第四章 内に流るる唐紅
「長鳴鶏が鳴いただと?場所は?白龍はどうしたんだ!?」
「月白様は、未だ国境よりお戻りになっておりません」
「陽炎が供についているんだろう?連絡はないのか!?」
「はい、月白様については何も。ただ、長鳴鶏が三度鳴いたと・・・」
その言葉に思わず舌打ちをすれば、散々怒鳴りつけたせいで萎縮していた臣下がますます肩を竦ませた。
普段なら臣下の様子など気にも留めないが、今日ばかりはその弱気な態度に心底腹が立つ。
長鳴鶏が鳴いた、それはつまり暁が宣戦布告をしてきたということ。
暁が宣戦布告をしてきたということ自体は大した問題にならないが、今はあまりにも時期が悪過ぎる。
軍師であり、国の第二位に座する白龍が不在で、しかもよりにもよってその彼が暁との国境へ向かった、この時期に。
「くそっ」
盛大に悪態を付きつつ議場の扉を開ければ、そこには既に元老院達が揃っていた。
白龍のいない議会では時間を過ぎても全員が揃う事などまずないというのに、今回は早々に全員が集まったようだ。
普通ならば元老院達が暁の宣戦布告を最重要事項として認識していると考えるところだが、先程から口々に暁を罵る言葉しか出てこない様子をみるに、コイツらはおそらく何も考えていないのだろう。
誰かが解決してくれることを期待して、早くから群れただけ。
「暁め、人間の分際で我らに楯突こうというのか!」
「身の程を知らぬ愚かな暁が長鳴鶏を放った今こそ好機。立場を弁えぬ人間どもに、我らの力を見せ付けてやるべきだ」
「大瑠璃を放つか?こちらも宣戦布告に応えた方が・・・」
「いや、夜鷹を放ち、先に攻撃を仕掛けるのが宜しかろう。今、暁は夜が更けたばかり。勝機は我らにある」
「待て、まずはハクの安否を確かめることが先決。よもや敵の手に落ちることはなかろうが、ハクの不在時に長鳴鶏が鳴いたとすれば、ハクの身に何かがあったことは明確」
「我らが軍師である白龍と知っての狼藉であれば、やはり開戦は免れないであろう。ハクが戻る前に戦支度を始めておいた方が良いのではないか?」
「黒龍よ、貴様はこの宣戦布告、どう取る?」
不意に呼ばれた名に視線を向ければ、宣戦布告について散々揉めていた元老院達の視線が自身に集まっていた。
その眼には縋るような、助けを求めるような色が含まれていて、より一層苛立ちが増す。
普段は散々ヒトをコケにするくせに、こんな時ばかり頼りにして。
いや、違う、頼りにしているのではない、責任を押し付けているだけだ。
自分の下した決断に責任が持てないから、自分たちで国の行く末を決断したくないから、その責を全て押し付けようとしている、ただそれだけ。
こんな時まで、考えているのは自分の保身だけ。
ギリっと、無意識の内に噛み締めていた奥歯が嫌な音を立てた。
フツフツと沸き上がり、散々ため込んでいた怒りを爆発させようと、思い切り息を吸い込んだ瞬間、派手な音を立てて扉が開いた。
「月白様がお戻りになりました!」
衛兵の言葉に、扉から入ってきた姿を見て、脈が跳ねた。
透き通るような白い肌に、やたらと目立つ赤。
長のみが身に着けることを許されている真白の衣が朱殷に染まり、噎せ返るような鉄の臭いを纏っている。
「ハク、お前、怪我をしたのか?」
「私の血ではありません。そんなことよりも、状況の説明を」
全身鮮血で染め上げた姿を見て呆然としていた元老院達が、その一言で我に返ったように一斉に口を開いた。
「長鳴鶏が鳴いた。暁が宣戦布告をしてきたのだ」
「それも三度、続けざまに鳴いた。あれは我らが宵で暮らすようになってから初めてのこと」
「大瑠璃を放ち、こちらも応えるべきではないのか」
「大瑠璃では甘い。夜鷹を放ち、先手を取るのが必須」
「今こそ、我らの手で人間どもに粛清すべきだ」
