうお仲間に!!」
「もう止めてよ…暑いわ…あなたも私より体温高いから」
「凍らせてくださいでしたら! お仲間に私を、ジアちゃんの!」
「あ〜ら? 嫌なの私は? ウォグナレア?」
荒い息でイスタルジアに迫るのは、竜人族第二族長補佐官ウォグナレア。さらに、彼女に向かって妙に艶のあるウィンクをしたのは竜人族第八族長補佐官ダクルフィアルス。
「い〜や〜! 穢されるおばさんにぃぃぃっ!!」
「あん。私よりもあなた、いってるじゃない、歳」
「いいぃゃぁぁぁぁ見たくない現実ぅぅぅぅぅっ!!!!」
因みにウォグナレアの方が、ダクルフィアルスより百歳程歳上だ。
「こんぬぁっので良っいのかYO! 清らっかな水うぉ、司るっ、竜人がYO!」
「( ゜д゜)」
妙にリズムに乗り切れていないラッパー調なのは、雷迸る黄色の翼を生やしたサウンディオン。竜人族第五族長補佐官で、明らかに頭のネジが抜けているような雰囲気を、言動から漂わせているのは、風を司る風龍人ウィッグゼルフ。竜人族第三族長補佐官だ。
「いいぃゃぁぁぁぁ見ないで変なの二人組ぃぃぃっ!! 穢されるぅぅぅ私がぁぁっ!!」
「うぉぉぉん!! 泣かせるじゃねぇか、婚期を逃した悲しき女の姿……っっ」
竜族一涙脆い男の異名を持つフレグレイオンだが、彼の涙脆さは時として、相手を著しく傷付かせる場面がある。今回がそうだ。
「別に〜? 相手ホイホイですよいつでも私は!! 族長です族長! 民を治める! 玉の輿じゃないですか絶対!!」
「強かな女だYO! 水のように、YO!俺の嫁にいっそならないかYO!」
「あ、痺れるの、好みじゃないんで」
「うぉぉぉん!! 振られた、サウンディオンがまた…泣けるぜ…っ!!」
「止めて暑苦しい…本当にもう、溶けちゃいそう……」
会議室は非常に賑やかだ。
「平和ですなぁ」とグルジフが、未だ誰も座っていない大きな椅子の隣に立つ男に言葉を掛けると、「思うだろ? こんな皆だったら兄上の理想の邪魔はしないって」と、言葉が返ってきた。
暫くそんな戯れが続けられていたのだが、ずっと黙っていた竜人族第七族長補佐官ルクストブライが「止めてください皆さん」と、静かな声音で場を諌めると丁度、会議室奥の扉が開かれた。
一同が一瞬にして立ち上がると同時に静まり返る会議室。
空気には、先程の賑やかさとは程遠い緊迫感が漂っていた。
――龍王の、到着だ。
「ヴァルザイン様に、敬礼」
黒髪の武官服の男の言葉に、全員が敬礼をする。
「…座すが良い」
黒く禍々しくも、美しい双角を兜から出し、背中からは、漆黒の龍翼が生えている。身を包む甲冑から圧倒的な威圧感を放ちながら、厳かにヴァルザインは着席を促した。
「招集、大義であったなグルジフ」
「ハッ、光栄です。このグルジフ、お褒めに預かれ」
鷹揚に頷くとヴァルザインは、「開始する。龍議をこれより」と、国議の開始を宣言した。
「これからの動きについてだ。議題は…聞き及んでいるな。既に人間族の王、ドゥーガが殺害された和平会談について」
誰もが同意の視線を送ると、ヴァルザインは報告書の提出を八龍人に、ヴァルザレフには回収を命じた。
回収が終わり、弟の手によって手渡された報告書に眼を通していく王の姿が、固唾を飲まれて見守られていく。
パラリ、パラリと紙が捲られる音が静かな空間に響く。兜の奥から王の表情は窺えないが、文書を高速で読んでいることは確実であった。
最後の一枚を読み終わると、再度本のページのように紙を捲って確認し、王は頷いた。
「大義である。細事すら無しとは」
読まれた紙はヴァルザレフに手渡された。
「今回、通常の報告を無必要とする。緊急を要した龍議のためだ。…龍人族第三族長補佐官ウィグセルフ」
「ハッ」
「見られたか、風に不穏は」
先程の気の抜けた表情とは正反対ともいえる、精悍さが窺える響く面持ちで、「…我等が国に対する疑念が感じられました」と、答えた。
「…ふむ。申せるのならば、皆申せ。これを踏まえて」
「…ありませんが、疑問と呼べる程の疑問では」
手を挙げたのはウォグナレア。
「申し上げます、恐れながら。…作り話染みていませんか、まるで」
「ほぅ…してその訳は」
「エルフの矢です、人間の王を殺めたのは。そして証拠が無いのはドワーフの王がグラスを割ったから…さらに、毒を塗った存在も気掛かりですそのグラスに。あからさま過ぎますし有翼人の不参加も。…ありません、疑問点の枚挙に暇が」
疑問を秘めた視線を彼女が向けた相手は、王弟ヴァルザレフ。
「あん、そうねぇ。それに…詳細過ぎない? 伝わってくる情報、あの紙もそう。お願い出来ないかしら、説明…ヴァルザレフ様」
「同意ですね私も、ダクルフィアルスに。伺っています、使者と立場を偽って向かわれたヴァルザレフ様のことは。…お答えを」
ルクストブライも彼女と同じように視線をヴァルザレフに向ける。
かつては対立する光と闇として争っていた二人。今もあまり良い感情を抱いてはいないのだが、それでいてなお、お互いに同意したのは、主への信頼に他ならない。信頼しているからこそ、疑いを抱く要素を排除したがったのだ。
さらにそれは、他の龍人達も同じであったようで、系八人の視線が彼に注がれた。
「…あったのです。確かめたいことが。…行われたのか、和平会談がこの時期に何故」
「…時期?」「…ですが、偶然かと思われますが…それは」
「重なる、特定の周期で訪れるその日に丁度…まるでそれは、不参加を誘うようではないと思いませんか、我々の」
確かな悔しさを感じさせる声音を発したヴァルザレフに、「きゃっ」とウォグナレアが声を上げた。
この王弟は王に対して、尋常ではない程に過保護――いや、忠誠心を抱いているのだ。二人だけの家族なので家族を大切にするのは当然ではあるのだが、時々主に向ける視線が意味深なものだから一部ではある噂が立っているのだとか。
「…なれば良かったと思うけど。ヴァルザレフ様が代理として出席なされば」
「どうするのですか、兄上より僕が表に出て。僕に苛めと言われるのですか、申し訳無さと自身の至らなさを理由とする罪悪感に」
「……泣ける…熱い兄弟愛…っ」
「フレグレイオン、御前よ。暑苦しいわ、控えなさい」
二人の男に対してうんざりと言わんばかりに溜息を吐いたイスタルジアは、白く長い長髪を耳の上に掛ける。視界に入ってきて邪魔だったのかどうかは謎であるが、唇に指を当てて思案の様子を見せる彼女は、「…どのようにして動けば良いの、私達はこれから」と、一人黙しているヴァルザインに視線を向ける。
「…動きようがないの、和平成就の妨害者を討つために動こうにも。動く訳にはいかないのよ、私達の独断では」
その言葉に、残りの七龍人全てが同意の頷きをする。独断専行を決して行わない、忠誠心の固い部下達がそこに居た。
「確と訊き届けよう、その言」
低く、地に轟くような声でヴァルザインもまた、彼等の忠言を訊き届ける。
「命じる。赴き、疑惑の種を殲滅することを。向かうが良い。風龍人ウィグセルフ、エルフ領へ。地龍人グルジフ、獣人領へ。雷龍人サウンディオン、人間領へ。光龍人ルクストブライ、有翼人領へ。闇龍人ダクルフィアルス、ドワーフ領へ」
「「「「「御意」」」」」
「残る三龍人は領土に残り有事に備えよ、火龍人フレグレイオン、水龍人ウォグナレア、氷龍人イスタルジア」
「「「御意」」」
ヴァルザインの下に集った平和を願う八龍人は、「終了する、龍議をこれにて」と宣言した主が奥の扉に入って行くと同時に、その場から姿を消した。
