第三十三話 追跡者
ご機嫌なミュトが先頭になって洞窟道を歩く。
キロとクローナはミュトの後ろを歩きながら笑いあう。
手頃な煙水晶を手に入れたキロ達はいぶかしむ加工屋の主に頼み込んでサングラスを制作してもらった。
流石というべきか、宝石が出回る地下世界だけあって加工技術は極めて高く、あっという間に出来上がった。
専用の加工魔法があるらしいが、門外不出という事で作業工程を見学できなかった事が悔やまれる。
出来上がったサングラスを宿で待っていたミュトに渡して、使い方を説明したのが昨夜の事。
それ以来、ミュトは終始ご機嫌で、にやけた口元を隠そうともしない。
フカフカも尻尾が小刻みに揺れていて、機嫌の良さが見て取れた。
「足元に気を付けて歩けよ?」
「大丈夫だよ。地図もきちんと描いてる」
にこにこした顔で振り返り、ミュトは再び歩き出す。
「目的地は最上層下端の街トット、そのあとは新洞窟道を見つけつつ、黒髪の女の子探し。やる事が一杯あるね」
ミュトは山積する予定に嫌な顔一つせず、むしろ、楽しげに優先順位を決めていく。
キロは歩く速度を上げてミュトの隣に並ぶ。
「トットまではどれくらいかかるんだ?」
地図をなぞり、ミュトは必要な日数を試算する。
「最短距離で進んでるから、早ければ四日後の夜か、五日後のお昼くらいかな」
掘削型魔物が好き勝手に掘っているだけあって、目的地まで直通できる洞窟道はないらしい。
道中で魔物を狩り、地図を作製して資金を確保しつつ上を目指すため、時間もかかる。
「どこかの町や村に寄って行くんだろ?」
「そうだよ。地図の換金や更新もしていかないといけないからね」
野宿する必要はなさそうだ、とキロは少し安心する。
落盤等で道を引き返す場合もあるため、旅の日数を多めに見積もって食料を準備しているが、ベッドの上と地面の上では寝心地が違う。
ミュトは地図の一点を指さす。
「いまはこの町に向かってるんだよ。鍾乳石の産出地なんだけど、少し交通が不便で魔物も多く生息している地域。資金調達するにはいい環境だと思うよ」
「あの辺りには硬い甲殻を持つ動きが鈍い魔物が多いのが特徴であるな」
フカフカが魔物についての補足を加える。
――鍾乳石のカルシウムが目当ての魔物が集まるのか。
ミュトとフカフカの説明から分析して、キロはクローナを見る。
「魔物の討伐はクローナが主体になりそうだな」
「キロさんもミュトさんも刃物ですからね」
編成について軽く意見を交わしていると、鍾乳窟が見えてきた。
なめらかな乳白色の石が、天井や地面から伸びている。
時折響く水音が広い洞窟道に木霊しては溶けていく。
多種多様な形の鍾乳石が複雑な景観を作り出し、今まで歩いてきた単調な洞窟道とは違って飽きが来ない。
変わった形の鍾乳石を見つけては形が似ている別の物を連想して遊びながらキロ達は鍾乳窟を進んでいたが、道の先にロープが張られているのを見て足を止めた。
キロの手首ほどの太さがあるロープは道を塞ぐように左右に渡してある。
何かのまじないかと首を傾げるキロやクローナとは違い、地下世界の住人であるミュトとフカフカは深刻な顔で眉を寄せた。
「町で疫病が発生した印だ。引き返すよ」
ミュトはポケットから赤く染められた糸を取り出し、ロープに結び付ける。
ロープに背を向けたミュトは来た道を戻り始めた。
後を追いながら、キロはロープを振り返る。
「町の様子を見に行かなくていいのか?」
「ロープが張られていたら進入禁止なんだよ。疫病が拡大すると大惨事だからね」
