第四十四話 再び、トット
「お世話になりました」
キロとクローナは氷穴の町の人々に頭を下げる。
壮年の男をはじめとした陽動部隊の者はもちろん、町の人間が残らず出てきたのではないかと思うほど、見送り人は多かった。
「像が完成した頃にもう一回顔出しなよ。からかってやるからさ」
メイスの女がにやにやと笑いながら言う。
現実よりも美化されて形造られるだろう像を本人と見比べて楽しむつもりらしい。
からかうつもり満々のようだが、メイスの女も遊撃部隊のメンバーであったため、像になる。
「その時はやり返しますよ」
キロの言葉をフカフカが翻訳すると、メイスの女は楽しそうに笑った。
壮年の男が進み出て、餞別だ、とキロに紙束を差し出した。
キロは手が塞がっていたため、クローナに目くばせする。
こくりと頷いてクローナが受け取った紙束には、地図が描かれていた。
フカフカが地図を覗き込む。
「ミュトが複製した地図ではないか」
餞別に文句をつけるつもりはないが、意図が分からないとフカフカが首を傾げる。
壮年の男は手振りで地図を裏返すように促した。
クローナが受け取った地図の裏を見ると、文字や図が描かれている。
地図の裏の図を見て、キロは中学時代の数学の授業を思い出す。
「手抜き作図のやり方か、これ」
キロが看破すると、フカフカが興味深そうに地図の裏を見つめる。
「そのようであるな。ふむ、らしいと言えばらしい餞別である」
元地図師達からちょっとした技術の贈り物だ。
――トットに続く道を探して彷徨っている時に書いてたのはこれか。
ミュトの地図を見ながら、手が抜けそうな所を発見するたびに裏へ書き記していたのだろう。
「怒られるから、試験では使うなよ」
元地図師の一人が口に立てた人差し指を当てる。秘密、という事だろう。
実用的な餞別をありがたく受け取ってカバンに収めるクローナを見届けて、陽動部隊の面々がミュトに視線を移す。
苦笑を浮かべて頬を掻きつつ、中年男性が口を開く。
「しかしまぁ……悪いことしたね」
キロも苦笑を浮かべて、背中のミュトを振り返る。
「気分はどうだ?」
ミュトからの答えはなかった。
ミュトはキロに背負われた状態で身動ぎ一つしていない。
昨日、余剰資金の使い道を考えると言って外に出たミュトは陽動部隊の宴会に捕まってしまい、断り切れずにつき合わされていた。
帰りが遅かったため心配したキロとクローナが見つけた時にはすでに酔い潰れていたのだ。
現在、絶賛二日酔い中のミュトはキロの背中で大人しくしている。
「フカフカも止めろよ」
「昨日のミュトは酔わせた方が良いくらいであったのでな」
役に立たないお目付けは悪びれずに尻尾を振った。
「それに、キロに言われる筋合いもない」
「どういう意味だ、それ」
キロはフカフカに問い返すが、無視された。
クローナも我関せずとばかりにそっぽを向く。
蚊帳の外に置かれているような気がして、キロは眉を寄せた。
「そろそろ行くぞ」
トットまで同道するランバルがキロ達を促して洞窟道に足を向ける。
キロ達はもう一度、氷穴の町の人々に頭を下げて、ランバルの背中を追った。
トットに続く道は入り組んでいるが、魔物に不意打ちされる心配はあまりない。
設置した守魔の甲殻の影響で魔物が逃げだしたためだが、ひと月もすれば魔物達も守魔が死んでいる事に気付くため、効果が無くなるという。
「ランバル、お主はこれからどうするのだ?」
暇を持て余したフカフカがランバルに声をかける。
ランバルは落ち着かない様子で肩を回した。
「新しい盾が完成するまで中層で新人教育だな。お前達にも迷惑かけたあのバカ共みたいな奴が他にもいるかもしれねぇ。きっちり締めてくる」
――あの五人組、色々な人に迷惑かけてるな。
キロはとばっちりを受ける新人達に同情する。
「ロウヒ討伐隊は解散したんですよね。上の方の食糧事情はどうなってるんですか?」
キロに背負われたミュトの顔を覗き込んでいたクローナがランバルに質問する。
キロの背中で、ミュトがほっと安堵の息をこぼした。
ランバルは曲がり角の先に目を凝らして安全を確認し、口を開く。
「普段とそう変わらねぇはずだ。ロウヒ討伐に出る前に食料を運びこんでおいたんでな」
大規模な護衛団を率いるだけあって、大人数の移動による影響は考慮していたらしい。
ロウヒ討伐隊には地図師も多く含まれていたため、現在、すべての層の中で最上層の地図がもっとも更新頻度が高いという。
また、ロウヒ討伐隊の中で武器等の破損がなかった者が魔物を倒して回っている事から、魔物に出くわす確率も低い。
最上層を移動するには絶好の時期である。
――トットでの食糧買い出しは最低限でよさそうだな。
「儂と一緒に下りてきた連中に地図師もいる。上を目指すんなら、トットの地図師協会で最新の地図を閲覧するといい」
ランバルのアドバイスにフカフカが礼を言った。
翌日の午後、トットに到着した。
「これでキロの料理も食い納めか。お前、護衛団に入れよ。高待遇で迎えるから」
胃袋を掴まれたランバルがキロをしつこく護衛団に誘う。
断固阻止の構えでクローナがキロの腕に抱き着いている。
朝方二日酔いから回復したミュトも、キロの服の裾を握っていた。
「二日酔いになってキロの料理のありがたさを再確認したんだ。絶対に、絶対に渡さない」
