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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第二十八話  喪失の過程

 いくら保存状態がよくとも八千年前の文章となると解読に時間がかかるとのことで、キロ達は一度村へと引き返した。

 迷路状の洞窟道を出てすぐにラビルと別れる。

 遺跡の発見報告と調査団の派遣など、やることが山積しているため、人手の多い街へと戻るらしい。


「ミュトさん達も後で顔を出してね。遺跡の発見は実績として数えられるから」


 悪戯を仕掛けた子供のようにくすくすと笑いながら、ラビルは街へと去って行った。

 キロ達はランバル護衛団と共に村へと向かい、到着後すぐに待ち受けていた長老にマッドトロルの掃討が終了した事を告げる。

 続いて遺跡の発見を報告すると、長老は驚き、慌てて村の大人を集め始めた。

 調査団が滞在する場所が村になる可能性が高いため、寝床の確保が必要らしい。

 キロ達に提供している宿も使うと言われ、一晩過ごしたら街へ出立する事に決まった。


「追い出すような形になって申し訳ないんだけど……」


 伝えに来た年かさの女が平身低頭しながら、心ばかりの礼だと言って宝石を差し出してくる。

 ミュトはちょっと困ったようにキロとクローナをそばに手招く。


「……畑があんな状態になっているから、村に余裕なんてないと思うんだ。受け取るのは心苦しいんだけど」

「でも、受け取らないと報酬なしですよ?」

「一応、ボク達はまだ蓄えがあるんだよ」

「そんな事を言っておるから貯金ができぬのだ」


 小言を繰りながらも、フカフカは少し満足そうだった。

 キロは少し考えて、代替案を出す。


「この村に最上層地図師への推薦をしてもらえばいいだろ」

「ほぉ、名案であるな。足元を見ておる気がしないでもないが」

「どっちも得するんだから、人聞きの悪いことを言うなよ」


 話はまとまった、とミュトが恐る恐る報酬の変更を願い出ると、年かさの女は困り顔をする。


「長老がすでに推薦状をしたためているんだ。命がけでランバル護衛団を救い出したり、救援を呼び行ったりした姿勢を気に入った、と。腕も申し分ないと防衛線に詰めていた村人は満場一致だよ」