やがて窓が微かに、振動によって軋む音を聞いてからヴァルザレフはサッと、会議室の施錠に抜けが無いか確認すると王の後に続いた。
コツコツと、石造りの床を靴が音を鳴らす。
この先には大きな扉があり、そこが彼の目的地だ。固く分厚い扉を押しながら開くと、簡素な調度品によって飾られているのが特徴的な、彼の執務室の光景が広がった。
大きな木製の机には基本的に、王への上書が積み重ねられており、龍議の際に読まれる上書はここから直接運ばれるのだ。
先程の龍議で提出された報告書をその隣に置き、外の景色を眺めながらヴァルザレフが思案しようとしたタイミングで、彼が入って来た扉とは別の扉の鍵が外れる音が聞こえた。
「なりましたか、お越しに」
彼の執務室にはT字上に、計三つの扉がある。会議室への扉は下で、今鍵が外れた別の扉は左の扉であった。
彼が胸に手を当てて竜人式の敬礼をすると、入って来た存在は彼の方を向いて頷く。
「兄上」
窓の外を眺める竜人族族長ヴァルザインに呼び掛けると、ヴァルザレフはその隣に並ぶ。
「美しゅう御座いますね、竜人国は。いえきっと…美しいのでしょうね、この大陸自体が。何と美しいことでしょうか、神々より与えられし星島の南東…」
「与え賜うたのであろうな、如何なる目的を以ってして神々は」
「誰にも分かりませんよ、原初の神々の御心は。何とやらで御座います、神のみぞ知る」
「諍いを起こさせるためではなかろう。その意思が書物に書かれしものであるとするのならば」
龍王の威容は、見る者全てに畏敬と恐怖を同時に与えるとされている。族長たる存在の行住坐臥は、全ての全ての竜人族にとっての理想の男性像だ。男児ならその、誰しもが格なりたいものと思う存在でもある。
特に今世の龍王は、長い竜人族の歴史の中でも稀に見る賢王であると讃えられている。中には、よりも強く、誰よりも気高く、誰よりも民への慈愛に満ちたヴァルザインの存在を語り継ぐための詩を作っている民さえ存在するのだとか。
「…全部か、そこにある物で上書は」
「全部で御座いますよ、勿論」
外を眺めるのを中断したヴァルザインは椅子に腰掛ると、上書の山から一つを手に取りそれを、徐に開くのだった。
* * *
かつては争いの絶えない修羅の街と称されていた竜人国の街を、三人の人物が歩いていた。
道を行く人々は彼等三人の姿を認めるや否や、首を傾げるのだが暫くすると何事も何も無かったかのようにそれぞれの目的地へと足を向けていく。
「…らしくないわ、あんなミス」
フードを被った二人の内片方の人物が、嘆かわしいと言わんばかりに溜息を吐いた。
「否定しないわ、焦った故のことであると。緊急だったもの、いつも使う物を反射的に使うのは仕方が無いと言いたい」
「…注意すべきだったな、俺も。まぁ焦ったことにしようや、お互い」
女性らしき人物の言葉に男性らしき人物が返す。互いの声は、まるで他者に聞かれてはならないと言外の意思を見事に、周りに発信している。
二人の間で手を繋がれて歩いている、こちらはフードを被っていない幼子が「?」と、大きな瞳に疑問符を浮かべたような表情をして二人の人物を見るが、やがて視線を前に戻した。
「…泣かないのね、今日は。ミスを悲しむと思ったのだけど、声を上げて。買い被り過ぎなのよ、あなたは私を」
「…らしくないか?」
「…分からないわ、私も。でも、困るわ。あなたにそんな冷められると、私……」
「…さっき言ったじゃねぇか、溶けるから止めろと。だからだ。だが、困るな。お前にそんな優しい視線で見られると、俺……っと!?」
角を曲がろうとした瞬間、飛び出して来た人物に驚いた男は踏み出しかけた足を元の位置に戻す。一歩踏み出していれば衝突は避けられなかったので、気付けたことに安堵の表情を浮かべようとして、足下に視線を落とした。
服装からして町民の一人であろうか。地面にスライディングして沈黙している人物がそこに居た。
「…大丈夫かおい?」
伸ばされた手を掴み、立ち上がった人物――黒髪の女性は服の汚れを払う。
「あ、あはは…大丈夫かぁ、そぢらざんごぞ」
「? あぁ…大丈夫だが、俺は」
一瞬男が眉を顰めたのは、田舎訛りの強いその人物と以前、どこかで会ったような既視感に包まれたからだ。
「…?」
彼が視線だけをフードの女性に向けると、その女性もまたフードの内側で訝しそうに眉を顰めていた。
「良かっただぁ! 夢にも思わなんだから、こったら場所で。驚いだよぉ、本当に」
「無い? 怪我。転んだわよね、盛大に」
「あはは…気にすることはねぇべ。オラの取柄だからな、身体が丈夫なことが。ではっ」
現れた時と似たように、女性は突然現れて突然消えて行った。中々の俊足だ。
「…子だったな、不思議な。だから風竜人か、翼は見えなかったが考えるに」
背中がもう見えなくなった方角を見遣ると、駆けている際に生じたのであろうか。風が高く積み上げられた石の山を崩して吹き抜けた。
再度歩き始めた三人は、街の外へと足を向けて、門を潜った。
「…見られたかもしれないわ、彼女に私達」
歩くのに疲れたらしい幼子を抱き上げた女性の呟きに男は、明らかな狼狽の姿勢を見せる。
「…な、何だと…!? …っ、っ、っうぉぉぉん!! 時期尚早なのに、まだ! 泣けるぜ…っ」
狼狽のあまり、男泣きを始めた男に対して面倒そうな溜息を吐いた女性が、「見られてるわよ」と、氷のような声音で注意を促す。
「…あ、どーもだぁ」
先程の女性が彼等の背後に居た。
どこかに出掛ける途中なのであろうか、袋を提げている。
困ったように苦笑しているその表情は、明らかに見てはいけないものを見てしまったと言外に語っているようで、男もつられて苦笑を浮かべたのだが、
「…悪いわね、私達急いでいるから」
「っぉぉっ!? 何だっ!?」
「おー! はやいはやーいっ!!」
女性の空いた片手に引っ張られてその場から、退散した。
「っ、おい腕が千切れるぞ、引っ張り過ぎだ」
「うっさい! ドジ踏むからでしょあなたがっ!! あそこで熱くなるのよ、どうして!」
ある程度街の入口から離れた所まで走り、男が女性から幼子を受け取ってから彼等の身体は空に飛び立った。
女性の先程までの氷のような声音とは正反対の、熱の入った声音に幼子が「いれかわったー」と、謎の発言をする。
「仕方無いだろ、泣いちまうんだから。秘密だってのに、誰にもバレてはならない」
「そうだけど、あなたの言う通り…」
対して男の声音は、先程に比べて冷たさが窺えた。
「分かってる、今に始まったことじゃないって。冷えるだけだから、あなたが熱くないと私」
「…俺も熱くなり過ぎるだけだ、お前が冷たくないと。だけどな…泣けるんだよ、どうしても。それに見せてやりたかったしな、こいつに王のお膝元の街を。…飛んでみるか? 少し…よし」
「とぶー」と、はしゃいでいる幼子の頭を撫でてから、速度を落とす。
歩いていた時と同じように二人は、間で龍翼を羽ばたかせている存在と手を繋ぐ。
「…また仕事漬けね、お互い」
「一大事だからな、国…いや、この大陸全土の。公務は普段以上にしなければいかん、留守を預かる者としてな。…和平が成就してからだ、皆に全て打ち明けるのはな」
「…結構なこと、仕事には熱心で」
「仕事だけじゃない。熱いぜ俺は、何事にも」
その部族の中で、誰よりも熱いと称されている男は、何事にも全力で打ち込む癖がある。
親しみ易く、情熱に溢れた彼に関する話で最も有名な都市伝説の一つがある。それは、彼が国を離れている間は水竜族と共同で作られた温泉の温度が、若干下がるとか下がらないとか。
