第八話 動作魔力の活用法
キロは教会の裏手で貝殻を砕いていた。
世話になっている教会が飼育している鶏のカルシウム不足を改善するためだ。
作業をしていると、裏口が開き、司祭が顔を覗かせた。
司祭はキロの作業を微笑ましそうに眺めている。
「助かるよ。私も歳で、そういった力のいる作業が難しくてね」
「いえいえ、こちらもお世話になっていますから」
言葉を返すキロの隣に、司祭は腰を下ろした。
「グリンブルを倒した、とクローナに聞いたよ」
司祭はくすりと笑った。
きっと、クローナが勢い込んで今日のキロの雄姿を語ったのだろう。
容易に想像がついて、キロは背中がむず痒くなった。
「君の雄姿を支えた槍はどこにあるのかな?」
「グリンブルに刺さったまま抜けなかったので、ギルドに回収依頼を出しました」
あたりを見回す司祭の姿に、キロは答えた。
受付の男性は討伐報告に懐疑的だったが、銀貨一枚を前払いすると文句を言わずに依頼書を作成してくれた。
――お役所仕事に感謝だな。
明日の朝一番で依頼を受けた冒険者と共に回収に行く手筈が整っている。
「珍しい依頼だと言われましたよ」
「自分で刺した武器が抜けない、なんて事態はまずないからね」
司祭もおかしそうに笑った。
ひとしきり笑うと、司祭は柵の中の羊に視線を移した。
「明日の昼にクローナの後任を務める羊飼いが来る事になっている」
――引き継ぎの件か。
クローナが知る周辺の地理について、後任の羊飼いに教えるのだ。
今日のように魔物の縄張りが変化する事もあるが、ゼロから調べるよりも効率がいい。
「到着したら、ギルドに依頼を出そうと思う。受けてくれるね?」
「クローナ次第ですが、受けたいと思います」
キロが色よい返事すると、司祭は嬉しそうに頷いた。
司祭の用事はそれだけだったのか、口を閉ざしてニコニコとキロの作業を眺めている。
見られていると少し落ち着かないキロは、話題を探した。
「……クローナはいま何をしてるんですか?」
共通の話題といえばクローナの事しか思いつかず、キロは訊ねた。
司祭は教会を振り返ると、明かりのついている二階の部屋を指差す。
「日記をつけているよ。羊飼い時代の癖で、記録を残しておかないと落ち着かないそうだ」
キロは司祭が指差している部屋を見上げた。
――日記か。
あまり付けたくないな、とキロは思う。
異世界にやってきてからの日を指折り数える行為に思えたのだ。
早く元の世界に帰りたい身としては、この異世界での日々を記録して情が湧いては困る。
「――旅人の中には、現地での思い出作りを嫌がる者もいる」
司祭が唐突に語る。
キロをまっすぐに見つめながらの言葉は、明らかにキロに当てたものだ。
どうやら、キロの心中は司祭に見透かされているらしい。
「確かに、情が湧いて旅立てなくなるという話も聞く。だが、いつか旅を振り返った時にむなしい気持ちにならないためにも、思い出といえなくとも何かを経験する事が大事だと思うよ」
「……考えておきます」
――司祭には敵いそうにないな。
キロは諦めてため息を吐く。
キロが諦めた事さえも見透かしているのだろう、司祭はクスクスと笑っていた。
翌朝、キロ達はギルドに足を運んだ。
昨日の内に依頼を受けたらしい強面の冒険者が二人、キロ達を待っていた。
どちらも身長二メートル越え、両手用の斧を武器として使うようだ。
キロは金剛力士像を思い浮かべた。
金剛力士像の片方、阿形の方がキロを見てにやにやと笑みを浮かべた。
「お前だろ、教官に喧嘩売った奴」
キロの頭をガシガシと撫でながら、阿形が大口を開けて笑う。
「俺もあの爺さん気に食わなかったんだ。筋肉に柔軟性がないから教えないとか言われてな」
そんな断られ方もあるのかと、キロは少し感心する。
他にもバリエーションがありそうだ。
それまで口を引き結んでいた吽形が相棒の手をキロの頭から引き離す。
「失礼だっていうんだろ。分かってるって」
吽形は何も言っていないのだが、阿形の方は言葉にされずとも意思疎通が図れるらしい。
――完璧に金剛力士だな。阿吽の呼吸か。
クローナがキラキラした瞳で阿吽の冒険者を観察している。
求めていた冒険者像が目の前にあるからだろう。
