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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第四十七話  遭難初日

 ミュトが洞窟道と手元の地図とを見比べ、途方に暮れたように肩を落とした。

 下の洞窟道を見下ろしていたキロはミュトの様子に気付いて顔を上げる。


「道は分かりそうか?」


 ミュトは力なく首を振った。


「新しい洞窟道なんですね」


 クローナが周囲を見下ろして、眉を寄せる。

 キロはクローナの視線を追って、違和感を覚えた。


「苔が生えてるな」

「気付いたようであるな」


 フカフカが鼻を鳴らし、尻尾の明かりで頭上を照らす。

 誘われて視線を向けた先には、天井から下がる鍾乳石がいくつも見えた。


「未発見の洞窟道ではあるが、出来上がってからかなりの歳月を経ておる。厄介なことになったぞ」

「過去五年分の地図にこの道が載ってないから、どこの街にも通じていない、袋小路の可能性があるんだよ」


 ミュトが困り顔で地図を見つめるが、記載されていない洞窟道の全容が浮きあがるような奇跡は起きなかった。

 キロは洞窟道に目を凝らす。

 左右に伸びる洞窟道は、左側が下り坂、右側が急角度の上り坂となっている。

 左側の道は見える範囲だけでも三つの曲がり角があり、その全てが行き止まりとは少し考えにくい。

 しかし、五年もの間地図師達が見落としていたとも考えにくい。天井の鍾乳石を見る限り、洞窟道が出来てからの歳月は五年以上になりそうだったが。


「救援が来る可能性は低いよな」

「下の道があの状態だからね」


 ミュトが視線をもと来た洞窟道に移す。

 町を出た後の下り坂、その下端にあたる部分で温泉が湧き出たため、キロ達がいる場所まで救援を送るとしても熱湯の中を泳いでこなければならない。

 キロは洞窟道の先を指さした。


「この先で壁か地面を壊して別の洞窟道に繋げるのはどうだ?」

「温泉が何所から出てくるか分からない現状で、むやみに壁を壊したら二次被害が起きるよ」


 ミュトは首を振り、新しい紙を取り出して手早く地図を作製し始めた。


「とにかく、周辺の地形を調べよう。もしかしたら別の洞窟道に繋がっているかもしれない」


 基礎事項を書き込んだミュトがクローナを振り返る。

 クローナは温泉を見つめていた。


「この温泉、汲み上げて冷ませば入れますよね……?」


 物欲しそうに温泉を見つめていた、クローナが呟く。

 一瞬何を言われたのか分からず、キロはミュトと顔を見合わせた。

 ミュトは唖然とした顔をした後、頭痛を覚えたようにこめかみを抑える。


「クローナ、いまの状況を分かってるの?」

「遭難中です。でも、温泉ですよ?」


 クローナが同意を求めるようにキロを見た。

 キロはつい視線を彷徨わせる。


「入りたくないと言えば嘘になるかな」

「キロまで何を言い出すのさ」


 頬を膨らませてミュトはキロを非難する。

 しかし、キロはクローナの世界に行った日から今日まで、肩まで湯に浸かったことがない。

 濡れた布でかなり念入りに体を洗っているとは言っても、そろそろ風呂に浸かりたいと思っていたのだ。

 フカフカが愉快そうに尻尾を揺らす。


「ここは洞窟道である。二手に分かれるわけにもいかぬが、良いのか?」


 フカフカが言わんとする事を察して、クローナとミュトが顔を赤らめた。

 だが、クローナは震える拳を掲げた。


「こ、混浴上等です」


 キロに顔を向ける事はなく、クローナは宣言する。


「クローナは良くても、ボクは……」


 ミュトがキロをちらちらと窺い、口籠った。

 ――このままだと収拾がつかなくなるな。

 キロは咳払いして、洞窟道を指さす。


「何はともあれ、周囲の探索をしよう。温泉に入るとしても、俺達が知らないだけで実はこの洞窟道が町に繋がっていて人通りが多かったりしたら、困るだろ?」


 キロが仮定の話を持ち出すと、ミュトが助け舟に感謝して乗っかる。


「そ、そうだよ。食糧や水の問題もあるんだから、のんびりしてられないよ」

「食糧はともかく、水ならそこにたくさんありますよ」


 クローナが温泉を指さす。

 労せず、水の確保が完了していた。


「――左から調査しようか」


 クローナに会話の主導権を握られてはなし崩しに温泉に浸かる事になりかねない。

 ミュトが率先して歩きだした。

 名残惜しそうに温泉を振り返りながら、クローナがミュトの後ろをついていく。

 キロはクローナの横に並び、小声で話しかけた。


「深刻にならないようにするのはいいけど、やり過ぎだ」

「やっぱり、気付いちゃいましたか」


 クローナが肩を竦める。


「でも、温泉に入りたいのは本音ですよ」

