第四十六話 温泉
急な上り坂を上り切ったところに町があった。
多数の奇岩が支柱として天井を支える奇抜な外観の町だったが、派手な見た目に反して閑静な町だった。
キロは通りを見渡して、人通りの少なさに気付く。
町に入ると高確率で面倒事に巻き込まれてきたため、つい身構えてしまうキロとクローナを放っておいて、ミュトが通行人を呼びとめる。
「人が少ない気がするんだけど……?」
「あぁ、崩落の危険があるって話で、町ごと閉鎖する予定なの。家財道具に武器防具、資料の運び出しと結構忙しくてね。近隣の街に順次運び出してる最中だから、人が出払ってるのよ」
手短に説明して、通行人は天井を見上げる。
少し寂しそうな横顔だった。
ミュトは頭を下げて礼を言う。
「ボク達も早めに出た方がよさそうだね」
聞けば、最新の地図等の資料はまだ地図師協会に保管されているとの事だった。
キロ達は地図師協会に足を運ぶ。
地図の複製に大わらわの職員達がミュト達に目を止め、まじまじと見つめる。守魔を討伐した話が伝わっているのだろう。
キロ達は声をかけられる前にそそくさと本棚の裏に隠れた。
「本当に、早めに出た方がよさそうだ」
「ですね」
あまり悪い気分ではないが、持ち上げられるのは性に合わない三人は、本棚から最新の地図を探し出して複写する。
「武勇伝の一つでも語ればよいではないか」
フカフカだけは不満そうに、職員を振り返る。
「我が守魔との戦いを事細かく臨場感たっぷりの感動巨編にして語って聞かせようか」
「フカフカ、調子に乗らないで」
首根っこを掴み、ミュトはキロにフカフカを渡す。
「キロ、フカフカを見張ってて」
「了解」
「つまらぬ奴らめ」
尻尾を強めに振って、フカフカが鼻を鳴らす。
地図の複写を終えて、キロ達は地図師協会を出た。
閑散とした町は洞窟内の暗さも相まって寂しさが募る。
宿は営業していたため、キロ達は一泊を願い出る。
しかし、店主は困り顔で頭を掻いた。
「すまん。寝具をあらかた運び出しちまって、客は二人しか取れないんだ。それもさっき埋まっちまって……」
「他に宿は?」
「この町でまだやってるのはうちだけだね。すまないね。湯浴みだけでもしていくかい?」
無料でいいとの事なので、キロ達はありがたくお湯を貰って部屋に入った。
ベッドや椅子などが運び出された後の客室は殺風景で、ずいぶんと広く見える。
クローナとミュトは別の部屋に入っていったが、おそらく同じ状態だろう。
「何となく、心細く感じるな」
「守魔の脳天を突き刺した男が何を言う」
「それとこれとは話が別だろ」
フカフカと言葉を交わしつつ、キロは服を脱いで布をお湯に浸す。
「そろそろ風呂に入りたいな」
濡らした布で体を拭くだけではどうしても満足できない。
しかし、フカフカはお湯を張った桶に悠々と浸かり、キロを見上げた。
「でかい体は不便であろう?」
「心底むかつくな。俺相手に風呂で喧嘩を売るな。沸点低いんだぞ」
ここが氷穴の町だったなら、お湯と優越感に浸っているフカフカの桶に氷をいくらでも放り込めるのに、とキロは悔しがる。
念入りに体を洗い終えたキロは、フカフカに乾いたタオルを放り投げた。
服を着て廊下に出ると、すでに待っていたクローナとミュトが顔を寄せ合って真剣に話し合っている。
何の話だろうと首を傾げるキロに気付いて、クローナが手を振った。
「ミュトさんの服を買おうかと思ったんですけど、この町だともう品揃えが悪いらしくて」
「宿もここ一軒しか営業してないくらいだしな。これから向かうロウヒのそばにある街なら、それなりに大きい店もあるんじゃないか?」
人類の生存圏の中で最も上に位置する街だ。魔物の襲撃に備えて人口も多いだろう、とキロは見当をつける。
ミュトが頷いて、口を開く。
「いまならロウヒ討伐隊が持ち込んだ物資も流れてそうだから、そこで服を揃えようかなって。キロは着替えとか大丈夫?」
「あと三日くらいだろ。我慢しておけば服を選べるっていうなら、我慢するさ」
キロの答えで、服を買う機会は次の街に持ち越しと決まり、宿を出る。
畜舎につながれていた駄馬がとぼけた顔でキロ達を見た。
旦那、もう行くんですかい、と声をかけてきそうな、渋さのある声で駄馬は一鳴きする。
食料を買い足そうと店を探したが、物資を運び出す際の糧食として提供されたため保存食は品切れらしい。
仕方なく、キロ達は町を出発した。
ミュトが説明してくれた道順を聞く限り、今日一日は長く緩やかな下り坂が続き、次の二日は前日に下った分を取り戻すような急な上りらしい。
「二泊三日の野宿の旅ですね」
「三日目には新品の服と美味い食事と暖かいベッドが待っているって事で、気を取り直していくぞ」
クローナが不用意な発言で下げた気分を無理やり上げて、キロは坂道を下りだす。
蛇行する下り道は死角が多かったが、フカフカの聴覚による索敵が効果を発揮するため苦にならない。
しかし、魔物は全く出てこなかった。
トットを再出発してからというもの、一度の戦闘もしていない事を思い出し、キロ達は拍子抜けする。
ロウヒを討伐できずに解散した傭兵達が憂さ晴らしに魔物を狩り回っているとしか思えない。