当然温泉の温度はその日の気候によって変動があるので、噂の域を出ないものではあるのだが、これがどうして、竜人国中に広がっていたりする。
本人は気にしていないし、訂正もしないので広まってしまった都市伝説だが、今では多くの人に親しまれている。
「その割には消極的だったと記憶してるけど、私に初めて手紙をくれた時。…あ。腰も相当引けてたわね、いつもの熱さとは裏腹に。…いいえ、全力で腰を引かせていたのね、きっと」
女性が昨日の出来事のように覚えている出来事があった。親の付添いで初めて顔を合わせた時だ。
――まだこの国に戦乱が絶えなかった頃、彼女は戦争である人物と顔を合わせることになった。
初めは領境でのただの小競り合いであったのだが、次第に戦になったのだ。
境の門を挟んでいよいよ激突するとなった時、当時の龍王が人間族領への侵攻を始めたので、否応が無しに両族共にそちらの戦線に加わることになったのだ。何故なら、戦線に加わらなかったのならば、龍王の名の下に領土が潰される可能性があったためだ。
一部族対一部族ならば、どちらが勝者になるのかは分からないが、一部族対七部族ならば勝敗は既に決しているであろう。それを考慮した上での加勢だった。
一時休戦ということで味方として共に同じ戦場に立った時、両者は休戦協定を互いに守るための人質として差し出されたのだ。
それが男と女の出会いだった。
人質にされたことで気分を落ち込ませていた彼女は、場合によっては死ぬかもしれない立場に立っているはずなのに、ただただ熱く、元気であった彼に憧憬したものだ。鬱陶しくもあったが。
戦争が結局決着付かずで終わった際に、二人はもう一度擦れ違った。因みに、彼女が戻った際に彼の影響か、何故か若干テンションが高くなっていた両親の様子もまた、数百年経った今でなお、忘れることが出来なかったりする。
――思えば一目惚れに近いものであったと、横目で男を見ている女性は考えた。
「全力だったのは違いない、どちらにしても…だ」
視線が合う。
「…そ」
眼を逸らしながら女性は短く言葉を返す。
一瞬だが、合った視線に映った自身の頰の色が変わっているのが見えたので、これ以上見られまいと前だけを見る。
すると、何かが触れるような感触があった。
「なかよしー!!」
間で楽しそうな声を上げる幼子が、少しだけ体勢を崩してしまったのでそれを支えながらそのまま、真紅、月白の双翼は蒼穹を突き抜けて行った。
* * *
――時は少し遡る。
「とぅっとぅ〜るとぅっとぅ〜るとぅ〜♪」
街中を一人の人物が、堂々と歩いていた。鼻歌混じりにスキップしている少し、頭のネジが抜けたような人物だったが、その人物を見た瞬間周りの人々が恭しく平伏する。
「王都物に限るよね〜、やっぱり化粧品は♪ 値はちょっと張るけど〜んふふ〜♪」
このような人物に対して頭を下げることに意味があるのかどうか、自問自答する民が居ても良いのだが、そのような民など居ない。それが本人にとって良いことであるのか悪いことであるのかは別としてだ。
大海を思わせるような蒼い双角に、清流を連想させる美しい体躯――かつて蒼龍姫という二つ名で恐れられた現八龍人が一人、ウォグナレアだ。御歳自主規制。
彼女は先程、他の八龍人二人と同じようにヴァルザインから、国の防御を固める任を命じられ、現在自領への帰路の途中だ。
「あ、発見、良い男! …って、アレ?」
いよいよ街の出入口に差し掛かった時、彼女の前を風が吹き抜けた。否、正確には風ではなく、人だ。
あまりの速さによるものか、街の民の眼では風としか認識出来ないのだが、歴戦の勇士である八龍人最年長ウォグナレアの眼はそれを、人と捉えたのだ。
「…あ! 石山が元に戻ってる、いつの間にか!!」
「えっ!? あ、本当だ!! わーいっ! 今度は別の風が直してくれた、さっき吹いた風で崩れちゃってたのに!!」
一瞬確かに、その人物だと認識したのだが、まさかこの場に居るはずのない人物であったので深く考えず、彼女は自分の領土に戻るのだった。
* * *
――数日後。
提出された報告書を眺め、ヴァルザインは低く唸っていた。
どのような細事でも事細かく記入された報告書。それが五枚も揃うと彼でなくても唸らずには居られないだろう。
「兄上。分かりましたか、何か?」
彼の執務室に入室したヴァルザレフは、兄が見て唸っている報告書を「宜しいですか?」と言って取る。
「…成る程。悩むのは致し方無しですね、間違い無く」
どうやって調べ上げたのか首を傾げる部分もあったが、五枚の報告書それぞれに共通している部分があった。
「…見た所、一枚岩という訳ではなさそうですね、他の種族もやはり。どこにいってしまったのでしょうか、戦の折の結束力は」
「…意思はあるのだ、人の数だけな。変わらんよ、我々と。…故に、模索出来るはずなのだ、和平への道を……」
「何故だ…」と深く嘆息したヴァルザインが再度眼を通す報告書に共通する項目には、『和平に対して賛成派と反対派、二派閥あり』との一文が。
「…殺害に用いられた物品は容易く用意出来るでしょう、各種族の反対派閥ならば。一応辻褄は合います、綺麗に」
報告書によると人間族の王、ドゥーガが身を包んでいた鎧は当然、人間製の逸品だと記されている。ドワーフに続いて手先が器用で、エルフの次に頭が回るとされる人間族なのだ。矢が貫通したとされる構造上の僅かな隙間の存在を知るのは、製作者である人間族や、武具に精通しているドワーフでないと難しい。
矢を放った存在で怪しいのは、矢を含めてエルフだ。弓の達人が多いとされるエルフなら、精密射撃はお手の物であろう。が、他の種族でも不可能ではない。
種族の人口は、数万は確実に居る。その中で、たまたま弓の才を持ち、見事開花させた存在が居る可能性もあるのだ。射手になり得る種族は全ての種族に当てはまるだろう。矢も、かつて戦場で拾った物を他の種族が複製に成功したとするのならば、条件をクリアしてしまう。
人間も、エルフも、獣人も、ドワーフも、犯行に及べる可能性がある。
有翼人に至っては、どうやら長のテオドールが毒を盛られ、倒れているようだ。危篤状態なのか、有翼人の族長邸からは慌ただしい声がずっと、止まないそうだ。
「…黒の可能性が高いですね、一先ず和平会談に現れた有翼人の使者が。和平に対して肯定的であったように思われます、テオドール殿は寧ろ」
「…難儀なものよ、身内に毒を盛られるとは。…しかしヴァルザレフよ」
ヴァルザインには、ドゥーガ暗殺の報を伝えられてから常に疑問がある。それは、弟の行動についてだ。
事情により動けない自分に代わって、代理として会談に赴くのは納得がいく。族長の弟である彼の立場は族長の代理としては申し分無いからだ。が、それでは彼が、和平会談に参加しなかった意図が見えない。
ここで彼の性癖の一つである、兄上至上主義を追加しよう。兄であるヴァルザインの意思に従うことは彼にとって、この上ない喜びの一つであり、また、兄の存在を引き立てることも同じように喜びの一つなのだ。
兄を至上とする彼にとって、自らが兄の代わりになるなど、例えるならば神に逆らうことに等しき蛮行であるので、幾ら兄であるヴァルザインに頼まれたといっても、おいそれと首肯には至らないだろう。
――つまり、そんな彼の性格を良く知るヴァルザインが、彼を代理として行かせたのはそこに、彼の肯定があったといえるのだ。
事実、代理の話を持ち掛けた時ヴァルザレフは、すぐに首肯したそうだ。不思議に思いながらも、行かせない道理は無いので安心して送り出した結果、和平会談には参加せず、逆に不参加の意思を何故か伝えてくるという謎の行動に及ばせてしまったのだ。
