第三十話 最上層級地図師への昇格試験
翌日、実技試験が開始された。
午前中は地図の作成能力を見る試験だったが、ミュトは難なく合格してみせる。
もともと、上層級以上の地図師では作成の速さや正確さに差はほとんどないため、この試験で落第する者は稀だという。
しかし、午後の試験は戦闘技術を見るモノだった。
最上層の魔物は魔法を使うものが多く、巨大である。生半可な戦闘能力ではせっかく作成した地図ごと魔物の腹に収まってしまうため、戦闘能力が重視されるのだ。
ただし、見るのはあくまで地図師個人の戦闘能力である。
雇い入れた傭兵と何らかの形ではぐれた場合でも地図を持ち帰る義務があるからだ。
そして今、ミュトの戦闘技能を見るための試験が開始されようとしているのだが――
「どこかで見た光景ですね」
「既視感にあふれてるよな」
クローナがしみじみと口にした言葉にキロは同意する。
場所は少し広めの洞窟道だが、左右は当然として前後も土で塞がれている。
洞窟道を取り囲むように、壁の上部には観客席があった。キロ達がいるのもまた、観客席である。
本来は稀にやってくる旅芸人に解放されているスペースであり、街の住人が楽しむために用意されている施設だ。
しかし、キロ達の目的は旅芸人の洗練された芸を見る事ではもちろんない。
キロは観客席に座り、あるいは立っている地図師や傭兵達の顔を見回し、洞窟道へ顔を向けた。
洞窟道には二人の地図師がいる。
片方はミュトだ。地図師ギルドで用意された刃を潰した小剣を抜き、肩に乗っているフカフカと何事かを相談しているらしい。
これから行われるのは戦闘技能の試験である。フカフカは地図師としてなくてはならない光源としての役割を担っているため、ミュトが連れ込むことも許可されていた。
相談が終わったのか、ミュトが対戦相手を見る。
キロもつられて視線を向ければ、そこには地味な男がいた。
「なんでラビルさんなんだよ……」
キロはミュトの対戦相手を再確認して、ため息を吐く。
大方、ミュトの試験官を務めれば特層級地図師であることが認知されるとでも思ったのだろう。
実際、ラビルの企みは一定の効果を上げていた。
観客席に集まった地図師や傭兵はたった八人しかいない特層級地図師の戦いぶりを見学するために足を運んでいた。
キロは隣をちらりと見る。
キロの視線に気付いた受付の男がわざとらしく作り笑いを浮かべた。
今日の試験を地図師や傭兵に広めたのはおそらくこの受付の男だ。
特層級の戦いがみられる、などと言って呼び込んだのだろう。
――さて、何のことやら。皆さん噂好きですからね。なんて、はぐらかされるに決まってるよな。
キロは問い詰めたい気持ちを抑え込む。
「キロさん」
クローナがキロの袖を引く。
「合格祝いはどうしましょうか?」
「合格してから買いに行けばいいだろ。幸い、活気のある街だから、選ぶ物には困らない」
「本人の前で決めるのは合格できるかどうか疑っていたみたいで感じ悪いです」
そういうものか、とキロは首を傾げる。高校に進学する際の合格祝いを遠慮したキロにはあまり分からない感覚だ。
考え過ぎじゃないかとも思ったが、先に何を贈るかを決めておけば後で慌てる事もなくて済む。
――長い買い物に付き合わされるのも嫌だしな。
「あまりかさ張るものだと邪魔になるだろうから、アクセサリーとか……そういえば、男装してるんだよな」
男でも装飾品を付ける文化があるだろうか、とキロが観客席の男達を観察しようとした時、背後に気配を感じた。
濃密な気配の源が重たい足音だと気付いて、キロは振り向く。