限られた場所に人が密集し、洞窟という閉鎖空間である関係上、空気が淀みやすいため疫病の発生と拡大は深刻に受け止められる。
防疫のため、疫病が発生した村や町は隔離されるのだろう。
ミュトは地図に何かを記載し、ため息を吐く。
「近くの村に疫病の発生を報告に行かないと」
予期しない寄り道を強いられて、ミュトはキロとクローナを申し訳なさそうに振り返った。
クローナは心配そうにロープの先に目を凝らしていた。
「人命優先ですよ。それより、私達は隔離されたりしないんですか?」
「近付いただけで一々隔離していたらきりがないからね。ただ、しばらくは居住区に寝泊まりできなくなる」
疫病の潜伏期間を洞窟道で過ごし、罹患していないか確かめなければいけないらしい。
ミュトは足早に村への道を進む。
鍾乳窟を抜け、洞窟道を進んでいると、またロープに出くわした。
「遅かったようであるな」
フカフカがミュトの肩からロープを見下ろしながら呟く。
疫病が蔓延している証拠であり、感染力の高さを示唆している。
「少々遠くとも、感染していないだろう土地まで足を延ばすのも手であるが」
フカフカの提案に、ミュトは首を振った。
「近い順に回ってみよう。感染地の特定をしておいた方が救援物資も送りやすいはずだから」
ミュトはキロとクローナに向き直る。
「少し急ぐよ」
二つの村を回ったもののロープに追い返され、感染していない町を見つけた頃には日付を跨いでいた。
ミュトは新しい紙を取り出して手早く地図を複製した。
洞窟道から通りがかりの町の住人に声をかけ、複製した地図を手渡す。
通常の地図とは違い赤い糸を上部に結び付けられたその地図を、町の住人は気味悪そうに受け取って地図師協会へ走り去った。
歩き続けて疲れていたが、キロ達自身も疫病にかかっているかもしれないため町で休むこともできず、仕方なく町に背を向けて歩き出す。
「さすがに疲れましたね」
クローナが杖を右手から左手に持ち替えながら呟く。
「丸一日歩き通しだからな。野宿するにしても、町からどれくらい遠ざかればいいんだ?」
勾配の急な上り坂を見上げて、キロはミュトに訊ねる。
ミュトは歩きながら太ももをトントンと叩いていた。
「早く休みたいけど、この辺りだと人通りもあるから、少し奥まったところに行こうか」
洞窟を歩きなれているミュトでも堪えたらしく、声に張りがなかった。
唯一、ミュトの肩の上にいるために疲れずに済んでいるフカフカが顔を上げる。
「我が疲れの吹き飛ぶ話をしてやろう。寝ずの番の効果も上がる優れた話だ」
「フカフカ、何か企んでるでしょ?」
ミュトが肩のフカフカを横目で睨む。
フカフカは得意げに鼻を鳴らし、後ろ足で立ち上がる。
「話は百年前に遡る」
ミュトの疑惑の目を意に介さず、フカフカは語り出す。
「とある地図師と護衛二人が疫病で全滅した村を発見したことから話は始まる」
フカフカの尻尾がゆらりと左右に振れた。
「地図師達は規則に倣い、付近の町へ疫病の発生を伝えた後、人里離れた洞窟道へと向かったのだ」
――今の俺達と同じ状況か。
キロはフカフカの話と自分達とを照らし合わせつつ、話に耳を傾ける。
「人里離れた洞窟道の奥で迎える二日目の事である。地図師達は一斉に発症し、体力の消費を極力抑えるべく寝て過ごすと決めた。人里への移動も考えたのだが、発生元である村は全滅しておる。おいそれと町へ疫病を持ち込むわけにもいかぬ、と」
話の先が暗くなった。
キロは右手を握られて、顔を向ける。クローナが赤い顔をしていた。
怖い話にかこつけて手を繋いだのだ。
フカフカがキロとクローナのつながれた手を見て、つまらなそうに尻尾を一振りする。
