第三章 白き悪魔
「若っ!!」
城門をくぐった途端、目に飛び込んできたのは心配そうな顔をして駆け寄ってくる東雲の姿。
まるでこの世の終わりにでも遭遇したかのような表情に思わず呆けていると、東雲はそんな自身の様子などまったく気にした風もなく、ただただ主の無事を隅々まで確認するばかり。
そして全身隈なく確認し、擦り傷一つ無いことに安心するや否や、東雲は城を出発した時以上に目を吊り上げ、全身から怒りを爆発させながら声を荒げた。
「若!今までどちらにいらしていたのですか!?あれほど早く戻ってきてくださいと申し上げましたのに、何故このように夜が更けてから戻られるのですか!!それに私、「暗黒の森」にだけは決して近付かないでくださいと申し上げましたよね?にもかかわらず、若の御召し物に「暗黒の森」特有の植物の葉が付いているというのは、一体どういうことですか!!若は、どうしてこうも私の言うことを聞いてくださらないのです!?私は若の御身を案じているだけだというのに、どうして若は見事なまでに自ら危険に身を投じるような真似ばかりなさるのですか!!」
「わ、悪かったよ、東雲。この通り謝るから、そんなに怒鳴らないでくれ」
あまりの剣幕に反射的に頭を下げると、その思わずといった行動が気に食わなかったのだろう。
ますます肩を怒らせる東雲の様子に、先ほどにも増した怒号が飛んでくると身を竦めれば、東雲と自身の間に牙黄丸が割って入った。
「東雲、お主の言いたいことはよくわかるが、今日はそれくらいにして差し上げてはどうだ?」
「ですが師範、若はあの「暗黒の森」へ行かれていたのですよ!あそこは中立地帯とはいえ、宵の手に落ちた場所と言っても過言ではありません。いつ「異能者」と遭遇してもおかしくないような危険な所に、若はお一人で・・・」
「その事について、若はもう既に痛いほどわかっておられる」
その言葉に、東雲が口を閉ざす。
おそらく牙黄丸の言葉で、森で「異能者」に会っていたということを察したのだろう。
酷く心配そうな顔をする東雲に、牙黄丸が静かに告げる。
「東雲、主の前でそのような顔をするでない。若は無事に戻られたではないか。若を心配するより先に、お主には為すべきことがあるであろう。今日は色々とあったので、若はお疲れだ。早く、お部屋にお連れするように」
「はい・・・若、取り乱してしまい、申し訳ございません」
「いや、今回のことは全面的に俺が悪い。お前にも、心配をかけたな」
「本当に悪かった」と、頭を下げる東雲の肩を叩く。
すると東雲はいつものように穏やかな笑みを浮かべ、改めて姿勢を正すと、少しだけ声の調子を落として口を開いた。
「若、お疲れとは存じますが、実は先ほど黎明様の使いの者が城に参りまして、白虎王がお目覚めになったと」
「父上が?」
「はい。若にすぐお戻りいただくよう使いを出そうとしましたら、急ぎではないからと止められまして」
「そうか。それで、父上のご様態は?」
「今は落ち着かれているようですが、あまり芳しくはないようです。如何いたしましょう。まだ黎明様の使いが居りますが、共に本城に参られますか?」
「そうだな・・・すっかり日は暮れてしまっているが、暁に宵の者が入ってくるとは思えないし。牙黄丸、東雲、共に来てくれるか?」
「御意」
「では、使いの者を呼んで参りますので、若は西門にてお待ちください」
「あぁ、宜しく頼む」
「承知いたしました」
「では若、参りましょうか」
頭を下げた東雲が城の中に入って行くのを見送り、馬の向きを変える。
そして暫く西門に続く道を歩いたところで、後ろを歩く牙黄丸に声をかけた。
「なぁ、牙黄丸。先ほど森で会った者のこと、どれくらい知っている?」
「森で会った者・・・・「異能者」のことですか?」
その言葉に黙って頷くと、返ってきたのは沈黙。
答えを促すように再度名前を呼べば、牙黄丸は諦めたように小さな溜息を付いた。
「我輩も、あまり存じ上げないのです。若もご存知のこととは思いますが、「異能者」についての情報は全て禁忌扱い。一介の兵である我輩は、噂程度のことしか・・・」
「それでも良い、何でも構わないんだ。俺は、少しでも彼らのことが知りたい。森であのハクという人物と話して、自分があまりに無知だということを痛感させられた」
彼の語ることを、自分は何一つ知らなかった。