――でかいな。
身長二メートルを優に超える、肩幅の広い男が洞窟道を歩いてくる。
鎧は身に着けず、武器も持っていない。しかし、荒事に従事する人間であると左右に持った大盾で主張していた。
飾り気のないシンプルな大盾は縦二メートル、幅一メートルほど、重量は想像もできない。
男は誰かを探すように観客席を周回し始める。
男のあまりに圧倒的な存在感に、観客達はこれから始まる特層級の戦いも忘れて恐々と男の動きを窺っていた。
ふと、ミュト達がいる洞窟道を見下ろすと、ラビルが情けない顔をしていた。
酷いや、という心の声がダダ漏れである。せっかくの大舞台を観客に奪われたラビルには同情を禁じ得ない。
「せっかく空を見つけたとしても、長い間地下生活でしたから目をやられてしまいますよね。サングラスとかどうでしょう?」
「……クローナ、あの男を見てなんとも思わないのか?」
大盾の男をまるで気にせずミュトの合格祝いを提案してくるクローナに、キロは問う。
クローナはキロが指差す大盾の男をちらりと見る。
「あんな人をプレゼントしても、かさ張るだけだと思いますよ?」
「うん、もういいや。サングラスね。売ってるとはちょっと思えないし、作ってもらうか」
素材はどうしようかと考え始めたキロは、隣にいた受付の男が試験の開始を告げる声で洞窟道に視線を向けた。
はじめ、という合図と共に駆けだしたのはミュトだ。
小剣を使った近接攻撃が得意なミュトは距離を詰めるしかなかったのだろう。
たとえ地味でもラビルは特層級、得意な間合いで立ち回らなければ勝ちはない。
格上を相手に躊躇なく仕掛けたミュトに、ほぉ、と感心するような声が上がる。
大盾の男だ。彼はいまだに観客席をゆっくりと周回しながら、ミュトとラビルの一戦を片手間に見学していた。
ミュトの接近を阻むことなく、ラビルは待ち受けている。
ラビルの手には手のひら大の金属板が数枚、用意されていた。
投擲武器にしては形が悪く盾にしては小さすぎる、そんな金属板をラビルが片手で扇のように広げる。
ミュトが小剣で袈裟懸けに切り付ける直前、ラビルは金属板の扇を手放した。
手放された金属板の扇は空中で静止し、ミュトの小剣を受け止めて微動だにしない。
ラビルは数歩下がりながら新しい金属板を左右の手に用意する。
「あの扇、どうなってるんですか?」
クローナがミュトの小剣を受け止めた宙に浮く扇へ、不思議そうに目を凝らす。
「初速ゼロの等速運動だろ。特殊魔力を込めてあるんだよ」
ラビルの特殊魔力は等速運動の魔力だ。
金属板の扇は特殊魔力を込められ、七割以上破壊されない限り、込められた魔力が切れるまで静止し続けるのだ。
いわば障害物である。
ミュトは動作魔力を込めた突きを扇に繰り出すが、金属製であるため容易には破壊できない。
「ミュトよ、扇にかまう必要はどこにもないのだぞ?」
「試してみただけ」
フカフカの助言に答えたミュトは、小剣を右手に構え、左手を横に突き出した。
「フカフカ、やるよ」
「やれやれ、さっそくか」
面倒臭そうに呟いたフカフカがミュトの首から腕を伝って左手に移る。
何をするつもりか興味があるのか、ラビルは腕を組んで成り行きを見守っていた。
大盾の男から視線を移した観客達がいぶかしむ中、フカフカはミュトの左人差し指を甘噛みする。
次の瞬間、眩い閃光が洞窟道を照らし出した。
色素の薄い地下世界人のみならず、クローナやキロでさえも思わず目を庇うほどの強い光だ。
――フカフカの本気ってこんなに眩しいのかよ!