「それは我慢しろ」

「仕方ないですね。代わりに、キロさんにのぼせる事にします」


 満面の笑みを浮かべて、クローナがキロの腕に抱き着く。

 キロは苦笑した。


「頭茹ってるだろ?」

「その切り返しは酷いです」


 唇を尖らせて、クローナはキロの腕を放すと、ミュトに駆け寄った。


「下に向かっていますけど、毒ガスが溜まっていたりしませんか?」


 クローナに質問され、ミュトが肩に乗るフカフカを見る。

 フカフカは悠々と尻尾を左右に振った。


「毒ガスが溜まっていたならば、我が気付く。貴様ら人間どもより鼻が利くのだ」

「つくづく便利な奴だな」


 キロは後ろから声をかけると、フカフカはふん、と鼻を鳴らした。


「当然である。それはそうと、毒ガスの気配はない。安心して進むがよい」


 フカフカが安全を保証し、道の先を照らす。

 いくつもの分かれ道が見えた。



 探索を一度切り上げたキロ達は道を引き返し、温泉に沈んだ下の洞窟道が見える場所まで戻ってきた。


「行き止まりしかありませんでしたね」


 疲れた顔でクローナが呟く。

 十を超える分かれ道があったが、その殆どがすぐに行き止まり、あるいは別の分かれ道と連結して同じ場所をぐるぐる回るだけだった。

 町へと続く道は発見できず、キロ達は一度、引き返してきたのだ。

 キロは温泉を背にして右側の道を見る。

 左側の道は探索を終えていないが、ミュト曰くどこかの町へ通じている可能性は低いとの事だった。

 活路があるとすれば、右の道である。

 しかし、徹夜で動き回ったため、キロ達は疲労困憊だった。


「はい、キロの分」


 ミュトが差し出してきたのは干し肉一切れだ。

 遭難中であるため食料を小分けにし、一回の食事の量も制限している。

 キロは地面に座って上を見上げた。

 温泉から立ち上る蒸気が天井で冷やされ、滴となって落ちてくる。

 顔に降りかかった滴を拭い、キロは壁際の駄馬に視線を投げた。

 駄馬は鍾乳石で作った桶に顔を突っ込み、水を飲んでいる。

 探索中に地面から生えていた手頃な鍾乳石を取り、桶として活用しているのだ。

 キロは干し肉を咀嚼しつつ、横目でクローナを見る。

 天井から持ってきた鍾乳石を魔法で作りだした石のノミでちまちまと割っていた。


「……本当に、風呂を作るつもりか?」


 キロが呆れ半分に問いかけると、クローナはノミを片手に頷く。

 いくつかの大きな鍾乳石を削り、組み合わせる事で風呂桶を作る試みらしい。

 鍾乳石は柔らかい鉱物であるが、専門の技術もなく、手先も器用とは言えないクローナが風呂桶を完成させるのはだいぶ先になる事だろう。

 ミュトは鍾乳石を縦に割ってテーブル状にし、地図を広げて悩んでいる。極力、クローナを見ないようにしていた。

 クローナがキロにじっと熱い眼差しを送ってくる。


「キロさんは器用なんですから、手伝ってくださいよ」

「器用とか言う以前にさ。もっと効率的なやり方があるだろ」


 キロはため息を吐く。

 ミュトがキロを振り返った。


「キロ、言っちゃダメだよ」


 両手を胸の前で交差させ、バツ印を作るミュト。

 フカフカが机の上で尻尾の手入れをしながら、欠伸を噛み殺す。


「いつ気付くかと思ったが、このままでは湯に浸かる事が出来そうにないからな。キロ、言ってしまえ」

「フカフカは黙ってて」


 ミュトは再度キロを見る。


「絶対に教えちゃだめだからね」


 一人だけ効率的な方法に気付けないでいるクローナが、眉を寄せて全員を見回す。


「効率的な方法ってなんですか?」


 本当に気付いていないのか、とキロは呆れて口を開く。


「石のノミじゃなく、石の風呂を魔法で作ればいいだろ」

「――あ」


 クローナが手元のノミを見つめて、悔しそうな顔をする。

 ――徹夜で歩き回ったから頭が働いてないな。

 欠伸をするキロの横に、クローナは手早く魔法で石の風呂桶を作り出す。

 目元を擦ったキロはクローナの風呂桶を横目に見て、口を半開きにして驚いた。


「大きすぎるだろ」

「三人で入るならこれくらいでないと」


 クローナの返事を理解できず、キロが寝ぼけた頭で考えようとした時、ミュトが呟いた。


「だから、教えちゃダメって言ったのに」


 ようやくキロも理解して、盛大なため息を吐いた。


「魔物が来るかもしれないんだから、誰かが見張ってる必要があるだろ。先に入れ」

「キロも寝ぼけてるよね」


 ミュトが半眼でキロを睨みつつ、フカフカに同意を求める。


「キロが寝ぼけている内にミュトも入ってしまえ。今なら裸になろうがキロは振り返らんだろう」


 ミュトに答えて、フカフカはつまらなそうに手入れしたばかりの尻尾を一振りした。


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