クローナはキロの隣に来ると、耳打ちする。
「冒険者のパーティはああいう信頼で結ばれるべきなんです!」
「はいはい、分かったから槍を取りに行こうね」
キロは受け流し、阿吽を促してギルドを出た。
話してみると、阿吽は冒険者歴十年以上のベテランだった。
そんな腕の立つ者達が銀貨一枚の依頼をよく受けてくれたものだ。
キロが不思議に思い、クローナを通して聞いてみると、阿形が豪快に笑い声をあげる。
「教官に喧嘩を売った新入りって奴に興味が出てな。暇だったから受けてみたんだ」
変なところに効果があったらしい。
「誰かに喧嘩を売って損をしなかったのは初めてかもしれない」
「それはお前が弱いからだな」
――弱肉強食の脳筋異世界だ。
さらりと阿形が返した言葉に、キロは嘆息した。
クローナの相変わらずの土地勘でグリンブルの死体にたどり着いたキロは、死体の状態に鼻を押さえた。
「もう腐ってる」
「半日放置したグリンブルなんてこんなもんだ。食い荒らされていないだけ、まだ綺麗な方だぜ」
ぐるりとグリンブルの死体を一周した吽形が、無言で首を振る。
何を伝えたいのか、キロとクローナにはさっぱりわからない。
「売れる部分はなしか。死体は放置で槍だけ引っこ抜いて帰るか」
阿形が吽形の意思をくみ取り、翻訳してくれた。
阿形はつかつかとグリンブルに刺さった槍に歩み寄り、片手で引っこ抜く。
あまりにもあっさりと抜けたため、阿形は拍子抜けした顔でキロを振り返った。
「お前、本当に非力だな……」
一言でキロの心を抉った阿形は、キロの槍を眺めて目を細める。
阿形が視線を向けると、吽形もキロの槍を検分し始めた。
そして、揃って首をひねる。
「おい、こんな安物の槍をどうやってグリンブルに刺したんだ?」
実演してみろ、と阿形が槍をキロに返す。
受け取ったキロは、グリンブルの死体を相手に実演して見せた。
シャベルキックまでは眉を寄せるだけだった金剛力士達は、キロが魔法を併用して槍を差し込んだのを見て納得する。
「器用だが回りくどい真似をするな」
阿形は顎を撫でながら、キロの攻撃方法を評した。
どういう意味かとキロが問う前に、吽形がグリンブルの死体に向けて斧を軽く一振りする。
虫でも払うような適当な振り方であったにもかかわらず、グリンブルの死体は両断されていた。
呆気にとられるキロとクローナに、阿形は大笑いする。
「動作魔力で動きを補佐したんだ。まぁ、死体だから真っ二つになったんだけどな」
説明に納得しつつ、キロは両断されたグリンブルの死体を見て息を飲む。
――こんなに違うのか。
「……俺にもできますか?」
キロの目を見て、阿形はにやりと笑みを浮かべる。
「お前にもできるぜ。お前なら戦闘中でも咄嗟に使えるだろ。こんな回りくどい真似するよりよっぽど簡単だからな」
グリンブルの首筋にキロが付けた刺し傷を指差し、阿形は笑う。
そして、にやりと獰猛な笑みを浮かべた。
「俺はあのくそ教官に吠え面かかせたい。槍の扱い方はさっぱりだが、動作魔力くらいなら教えてやれるぜ」
「……なんか、私怨が混ざってませんか?」
クローナが恐る恐る訊ねると、阿形は目の前で腕まくりして、力こぶしを作って見せた。
どうだ、と言わんばかりの華麗なポージングである。
キロの感想はただ一言、むさ苦しい、だった。
もちろん口には出さなかった。
阿形はひとしきり肉体美をアピールすると、怒りの形相で町の方角を見た。
「俺の筋肉が不完全だと抜かしたあの爺さんは絶対許さんッ!」
――うわぁ、本当にこんな奴いるんだ……。
キロはげんなりしつつ、クローナを見る。
クローナならば、なんとなく阿形のキャラを受け入れそうな気がしたのだ。
しかし、クローナは馬車にひき潰されたカエルでも見るような冷たい視線を阿形に注いでいた。
「うわぁ……気持ちわる――んぐ」
キロとは違って素直だったか、言葉にしようとしたクローナの口を慌てて抑えたキロは、阿形達に向けて愛想笑いでごまかした。
せっかく稽古をつけてもらえるかもしれないのだ。クローナの失言でお流れになったら二度とこんな機会には恵まれない。
――表情を作るのが上手いなら愛想笑いぐらいしてくれよ!
