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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第三十五話  トット

「やっと町に入れる……」


 十日もの間トットの近くで野宿していたキロ達は疲れた声で呟きながら、洞窟道を出た。

 キロ達が発見し、報告した村で流行っていた疫病は潜伏期間が長い物だったらしく、連絡が回っていたトットで町に入るのを拒まれたのだ。

 見捨てるつもりはない、と食糧等の援助はされたが、洞窟道の寝心地がいいはずもない。


「では、儂はこの辺りで失礼しようかの」


 行き倒れていた尾光イタチがキロの肩から飛び降りる。


「世話になった。不味い魔力じゃったが、ごちそうさん」

「またね、サラサラ」

「その名で呼ぶな!」


 ミュトが付けた愛称を拒みつつ、さらさらした毛を持つ尾光イタチは町の中へ去って行った。

 キロは十日間肩にあった重みが無くなった事にささやかな違和感を覚える。

 寂しさと呼ぶには気怠いそれを、肩を回してほぐしつつ、キロは少女二人に目を向けた。


「まずは宿に行くか?」

「……そうですね」

「ずいぶん距離があるように思うのは気のせいか?」


 キロは自身とクローナやミュトの位置を目測して、首を傾げる。

 少女二人が揃って首を振った。


「気のせいですね!」

「気のせいだと思うよ!」


 ミュトの肩に乗っているフカフカが尻尾を縦に一振りする。


「キロよ、十日であるぞ。湯浴みも出来ずに、十日だ」

「フカフカ、黙って」

「口は災いの元ですよ、フカフカさん」


 フカフカがキロを見る。分かるだろう、と言いたげに歪められた口元に、キロは頷きを返した。

 ――臭いが気になるのはお互い様だと思うけどな。

 年頃の女の子にいう事でもないな、とキロは町を見回す。

 まず最初に目につくのは、町の外周を取り囲む石垣だろう。

 隙間なく密に積まれた石はどれも一抱えはある大きなもので、防壁というよりは障害物として機能させるために、上部に金属製の刃が取り付けられていた。

 崩落防止の塗材が塗られた天井に向けて、先を尖らせた家が立ち並んでいる。掘削型魔物が天井に穴を開けてやってきた場合に備えているらしい。

 今まで見てきた町とは違い、実に物々しい雰囲気だ。

 それもそのはず、最上層には非戦闘員がほとんど存在しない。

 戦闘技能を認められた地図師や傭兵はもちろんの事、彼らに物資を供給し最上層の資源を上層以下へ輸送する行商人、町に住居を構える町民でさえ元は傭兵や地図師だった者で構成されているのだ。