「暗黒の森」のことも、その森に住む住人たちのことも。
そして何より自国のこと、南方領土である「水神の湖」ことなど、全く知らなかった。
ハクは故郷を追われた敗者だからこそ残された記録だと言っていたが、仮にそうだとしても、自分はあまりに自国の歴史を知らなすぎる。
「俺は第三公子とはいえ、白虎王の血を受け継ぐ王家の人間だ。その俺が、武人に仕える一介の「異能者」より自国の歴史を知らないだなんて」
「若・・・」
「頼む、牙黄丸。お前の知っている範囲で良い、教えてくれ」
「・・・わかりました。我輩の知っていることでしたら、何なりと」
そう言って、牙黄丸は静かに言葉を紡ぎ出した。
「「異能者」とは、かつて朱雀王の領地であった「水神の湖」に住んでいた先住民のこと指していました。しかし朱雀王の統べる南方の国が滅び、「水神の湖」を含めた南方領土を我ら西軍が納めるようになってからは、特にヒトと獣の姿を持ち、自然の摂理に反する能力を持ったモノを「異能者」と呼んでいます」
「自然の摂理に反する能力?」
「「異能者」は全ての能力において我らを超越し、さらに一人一人に特殊な能力が備わっております。天候を操るモノや、人の心を惑わせるモノ、様々です。親兄弟でも異なる能力が宿ることが多く、その能力は計り知れないモノかと」
「俺たち「人間」とは異なる能力を持つモノ、だから「異能者」か」
「唯でさえ「異能者」は空を翔け、陸と同じように水中で過ごすことの出来るモノが大半を占めております。特異な能力が無くとも、「異能者」は我らを凌駕する存在。そして彼ら異能者は長きに亘り「水神の湖」で外界と交わることなく暮らしていたので、我らと道を違えるようになったのは必然かと」
全てにおいて自分たちより優秀な、それも文化も生活習慣も全く違う種族が傍で暮らしていたとなれば、確かに弱者は不安で仕方ないだろう。
少しでも彼らを、脅威となる存在を遠くに追いやり、自分に安寧をと望むのも道理だ。
だが同時に西軍の、暁の人間が自分たちよりも優れた能力を持つ「異能者」たちを「水神の湖」から何故追いやることが出来たのか、それが不可解で仕方が無い。
幼い頃から「英雄王」と称される父が「異能者」たちを一掃したという話は聞いていたし、暁の史実書にもそう記されている以上、真実なのだろう。
しかし、それはおそらく暁の人間から見た真実。
ハクは西軍が「水神の湖」を穢したと言っていた。
そして、自分たちは彼らと共存する道を選んだと。
それはつまり、彼ら宵の人間は「水神の湖」を穢していないということになる。
「なぁ、牙黄丸。「水神の湖」を巡った争いは、一方的なものではなかったんだよな?」
「・・・と、仰いますと?」
「俺たち暁の人間が「異能者」を恐れ、遠ざけようとしていたのはわかった。その戦場が「水神の湖」で、西軍が勝利したことで今、南方の領土を治めていることも。わかっているが、どうしても納得できない。俺には暁の人間が「異能者」相手の戦争に、とても勝てるとは思えないんだ」
「異形のモノを排除する戦で、義のある我らが負けるはずありません」
不意に口を閉ざした牙黄丸の代わりに答えた声は、酷い冷たいもの。
声の主を振り返れば、そこにはあらゆる感情が消え去った仮面のような無表情を浮かべる東雲の姿が。
その姿に驚きを隠せないでいると、東雲はそんな主の様子など目に入っていないかのように淡々とした口調で機械的に言葉を紡ぎ出した。
「王は、この国の脅威になり得るモノを遠ざけようとお考えになっただけのこと。そのお陰で異形のモノたちとの接触は格段に減り、暁の国民が無闇な争いに巻き込まれることはほとんど無くなりました」
「だが彼らの故郷を奪い取り、彼らを追放したのは事実だろう」
「若、異形のモノたちのせいで、どれほど多くの種族が絶滅したか、ご存知ですか?戦となれば、異形の存在である「異能者」が優勢。我ら暁の人間は為す術もなく、一方的なまでの虐殺を受け、数多の同胞を失い、人々は常に異形のモノに怯えて暮らしていました。しかし、王が異形のモノを遠ざけてくださったお陰で、以前のように異形のモノの影に怯えることはなくなり、今の平和な暁があるのです」
東雲の言っていることは、正論だと思う。
事実、「異能者」との接触が減ったことで、暁に平和が訪れた。
しかし、正論が全て正しいとは限らないことを、宵の人間と出会って知ってしまった。