司祭の言葉にますます疑惑を深めつつ、キロは阿形達の反応をうかがう。
幸いにして、阿形の察しの良さは対吽形限定らしい。
クローナが言いかけた言葉の全容は悟られなかったようだ。
阿形は自身の斧を構え、実演しながら説明を開始する。
「理屈としては簡単だ。普段は現象魔力を動かすために使う動作魔力で武器そのものを動かすだけの話だ」
阿形はまず動作魔力を使わずにグリンブルの死体を切りつける。刃は死体の半ばまでを断ち切って止まった。
「次に動作魔力で斧全体を覆い、魔力に指向性をつけて動かす」
言うが早いか。阿形は動作魔力で覆った斧を振り、グリンブルの死体を両断した。刃は死体の下の地面すら抉っている。
目の前で比較検証されると、キロは改めて威力の差に驚いた。
これができるかどうかが、冒険者としての質の違いに直結するのだろう。
キロはクローナを解放し、取り戻したばかりの槍を動作魔力で覆う。
グリンブルの死体に突きを入れようと動作魔力に指向性を与えた瞬間、キロはつんのめった。
急発進した車に掴まっているような感覚だ。
予想以上の反動を制御できず、キロは顔から地面に引き倒された。
阿形が腹を抱えて大笑いする。
「最初にしては上出来だ。やっぱり器用だな、お前」
体を起こしたキロの背中をばしばしと叩く阿形。
聞けば、大概の者は武器に動作魔力を纏わせる事から練習するらしい。
阿形や吽形のようなベテラン冒険者ともなると、動作魔力による補佐を体にまで広げるため、桁違いの威力を発揮するという。
やはり、足で地を踏みしめているのといないのとでは威力が変わるのだろう。
もっと練習したかったが、今日の午後にはクローナの後任を務める羊飼いがやってくる。
仕方なく町へと帰り、阿形と吽形に礼を言って、解散した。
また教官に喧嘩を売る時は誘え、と本気か冗談か判断できない言葉を残し、阿形と吽形は町の雑踏に姿を消した。
「教会に戻りましょうか」
クローナの提案にキロは頷いた。
何か依頼を受ける時間的な余裕はないが、昼まではまだ少し時間がある。
教会の裏で、教わったばかりの動作魔力を使った練習くらいはできそうだ。
教会への道を歩いていると、向こうから司祭が歩いてくる姿が見えた。
司祭もキロ達に気付いたらしく、朗らかに手を振ってくる。
「槍は無くさずに済んだようだね。よかった、よかった」
キロの手に握られた槍を見て、司祭が自分の事のように喜んだ。
キロは司祭が誰も伴っていない事を確認して、首を傾げる。
てっきり、後任の羊飼いが到着したから迎えに来たのだと思ったのだ。
クローナも同じ事を考えていたのか、首を傾げつつ口を開く。
「羊飼いの方は教会にいらっしゃるんですか?」
クローナの質問に、司祭は首を振った。
「いや、到着が遅れると連絡があってね。薬草の備蓄がなくなったから、道中で摘んでくるそうだ。こちらでも用意しておいてほしいと言われたよ」
待ち合わせに遅れる理由が薬草摘みという点に、キロは胸の内にモヤモヤしたものを覚えた。
日本人的な感覚か、時間通りに進めてほしいと願うのだ。
しかし、この世界ではよくある事なのか、クローナは納得した様に頷いた。
「なんの薬草が足りないんですか?」
「シキリアだよ。キロ君は知らないか。羊を興奮させる効果のある薬草で、魔物と遭遇して怖気づいてしまった羊を動かすために使う」
――羊飼いの商売道具か。
なら仕方ないな、とキロも思う。
危険な魔物が跋扈する世界で大切な羊を守るため、完璧な仕事をするために準備する、と言われては反論する気はない。
しかし、とキロの脳裏に疑問が浮かんだ。
「人間用ならともかく、羊用の薬草が売っているんですか?」
「売ってないね。ギルドで依頼を出そうかと思っていたんだよ」
司祭は言葉を切り、キロとクローナを交互に見て笑みを浮かべた。
「――できれば二人に受けてほしいね」