さらに彼は、この国を発つ前各八龍人に全竜人族の監視を命じた。後になって、竜人同士の疑り合いを防止するためであったという理由が明かされたが、そこに疑惑がある。
そもそも何故ヴァルザレフは、監視を命じたのであろうか。確かに部族内での平穏こそ保たれたものの、他の部族には疑われるという現状を作り出してしまったのだ。兄の意向を正確に汲み取ることの出来る彼がわざわざ、部族を危険に晒してしまうなど考え難いことであるのは間違い無い。
弟に対する兄の疑問は二つだ。
「何故、和平会談に敢えて参加しなかったのか」と、「何故、国を発つ前にあのような命令を出したのか」だ。
「兄上のためです、全て」
疑問を打つけてみると、決まり文句ともいえる答えが返ってきた。
「…大陸統一ではない、俺の夢は」
「えぇ存じております、勿論。平和的共存でしたね、全種族の」
「そうだ。そのために会談に臨もうとしたのだ、俺は。しかしどうだ、現実は。全種族が竜人族を敵視しているではないか、報告書によれば。攻め入ろうとしている動きさえある、全て我等の陰謀としてな」
報告書にはさらに、裏で糸を引いているであろう存在を竜人族にあるとする動きが強いようで、現在水面下では、全部族で竜人族領へ攻め入ろうとするための、策が講じられているらしいとの記述もあった。
「何か考えがあるのは分かる、お前のことだ。しかし責任ある立場だ、お前も。故に道理を通せ、最後に必ず…だ」
静かに黙してヴァルザインの言葉を訊くヴァルザレフの瞳には、強い意志の炎が燃えている。その瞳は真っ直ぐ兜の奥の、王の瞳を見つめていた。
「一週間だ。お前は誠意を見せなければならなくなる、それまでに真相が判明せねばな。…お前を代理として任命した俺にも責任がある、無論な。…分かるな? これ以上は」
「…はい」
各部族の状況を鑑みるに、仕組まれた戦争が起こるまで一週間は時間があった。
戦争の幕を用意してしまったのは、和平会談を欠席したヴァルザレフであるが、事情があったとはいえそのような重要な場に赴くことの出来なかったヴァルザインにも当然、非はあった。
――もし戦争が起こり同胞の血が、一滴であっても流れようとしたのならば、この二人は全ての咎を背負い、黄泉路へと参らねばならなくなるのだ。
可能ならばヴァルザインとてもう少し弟に時間を与えたかったであろう。が、彼が守るのは、血の繋がったたった一人の家族ではなく、血の繋がらない大多数の家族なのだ。二種類の分銅を天秤にかけた時、それがどちらに傾くなど容易に想像出来よう。
「突き止めろ、全て。時間内で、一人で。…期待する、ヴァルザレフ、お前の奮闘に」
「ハッ!!」
ヴァルザレフにとって、自身が兄の足を引っ張ることなど言語道断も甚だしいところなのだ。故に、自身の行動が兄の何某かに繋がることは絶対防ぎたかったのだ。
飛び出して行った弟の背中を見送ってから、ヴァルザインは自身の執務室を後にした。
「……?」
ヴァルザインの執務室は、ヴァルザレフの執務室の左側、つまり西側の扉を挟んで隣に位置しており同じように、東、西、南のT字上に扉がある。この内東がヴァルザレフの執務室への扉であり、南が謁見の間に繋がる扉だ。
首を傾げ、腕組みをしたヴァルザインは三つの扉の内西側の扉を開けて中に入り、中で窓を開けた。
「来ていたか、やはり」
すると、部屋の中に白い羽を持つ鳥が一羽入って来る。
鳥は暫く部屋中を飛び回ったがやがて、壁際に用意された止まり木の上に止まり、彼を見つめる。
「飼主は元気か、お前の」
「クルッポゥ」
「ふむ、おかしく見えるか? この姿が」
「ルルルルルップゥ」
「…気に留めるな、俺はまだ、俺でなくてはならない故」
ヴァルザインは鳥の右足に結び付けられた紙を取り、広げる。『拝啓ルン様』と書かれているところから、手紙のようだ。
竜人族が用いる文字とは違うが、複雑な曲線がさながら模様に見えるような文字だが、彼はすぐに内容を把握すると、竜人族では使われないような羽ペンと小さな羊皮紙を棚から取り出して、サラサラと文を認める。そして、「拝啓サーヤ様」と最初に書かれた文を鳥の右足に結び付け、今度は背中に結び付けられた小瓶を取った。
「…行け、道中気を付けてな」
窓から飛び立った鳥の姿が遠く離れた場所へと消えて行く。それを見届けてから彼は、手紙を棚の箱にしまってから、その隣の箱に小瓶をしまった。
「…サーヤ…どうだ? もう少し名を捻ったら」
「ルン」という何とも王らしくない名前で文通しているヴァルザインは、雲の間から窺える日輪を眺めて一人呟いた。
* * *
風竜人の部族領は竜人国北東に位置している谷だ。
年中強い風が吹くことで有名なこの場所にはかつて、建造物を建てることなど不可能であり、風竜人達は洞穴の中での生活を強いられていた。故に彼等は、他の竜人族に対して熾烈なまでの劣等感を抱き、戦争を仕掛けることも多かったのだ。
しかし、他の竜人族と何事も協力して行うようになった今では、その名残こそあるものの彼等の生活環境は異なっている。
例えば、かつては単に岩山を掘った程度のものであった洞穴の中には、彫刻物のように岩を削って造られた家が並んでいる。風竜人族族長――八龍人の一人、風龍人である竜人族第三族長補佐官ウィグセルフの居家もそんな洞穴の中にあった。
「……何かが混じった…風の流れに。…来る」
若緑の髪から覗く瞳が、石造りの窓の外へ向けられると暫くして、白い影が映るようになった。
「ご苦労様、鳩さん。いつも通りのフライトだった? 今日も」
「クルッポゥ」
「(・θ・)」
「ポッポッポ、ポー!!」
「(°θ°”)」
「ポポポゥ」
「(°θ°;)」
繰り広げられる、謎の会話。
人間族では彼のような人物の様子を、電波を受信していると評するそうだが、彼は気持ちで鳥と会話をしているだけだ。決して人から避けられるような人物ではなく、寧ろユーモアに溢れていると好意的に受け取られるべき人物なのである。
風流人と称されることがあるウィグセルフだが、それは風流や風雅等の粋なものを好む人物という意味合いではなく、「まるで空を流れる風のように捉え所のない人物」という意味合いで称されているのだ。
一頻り鳩語での会話を終えた彼はそのまま鳩を連れて、洞穴を出る。すると、強めの風が彼の前で二つに分かれた。
「…吹いている、北北西の風が。飛んで行くと良いよ、このまま。着けるはずだ、比較的早く。宜しくね、君の主人様に」
「ルルルッポゥ」
「(。`•θ-)b」
どこからか飛んで来て、どこかへと飛んで行く鳩の止まり場として行動した彼はふと、何気無く周囲を見回す。
地竜人と雷竜人の力を借りて谷に建設された風による発電機は、日夜問わず風を受けてプロペラを回し、谷に電力という無限の資源を与えている。谷に必要な電気は一台の発電機で十分なのだが、この谷は後、十数台程建設されている。余った電気は、他の竜人族に送るのだ。その見返りとして金銭が貰えると、風竜人はそれを元手に生活を豊かにする。
この紛れも無い永久機関の案を説いたのは、当代の龍王ヴァルザイン。
ウィグセルフは彼に、自身の一生ではどう尽力しようと返し切れない大恩を感じているのであった。故に、何があっても彼にだけは忠義を尽くすと心に決めていた。
常盤色の龍翼が広げられる。
――遠くから風に乗って聞こえてくるのは、誰かの声であろうか。その方向へと彼は飛び立つ。