正論の裏側を知ってしまったから、今では東雲の言葉に素直に頷くことが出来ない。
「だからといって、何も彼らを故郷から追い出さなくても良かったのではないか?距離を取ることによって接触が減り、そのことによって争いがなくなるのは望むところだが、もっと他に方法があったはずだ」
「他に方法など、ありませんよ。例え堀を作り、城壁を建てたとしても、「異能者」は簡単に越えて来ます。奴らの前に、我らの守備などは無いも同然。物理的に距離を取る必要があります。その為に奴らの追放は不可欠。暁の国民は、この地を離れることが出来ないのですから」
「離れることが出来ない?」
「かつて暁の民は、太陽と共に生きる道を選びました。太陽の恵みを受けた大地で生きることを誓ったのです。その血を受け継ぐ我らには、この地以外で自由に暮らして行ける場所などありはしないのです。異形のモノと違い、我らは空を自由に翔け回ることも、水中で息をすることも出来ません。我らは、どこででも生きていける奴らとは違うのです。我らがこの地から離れられない以上、奴らを追放するしか方法はなかったのです。仕方のないこと、だったのです」
いつもの穏やかな様子とはかけ離れた、まるで別人のように冷たい態度に思わず息を呑めば、不意に東雲が笑みを浮かべた。
「それでは若、私は王の御前には罷り越すことがかないませぬ故、こちらでお待ちしております」
にこやかにそう告げる東雲は、いつも通り。
先ほどまでの口調とはまるで違う、いつも通りの柔らかな声色で告げられた言葉にふと我に返れば、目の前にはいつの間にか父である白虎王が住む本城の正門が。
「若、馬をお預かりいたします」
「あぁ・・・」
「若!」
あまりにいつもと変わらない東雲の様子に、淡々と「異能者」について語っていた別人のような様子が一層気になってしまい上の空で生返事をすれば、少しだけ張り上げた声で名前を呼ばれた。
慌てて返事をすれば、静かに「馬を」と言われ、そっと手綱が取られた。
促されるようにして馬を降りれば、東雲は慣れた手つきで馬を誘導し、城門の脇に馬をつなぐと、続いて牙黄丸の馬も同じように受け取った。
その様子は恐ろしいほど見慣れた東雲そのものだ。
「若、どうかなさいましたか?」
一向に城に入る様子を見せず、自身を見つめる主を不審に思ったのだろう。
心配そうに眉をひそめる東雲に何でもないと首を振る。
「少し、考え事をしていただけだ。何でもない」
「左様ですか」
「あぁ・・・それじゃあ、ちゃんとここにいるんだぞ」
言いながらそっと頭に手を置くと、東雲はわずかに首をかしげながらも「いってらっしゃいませ」と深々と頭を下げた。
「東雲の様子、おかしかったよな。「異能者」の話を始めたところから、まるで別人みたいで」
城門が閉まり、東雲の姿が見えなくなったところで牙黄丸に尋ねると、 牙黄丸は一瞬逡巡するような様子を見せてから静かに口を開いた。
「若はご存じないかと思いますが、東雲の両親は「異能者」に殺されたのです」
「え?」
「東雲が我輩の弟子になるよりも、ずっと昔。まだ東雲自身も幼く、妹の有明などは巫女としての力が目覚めるより遥か前の話です。幼い兄妹にとって、目の前で両親を殺した「異能者」は、ただの憎い仇でしかない。それ故、「異能者」に対する反感が強いのでしょう。東雲にとっては彼ら「異能者」の言い分がどんな正論であれ、両親を殺す正当な理由にはなりえません。仇を討つことが叶えば気が晴れるやもしれませぬが、東雲はあまり戦闘には向きません故、復讐を成し遂げることもままならぬ自分の不甲斐無さが歯がゆいのです」
「そう・・・なのか」
傍にずっと付き従ってくれていた東雲の知られざる過去に口を噤めば、その沈黙を会話の終いと取ったのだろう、部屋の前に控えていた護衛兵が、おもむろに扉を叩いた。
すると間もなくして重厚な扉が仰々しい音を立てながら開かれ、宦官に部屋の中へと誘導される。
「朱虎、牙黄丸、遅くに呼び出して悪かったな。よく来た」
「黎明兄上」
部屋の中に入ると、そこには白虎王第一公子であり、次期国王として期待される長兄の黎明兄上と、その腹心の家臣一人、そして床に横たわる白虎王の姿。
そっと枕元に近づくと、目を閉じ、やや苦しげに呼吸を繰り返す姿が目に入った。
元は自身と同じ髪色をしていたという髪はすっかり色が落ち、病により窶れているせいか実年齢よりも遥か上に見える。