「これ以上、人間に好き勝手させるのは・・・」
「大瑠璃も夜鷹も放ちません」
興奮気味に自分勝手な言葉を並び立てる元老院達の言葉を、途中で遮るようにして発せられた声。
一瞬にして、場の空気が凍り付いた。
突如訪れた重苦しく、妙な緊張感を孕んだ沈黙。
そしてその沈黙を破ったのも、やはり冷たく鋭い一言だった。
「暁の宣戦布告には乗りません」
「何故だ!?」
「何故?本気で、そんな馬鹿げたことを申しているのか」
鮮血に染まった上衣を無造作に脱ぎ捨てながら発せられた、普段の様子からはとても想像できないほど無機質で冷ややかな声。
思わず息を呑む一同に、研ぎ澄まされた刃のような言葉が続けられた。
「白虎の一族は「森の住人」を完全に敵に回した。例え長鳴鳥を放って西軍の宣戦布告通りに戦が始まろうとも、人間が国境を越えることは不可能。国境の森を通ろうとすれば「森の住人」達の逆鱗に触れ、西軍は全滅するはず。捨て置けば宜しかろう」
「しかし宣戦布告に応じず、ただ黙って見ているだけでは、人間どもが付けあがるのでは」
「宣戦布告に応じるということは、「森の住人」の戦に割り込むこと。そうなれば宵も無事ではいられまい。どれほど甚大な被害が出るか、見当もつかない」
「だが、それでは人間どもに示しが付かぬ!」
「示しなどに何の意味がある。この程度で思い上がる矜持ならば、図に乗らせておけば良いではないか」
「ハク!」
半ば叫ぶように名前呼ぶと、静かに向けられた漆黒の双眸と視線が交わる。
「すみません、言い過ぎました」
言葉に穏やかさは戻ったが、その声はやはり背筋が凍るほどに冷たい。
「とにかく」と続けられた言葉にも、感情は一切こもっておらず、ただただ的確な指示が機械的に与えられるのみだ。
「今回の宣戦布告に対して、私たち宵はいかなる行動も起こしません。ですが、最低限主上にお伝えし、今後の方策を練る必要性はあるでしょう。私はこれから主上にお目通り願い、今後の方針を仰いでまいります。皆さんは今しばらく暁の動向に気を配りつつ、各人守備を怠らないようにしてください。特に国境近くの『秉燭』には、おって人を増やします。私からは以上です」
深々と頭を下げて「失礼致します」と一言残し、入ってきた時同様、颯爽と遠ざかる軍師の姿。
その姿が見えなくなってから、どれだけの時間が過ぎたか。
声を発しても決して彼には届かないであろうことを確信したかのような頃合を見計らって、一人が徐に口を開いた。
「いやはや、ハクの言い分は最もだ。確かに人間どもが国境を越えられないのならば、我らがわざわざ手を下す必要もない」
「あぁ、その通りだ。下等な人間の処罰など、彼らに任せておけばいい」
「人間如きに我らの時間を費やすなど、言語道断であったな」
「いかにも」
「では、黒龍。『秉燭』への差配は任せたぞ。我らは自陣に戻り、対策を取らねばならぬからな」
アイツが居た時とは、まるで別人のような言動。
各々好き勝手なことを言うだけ言って元老院達は後ろも振り返らず、さも当然のように自分の屋敷へと帰っていく。
「お前らのせいで、アイツがどれだけ苦労してると思ってるんだよ」
そう一言吐き捨てると、怒りを沈めるように大きく息を吐く。
そして王に謁見すると言っていたアイツの後を追う。
『ハク、大事ないか?』
アイツの部屋に入ろうとした時、不意に聞こえてきた声に思わず手を止める。
「大丈夫ですよ、陽炎。元老院達は、ただ大騒ぎしたいだけですから」
『そうではない。ハク、わかっておるだろう?』
「あぁ、これですか?かすり傷ですよ。こんな傷、怪我のうちにも・・・」
「お前、怪我していたのか!?」
その言葉と共に勢いよく扉を開け放てば、驚いたようにこちらを振り返る。