「…ん? ウィグセルフじゃねーかYO!」
発電機の下で一人の男が、ギターを弾く手を止めて彼の名前を呼んだ。発電機の調子を見にここを訪れていた雷龍人サウンディオンだ。
「来たんだ、暇潰しに。頼めないだろうか、一曲」
「YO! 任せとけ、YO!!」
荒々しく尖ったような音色がギターより爪弾かれる。しかし、痛々しいといった感想を抱かせないのは、弾いている人物の優しい心根が現れているのであろうか。
一流のミュージシャンであるサウンディオンは、時折身分を偽って他国でゲリラライブをすることがあるのだが、和平会談以降は自身の身分を考え自粛していた。故に、溜まりに溜まっていた鬱屈とした感情を彼が放ち終えるまでには、月が空を支配する時間が訪れようとしていた。
「サンキューだYO!!」
たった一人の観客による拍手が終わると、満足そうに彼は腰を下ろす。
「変わったように思えたんだYO、最近までの風の流れがYO」
「変わったね、今日。風だよ、とても良い。しかし思わなかった、僕らみたいな風竜人でないのに風を感じるなんて」
「生きていれば幾らでも感じられる、風だってその一つだYO。聞こえてくるじゃねえかYO、耳を澄ませると風の音がYO」
「…えへ、そうだね。言う通りだよ、君の……」
面白そうに眼を細めたウィグセルフが静かに眼を閉じると、サウンディオンもそれに倣う。
風は、徐々に西寄りに変わろうとしていた。
* * *
深く、深い思考の海。
繰り返されるのは、ドゥーガの喉を矢が貫通した際の光景だ。
「…風は無い、建造物内のため。つまり行い易い、精密射撃は」
着目点は矢が飛んで来た角度だ。無風であった以上矢は、直線上に飛んで行くので場所の特定が行える。
不参加の意思を示しながらもヴァルザレフは、あの場所に隠れて立っていた。和平会談襲撃の情報を、“予め”入手していた彼は、阻止出来るのならば阻止しようと、敢えて動きの自由が利く人間の騎士に扮装していたのだった。
しかし念密に練られた作戦によるものなのか、相手の方が何枚も上手であり、襲撃を許してしまった。痛恨の痛手である。
自室のボードに情報を記入されている和平会談会場の図に、赤い丸が書かれる。
「…ここだ、ドゥーガ王の正面対角線上。矢を射ることは不可能だ、このポイントでしか」
次に書かれるのは赤、緑、黒の点。赤がドゥーガの居た位置で緑が他の王や付き人の位置。黒が各部族の兵の位置だ。すると、赤丸の中に丁度、入る兵があった。
「人間族、このポイントに配置されていたのは。…しかし放てるだろうか? 誰にも気付かれずに矢を。…いや居たな、騎士達の中に弓兵が…四人」
あの時扉は閉まっていた。
つまり状況から見て、全ては会場の中で起こったと考えて良いと判断した彼は、人間族に焦点を当てて考えることにする。
人間族には、他の部族にもいえることではあるが和平に対して二つの派がある。賛成派と反対派だ。
ドゥーガを殺害したのを和平反対派によるものだとすれば、騎士の誰かが矢を射った可能性に繋がり、全ての条件を満たす。
さらにだ。それを考えていく上で重要なポイントを彼は、サウンディオンの報告書より見出していた。『王の崩御に当たり息子のユウェルが即位。しかしその周辺の動きに違和感有り』と。
すぐに次の国主を据えるのは、国が荒れるのを防ぐための当然の行為だ。しかし、喪に服さねばならないはずなのだが、一部の貴族が陰で宴の類を行っているらしいのだ。
おかしくはないだろうか。
一国の主の死に宴――部族文化の違いとも取れるが、謎に感じるのは当然だ。
まさかと、思った。
しかしそうだとしても、説明が出来ない部分があるのだ。
それを解明する唯一の近道とも例の有翼人の使者は、既に死亡を確認している。先に押さえておきたかったのだが、逆に先を越されたようだった。
「……だったら」
答えに至る、一つの方法を実行することにしたヴァルザレフは、すぐに行動を開始するべく旅支度を始めるのであった。
* * *
竜人族第七族長補佐官ルクストブライは優男だ。
金色の髪に純白の龍翼を持つ彼は時として、有翼人にも間違われることがあるが歴とした竜人である彼は、その外見から分かる通り読書が趣味で、その知識量は竜人随一とされていた。
「これは…ガルタコフスさん。どのような用件でしょう? 本日は」
今彼は、本日二人目の来客である地竜人族副族長ガルタコフスと会っているところである。
「いえ、その…ありませんが、用件という程の。見てしまいましたので、先程王弟閣下がこちらより出られるのを……」
「あぁ、それで確認しにいらっしゃったのですね、僕のところへ。はは、いかがです? 紅茶でも。入ったのですよ、良いものが先日」
「あ…ハッ、頂戴します!」
品の良さが窺える笑みを浮かべながら彼が紅茶を注ぐと、薫り高い紅茶の香りが部屋に広がる。
「要るかい、クッキーも」
「そうで「戴くわぁ、勿論♪」…す?」
いつの間にかガルタコフスの隣で手を合わせる美女。ルクストブライ宅、三人目の来客である。
「……帰ってくれ」
「えぇ? 言わないの、そんないけずなこと」
「無い、君に振る舞う物は。帰ってくれ」
「ぅぁた……ぁた……ぁた…」
彼のものとは思えない程の、吹雪を口から放っているような冷た過ぎる声音が女性に打つけられる。ガルタコフスは居心地悪そうにあたふたするばかりだ。
それもそのはずだ。
「んんん…連れないわぁ、相変わらず。良いじゃない、もう過去の事は水に流せば。ルッ君♪」
「どこに流せと、ダクルフィアルス族長。ここには存在しませんよ、仲間の血と涙を流す川は」
彼の隣に座っている女性の名前はダクルフィアルス。八龍人が一人、闇龍人だ。
ただでさえ他竜人族の族長の家に上がったことで緊張している彼の隣に、突然また別の竜人族族長が現れ火花を散らし始めたのだ。彼の胃袋への影響は計り知れない。
「あん、もぅ。持たないでよ、根に。ルッ君だけよ? 昔のことを今も持ち出してくるのは。お爺ちゃんよねぇ、そんな若い顔してるくせに」
「…帰ってください、ダクルフィアルス族長。尚更です、僕を揶揄うつもりなら。それに…怯えていますので、ガルタコフスさんが」
「…い、いえ…お気になさらず…ダクルフィアルス竜人族第八族長補佐官殿……」
ガルタコフスとしてはこう返すしかなかった。彼は地竜人。どちらの族長も贔屓する訳にはいかなかったからだ。
彼が何か、下手を打って二人の機嫌を損ねるようなことがあれば、それは全てグルジフの身に降り掛かる火の粉となってしまうからだ。
二人の族長に視線を向けられている彼の状態は正に、蛇に睨まれた蛙であろうか。
「だそうよルッ君。ほらほら冷めちゃうわよ、紅茶が」
「…はぁ」
「あん、幸せ逃げちゃうわよぉ、溜息何て吐いちゃうと」
丁寧に置かれたカップに口を付けるダクルフィアルスを、忌々しそうに見つめるルクストブライの視線には理由がある。
――闇広がりし所を光は照らし、光満ちし所に闇は滲む。
かつて、彼等の部族は互いに激しく憎しみ合う間柄であった。
風竜人は、無差別に他部族へと襲撃を仕掛けたが、彼等は常に互いで争っていたのだ。
血を血で洗い、涙で土を潤し、怨嗟の声で空を満たす争い――一体、どれ程の死者が生じたのかは定かではないが、多くの光竜人、闇竜人が命を落としたのだけは確かであった。
また王の代が変わると共に、部族長が変わる場合もあるのだが、彼等は部族長が変わっていない四竜人族の内の二部族だ。つまり、直接戦争に身を投じた本人達なのだ。
