第四十八話 遭難二日目
キロが目を覚ました時、頭の下に柔らかく弾力を返す感触があった。
いつも枕代わりにしている着替えが詰まった鞄にはこんな弾力はなかったはずだ。
キロは違和感の正体を確かめようと瞼を開く。
「起きましたか?」
覗き込むようにして、クローナが問いかけてきた。
キロは上半身を起こし、頭の下にあった物を確認する。
「……なんでクローナが俺に膝枕してたんだ?」
キロは疑問を投げかけつつ、ミュトの姿を探す。
ミュトは机の横ですやすやと寝息を立てていた。
ミュトの隣ではフカフカが丸くなっている。
クローナを焚き付けそうなフカフカが寝ているのなら、膝枕はクローナが自主的に動いたのだろう。
――妙なところで行動力があるからな。
クローナに向き直ろうとした時、膝の上に重みを感じてキロは視線を落とす。
キロを見上げるクローナと視線がぶつかった。
「これでお相子です」
感触を楽しむように頭をぐりぐりとキロの太ももにこすり付け、クローナはくすくす笑う。
積極的にくっついてくるクローナに疑問を抱いて、キロは周囲に原因を探す。
――あぁ、温泉か。
寝ぼけていたキロは良く覚えていないが、クローナとミュトは昨夜、温泉に浸かっていた。
しっかり体を洗ったため、キロにくっついても大丈夫という判断なのだろう。
クローナの手が伸び、温泉を見つめているキロの頬をぺちぺちと叩く。
「キロさん、詮索しちゃだめですよ」
「はいはい」
――温泉にこだわってた理由はこれか。
昨夜、クローナが熱心に削っていた鍾乳石が地面に転がっているのを見て、キロは苦笑した。
膝枕を楽しんでいるクローナの髪を手で梳いていると、ミュトが起床した。
ミュトは寝ぼけ眼を擦り、服の襟を調節する。
「キロ、クローナ、そろそろ朝食に……何してるの?」
欠伸を噛み殺したミュトがキロとクローナを振り返り、眉を寄せる。
クローナがキロの膝に頭を乗せたまま、ミュトを手招きした。
「ミュトさんもどうぞ」
クローナに誘われたミュトはキロをちらりと見た後、ため息を吐いた。
「出来るはずないでしょ。朝食にするから、キロ達も準備して」
食料品が入った鞄から干し肉を取り出すミュトの背中を、クローナがしばらく見つめる。
フカフカがミュトを見上げた後、鼻で笑った。
ミュトがフカフカを横目で睨む。
「何か言いたい事でもあるの?」
「言わずに見物する方が面白そうであるな」
パタリ、と尻尾で鍾乳石の即席机を叩いたフカフカは、意味ありげにキロを見る。
首を傾げたキロは、視線をクローナに戻した。
「いつまで寝てるつもりだよ」
「キロさんが夢に出てくるまで」
「現実で見てればいいだろ」
「寝ても覚めても夢心地ですね」
言葉を交わしていると、ミュトが干し肉を片手にやってきた。
「ほら早く食べて。今日の内に左の道を調べ終えないといけないんだから」
ミュトは呆れたようにため息を吐き、干し肉を差し出した。
食べている時間も惜しい、とキロは荷物を持ち、干し肉を齧りながら立ち上がる。
クローナが不満そうに見上げてくるが、キロは気にしない。
「食糧はあとどれくらい持つ?」
「三日くらいかな。途中で補給できなかったのが痛いね」
ミュトは食料品の入った鞄を駄馬に括り付ける。
キロは温泉を汲み上げ、水筒に入れた。
水の心配がないのだけは救いだと、改めて思う。
忘れ物がない事を確認して、キロ達は再度左の道を調査するべく出発した。
前日に調査した部分を越えて、キロ達は未探査の部分に入る。
「そういえば、魔物がいませんよね」
クローナが洞窟道を見回して、思い出したように呟く。
当り前だろう、と返しそうになったキロは気付く。
未発見の洞窟道であるこの洞窟道は、ロウヒ討伐隊解散の影響を受けていないはずなのだ。
「ボクも気になってたんだ。この洞窟道はかなり広いし、エサもある。マッドトロルくらいならいてもおかしくないはずなんだけど」
ミュトは肩に乗るフカフカを見る。
フカフカは無言で首を振った。
魔物の気配はないという事だろう。
分かれ道を見つけて、ミュトが地図を描く。
キロの足元をダンゴ虫が横切った。
分かれ道の先へ消えていくダンゴ虫の後ろ姿を見送って、キロは口を開く。
「実はどこかの町に通じていて、ロウヒ討伐組の影響を受けている、とか」
「あまり期待できないけど、そうだったら嬉しいね」
ミュトが困ったように笑う。
ダンゴ虫が消えた方の道へ足を踏み入れると、緩やかな下り坂と無数の分かれ道が姿を現した。
今日の調査も時間がかかりそうだ、とキロ達は顔を見合わせてため息を吐いた。
丸一日の調査を終えて、キロ達は得る物もなく温泉に戻ってきた。
――あと二日分の食糧しかないってのに。
左側の洞窟道は入り組んでいて、場所によっては温泉に水没していた。
調査を終えても、別の洞窟道とは繋がっておらず、得たものと言えば徒労感だけだった。
「明日中に町への道を見つけないと、危ないね」
地図を描きながら歩いていたミュトが呟く。疲労のあまり、顔色が悪い。