「黒龍さん・・・驚きました。急に扉が開くから、刺客か何かかと思いましたよ。長鳴鶏が鳴いて、皆、気を張っているでしょうから、迂闊に扉を開けると危険ですよ」
にこやかな笑顔に、穏やかな口調。
ただ右の袖口から覗いているのは猛毒の塗られたクナイ。
「随分と気が立っているな。お前らしくない」
「そうですか?おそらく、それは黒龍さんの気のせいです」
「気のせいで、俺は殺されかけたのか?」
言いながらクナイに視線を向ければ、返ってくるには相変わらずの笑顔。
「これは自衛のためです。何も、黒龍さんを狙った訳ではありませんよ。ご存知でしょう?」
「あぁ、わかっている。だが、お前は普段、俺の気配を読み間違えるようなことはないだろう?」
「そんな事・・・買い被りです。私だって、気配を読み間違えることぐらいあります。特に、先程のように気が立っている状態の手練なら、尚のことです。それより黒龍さん、私に何かご用ですか?」
頬笑みを浮かべたまま小首を傾げてみせるその様子は、いつも通りに見える。
だが、袖口から覗いている暗器は未だその手に握られたまま。
さらに視線を下ろせば、右脚を伝う紅い線。
それが傷口から伝う血だと気がつくのに、少し時間がかかった。
「お前、やっぱり怪我していたのか」
「えぇ、少し矢が掠めてしまって。毒も何も無い、ただの弓矢ですから問題ありません」
そう言いつつ傷口を隠すように裾を直そうとする手を取ると、驚いたように息を呑む。
何か言いたげに開いた口が言葉を発する前に問答無用で傷口の確認をすれば、それは本人の言葉とは裏腹に、かなり深いものだった。
「何がかすり傷だよ。よくこんなに深い傷で歩けたな」
痛々しい傷口に、思わず顔が歪んでしまう。
「手当するから動くな」と言えば、思いの外素直に返事が返ってくる。
その間も傷口からは止めどなく鮮血が流れ続け、その血は足元に血溜まりをつくるほどで。
「お前、攻撃されて抵抗しなかったのか?」
勝手知ったる他人の部屋、薬箱を手に戻れば、そこには困ったような笑顔。
「抵抗、しなかった訳ではありません。私が暁に着いた頃には、もう彼は白虎王の部屋に入っていましたから」
「西軍の人間を蹴散らして、森人を奪還する。お前ほどの実力なら無傷で済んだだろう?一体、どこの誰に気を使って、そんな怪我を負ったんだ?」
そう問えば、返ってくるのは変わらぬ困惑を含んだ笑顔。
自分以外のために傷付いておきながらコイツは、その原因が誰にあるのか全く言う気がないようだ。
頑な態度には、もはや閉口するしかない。
「お前は他人のことを気にし過ぎなんだよ。少しは自分のことを考えたらどうなんだ?」
「私は、黒龍さんが思っているほどお人好しじゃないですよ」
いつもより、わずかに低い声。
その声に顔を上げれば、そこには恐ろしいまでに整った、感情の一切浮かばぬ美し過ぎる顔。
思わず息を呑めば、相変わらず落ち着き払った静かな声が言葉を紡ぎ出した。
「三十八人」
「え?」
「先ほど暁で即死した、精鋭部隊の人数です。私が一瞬にして奪った、命の数」
「白龍・・・」
「私は、いつだって自分のことばかり。他人のことなど、考えていませんよ」
「自分のことばかりな奴が、そんな経緯で怪我するかよ。それに・・・」
「どうして、人は争いばかり求めるんでしょうね」
まるで独り言のような呟き。
ポツリと零れ落ちるように発せられた言葉に、思わず手を止めた。
「同じ、赤い血が流れているのに。一人一人が持っている命は、何物にも代えがたいモノなのに。私達も人間と何一つ変わらない、命あるモノなのに。いつになったら人間は、その事実に気がつくのでしょうか」
見たことがないほど悲しげなその表情に、かける言葉など思い付くはずはなく、ただ黙って包帯を巻くことしかできなかった。