互いが互いに抱く負の感情は本来並々ならぬものであり、ルクストブライがダクルフィアルスに対してこのような態度を取ってしまうのもいわば、自然で当然のものであるのだ。
「結構です、既に彼方へと逃げ果せて居るので」
また例え、そのような過去が無かったとしても、彼はダクルフィアルスに対してあまり良い感情を抱けなかったであろう。何故なら、彼女のような変に押しが強い女性は彼にとって、所謂苦手なタイプだからだ。
「んもぅ、不幸せって思ってる? ルッ君」
「幸せですよ、僕は。あなたがここにいらっしゃらなければ」
「んん…良いじゃない。昔と違うのだから、今は。問題無いわよ? 族長の下を別の族長が訪れても。王様だって寧ろ推奨しているじゃない、部族同士の交流は。…それに」
魂が抜けたような表情を浮かべ、ひたすら紅茶を啜るガルタコフスの隣で、ダクルフィアルスは窓に視線を遣る。
すると窓が小さく音を立てる。外からの空気の振動を受けたのだ。
「ちゃんと目的あるのよぉ? 私がここを訪れるのだって」
「……」
一瞬視認した影の大きさと、窓が立てた音から子ども達だと判断したルクストブライは、思わず天を仰ぐ。
惨禍を知らない新しい世代の命はは既に、確かな芽となってここ、光竜人が住む光竜村や、闇竜人が住む闇竜窟に芽吹いている。古い世代である自分がいつまでも、過去に囚われていて良いのかと、疑問が湧いたのだ。
訊けばいつの間にやら、違う竜人族同士間の子も存在するのだとか。今はまだ少ないがいつか、そんな子ども達が増える未来が確かな産声を上げているのだ。
彼がふと思い出したのは、先日行われた龍議だ。
流石に王の前では畏るが、それ以外の場では自由に翼を伸ばしている他の族長達――彼等によって広げられた会話の輪に彼は加わらなかった。ただ一言、場を収める発言をしただけだった。
年を重ねた身である者が、年甲斐も無くはしゃぐのはどうかと思い、会話に加わらなかったと思いたい彼だ。が、あの場で一番はしゃいでいたのは、彼よりも三歳程歳上で、見た目からは想像も付かないが、竜人族最高齢のウォグナレアであったので、その考えは全力で頓挫させられる。
因みに、八龍人を年齢順に並べると、水光闇風雷氷火土だ。つまり風龍人までが族長として、先先代の龍王と共に、他部族の領地を狙った戦を繰り広げた人物達だ。雷氷火龍人はその頃この世に生を受けているのだが、土龍人は先代龍王の代になって誕生している。一番外見が年老いている人物が最年少というのは、何ともいえないものである。
「…示しが付かないのです、ここで僕があなたのここでの存在を認めたら。…翻意させられるとお考えにならないことです、散って逝った彼等の屍の上に立つ僕を」
「んもぅ…固いわねぇ。頭を柔らかくしなさいよぉ、ウォグナレアみたいに」
「柔らか過ぎます、あの人は! フラフラフラフラと、部族族長の身でありながらっ!! 凛とされていた! あの頃のあの人はもっと…っ!!」
ガルタコフスは一人、脳裏にその人物の姿を思い浮かべる。
かつてウォグナレアが蒼龍姫と呼ばたのは、その聡明さと豪傑さに由来する。時には一人で複数部族の部隊を撃退することも有ったのだとか。
――任せなさい、私に。全部、全部ね。
その言葉は一体、どれ程の水竜人を魅了し、勇気付けたのであろうか。そしてどれ程の他部族を震え上がらせたのであろうか。
ガルタコフスは、友人の水竜人から時々、彼女の話を聞かされることがあった。もっとも、今は見る影も無いそうだが。
「へぇ…凛とした女性が好みなのねぇ、ルッ君は……」
髪を弄りながら思い出したように菓子を口に運ぶダクルフィアルスの言葉に、「…見習うべきものがあったというだけです、一軍の将として」と補足するような言を返して彼女の前から皿を取り上げる。
「ガルタコフスさん、あまりお口に合いませんか? 他のに変えますよ、合わないようでしたら」
「…いえ。届けたい程ですよ、土産物としてグルジフ殿に」
「そうですか…では、焼き上げましょうか、宜しければ追加分を。あるので、生地は」
「は…ハッ! 宜しいでしょうか、お願いしても!」
「うん。持って行って下さい、グルジフさんにも。…ではダクルフィアルスの監視をお願いします、その代わりと言っては何なのですが」
「は、ハッ!!」
そうして立ち上がったルクストブライは、奥の部屋に消えて行く。
了承してしまったもののガルタコフスが、恐る恐る隣を見ると、
「……」
いじらしそうな表情を浮かべたダクルフィアルスが、明後日の方向を見ていた。
小さく纏められた二藍の翼が時折ピクリと動く。どうやら思案中のようであった。
「ねぇ…」
「…?」
「訊いてるぅ? ちょっとぉ…」
「は…はい」
「言ったわねぇ、ガルタコフスと。副官? グルジフの」
「は? そうでありますが……」
そんな背中を見ていると突然彼女に話し掛けられる。最初はまさか、自分が話し掛けられていると思わなかったガルタコフスは、間抜けな声で言葉を返してしまったのだが、すぐに気を引き締め改め、言葉を返した。
「…あんなに頭固いのだと思う? どうしてルッ君って……」
「は、はぁ…?」
「…ほんわりしてたのよぉ、昔はもっと……」
「…ほんわりでありますか、ルクストブライ殿が?」
「ほんわり」と言ったダクルフィアルスの言葉に驚かされながらも、彼は相槌を打つ。
「全面戦争になってからかしらぁ、変わったのは」
「全面戦争…?」
全面戦争と一口に言われても、心当たりがあり過ぎてどれなのか分からないガルタコフスである。だが続いて、「光闇六十年戦争」と言われて一つの記録に辿り着いた。
光闇六十年戦争。今から二百数十年前に起きた光竜人対闇竜人最悪の戦争である。双方の合計死者数は部族人口の八十パーセントに届いたそうだ。
「…部族の全滅も有り得たとされる最悪の戦ですね、ウォグナレア殿が仲裁に入らなければ」
「…そうねぇ。でも問題じゃないのよ、今それは。その開戦の原因なのよぉ、問題は」
「…っ」
話が長くなりそうな気配にガルタコフスが息を飲むと、「面倒臭いから止〜めたっと」と、闇龍人は思い出すことに疲れたのか、頬杖をついた。代わりに、
「早いわねぇ、これの方が」
豊満な胸元が覗く衣服の内側から、何かを取り出した。
「極秘情報教えてあげる、ガルタコフス君には特別に。…このことを知っている人も私と…それとヴァルザイン様のみねぇ、もう今となっては」
「はぁ……」
光栄というよりは、何か面倒事に巻き込まれそうな気がするガルタコフスだ。また、ヴァルザレフのことを訊きにここを訪ねたのに一体、自分は何をしているのかと疑問すら抱く始末である。
「…っ!? これはっ」
しかしそれを見せられた次の瞬間彼は、狼狽を抑えずにはいられなかった。
「…光龍の紋章。証ではありませぬか、光竜人族族長の!」
「そう。両親が嫌になって迷子になったことがあったのよねぇ、私がまだ幼かった頃。そんな時に会ったの……」
ダクルフィアルスの話を纏めると、こうだ。
昔、彼女がまだ少女と呼ばれる歳頃の時のこと。族長の家に生まれた彼女に自由は無かったそうだ。
睡眠、食事、勉強――全てが両親に管理される毎日に嫌気がさした彼女はある日、家を抜け出してただ、行く当ても無く走り続けた。
一度も家を出たことが無かった彼女が気付いた時には、辺りが未知であった景色に包まれていた。
ここがどこか分からない。家への帰り道が分からない――それは少女にとって、とても恐ろしいことであったに違いない。
そんな時だった。
瞳を涙で濡らしていた彼女の前に立つ人物が居たのだ。
――迷子かい?