食糧は二日分。しかし、道を見つけてもその日のうちに町へ到着できるとは限らない。
いざという時は駄馬を潰すこともできるが、最後の手段であるため考えには含まずに予定を組むべきだろう。
ミュトが地図を広げ、赤いペンで地図に印をつけ始める。
何をしているのかと手元を覗き込んでみるが、地図の読み方が分からないキロには見当がつかなかった。
キロは視線でフカフカに説明を求める。
「鍾乳石や苔の状態から、洞窟道ができた時期を割り出しておるのだ。他と比べて鍾乳石の成長が遅い場所があるのならば、天井の上を別の洞窟道が走っているやもしれん」
天井の上に別の洞窟道が走っているならば、鍾乳石の成分である石灰が流れてこないため、下の洞窟道では鍾乳石の成長が遅くなるか、止まってしまう。
それをヒントに、別の洞窟道を見つける作戦だろう。
難しい顔をするミュトはしきりにため息を吐いている。
ミュトの手が止まったのを見計らって、クローナが声をかける。
「ミュトさん、お風呂に入りませんか?」
いつの間にか魔法で作ったらしい石の風呂桶に、クローナがミュトを手招きする。
ミュトはクローナを振り返った後、キロに視線を移す。
フカフカがミュトの肩に飛び移り、口を歪める。
「キロよ、ミュトは混浴がしたいらしいぞ」
「そんなこと言ってない」
怒ったミュトがフカフカの首根っこを掴もうと手を伸ばす。
フカフカは巧みにミュトの手を躱し、キロの後ろに回ると背中をよじ登った。
キロの肩に乗ったフカフカは尻尾を左右に小さく揺らす。機嫌がいい時の振り方だ。
「キロも満更ではなかろう?」
「そういえば、俺は昨日風呂に入ったっけ?」
睡眠不足と疲労でふらふらしていたため、キロは良く覚えていなかった。
「キロはボク達が入っている間に待ちくたびれて寝ちゃったよ」
「クローナとミュトは少し不満そうにしておったな。うら若き乙女が一糸まとわぬ姿をさらしておるのに寝入ってしまうなど、貴様はそれでもオスか?」
「――ボクは別に不満そうになんかしてないよ!」
口の減らないフカフカを強制的に黙らせようと、ミュトがキロの肩へ手を伸ばす。
フカフカはひらりとキロの頭の上に飛び移り、跳躍した。
ミュトの肩を蹴りつけ、後ろに回り込んだフカフカは再度跳び上がり、ミュトの背中を全力で蹴り飛ばす。
フカフカに蹴飛ばされたミュトはバランスを崩し、前のめりに倒れ込む。
キロの胸に飛び込む形でミュトは倒れたが、勢いが強すぎて頭突きのようになっていた。
悪意のない、事故のような頭突きでも入ったところが悪かった。
キロは鳩尾を片手で押さえる。
「――キロ⁉」
ミュトが慌ててキロを抱き起こし、フカフカを睨む。
フカフカは舌打ちした。
「勢いが強すぎたようであるな。軟弱な奴め」
理不尽な罵倒をキロに浴びせ、フカフカは駄馬の元へ逃げて行った。
「キロ、大丈夫?」
「……なんとか。クローナと一緒に先に風呂に入れ。覗かないから、心配するな」
ミュトに答えて、キロはフカフカを睨む。
のほほんと目を細める駄馬の頭の上で、フカフカは小ばかにするように尻尾を振った。
「どうした、かかってこんのか?」
「その手には乗るか。どうせクローナとミュトの方に視線を誘導するつもりだろ」
「頭だけは良く回る奴であるな。聞いたであろう、ミュトよ。こやつは覗く勇気もない」
「ボクに話を振らないでよ!」
ミュトはフカフカに言い返し、キロの具合をもう一度確認した後、クローナのいる風呂桶に歩いていく。
「キロさん、いまから服を脱ぐので、見るなら今の内ですよ?」
「クローナまで変な事を言い出さないでよ!」
「ミュトは疲れてるんだから、あまり突っ込みを入れさせるな。労わってやれ」
キロは苦笑しつつ、昨夜クローナが削っていた鍾乳石を手に取る。
魔法で生み出した石のノミと動作魔力を使い、キロは手早く形を整える。
歪な円筒状に削った鍾乳石の上部を可能な限り滑らかに整えて、幾つかの窪みを掘り、別に用意した板状の鍾乳石を上から嵌め込んだ。
「手抜きではあるが、よく作れるな」
駄馬の頭の上から、フカフカが呆れ半分、感心半分に言葉を投げる。
キロはたった今、鍾乳石を削り出して作った即席の椅子に腰かけた。
「養護施設で椅子を直したりしてたからな。日曜大工程度にはできる。動作魔力があるから筋力に関係なく作業できるしな」
座る部分に嵌め込んだ板状の鍾乳石に背中を預け、キロは欠伸を噛み殺す。
「――振り返らないでよ?」
椅子作りが終わったキロが暇を持て余している気配に気付いたのか、ミュトの声が後ろから掛けられる。
「いまは体を洗っているところなので、振り返られたら全身見られちゃいますもんね」
「クローナ、何で状況を言っちゃうかな?」
「キロさんは振り返らないと言ったら絶対振り返りませんから」
「……クローナがそう言うなら、そうなんだろうけど」
半信半疑なのか、ミュトがキロの背中をちらちら見ている。
ミュトがキロを振り返る度に、フカフカの尻尾が楽しげに揺れていた。