固い決意がこもった瞳を向けられて、ランバルが怯んだ。
しかし、まだ諦め切れないのか、ランバルは待遇や報酬を並べだす。
「全員で入るってこともできるんだ。そう結論を急ぐ事でもないだろ?」
「いや、お断りしますよ。団体に所属できない理由があるもので」
混乱を招くのが容易に想像できるため、元の世界に帰るための旅の途中だとは教えずにキロはきっぱり断る。
本人に断わられては流石に引かざるを得ない。
ランバルは残念そうにため息を吐いた。
「気が変わったらいつでも来いよ」
いつかの台詞を再び口にして、ランバルはトットの町へ消えて行った。
「よし、勝った」
「えぇ、勝ちましたね」
ミュトとクローナがガッツポーズする。
「何と戦ってるんだよ」
キロは苦笑して、地図師協会へ歩き出した。
地下世界では珍しい黒髪のキロや茶髪のクローナ、尾光イタチを連れたミュトは目立つ。
すでに守魔を討伐したという噂は広まっており、キロ達は集まる視線を振り切るように早足で地図師協会の建物へ入った。
協会の中では過去の地図などの資料が詰まった本棚が遮蔽物となり、視線から逃れる事が出来た。
ひそひそと噂話が聞こえてくるが、極力無視する。
「新設する街の権利を売り払ったのは英断であったな」
キロ達より聴覚が優れているフカフカには内緒話が筒抜けらしく、鬱陶しそうに耳を動かす。
ミュトがフカフカの言葉に苦笑した。
「毎日これだと気が休まらないだろうね。オラン・リークスが最上層に行った理由が分かった気がする」
ランバルからの情報通り、協会にはロウヒの縄張り近くまでの地図があった。移動時間を踏まえれば、いま手に入る中で最新の地図情報だろう。
ミュトは地図を手早く複写する。氷穴の町で貰った餞別が早くも役に立っていた。
「ロウヒの近くにある街まで、五日もかからないかも。少し傾斜がきついけど、途中に水や食料を補給できる町もあるみたいだね」
「その道にしましょう。たくさんの町を回ると監視されてる気分になりそうです」
クローナの言葉に、キロも同意した。
「荷物持ちに人を雇う事も出来るけど、五日分の食糧なら予備を含めてもそんなに量はないだろ」
大雑把に重量を予想して、キロは内心で苦笑する。
――軽いとは言えないけど、問題ないと言えるくらいには、俺も体力が付いたんだな。
長すぎるはずの槍も、氷穴の町の住人曰く“癖のある動き”で問題なく振るえるようになっている。
――日本で生活する分には必要ない技能ばっかり増えていくのは困りものだけど。
キロはクローナやミュト、フカフカを見て、笑みを浮かべる。
旅をするのも悪くないと思う自分に気付いたからだ。
地図の複写を終えたミュトが資料を片付ける。
「お金に余裕はあるし、魔物も少なくなっているみたいだから、ちょっと大きい買い物しようか」
「大きい買い物?」
おうむ返しにクローナが問うと、ミュトは教会の出口へ歩き出す。
「付いてきて」
ミュトに連れられて辿り着いたのはトットの市場だった。
市場の奥へ足を運ぶと、馬に似た大型の動物を商っている店の前に立つ。
「荷運びに使う動物か?」
「そうだよ。未踏破層に入ったら買おうと思ってたんだ。その先に人は住んでいないし、自然と荷物が増えるからね」
ミュトは店の奥を指さす。
「馬ですか?」
背中まで白いたてがみで覆われた、四本足の大型動物がいた。
キロの記憶にある馬より首が短く、足も太い。
「すごく高そうなんですけど」
資金は大丈夫かと心配するクローナに、ミュトは苦笑した。
「守魔の死骸を売り払った代金の半分もしないよ。ランバルさんも護衛団名義で何頭か持ってると思う」
店主がミュトの言葉に反応して顔を上げ、キロとクローナを見つめる。
「……あんたら、まさか守魔を討伐したって言う」
「――値段は?」
ミュトは店主の言葉を遮り、馬に似た動物を指さした。
店主は動物を振り返り、悩むようなそぶりを見せる。
フカフカが尻尾を揺らした。
「吹っかけようなどとは考えぬ方が良い。相場は心得ておる」
「英雄様を相手に吹っかけたりはしませんや」
苦笑して、店主は値段を提示する。
どうやら、妥当な値段らしく値引き交渉も行わずにミュトは代金を支払った。
「ちょいと宣伝に使ってもいいですかね?」
商売人の笑みを浮かべての質問に、フカフカが尻尾を揺らす。
「必要なかろう。すでに店ごと注目を浴びておる」
キロが肩越しに振り返れば、周囲の人間が全く同じタイミングで頭を動かした。
眺めていた事を悟られまいと視線を外したのだろうが、全員が一斉に動いたため総じてバツの悪そうな顔を浮かべている。
――だるまさんが転んだ、とか言いたくなるな。
店の奥から連れてこられた駄馬を受け取る。
「食う時はしっかり焼いてください。内臓も焼却後、撒いておけばいいので」
店主の説明にキロは眉を寄せた。
「買ったばかりの客にする話なのか?」
「まぁ、大事な話ではありますよね」
クローナも苦笑している。
手綱を握ったミュトがキロとクローナの話に割って入る。
「食べなきゃいけない時には食べるでしょ?」
何がおかしいのか分からないと、ミュトは不思議そうにキロとクローナを交互に見た。
ミュトの肩に乗るフカフカも首を傾げている。
どうやら、地下世界にはシビアな価値観が蔓延しているようだ。