 戦闘能力がなければたちまちの内に魔物の餌食となる、それほどまでに最上層の魔物は強力な種類が多いのである。

 最上層の下端に位置するトットは腕に覚えのある者が下の階層から集い賑わう場所でもある。

 肥大化した自尊心と最上層という人間の領域の最前線に立った興奮とで気が立っている者が多く、喧嘩が頻発する町だ。

 そして、身の程をわきまえずに暴れた者は――

 キロは十字路に差し掛かった時、視界の端に移った布の切れ端に反応して飛び退いた。

 直後、大の男が二人揉みくちゃになりながら転がり出てくる。

 男二人は地面に手を突き、受け身を取って立ち上がった。

 動作魔力を用いた素早い体勢の立て直し方は、相応の腕を持っている事を窺わせた。

 しかし、続いて路地から現れた細見の老人が走り込んだ勢いをそのままに跳びあがり、片方の男の胸に膝を打ち込み、蹴り飛ばす。

 反応したもう一人の男は顎に掌底を叩きこまれ、道へ大の字に倒れ込んだ。


「クソガキが、喧嘩は相手を選んでやりやがれ」


 気絶した男達へ唾を吐きかけ、老人は肩を怒らせて来た道を戻っていく。

 老人はすれ違う際、キロの胸を軽く叩く。


「良い反応だった。長生きしろよ」


 顔も見ずにキロを褒めた老人は道の先にあった酒場らしき場所へ入っていった。

 すぐに酒場から何事もなかったかのような笑い声が響き渡る。


「なんか、怖いところですね」


 クローナが気絶している男二人を心配そうに眺めて、呟く。

 道行く人は生ごみにするように男達を避け、目もくれない。


「捨て置け、あの二人から酒の臭いがする」

「酒の勢いで絡んだら追い出されたのか。凍死はしないだろうし、しばらくああしてれば酔いも覚めるだろ。とにかく今は体を洗いたい」

「フカフカもキロも、冷たいよ」


 早くもトットの空気に馴染み始めた一人と一匹に、ミュトが唇を尖らせる。

 それでも、男達を介抱するつもりはないらしく、ミュトは心配そうに振り返りながらも歩き出した。

 たとえ男達を起こしたとしても絡まれるのが目に見えている。

 滝壺の街でのミュトの評価が早くも噂として広がっている、などという楽観をミュト自身も抱いていないようだ。

 宿はすぐに見つかった。

 二十人を一度に泊める事が出来る大きな建物だ。

 最上層ともなると訪れるような傭兵団の規模も大きく、まとまった人数が一度に泊まるため、大きな施設になるらしい。

 三人と一匹という小人数のキロ達を見て、宿の主は宿泊台帳をめくる。


「ロウヒ討伐の参加者なら安くするが、どうせ違うんだろう?」

「よくわかったね」

「弱そうだからな。ランバルが認めないだろうよ」


 ランバルに誘われたうえで断った、などと今更言い出せず、ミュトが眉を下げてキロを見る。


「気にしなくていいから、早く部屋を借りよう。名声に興味がないのは俺達も同じだからさ」


 ミュトは苦笑してキロの言葉に頷き、宿を一部屋借りた。

 残りの部屋はロウヒ討伐組が事前に貸し切っているらしい。


「金回りが良いようであるな」

「参加者は何人いるんでしょうね?」


 言葉を交わしながら、廊下を歩く。

 開きっぱなしの扉から覗く客室では強面の男が装備の点検をしていた。

 キロ達は借りた部屋に入る。

 荷物を置いて、キロはフカフカと共に廊下へ出た。

 クローナが扉を半開きにして、廊下の壁へ背中を預けるキロに声をかける。


「終わったら呼びますけど、ミュトさんもいるので覗かないでください」

「ミュトがいようといまいと覗かないから、早く体を洗って交代しろ」


 絶対ですよ、と念を押して、クローナが扉を閉める。

 キロはため息をついて、フカフカに横目を投げた。


「あんなこと言って、本当に覗かれたらしばらく口がきけなくなるんだぜ?」

「惚気るな、やかましい。その口利けなくしてやろうか」


 フカフカの尻尾で頬をはたかれ、キロは肩を竦める。


「フカフカは彼女が欲しいとか考えないのか?」

「そんなものは空を見てから、体験談を語ってメスをひっかければよいだけの事だ」

「何年かかるか分からないんだろ。マッドトロルの件もあって昇格にかかる日数が年単位で縮まったくらいだしさ。空を見る頃には適齢期を過ぎてないか、とか考えないのか?」

「我ら尾光イタチの寿命はおおよそ百年である。十年や二十年で慌てるようなものでもないのだ」

「フカフカって百年も生きるのか」


 キロが驚くと、フカフカは胸を張る。


「貴様ら人間のように粗末な食事をしておらんからな」

「その割には個体で味の好みに差があるよな」

「我の味覚が特別すぐれておるだけの事である」

「どっからくるんだよ、その自信」


 雑談を続けていると、部屋の扉が開く。

 体を洗い終えたクローナとミュトと入れ替わり、キロとフカフカは部屋に入った。



 体を洗い終えてさっぱりしたキロ達は久々に晴れ晴れとした気分だった。

 この日のためだけに残していた、汚れていない服を着込んだキロ達は町に繰り出す。

 懐中電灯の持ち主について、証言を集めるためだ。

 懐中電灯の持ち主が日本円札を売っていたという証言はすでに手に入れているため、キロ達はまず骨董品や美術品を扱っている店を探すが、見つからない。

 通行人に訊ねてみるが、


「美術品を扱う店? そんなものあるわけないだろ。ここは最上層だぞ。売りたい美術品があるなら行商人に掛け合え」


 と、追い払われてしまう。

 強力な魔物がいつ襲ってくるか分からない最上層で価値のある美術品を保管しようと思う者はいない。

 自然、最上層には美術品を扱う店は存在しなかった。

 行商人が集まる場所を教えてもらい、足を運ぶ。

 トットの北西にある広場に行商人達が魔物の皮を敷物にして店を広げていた。

 常設の市らしく、旅に必要な保存食や光虫の餌が店先に並んでいる。

 最上層の玄関口にあたる街だけあり、地図師や傭兵がひっきりなしに広場に出入りして賑わっていた。


「美術品は置いてませんね」

「ランプシェードも売ってないんだね。職人がいないのかな」


 陳列されている商品を見ながら、目利きができそうな行商人を探す。

 市の端まで辿り着いてしまい、こうなったら片端から声をかける総当たり作戦に切り替えようとした時、新しく市に入ってきた行商人がキロの頭をまじまじと見つめている事に気が付いた。

 キロと目があった行商人が軽く会釈して歩いてくる。


「紙に描いた絵をお持ちではないですかね?」


 開口一番、行商人はキロに問いかけ、行李箱を降ろした。

 ――木製の箱なんて久しぶりに見たな。

 行商人が地面に降ろした行李箱は、地下世界にしては珍しく木製だった。

 ミュトがごくりと喉を鳴らす。

 行商人はキロとクローナが特に感動していないのを見て取るとにやりと笑った。


「やはり、見慣れておいでですか。さぞ、ご高名な絵師のご親族とお見受けします」


 勘違いを自信たっぷりに口にして、行商人は人を見る目を誇る。

 キロは曖昧に笑っておいた。

 行商人が行李箱から大事そうに鍾乳石の小箱を取り出し、ふたを開いて見せる。


「これと同じものをお持ちではありませんか?」


 鍾乳石の小箱には、千円札が入っていた。

 キロは財布を取り出し、猫であるの人が描かれた千円札を出して目の前に掲げてみせる。

 奇しくも、行商人が持っている千円札と同じものだ。


「おぉ、やはり」


 行商人が目を輝かせる。

 キロはミュトの肩に乗っているフカフカを手招いた。

 心得ている、とフカフカはキロの肩へ跳び移る。


「通訳してやろう」

「頼んだ。話を聞くとして、報酬は二千円札一枚出すか」


 千円札はすでに出回っている可能性があると考えて、キロはあえて二千円札を出す。

 行商人の瞳に宿る光が強くなった。

 キロの読み通り、二千円札はまだ市場に流れていないか、流通量が少ないと見るべきだろう。


「その絵を売った者について話を聞きたい。この男の妹かもしれんのでな」


 二千円札を気にしている行商人へ、フカフカが切り出した。


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