戦闘のない快適な旅を続けて道を下り切り、キロは腰を降ろそうとして思いとどまる。
中腰のまま止まったキロを不思議そうに見ていたクローナも、地面に手を着くなり固まった。
「かなり湿ってますね」
「俺の気のせいじゃなかったか。ちょっと天井を触ってくる」
キロが上を見上げると、気を利かせたフカフカが明かりを上に向けた。
動作魔力を纏ったキロは壁を走って十メートルほどの高さにある天井にたどり着くと、手で触るまでもないと判断して地面に降り立った。
「水が漏ってるかと思ったんだが、天井付近の空気はやけに温度が高い。もしかしたら、温泉かもしれない」
キロが報告すると、クローナが嬉しそうに両手を合わせた。
「久しぶりに温泉に入れますね」
「喜ぶところじゃないよ、クローナ」
ミュトが深刻な顔で告げる。
意味が分かっていないらしいクローナにフカフカが説明する。
「源泉は温度が高い。寝ている間に熱湯を浴びたくはなかろう?」
「有毒ガスが出るかもしれないから、ここだと安心して寝られないね。徹夜になるけど、もう少し進むしかないよ」
降ろそうとしていた荷物を再び駄馬に括り付け、ミュトが坂道を見上げる。
「温泉、入れないんですか?」
名残惜しそうにクローナが天井を見上げる。
直後、目を見開いたクローナは杖を掲げ、声を張り上げた。
「走ってください!」
反射的にミュトは駄馬の手綱を引っ張り、キロはクローナの腰に手を回して動作魔力を練った。
頭上に圧迫感を感じてキロが見上げると、クローナが生み出したらしい岩の壁が斜めに頭上を覆っている。
坂道を駆け上がりながら、キロは背後から水音を聞いた。
「何が起きた⁉」
「天井が抜けました!」
キロの短い問いかけに答えたクローナが坂道を振り返る。
「水量にもよりますけど、あの勢いだとこの辺りが水没するかもしれません」
キロも道を振り返り、目を凝らす。
クローナが生み出した岩の壁が天井から落ちてきた温泉の中に沈んでいくのが見える。
「キロ、クローナ、隔壁を作るのだ。このままでは水流に呑まれる!」
嫌な未来予想を告げるフカフカの声にキロは顔から血の気が引く音を聞いた気がした。
「クローナは下から頼む。俺は上から石壁を出す」
「魔力は多めに込めた方がいいですよね」
クローナを地面に降ろし、キロは壁を駆け上がりながら道を封鎖するように石壁を生み出していく。
クローナが地面から巨大で分厚い岩の壁を生み出している。
――かなりの水量だな。
熱気が顔に当たり、汗が噴き出るのも構わずにキロは石壁を生み出し続け、道を上から下まで完全に封鎖した。
地面に下りたキロに休息する暇を与えず、ミュトは坂道の上を指さす。
「早く、高いところに避難するよ」
すでにクローナが駄馬の手綱をミュトから受け取って走り出していた。
キロもミュトと共にすぐに後を追う。
「崩落の危険って、まさかあの温泉のせいか?」
「多分、別件だよ。温泉が出るなんて最新の地図にも乗ってなかったから」
キロは思わず舌打ちする。
最新の地図に温泉の事が乗っていなかったのなら、坂道をどこまで登れば安全なのかもわからないという事だ。
ミュトの肩からフカフカがカバンの中へもぐりこみ、最新の地図を口にくわえて出てきた。
ミュトはフカフカから地図を受け取り、素早く目を通す。
立体的に周囲を走る洞窟道から、温泉の規模等を割り出そうとしているのだ。
しかし、事態はさらに悪化する。
「ミュトさん!」
キロ達の前を走るクローナが洞窟道の先を指さした。
「道が塞がってますッ!」
クローナが指差す先、洞窟道の天井が崩れ、通行できなくなっていた。
キロは地面の振動を感じ、背後を振り返る。
石壁が決壊したらしく、熱湯が洞窟道を急速に上ってくるのが見えた。
「ミュト、時間がない。どうする?」
焼け石に水でも抵抗しないよりマシだと、キロは背後に石壁を生み出す。
ミュトは地図を見て眉を寄せる。
「この辺りに並走する洞窟道が見当たらない」
壁や地面を壊しても、別の洞窟道に逃げ込めないと言外に告げたミュトは、地図を握り潰した。
その時、フカフカが耳を動かし、崩落した天井を見上げる。
「天井の先から風の音が聞こえておる。洞窟道があるぞ!」
キロはミュトと顔を見合わせた後、すぐに動作魔力を練って壁を駆け上がった。
右手に動作魔力を集め、天井に触れると同時に流し込む。
天井がはじけ飛び、真っ暗な空洞が姿を現した。
重力に従って落下したキロは地面に降り立ち、クローナに声をかける。
「クローナ、階段を作れるか⁉」
「楽勝ですよ!」
クローナの杖から輝きが失われると同時、洞窟道の壁に天井へと続く石の階段が姿を現した。
クローナとすれ違いざま、ミュトが駄馬の手綱を受け取って階段を駆け上がる。
ミュトの後ろにいたキロはクローナの腰に手を回して壁を駆け上った。
せり上がる熱湯はクローナが生み出した階段を徐々に飲み込んでいく。
キロ達が上に避難し終えたとき、熱湯もまた満水に達して上って来なくなった。
「……間一髪だな」
キロは先ほどまで歩いていた洞窟道を見下ろして、ため息を吐く。
洞窟道は湯気を立てる泥で濁った熱湯の中へ完全に没していた。