光は一瞬だったが、特殊な構えとフカフカの動きを取り入れた視線誘導に騙された者達は暗順応まで時間がかかる。
フカフカの役割を事前に予想し対処していたキロとクローナはいち早く視覚を取り戻し、ミュトとラビルを見る。
ミュトは動いていなかった。
一瞬の閃光の中、ラビルが正面にいくつもの金属板を張り巡らせたからだ。
糸で数珠つなぎになった金属板はラビルを中心にして正面に八本の帯を作り、支えもなしに空中で静止している。
糸で吊られた即席の鉄柵には特殊魔力が通っており、ラビルへの接近を阻む強固な盾となっていた。
「スゲェ……」
観客席で誰かが呟いた声に、ラビルがにやりと笑う。
確かに、一瞬で展開する技術力は素晴らしいものだった。
「でも地味だな」
「あぁ、地味だな。音もないし」
初速ゼロの等速運動中という即席鉄柵は、完全に静止しているために音が出ない。
地味だという声がそこかしこから上がり、ラビルの肩が下がっていく。
居た堪れなくなったのか、ラビルは八本の即席鉄柵の端をつまみ、特殊魔法を解除して引き寄せる。再利用できるのだろう。
「回収するのかよ」
「地味な上にせこいな」
観客席から散々な評価を降らされて、ラビルが泣きそうな顔をした。
気を取り直すように頭を振ったラビルは、洞窟道をぐるりと見回す。
「さて、ミュトさんはどこかな?」
姿が見えない相手へ問いかけるようにラビルが言うと、地味だの、せこいだの、と言っていた観客席が一斉に静まり返った。
何を言っているのか、という顔で観客達は口を閉ざして顔を見合わせたのだ。
ミュトは閃光の前と後で場所を移動していないのだから。
観客の反応を怪訝な表情で見上げたラビルが、眉を寄せて洞窟道を見回す。
――ミュトの奴、初めからこっちが狙いか。
キロとクローナだけはからくりに気付き、笑みを浮かべて顔を見合わせる。
ミュトが正面に特殊魔力を張っている事に気付いたのだ。
ミュトの特殊魔力で生み出された透明な壁は、後ろに立つ人物を認識できなくする効果もある。
消えるところさえ見られなければ、潜む場所には事欠かないのだ。
ミュトが腕を引き戻すと、フカフカがミュトの首に巻きつく。
仕掛ける気だ。
一つ深呼吸して、ミュトが天井を仰ぎ、跳躍した。
ラビルの視界に入ったはずだが、ミュトは跳躍しながら特殊魔力で壁を生み出しているらしく、気付かれた様子はない。
地面から三メートルほどのところでミュトは足を引き、下に手を突き出す。
落下はしなかった。
ミュトは空中でしゃがむような体勢のまま、浮いていたのだ。
特殊魔力で透明な足場を作ったのである。
ミュトの高い隠密能力に観客達が呆気にとられている。
ラビルもまさか対戦相手が宙に身を潜めているとは思っていないのだろう、いつまでも姿を見せないミュトを探して周囲をつぶさに観察している。
不意打ちを避けるためなのか、ラビルは金属板を周囲にばらまいて空中に静止させていた。
ミュトが空中を走り出す。特殊魔力で生み出された透明な壁は振動しないために高い静粛性でミュトの隠密行動を支えていた。
音もなく、姿も見せず、ミュトはラビルの頭上を取った。
ミュトが下向きに小剣を構え、特殊魔力の壁を消す。足場を無くしたミュトは重力に従ってラビルに小剣を突きつける――かに見えた。
それまでミュトの姿を探していたラビルが、瞬時に飛び退いたのだ。
ミュトの攻撃を察知していたとしか思えないタイミングだった。
隠密行動からの不可避の一撃、そう自信を持っていたらしいミュトは地面に着地して目を見開く。
ラビルが困り顔で頬を掻いていた。
「――面白い能力だと思うけど、ここでは向かないね」
ラビルが観客席を指さす。
遅ればせながらキロも気付き、苦い顔をした。
いくらラビルから姿を隠しても、観客の視線でばれていたのだ。
ミュトは舌打ちし、ラビルから一歩離れて仕切りなおそうとする。
だが、ミュトは行く手を阻む硬い感触に顔をしかめた。
観客席から俯瞰しているキロには見える。ラビルがばらまいて空中に制止させた金属板が、ミュトの退路を断っていた。
ラビルはミュトの奇襲に気付かない振りをして、誘い込んでいたのである。
「また隠れられると面倒だからね」
ラビルが金属板が連なった糸を天井に向けて投げる。
空中で静止した鉄柵がミュトの逃げ場を限定した。
「さぁ、正面対決といこう」
ラビルが金属板を扇状に開き、ミュトに向けた。
分が悪い勝負に思えたが、ミュトはラビルの誘いに乗り、無言で小剣を構えた。
先に仕掛けたのは、やはりミュトだった。
先手を取ることで少しでも優位に立とうとしたのだろう。