 推薦したうえで、別途報酬を渡したい、という事らしい。

 ますます困った顔でミュトがキロとクローナを振り返った時、隣の部屋からランバル護衛団が報酬額に文句を言う声が聞こえてきた。

 廊下から顔を覗かせてみると、中年女性が頭を下げながら村に余裕がないことを説明している。

 キロとクローナを見てくるミュトに、頷きを返した。


「ボク達の報酬は推薦状だけで十分なので、ランバル護衛団の報酬に上乗せしておいてください」

「あのバカ共を黙らせるのが追加報酬という意味だ。ぬかるでないぞ?」

「フカフカ、余計なこと言わなくていいから」


 ミュトが口を塞ぎにかかるが、フカフカはひらりと肩から降りて窓際へ走って行った。

 まったく、とミュトは頬を膨らませてフカフカを睨んだ後、年かさの女に頭を下げる。

 ミュトの気遣いに年かさの女は礼を言い、推薦状が書き上がり次第持ってくると言って部屋の扉を閉めた。

 しばらくして、騒いでいたランバル護衛団の声が聞こえなくなる。報酬額に折り合いがついたらしい。

 キロはベッドに座り、背筋のコリをほぐす。


「これでひと段落ついたな。調査に加わる必要はないんだろ?」

「専門家の邪魔になるだけだからね。推薦状をもらえるとは思わなかったけど、これで最上層も目の前だよ」


 ミュトが窓際で捕まえたフカフカの柔らかな頬を左右に伸ばす。

余計なことを言う口を左右に引き伸ばされて変な顔になったフカフカが尻尾でミュトの太ももをタップする。


「ミュトよ、離せ。我は代弁しただけであろう」

「頼んでないだろ。まったく、変に波風立てないでよ」

「考えていたことは否定しないのだな」

「……まだ言うか」


 フカフカの口がさらに伸びる。

 私も混ぜてください、とクローナが満面の笑みでフカフカの尻尾をいじり始める。

 救いを求めるフカフカの視線を受け流して、キロはベッドに寝転んだ。


「推薦があっても実技試験みたいな事をするんだろ?」

「内容は分からないけどね」


 内容次第では対策を立てておこうと考えていたキロは、ミュトの答えに出鼻をくじかれる。

 少女二人に玩具にされているフカフカを眺めながら、キロは遺跡の壁画を思い起こす。


「あの壁画の内容って史実だと思うか?」


 文字の解読こそできなかったが、断片的に読み取れた文章と壁画からおおよその意味が推測できていた。

 フカフカがキロの目を見つめ返し、口を開く。


「突如現れた竜により空が食われ、人々は我々尾光イタチを含む有用な生物を生み出し、地下へと逃れた、か。聞いたこともない話であるな」

「おとぎ話とかも残ってないのか?」


 キロの問いには答えず、フカフカはミュトを見る。人間の言い伝えならばミュトの方が詳しいのだろう。

 フカフカの頬を伸ばしていたミュトは首を振る。


「ボクも聞いたことないよ」


 フカフカの尻尾の感触を楽しんでいたクローナがキロを見て首を傾げる。


「そもそも、空を食べるというのが想像つきませんよね。比喩表現だと思うんですけど」

「掛詞は伝わらないはずなんだけどな。クローナを食べてしまいたい、とか言っても意味は通じない……はずなんだけど」


 キロは適当に思いついた比喩表現を口にしただけだったが、クローナの顔が一瞬で真っ赤に染まったのを見て口ごもる。

 ――伝わってる?

 キロは慌ててミュトを見る。

 キロと目があったミュトは口を半開きにして、耳まで赤くなっていた。

 どうやら、ミュトにも伝わっているらしい。

 なぜ、とキロは慌てて記憶を探る。

 そもそも、どうして掛詞が伝わらないと判断したのか。

 ――あれは確か宿でクローナがエロい会話に慣れようとして……。

 額に手を当てて記憶を探っていたキロの脳裏に一つの違和感があった。

 なぜ、クローナと同じ部屋に泊まることになったのか。

 木賃宿に泊まろうとした際、宿の主人に言われたからだ。

 ――美味そうな餌をぶら下げて……これ比喩表現で掛詞だろ。

 それが宿の主人からキロに伝わった、という事実が何を示唆しているのか。

 ――思い返せば、日常会話の中にも注意していないだけで、似たような表現があった気がする。

 直近で思い浮かぶのはクローナがシールズに刺された際、見舞いに来た宿の娘との会話。

 ――できたら責任取る、とか。

 キロは頭を抱えたくなった。

 からくりに気付いたのだ。

 ――この翻訳の腕輪、発言者が掛詞として発すればきちんとそう伝わるのか!

 キロは記憶から仮説を導き出し、確かめるためにクローナに鎌を掛ける。


「……突っ込むとか言うなよ」


 ぼそっとキロが呟いた瞬間、クローナが耳を塞いだ。その反応だけで、キロの仮説が証明される。


「あの時、宿で俺の言った言葉の意味が通じていたのにしらばっくれたろ⁉」

「だって仕方ないじゃないですか! 会ったばかりの男の人にそんな際どいこと言われて誤魔化す以外の選択肢があったら教えてくださいよッ!」


 クローナが真っ赤な顔で言い返す。

 ミュトが赤い顔を俯かせ、部屋の外へ逃げ出す隙を窺っている。しかし、


「ミュトさんもそう思いますよね⁉」

「ボクに訊くの⁉」


 クローナに容赦なく巻き込まれて、ミュトは肩を跳ねさせた。

 ミュトが視線を彷徨わせる。混乱の極致にあることはせわしなく動く目から察しがついた。

 ――ミュトもこの手の話に免疫がないのか?

