第二十六話 追討戦
「――逃げられた?」
宿の部屋で川の字になって眠りこけていたキロは、部屋の扉を壊れんばかりに叩いて自分達の眠りを妨げた訪問者をじろりと睨む。
左右の肩にはクローナとミュトが頭を預けて舟を漕いでおり、フカフカはキロの魔力を吸いながらしきりに不味い、と繰り返している。
「段々癖になってくる不味さであるな。うむ、生き返る」
コアな一言を口にして、フカフカはキロの人差し指に吸い付いた。
疲れた顔のキロ見て、訪問者である長老が眉間の皺を揉みほぐす。
「……色男は大変だね」
「疲れてるんですよ。分かってるでしょう?」
ミュトの腕輪を借り受けている長老は、キロの言葉に苦い顔をした。
「それを言われると弱いんだよねぇ。しかしながら、お前さん方の力添えが欲しいんだよ」
長老がキロの前に地図を広げる。ミュトが作成した地図だ。
長老は地図の一点、複雑に入り組んだ立体迷路状の地点を指さす。
「マッドトロルが逃げ込んだのはこの入り組んだ場所だ。下手に足を踏み入れると挟み撃ちにされかねない。一度この中に入った地図師であるお前さん方なら、地形の把握もしているだろう?」
キロはミュトに視線を向けるが、キロの肩を枕にして寝息を立てていた。
長老もミュトを見て、苦笑する。
「もちろん、休息は取ってくれて構わない。もう半日ほどあればいいだろう?」
――半日か。
短いとは思ったが、追討戦の最中の半日であると考えるとかなり譲歩してくれていることが分かる。
ミュトもクローナも寝入ってしまっているため、キロは意見をうかがえる唯一の相手であるフカフカに視線を移す。
いつの間にか食事を終えたフカフカは、尻尾の毛繕いをしていた。
「良いではないか。我らだけを送り込むという話でもないのだろう?」
「当然だ。特層級地図師のラビルさんにランバル護衛団を加えた計十名でお願いしたい」
長老が人間ではないフカフカも頭数に入れた事が嬉しかったのか、フカフカは尻尾を左右に揺らした。
「良かろう。殲滅は無理であろうが、地図を完成させ次第、村に戻ってくる。後はお前達で片付けるがよい」
保留にするでもなく、クローナやミュトの意見も聞かずにフカフカが決定した。
「――という話があったんだ」
勝手に予定を決めたフカフカにクローナとミュトの視線が突き刺さる。
決めたものは仕方がない、と村を出て洞窟道を進んでいるところであり、納得してなくとも仕事をする気はあるようだ。
フカフカもミュト達に相談もなしに決めた事に後ろめたさはあるようだが、きちんと理由がある、と抗議する。
「報酬も出るそうであるし、何より、あの道は新洞窟道だ。ミュトの実績を積むのにも役立つではないか」
「それはそうだけど……」
フカフカの正論を前にミュトは口を閉ざす。
キロは洞窟道の先を見る。
もうすぐ迷路状になった洞窟道が見えてくる頃だ。
キロの後ろから、ランバル護衛団が声をかけてくる。
「俺達は迷い込んじまっただけだからあの道に詳しくはないが、奥に広い空間がありそうだったぞ」
一度地図に視線を落としたミュトがランバル護衛団を振り返る。
「奥から風でも吹いてきたの?」
「あぁ、風が吹いてきて、村が近いんだと思ったらマッドトロルがぞろぞろと出てきやがってな。慌てて逃げたんだよ」
「――あれ? マッドトロルに追いかけられていたのは俺達で、あんたらはとばっちりを受けただけじゃなかったっけ?」
キロが入れた茶々を面白がったフカフカが翻訳すると、ランバル護衛団は降参とばかりに両手を肩の高さに挙げた。
「悪かったよ。その件については謝る。村の方にも事情をちゃんと説明しておいた」
キロは肩越しに振りかえってランバル護衛団を一瞥した。
ミュトがキロの服を軽く引っ張る。
「反省しているみたいだからあまりいじめなくても……」
「反省しているかどうかはこれから分かるんだよ。それに、一つ忘れてるだろ」
守魔の足、とキロは小声で指摘する。
ランバル護衛団は守魔の足を切り落としたと嘘を吐いていた事をまだ誰にも話していない。
本当に反省しているのなら自分達から話すはずだ。
――まだ信用できないんだよな。
特層級地図師のラビルも作戦に参加しているため、ランバル護衛団も逃げ出したりはできないはずだが、キロはいまだに警戒を解いていない。
歩いていると、行き止まりが見えてきた。
ミュトが地図を見て、首を傾げる。
「この先が迷路のはずなんだけど」
崩落で埋まったにしてはずいぶんとすっきりした行き止まりだ。埋まったというよりも塞がれたと考えた方がしっくりくる。
首を傾げていると、ラビルが進み出て行き止まりの壁を観察する。
「マッドトロルが纏っていた泥を残して塞いだ跡だね。天敵から逃げる時によくやる手だけど、この規模は初めて見たなぁ」
ラビルは説明しながら壁をつぶさに観察し、暢気に感心した。
――あの泥ってこんな事にも使えるのか。
キロも感心しつつ、壁を軽くノックする。感触から察するに、かなり分厚く作られているらしい。
「穴を開けるから、みんな後ろへ下がってくれるかい」
ラビルが螺旋状の石弾を出現させ、動作魔力で回転させながら特殊魔力を用い一定の速度で掘削を開始する。
「おぉ!」
壁に穴を開けていくラビルのドリル魔法にランバル護衛団が拍手する。