もはや全盛期の雄姿を思い返すことなど不可能、それどころか今にも旅立ってしまいそうな危うささえ垣間見える。
胸が浅く上下していることから息があるのは確かなのだろうが、それすらも不安になってしまうほどに弱々しい姿だ。
「眠って・・・おられるのですか?」
「あぁ、少し前にな。だが、間もなく目を覚まされるだろう。お前に使いを向かわせた頃から、浅い眠りを繰り返されているようだから。父上も、お前と会いたがっておられたし、せっかくここまで来たのだ、目覚めるまで待つと良い。東雲も来ているのだろう?構わないから中へ呼んでやれ、今すぐ目を覚まされるというわけではないのだ。御前に罷り越せぬと言うのなら、隣の部屋を使え」
「ありがとうございます。牙黄丸、東雲を呼んでやってくれ」
「・・・御意」
「どうした?牙黄丸」
妙な間を持って返答した牙黄丸の様子に首を傾げると、牙黄丸は小さく「何でもございません」と答えてから、深々と頭を下げて部屋を出て行った。
「朱虎、使いの者が城に着いた際、お前は城に居なかったと聞いたが、一体どこに行っていたのだ?」
牙黄丸の出て言った扉が完全に閉まったのを見計らうようにして投げかけられた言葉。
その言葉に、更に父上に近付こうとしていた足を止めて振り返ると、そこには険しい顔をした兄上の姿。
静かな殺気を孕んだその様子に思わず息を呑めば、再度「どこに行っていた」と同じ質問がぶつけられる。
「どこって・・・国境の森、まで」
兄上の気迫に押されながら、やっとの思いでそれだけを答えると、兄上の手がそっと腰に携えていた剣の柄へと掛かった。
「そこで、誰に会った?」
「え?」
「誰に会ったのか、と聞いている」
「誰って・・・」
直感で、ハクに会ったということを兄上に伝えてはいけないと感じて咄嗟に口を閉ざすと、スラリと流れるような動作で鞘から剣が抜かれた。
「黎明、兄上・・・」
視線だけで相手を殺せそうなほど、冷たく鋭い視線。
その視線に射抜かれ、動けずにいると、抜き身の剣を手にした兄上がゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。
そして徐に剣を振り上げたかと思うと、勢いよく足元へと突き刺した。
すると次の瞬間、自身の影から淡い緑色に光る何かが飛び出した。
「何!?」
あまりの出来事に驚いていると、緑色の光体を目で追いながら兄上が呆れたように口を開く。
「朱虎、お前は国境の森で一体何をしていたのだ。こんな穢れを、白虎王の御前にまで持ち込むとは」
「兄上、これは?」
兄上に倣うようにして自身も剣を抜き、改めて緑色の光体と向かい合う。
フワフワと、まるで綿毛のように宙を漂うそれは、一見すると何の害もないただの光のようにも見えるが、そこから発せられているのは確かな殺気。
とてもこの弱弱しい光を放つ物体によって害を受けるとは思えないが、得体の知れない存在である以上、何が起こるかわからない。
現に自分は、見た目からは想像できないほど強大な力を持った人物に会ったばかりなのだから。
「「異能者」・・・では、ないですよね?」
「あぁ、これは国境の森に住まうモノだ」
「森に住まうモノ・・・俺が森に入ってしまったから、ここまで追って・・・」
「いや、それだけでわざわざ森を出てくるとは考えられない。確かにコレは暁の民に好い顔はしないが、一歩森から出ればただの光同然。自身の力が発揮出来る森で行動を起こしたとなれば話は別だが、森を出て、何の力も持たぬ無力な存在となってまで、ここに来る理由がわからない。森を出た後のお前の行動が癇に障ったか、それとも森では手を出せない何かがあったのか・・・」
「手を出せない理由?」
「例えば、自身よりも強大な力を持つ存在がお前を庇っていた、とか。それならば、迂闊にお前に手を出すことは出来まい」
その言葉で、真っ先に頭に浮かんだのはハクの姿。
自分のことを庇ってくれた理由については全く思い当たらないが、あの場に彼以外いなかったという理由を除いたとしても、何故だかハクが庇ってくれたと確信できる。
そんなことを思っていると、隣に立つ兄上が再び剣を構えた。
「兄上、この者のこと、如何なさるおつもりですか?森を出れば無力な存在というならば、捨て置いても良いのでは?」