 嫌われ者として対人関係の経験値を積んでいないミュトの事、十分にありうる話だ。

 フカフカは面白がって事の成り行きを見守っていたが、場の収拾がつかなくなり始めた事を察して尻尾で床を叩き、全員の気を引いた。


「話が脱線しておるぞ。掛詞も比喩表現も通じることが分かった以上、元の話を進めるべきではないか?」

「そ、そうだね、そうするべきだよ! えっと、何の話をしてたんだっけ……」


 耳まで染まった顔を覆い、ミュトは床に突っ伏した。


「もう無理、堪えられない」


 ミュトの背中を左手で撫でながら、クローナが右手でキロを指さす。


「キロさんのせいです!」


 糾弾されたキロは咳払いを一つして、真顔になった。


「さて、話を戻そう。翻訳の腕輪は発言者が意識する言葉の意味を優先して、装着者の母語から該当する単語を選定するみたいなんだ」

「さらっと流されましたよ。もてあそばれた気分です……」


 今度はクローナまでも床に突っ伏した。


「どう違うのだ?」


 フカフカは構わず話を続ける。


「その前に、フカフカは遺跡で天井の竜を見て〝悪食の竜〟と言ったよな?」


 キロの問いに、フカフカは素直に頷く。

 やはり、とキロは納得する。


「俺達の間に比喩表現や掛詞による認識の違いが発生していない。つまり、悪食の竜は言葉通りの意味で悪食、普通は食べないものを食べる存在ってことになる。この場合は〝比喩ではなく実際に〟空を食べた存在だ」

「最初からそう壁画に書いてあっただろう」


 フカフカが進まない話にいら立つように尻尾で床を叩き始める。

 そこで、キロはフカフカに一つ質問を投げかけた。


「空は天井じゃないって知ってたか?」

「青い天井だろう?」

「空は天井ではなく、空間の呼び名だ。土や石でできているわけじゃないし、空間である以上、どれほど手を伸ばしても空間を突き抜けるだけで触ることはできない。まして、食べる事なんてできない。知ってたか?」

「……知らぬ」


 しきりに床を叩いていたフカフカの尻尾が止まる。


「食べる事が可能な物質と定義しておった我と、食べるという行為が不可能な空間概念と定義するキロやクローナとの間にある認識の違いが、我らの会話の中で問題として表面化していないのがおかしい、と言いたいのだな?」


 キロは首を振って否定する。


「違う。問題にならないという事は言葉の認識は双方ともに正解という事だ。つまり〝悪食の竜〟は空間である空を食べた、と壁画に書かれていたと考えるのが正しい」

「こんがらがってくるな」


 フカフカが目を細めて天井を仰ぐ。

 空の定義を一からやり直しているのだ。混乱して当然である。

 フカフカは考えを整理したのか、ふむ、と鼻を鳴らす。


「それでは壁画に書かれていた事が正しい証拠にはならんな。キロの翻訳の腕輪が訳したのはあくまでも我の意思や常識が反映された言葉だ。壁画を描いた者と我との意思や常識に齟齬があれば、キロの分析は無意味となる」


 キロは床に突っ伏しているクローナとミュトを見る。髪から覗いている耳の赤身は引いているが、顔を上げる気配はない。

 話についていけてないのだろう。

 キロは一つ息を吐いて、端的に結論を告げる事にした。


「俺の分析が外れていない証拠が壁画の絵、そのものだ。あの壁画は地上で逃げ惑う人々が、描かれていない場所に怯えていた。あの場所だけ壁画がなかったのは〝悪食の竜〟に空を食べられてしまって何もない光景を表現したんだと思う」

「そこに〝何もない〟があるのか。実にややこしい話であるな」


 言葉とは裏腹に、フカフカは得心がいったように尻尾を揺らす。

 キロは腕を組んで天井を見上げた。


「古代の人々は〝悪食の竜〟に空を食われて地上を追われ、有用な動物を生み出して地下に生活拠点を移した。空を食われ、喪失したからこの世界では喪失歴なんて暦の呼び方をしているんだろう」


 フカフカが耳をピクリと動かし、口を開こうとした時、ミュトが跳ね起きた。

 目を見開いて、キロを見つめたミュトは、震える声で問いかける。


「――空はもう無くなったって事?」


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