「地味だが便利な魔法だな!」
ラビルが肩を落とした。
ラビルのドリル魔法は地味な見た目に反して効果は抜群だった。すぐに壁を貫通し、キロ達は穴を広げて洞窟道を元通りの広さに整え、迷路に足を踏み入れる。
壁のすぐそばに虫の死骸がいくつか転がっていた。
村で深手を負ってこまで逃げてきたものの、力尽きたらしい。
まだ息のある虫にとどめを刺して、キロ達は奥へと進む。
行き止まりへと続く道には分岐点にキロ達が残り、ラビルとランバル護衛団が行き止まりまでのマッドトロルを始末する。
前回はキロとクローナ、ミュトの三人とフカフカしかいなかったため取れなかった方法だが、人数が増えた事で挟み撃ちにされる危険性は格段に減っていた。
ラビルとランバル護衛団が戻ってくるまで、壁に背中を預けて休憩してキロはフカフカに声をかける。
「迷路の奥にマッドトロルはいるのか?」
「うむ、かなりの数がおる。洞窟道が入り組んでおるから、音が反響して実数はつかめないがな」
せわしなく耳を動かしながら、フカフカは時おり頭も動かして音の方角を探る。
「風の音も聞こえるが、妙に響きに幅があるな」
「風の強弱じゃなくて、音の強弱なのか?」
「分からん」
分析を諦めたのか、フカフカは一言で投げ出した。
ちょうど戻ってきたラビルやランバル護衛団と共に、キロ達は再び移動を開始する。
ミュトが地図に記した部分が終わり、先頭をランバル護衛団と交代する前に簡単な腹ごしらえをする。
行き止まりも虱潰しに制圧していたため、予想よりも時間がかかってしまい、予定よりはるかに遅い昼食だった。
「あんまりお腹空きませんね」
クローナが困り顔でキロに同意を求める。
「俺もだ。というか、もう昼なんだな」
太陽がないため体内時間が狂いがちのキロとクローナとは違い、ミュト達はよほど空腹だったらしく言葉数少なく昼食の準備を始める。
話す暇があるなら手を動かせ、という地下世界人の無言の圧力に押されて、キロとクローナも無言で準備を手伝った。
村を出る際に渡された簡素な弁当を食べ終え、ランバル護衛団を先頭に奥へと進む。
ミュトが描く地図を後ろから眺め、間違いを探していたラビルが面白いものを見たように笑っていた。
不快感を覚える笑い方ではなく、成長を喜ぶような明るい笑い方だ。
背後に目などついてないミュトは気付かなかったようだが、フカフカはちらりとラビルを振り返り、娘の自慢でもするように得意げに鼻を鳴らした。
キロの視線に気付いたラビルが歩くペースを落としてキロの隣に並ぶ。
「君達はミュトさんとは長いのかい?」
「出会って三日くらいか」
「四日じゃありませんか?」
キロはクローナと顔を見合わせ、体内時間の狂いっぷりを再認識する。
ラビルはキロ達の言葉を理解できずに首を傾げた。
「自分は色々なところを巡ったはずだけど、聞いたことのない言葉だね。このあたりの人じゃないんだろう?」
キロが頷くと、ラビルはミュトを見る。
「……まぁ、いいかな。実力があることに変わりないんだから」
独り言のように呟いて、ラビルはミュトの地図を改める作業に戻った。
その時、先頭を行くランバル護衛団から声が上がる。
「出やがったぞ。団体さんだ!」
一斉に盾を構えたランバル護衛団の後ろから、キロはクローナ、ラビルの二人と共に石弾を放つ。
狭い通路であるため狙いが逸れる心配もない。
石弾がランバル護衛団の頭上を抜けてマッドトロルに衝突、泥を周囲にまき散らす。
ランバル護衛団が前進し、飛び出した虫を踏み、あるいは切り殺す。
拍子抜けするほどあっさりと戦闘が終わり、一瞬走った緊迫感に気恥ずかしさを覚えてしまう。
魔力の残量にさえ注意していれば、窮地に立たされることはないだろう。
気を取り直してさらに奥へと進む。
長い一本道が続き、マッドトロルの数は増える一方だったが前衛にいるランバル護衛団が盾を構え、後ろからキロ達が魔法攻撃を加える戦法の前になす術もなく泥に還っていく。
弱い者いじめをしている気分だが、安全に進めるならそれに越した事もないだろう、とキロは考えないようにした。
最後尾で地図を描いているミュトの肩でしきりに耳を動かしていたフカフカが、唐突に声を発する。
「お前達、止まれ」
焦りはないが有無を言わせぬ響きを持つ声で号令をかけたフカフカは、一同を見回した。
理由を窺う視線を受けて、フカフカは口を開く。
「この先に、村が一つ収まる程度の広い空間がある」
フカフカの報告を受け、ラビルを除く全員が目を見開いた。
フカフカはラビルに顔を向ける。
「知っておったのか?」
「あるといいな、と思うぐらいには。自分が上層に降りてきた目的でもあるからね」
ラビルは肩を竦めて薄ら笑いを浮かべる。
「その広間に守魔はいるかい?」
「……おらぬようだ。しかし、何らかの構造物が鎮座しておる。おかげで音がかき回され、発見が遅れた」
不愉快そうに尻尾を揺らすフカフカを見て、ラビルが笑みを深めた。
広間に何があるのか、知っていそうな素振りを見せるラビルに自然と視線が集まる。
ラビルは場の面々を見回して、びっくり箱を差し出す子供のような笑みで問いかけた。
「――君達は空の実在を信じるかい?」