「朱虎の言う通り、捨て置いたところで何の問題も無いだろう。だが、それでは示しがつかない。コレは王の御前に殺気を孕んだ状態で身を隠して忍び込んだのだ、これは立派は奇襲。王に仇をなす存在を捨て置く訳にはいかない」
そう言いつつ、兄上が「森の住人」にとどめを刺そうと剣を振り上げた瞬間、不意に廊下の方から大きな爆発音にも似た音が響き渡った。
「何事だ?」
「黎明様、若、敵襲です!」
兄上の声に答えるようにして、抜き身の剣を手にした牙黄丸と東雲が部屋に飛び込んできた。
「敵襲・・・数は?」
「わかりません。ですが、まっすぐこちらに向かっているようです」
徐々に近付いてくる激しい戦闘音と、建物が破壊される音。
そして城内に響き渡る無数の悲鳴。
皆が一様に父上を背に守るようにして剣を構え、敵が姿を現すのを待つ。
張り詰めた冷たい空気。
その空気を切り裂くような鋭い叫び声。
直後、廊下を曲がって姿を現したのは、美しい一体の白い龍。
次々と自身に向かってる兵達をいとも簡単になぎ倒しながら、純白の龍が凄まじい勢いでまっすぐこちらに向かってくる。
「白龍か・・・」
呟くように言った兄上の声は、どこか弾んでいる。
この状況で、嬉々とした声。
違和感を覚えて龍から視線を兄上に移そうとした瞬間、緑色の光体が横を通り抜けて迷うことなく龍の元へと向かっていった。
すると龍は自身の元にまでやってきた「森の住人」を優しげな眼差しで見つめると、こちらを一瞥した後、近くの窓を破って城の外に飛び去って行った。
「まっ・・・」
龍の後を追うようにして急いで窓に駆け寄るも、既に龍の姿はどこにもない。
「・・・宵の国に、帰っていったのか?」
視界に広がるのは、満天の星空のみ。
そこに龍が飛び去って行った形跡は一切見当たらない。
しかし一転、城の中に目を向ければ、そこには傷ついた多くの兵と瓦礫の山。
「動ける者は怪我人を運んでやれ。それから城の修繕手配と、白虎王付きの護衛兵増員を急げ。またいつ敵襲があるとも限らない。皆、気を引き締めよ」
次々と家臣達に命令を下し、手際よく事態収拾に努める兄上。
兄上はこんな悲惨な現状を前にしても常に冷静で、的確な行動が出来る素晴らしい人だ。
そんな人だからこそ、先ほど白龍を目の当たりにした時の態度が余計に気になってしまう。
あの時、兄上の声は間違いなく弾んでいた。
暁が誇る技術を結集して造られた堅牢な壁は枯れ枝の如く容易に破壊され、西軍きっての精鋭達はたった一頭の龍を前にいとも容易く膝を折った。
力の差は、歴然だった。
もしも、あの龍が再び城を襲ったとしたら。
もしも、あの龍が東軍を引き連れてこの国に攻めてきたとしたら。
もしも、宵の国と戦争になったとしたら、暁はきっと・・・
「東雲!」
珍しく焦ったような牙黄丸の声。
その声で我に返り牙黄丸の方に目を向けると、そこには壁に寄りかかって腰が抜けたように座り込む東雲の姿。
「東雲、大事無いか?」
声をかけながら東雲の身体を支える牙黄丸の元に慌てて駆け寄るも、東雲の瞳は虚ろなもので、覗き込むように顔を伺う自分のことにも気が付いていないようだ。
「東雲・・・」
名を呼び、そっと手を握る。
すると東雲は不意に口を開き、今にも消え入りそうなほど小さな声でポツリと呟く様に言葉を放った。
「白き悪魔・・・父上の」
言葉の途中で身体から急に力が抜け、そのままぐったりと気を失ってしまった東雲に驚いていると、牙黄丸が静かに口を開いた。
「若、東雲は気を失っているだけです」
「そうか・・・よかった」
「ですが、一応医師に見せておきましょう。吾輩が医療室に運んでおきます故、若は部屋にお戻りになってください」
「いや、俺も行こう。急に気を失うだなんて、何かよくない病気かも・・・」
「若はお戻りください」
言葉を遮るようにして言う牙黄丸に思わず口を閉ざせば、牙黄丸は東雲の身体を抱き抱えながら何でもないことのように「戦が始まります」と、一言発した。
「戦が、始まるのか・・・?」
耳を疑う言葉をそのまま繰り返せば、牙黄丸はただ静かに頷くだけ。
「先ほどの龍、あれは間違いなく東軍の軍師である白龍。誰もがあの龍は城を襲ったのではなく「森の住人」を助けに来たのだと述べたとしても、敵国の軍師が自国に侵入した時点で、それは宣戦布告です」
宣戦布告。
牙黄丸の言葉の意味が、何度繰り返しても理解できなかった。