「発症した翌日の事だ。病で体力の落ちた地図師達の前に魔物がひっきりなしに現れた。当初こそ、弱った獲物を狙いに来たのだと地図師達は考えたが、どうにも様子がおかしいと昼頃になって気が付いたのだ」
フカフカはにやりと笑う。
心なしか周囲が暗くなった気がして、キロは足元を見る。
――フカフカの奴、雰囲気を出すために光量を絞ったな。
「魔物達は地図師達を見ると警戒するように唸った後、じりじりと後退して逃げ出すのだ。夜になっても魔物達の行動は変わらなかった。地図師達は車座となり、明かりを中央に吊るして相談を始めた。相談といっても、皆で憶測を並べるだけの気晴らしだがな。何しろ体調は刻一刻と悪化していた」
クローナが段々とキロに近付いてくる。
気が付けば、ミュトもキロのそばを歩き始めていた。
フカフカが笑いを堪えるように尻尾を持ち上げ、制止させる。
「思いつきをあらかた並べ終わったころだ。地図師は頭痛を覚えて俯いたのだが、その時おかしな事に気が付いたのだ。地図師は護衛の一人に問いかけた」
話が終わりに差し掛かり、フカフカの尻尾の光があからさまに弱まった。
ためを作るフカフカを不安そうな目で見る少女二人の視線を心地よさそうに受け止めて、フカフカは口を開く。
「〝なぜ、影が光源の下を走っている〟とな」
車座となり、中央に明かりを吊るしたなら座の中心に影は伸びない。
オチにしては弱い、と思ったのはキロだけではなかったらしく、クローナとミュトもほっとしたようにキロから離れた。
フカフカが続ける。
「さて、影が光源の下に伸びていたという事は護衛の後ろに別の光源があったことになるのだが」
まだ続けるのか、とミュトとクローナが苦笑してフカフカを見る。
フカフカは楽しげに尻尾を揺らすと、誰もいないはずの洞窟道を振り返った。
「光源とはたとえば、後ろからついてきておるあの人魂であったりするかもしれんな」
キロとクローナ、ミュトの足が一斉に止まった。
咄嗟に振り返った洞窟道は下り坂となっている。先ほどまで登ってきていたのだから当然だ。
キロ達が目を凝らせば、洞窟道を下った先の壁際に、ぼんやりと浮かぶ光の球があった。
光虫の明かりではない、松明の類でもない、青みがかってぼやけた明かりがふらふらと上下しながら、キロ達に向かってくる。
キロ達が目を見開いて凝視していると、光がぴたりと静止した。
耳が痛くなるような静寂が洞窟道に舞い降りる。
ミュトが口元を引き攣らせながら、恐る恐る光へ声をかける。
「……あの、誰ですか?」
次の瞬間、光は猛烈な速度で洞窟道を駆け上がってきた。
光は上下運動をやめている。
人が洞窟道を駆け上がっているのだとすれば、手に持った光は上下に動くはずだ。
キロ達の間に言葉は交わされなかった。
一糸乱れぬ動きで身をひるがえし、キロ達は動作魔力さえ使いながら洞窟道を駆け上がる。
フカフカの言葉通り、疲れは吹き飛んでいた。
「なんですか、なんなんですか、アレ⁉」
「知るか、走れ!」
「フカフカが変な話をするから変なのが出てきたじゃないか!」
口々に言い合いながら、キロ達は洞窟道を駆け上がる。
背後から追ってくる光は素早く、フカフカの明かりに段々と青白い色が混じり始めた。
「…め…し」
――恨めしいとか言ってる⁉
言葉を断片的に拾い上げて再構築したキロは速度を上げかけたが、ミュトとクローナが突然、速度を落として立ち止まった。
ミュトとクローナは毒気を抜かれたような顔で光を振り返り、意図せず声を合わせて問いかける。
「――食事?」
キロは転んだ。