――お家…出てきぢゃっだ…嫌で……出でぎぢゃっだ……っ、うぇぇ…んっ!
――お家? どうして?
――フィァズに厳じいんだぼん…お母様もお父様ぼだっで……
その時、彼女は生まれて初めてといって良い程に、誰かの温もりを覚えたそうだ。そっと優しく、抱きしめられたのだから。
故に彼女は大声で泣いたそうだ。まるでその人物に自身の全てを受け止めてもらいたいが如くに。
――逃げて来たのかい?
ようやく落ち着きを見せ始めたところで掛けられた言葉に、少女は頷く。
――帰りたいかい? お家に。
少女は首を横に振る。
――そう思っているのかい、本当に?
今度は縦に振る。
――なら、来るかい? 一日だけ僕の所へ。
――良いの?
――良ければになるけど、君さえ。お家を教えてください、勿論一日したら。
――行くっ。するっ、約束も!
そうして少女は、突然現れた男性の家に向かった。
――食べるかい? お菓子。
――うんっ。
全てを管理されていたといっても、温かな食事は食べていたし、愛情も注がれていた。厳しい教育はその裏返しだったのだ。
少女はただ、両親に反抗したかっのだ。彼女に次期族長としての役目を強いてくる両親への。
それに気付けたのは、彼のお陰だったとダクルフィアルスは語った。
――自己紹介遅れたね、そう言えば。ルクストブライです。
――フィアス…ダクルフィアルスっ!
彼が居なければ彼女は、どことも知れぬ場所で死んでいたかもしれないし、親の愛情について諭されることもなかったであろう。
――お家に帰ろうか、さぁ。
一晩を過ごしたら約束通り少女は、家に送られることとなった。
背中に生えている小さな翼から、闇竜人と少女を判断したルクストブライは、彼女を背負って闇竜窟の前に連れて来ていた。しかし、
――嫌だっ!
少女ダクルフィアルスは、ここに来て突然帰宅を拒否し始めたのだ。
明る過ぎる場所を知ってしまった彼女にとって、彼の下を離れて洞窟の中に戻ることは恐怖以外の何物でもなかったのだ。
――もう少しだけ一緒に居させて、お願いっ。ルクストブライ!
返ってくる答えが変わることは決して無い。幾らダクルフィアルスが言葉を重ねても、首を振られるだけだった。
――じゃあ、
「その代わり」と言って彼は彼女の首下に、何かを掛ける。
――これは?
――お守り。これを光竜村の僕の家に返しに来て下さい、十数年後君が大人になったら。
――お守りなんか渡すの? どうして。
――持っていて欲しいんです、あなたが無事であるように。
少女は渡された物と同じ紋様をした彫刻を彼の家で見ているので、一眼でそれが大切なものであると分かった。故に自身の立場を忘れて必死に断ろうとした。が、彼の鬼気迫った面持ちに折れて受け取った。
すると、闇竜窟に対してあれ程覚えた恐怖心が彼女の中から消え去っていったのだ。
――また逢う日まで、大切にしてくださいね。それでは。
不思議で温かな感覚に少女が驚愕している間に彼は、自身の居場所へと戻って行ったのだった――
「…長い戦争の胎動をきいていたのでしょうねぇ、思えばルッ君は」
染み染みと呟く闇龍人の言葉にガルタコフスは、疑問を覚えていた。
何故見ず知らずの人物に、族長の証である光龍の紋章を渡したのであろうか。
またルクストブライは、ダクルフィアルスがその少女であると本当に知っているのであろうか。
「…ルクストブライ殿はご存知なのでありますか? ダクルフィアルス殿の下に紋章があることを」
「あー…きっと気付いているわよぉ、私からは打ち明けていないのだけど……」
さらに、どうしてヴァルザインにしか伝えていないことを自身に話したのかも、謎であった。
「…ヴァルザイン様は…あ〜、良いの、そんなことは。でも理由はあるわぁ、ガルタコフス君に伝えたことに」
明らかに誤魔化したダクルフィアルスであるが、残念ながらガルタコフスが違和感を感じることはなかった。
「…借りたかったのよぉ、若い子の知恵。…どうかしら、で」
「言われましても、どうと…」と返したい気持ちが山々であった彼だが、「返却されてはどうでしょう? まずそれは光竜人族族長の証なので」と率直な意見を伝える。
「あん、そうねぇ。みようかしら、そうして」
それにダクルフィアルスも賛成したので、話はここまでとなるのであった。
「待たせたね」
暫くすると香ってきた香ばしい香りを吸い込んでいるとやがて、菓子を盆に載せたルクストブライが戻って来た。
「要りますか、紅茶のお代わりは」
「戴きます、是非」
紅茶を注ぐと椅子に腰掛けたルクストブライの瞳には、満足そうな輝きが見え隠れしている。菓子が上手く焼けたのか、あるいはダクルフィアルスの神妙な様子から何かを感じ取ったのか――ガルタコフスには今一つ分からなかった。
「そう言えばいらしたのですね、ガルタコフスさんはヴァルザレフ様ののことを僕に訊くために。すみません、お時間を多分に頂いてしまって」
「ルクストブライ殿、お気になさらずであります」
どうやらルクストブライは眼前の人物を一人、無視することに決めたらしい。チラリと、居ない者のように扱われているダクルフィアルスに目配せをするガルタコフスだが、
「……」
見遣られた人物は怖気付いているのか、視線を彷徨わせてモジモジとしている。どうやら事ここに至って謎の緊張感に襲われているようだった。
露出多めの見た目や吐息多めの発言からは、異性に対して開放的な印象を与えさせる闇竜人族族長であるが、その実はどうも初心であるらしい。ちょっとしたギャップを味わわされた彼は、人を見た目で判断してはいけないという当たり前のことを実感させられたのだが、それに感心しようなどという心持ちはどこにも無かった。もうただただ、乙女な彼女の様子がもどかしく思えて仕方が無かったのだ。
いつの間にか紋章も元の位置に戻されてしまっており、これではルクストブライが発見してくれるような都合の良いことなど起こらないであろう。
「そうですね…述べますと、端的に。伺いにいらっしゃったのですよ、人間族の喪に関する文化について。お礼の言葉と共にすぐに何処かへと向かわれました、我々竜人族と変わらないとお伝えして差し上げると」
「如何なる理由があってのことでありますか、人間族の喪を王弟閣下が調査されるとは」
「はて。分かりませんよ、僕にはあの方の思惑など」
ニコリと微笑むルクストブライ。それは「禁止です、これ以上の詮索は」と言外に語っているようであったので、ガルタコフス咳払いを一つして、
「見せたい物があるそうですルクストブライ殿、隣のダクルフィアルス殿が」
「えっ、ちょっとぉっ!!」
話の話題という名前の武器の矛先をダクルフィアルスに向けた。「なるのであります、もうどうにでも」と、自分が行ってしまったことに対する罪悪感に彼の意識が遠退いていく。
「…あん、もう良いわぁ。ねぇこれ覚えてる? ルッ君」
「…。…?! なっ、そ、それはっ!?!?」
声を裏返すルクストブライ。
「…本当に分かっていなかったの、嘘ぉ……」
真っ白な光景がガルタコフスの視界を満たしていく。
「…あの時貸してくれたんじゃなかったの? 族長の一家と分かっていて私に」
「…そんな君が、まさか……っ、生きていたなんて……」
「なな…な……」
「…ある、確かに面影が……気付けなかったのでしょうか…どうして……」
「……え?」
「…それはそうですよね、自分から進んで幸せに眼を背けていたなんて」
明らかな狼狽の姿勢を見せたルクストブライは、信じられないようにダクルフィアルスの頬に手を添える。それを見ているガルタコフスの視界が、小さくなり始め、やがてとうとう何も見えなくなるのであった。