だが、ラビルの攻撃範囲の方がはるかに大きかった。
扇状にした金属板をミュトに飛ばしたのだ。
特殊魔力を込められて等速運動をする金属板の中に、動作魔力を込められて加速する金属板がある。
別々の速さで飛んでくる上に、等速と加速とが入り混じる数枚の金属板は感覚を狂わせる。
素直に避けようとしても、左右には静止した金属板が無数に浮いており、立ちはだかっている。
「フカフカ!」
「分かっておる」
ミュトの呼びかけに答えたフカフカが尻尾の光で等速運動をする金属板だけを照らし出した。
動作魔力が込められた金属板だけをミュトは小剣で弾き、等速運動する金属板は最小限の動きで避けていく。
フカフカとミュトの連携は見事の一言で、観客達が感心するように唸る。
ラビルもまた、満足げな笑みを浮かべていた。
金属板を避けながらラビルとの距離を詰めたミュトが小剣で突きを繰り出す。
しかし、体格差から生じる間合いの違いがラビルに先手を許した。
ラビルが素早く抜き放ったのは糸に金属板が連なったもの。
まだ隠し持っていたのかと、ミュトが眉を寄せる。
鞭のように振るのかと思えば、ラビルは動作魔力を用いて正面に飛ばした。
ミュトは上半身を捻ってこれを避け、小剣の突きを軌道修正する。
バランスを崩しているミュトに、ラビルが空いた手でもう一本の金属板が連なった糸を繰り出した。
最後の最後まで温存していたらしい。
バランスを崩したミュトに避けるすべはない。
善戦していただけに、ラビルの勝利を決めるようなこの攻撃に観客達がため息を漏らす。
だが、ミュトは動作魔力を自身の体にまとわせて左へ跳んだ。
キロとクローナを除く誰もが思う。
悪あがきだ、と。
しかし、ミュトの左にあったはずの金属板が地面に落ちている事に気付くと、観客達は目を見張った。
ラビルもこれは予想外だったのか、目を見開いてミュトの動きを追う。
ミュトが着地した瞬間、いまだに浮いている金属板を足場にしてフカフカがミュトの肩へと着地する。
「拾い食いは良くないのだがな」
「黙って」
フカフカが尻尾を一振りして、ラビルを見る。
「お前の魔力は不味い。味が単調に過ぎるぞ」
金属板に込められたラビルの特殊魔力を〝拾い食い〟したらしいフカフカが評価を下す。
髪の残存魔力を食せるフカフカにかかれば、金属に込められた魔力を食べる事などお手の物らしい。
「参ったな。そんな対処法をされたのは初めてだよ」
ラビルが苦笑する。
ミュトが再度突きの構えを取ったのを見て、ラビルは気を引き締めて糸に付いた金属板の束を引き戻す。
ミュトが動作魔力を込め、今までにない速度で駆けだした。
タン、と地面を踏む音は軽妙だが、ミュトは風のように走る。
ラビルが左手を捻りながら突き出す。すると、金属板が螺旋を描いて飛びだした。
動作魔力で加速させつつ、フカフカに食べられるのを警戒し金属板を回転させて跳びつけないようにしたのだ。
ミュトは小剣の切っ先をラビルに向けたまま、斜め前に右足を踏み出して金属板を回避する。
避けられる事を前提で繰り出していたのか、ラビルはあっさりと左手の金属板を手放しながら、右手の糸突き金属板を飛ばす。
動作魔力による一瞬の加速の後で特殊魔力を込められ、等速運動を開始した糸に連なる金属板は緩やかに回転しながらミュトの右側を塞ぎにかかる。
左右の逃げ道を塞がれたミュトは、それでも引かずにラビルへ踏み込んだ。
ミュトが最後の踏込をする直前、ラビルは右手を動かす。
ラビルの右手から放たれたのは一枚の金属板。
しかし、ミュトの肩から飛び出したフカフカが金属板を上から押さえつけ、共に地面へ落下した。
一瞬で動作魔力が込められていると判断できたのは魔力食生物ゆえだろう。
どうだ、とばかりにフカフカが見上げた直後、ラビルは右足を振り上げていた。
「仕込み靴⁉」
靴の裏に、金属板が張られていたのだ。
足を振り上げた速度を維持してラビルの靴から金属板がミュトへ飛ぶ。
フカフカが再度とびかかろうとするが間に合わない。
だが、ミュトは避けようとあがく事もなく、小剣をそのまま突き出した。
ラビルの金属板が自らに届く事はないと確信するようだった。
そして、試験の終了を告げる受付の男の声が響く。
「……そこまで!」
小剣の切っ先がラビルの喉元へ突き付けられていた。
小剣を突き出した体勢のまま制止するミュトの腹の前で、込められた特殊魔力を失った金属板が落ちる。
「すごい防御力だね」
「そういう特殊魔力だから」
小剣を引き戻しながら、ミュトは仕込み靴から飛び出した金属板を防ぐために展開した透明な壁を解除した。