* * *
その日ヴァルザインの下には一枚の紙が届けられた。
「成し遂げたようですね、無事に」
二人しか居ない会議室。
彼の正面に座るルクストブライの言葉に王は頷く。
紙には彼の弟が行ったことが書かれている。それを一瞥した王が「重畳だ」と上機嫌に呟いた。
「なって良かったですよ、保険が無駄に。無駄にする程のものでもありませんが、もっとも」
「お返しします、こちら」と彼にの前に差し出された二枚の紙には、二つの複雑な印と共に文章が認められている。
それは、エルフと有翼人――二つの部族それぞれからの連絡文章であった。前者はヴァルザインが、後者はルクストブライに宛てて書かれた友好の意味を持つ文である。
――最初に各部族領へ侵入させた八龍人には、それぞれ意味があったのだ。
まず、昔から有翼人と私的な友好関係を気付いているルクストブライに、既に王と彼自らが捕縛した有翼人を連行させた。ヴァルザインを通して各八龍人に通達したヴァルザレフの命令文の中には、本来の文より付け足された文章が記入されたものもあったのだ。
例えばルクストブライには、有翼人領の監視も依頼していた。機を見て領内に姿を眩まそうとしていた有翼人実行犯を捕縛するためである。
さらにそれは、族長テオドールが毒物を盛られたことによって、ゴタついていた有翼人の指令系統を立て直させる目的もあったのだ。
他の八龍人が戻って来る頃合いに合わせて、彼等と同じように、自身はただあたかも潜入をして来ただけであるように見せるのには、正直者である彼は苦戦したものだが、無事に完遂出来て内心満足していた。
因みに、毒を盛った有翼人が死亡したとヴァルザレフに嘘を告げたのは、王である。犯人捜索という目的完遂のための一番の近道を封鎖することによって、どのような行動に彼が及ぶのか、彼は試したかったのだ。
――そもそも事件は、ヴァルザレフがヴァルザインに纏めた報告書を提出した時に解決しかけていたのであった。
「感服致します、陛下に於かれましてはその慧眼。友好関係を築かれているとは、秘密裏にエルフ族とも」
「……」
王は沈黙で返した。
エルフ族と友好関係を築けたのには偶然の産物の賜物であるのだ。その理由が理由なので話すことは出来ないのだが。
「付けているな、珍しい物を」
変に突っ込まれるとボロが出てしまう可能性があったので、話題の転換を彼は図った。言葉通り、彼が今まで一度も眼にすることが無かった程に珍しい物を、ルクストブライが身に付けていたからだ。
「あ…あっ!? …は、はは。恥ずかしながら気分が浮かれていまして、無事に和平が実現するということで…っ!?」
兜の奥が、妖しい光を帯びたような気がして彼は息を飲まされる。
場違いにも程があるのだが、「はは〜ん?」という声がどこからか聞こえてきたような感覚に囚われたためだ。本人からしたら全くもって、訳の分からない感覚である。
「うむ。無論同行してもらおう、再度の和平会談の折には」
「…ハッ」
新たに届けられた和平会談参加要請の紙には、以前のものと内容が変化したドゥーガの文字が記入されていた。
「退室するが良い、大義であった」
「ハッ」
そそくさとルクストブライが、逃げるように会議室を出るのを見てから彼は、席を立って私室に向かいながら、再度の紙面の内容を確認する。何度も確認したが間違い無く、文章は人間族の王のもの。それが意味しているのは、ヴァルザインの予想が全て的中していることだ。
「兄上」
私室に戻るとヴァルザレフに迎えられた。その誇らし気な表情を見ていると、自分まで誇らしく思えてしまうような気がするヴァルザインだ。
「最後の最後まで確信し切れませんでした、まさか暗殺されたドゥーガ王が影武者であるとは」
――主な実行犯は、唆され、踊らされた存在であるがユウェル。それと戦乱を望んだ各部族の武器商人達であった。
流石人間族を率いているだけあり、ドゥーガは息子や彼等より数枚上手の人物であったのだ。親の色眼鏡に自身の眼を狂わせること無く、踊らされた息子の野心を見抜くとは舌を巻かざるを得ない王だ。
「要求されるのだ、部族を率いる者にとってはその程度は当然」
「流石兄上です」
手を叩くヴァルザレフだったが、続けられた王の言葉に固まることとなった。
「…告げなかったな? お前を唆す者が現れたこと」
その声は先程のヴァルザインのものとは違い、どこか玲瓏としていた。
「褒められたものではないな、“私”に隠し事をするとは」
その声は、確かな怒りを帯びていた。
各部族内に存在するとされていた和平反対派。確かにその手口は鮮やかなものではあったのだが、その末路は王弟ヴァルザレフを唆そうとした時点で決定されていた。彼等の唯一の誤算は、彼がヴァルザインのことを恨めしく思っていると看做してしまったことにあったのだ。
「…悲しいぞ私は、お前が重要な隠し事をするだなんて」
ヴァルザインは兜に手を掛け、それを外した。中に入れ込められていた長い黒髪がふわりと空気を孕んで揺れる。
「…あっつ……」
ヴァルザインには秘密がある。
それは弟であるヴァルザレフと、ダクルフィアルスしか知らない重大な秘密だ。
「…あ、姉上……っ」
女性であったのだ。
そして女性であることはそのまま、竜人族の王が和平会談に参加出来なかった理由にもなるのだ。
――竜人族の女性には、数ヶ月に一日だけ、大きく体調を崩してしまう日がある。その崩しようといったら、想像を絶する程の吐気に、寝床上での生活を余儀無くされてしまうのだ。因みに、竜人族がかつて他部族に仕掛けた戦争が有耶無耶になって終了することがあるのはそれが原因であったりする。
和平会談の日はヴァルザインにとって丁度、その日であったのだ。身を這ってでも行こうとしたヴァルザインであったのだが、全力で弟と闇龍人に止められたのだった。
竜人族の主が女性であることが知れ渡ると、他部族に侮られて色々と危険が生じてしまうのである。
もっとも、和平が完全に実現したその日には自らの正体を明かすつもりであるヴァルザインだがそれは、
「私が国を出ている間のこの書類を捌いてもらおうか、罰としてな」
「は、え? えぇぇぇぇぇっ!?!?」
当分先のことになりそうであった。
狼狽える弟の前で鎧を脱いで机上に置いた“彼女”は、「して来る間に着て、水浴びを」と言い残して奥に消えた。
「待たせたな」
ヴァルザレフが固まっている間に戻って来たヴァルザインは、どこから見ても、誰が見ても竜人族の王と分からないような町民の格好をしていた。因みに角は帽子の中だ。
「着替えていないのか、まだ。…まぁ良い」
「え…あ、姉上?」
「…子どもが居るし、何やらイスタルジアとフレグレイオンの間に。ようやくくっ付いたみたいだし、ダクルフィアルスとルクストブライは。…一緒だウォグナレアと、私も独り身という身で」
扉に手を掛けたヴァルザイン――いや、ルンはどこか拗ねたように、「恋話に花を咲かせるとしよう、行き遅れた上の者同士サーヤとな」と、捨て台詞を残して旅立って行った。
国を率いる者にあるまじき行為でないかとヴァルザレフはふと考えたが、溜息と共に姉が脱いだ鎧を着用するのであった。
「あ、あ``〜。俺…じゃない、私…違う、オラ、よし、オラ!」
今にもスキップしそうな彼女が足を向けた先は、北北西の方角――サーヤという女性が居る他部族領だ。
城下街に繰り出した彼女がまさか、竜人族を統べる王であるとは誰も思うはずもないので、やることを全て終えた彼女は、悠々と国を飛び出して行くのであった。(終




