第二十二話 特別地味な人
水際に着地したキロは、フカフカが照らすマッドトロルの上端に突きを放つ。
泥とは違う固い手ごたえを感じた瞬間、槍を右へと振り抜き、別のマッドトロルを本体ごと両断する。
その時には左手に魔力を集め終わり、石弾を放っていた。
三体目のマッドトロルが石弾に撃ち貫かれるまでを視界の端に収め、キロは振り抜いた槍の勢いを利用して右腕を軸に槍を半回転させながら、左足を踏み込んだ。
踏み込んだ左足へと体重を移動させつつ、槍をさらに半回転、刃を正面に持ってきた瞬間、動作魔力を作用させる。
ヒュンと風を切る鋭い音を奏でて、キロの槍がマッドトロルを二体両断する。
反撃とばかりに奥のマッドトロルから放たれた泥弾は槍の石突き側の柄で叩き落とし、槍の持ち手を右から左へ、自由になった右手に残しておいた動作魔力で、マッドトロルを触れた瞬間に爆発四散させる。
アンムナの奥義に似ていたが、動作魔力をあらかじめ準備しておく簡易技だ。
シールズの石壁へ放った時とは異なり、マッドトロルは泥であるため失敗しても手を痛める可能性は低いと見て、キロは躊躇なく練習台にした。
キロは飛び散る泥の向こうに集合体を見つけて目を細める。
「デカブツはクローナの獲物であるな」
「――いや、このまま俺が倒す」
宣言するや否や、キロは集合体へと走り寄る。
フカフカが照らす集合体内部の虫は五匹だ。
キロは魔法で右手に小さな石の釘を生み出し、動作魔力を込めて撃ち出した。
見事に虫の一匹を貫き、キロはさらに左から右斜め下へ集合体を槍で切り払う。
槍の間合いギリギリでの一撃だったが、狙いは逸れることなく、袈裟懸けにされた集合体の内部で二匹の虫が切り殺された。
キロは槍を右手だけで半回転させながらも走る速度を緩めない。
走り込みながら半回転させた槍を腋に挟んで固定すると、石突きを高速で集合体へ突き刺し、本体の虫を一匹刺し殺す。
速度をまるで落とさずに集合体の横を走り抜けながら、キロは槍を腋から放して両手で支えた。
直後、キロは動作魔力を自身の体に作用させて加速、集合体の内部にいた最後の一匹を槍と一緒に泥の外へと飛び出させる。
泥から槍ではじき出された本体の虫は、哀れにもキロの左足に踏みつけられて絶命した。
足元で小さな命の灯を一つ消しておきながら、キロは目も向けず次の集合体に意識を移していた。
槍を振るい、石釘や石弾を撃ち込み、時には動作魔力を直接流して四散させる。
槍の一振るいでより多くの虫を切れるよう、道の中央を走り、奥行きがある場合には壁すら足場にする。
全長三メートルの槍を突き刺せば、マッドトロルを二体貫く事もざら、道の中央にいる限り左右の端までキロの槍の間合いに捉えられる。
左右に逃げ場のない洞窟道という特性上、キロは側面攻撃を気にする必要がなく、正面から飛んでくる泥弾も叩き落とし、あるいは最小限の動きで避ける。
独壇場だった。
「おい、速度を落とさんか。虫の位置を知らせるそばから切り殺しおって、指示が追い付かぬ」
ついにはフカフカが音を上げるが、抗議しつつもきちんと本体の虫が潜む箇所を照らしている。
「……ボクとクローナが二人でやってた事を一人でこなしてる計算になるよね?」
後ろからミュトの自信が打ち砕かれる音が聞こえてくる。
「キロさんの場合、魔力量がそこまで多くないので長くは続けられませんよ。それに、私達が体力や魔力の回復に専念できるよう、頑張ってくれてるんですよ」
「……そっか」
クローナの言葉に納得したのか、ミュトは口を閉ざした。
キロが戦闘を全て引き受けているとはいえ、今は滝壺の街へ走って向かっているのだ。
無駄口を叩いていては息切れしてしまう。
何より、マッドトロルを蹴散らしながら進むキロは、ミュトとクローナに戦闘の疲れが残っている事を加味しても、全力疾走に近い速度を維持している。
気を抜くと置いて行かれそうな速さなのだ。
来た道を振り返れば、虫の死骸が累々となっているだろう。
キロは壁を足場にした突きで集合体の天辺から内部の虫をまとめて串刺しにし、崩れ行く泥の塊の向こうに降り立つ。
「数が減ってきたな」
キロの肩の上で、フカフカが顔についた泥を前足で拭いながら呟く。
マッドトロルの密度は村を出た直後の洞窟道と比較して四割ほどにまで下がっていた。
キロはクローナとミュトが追い付くまで待ちながら、槍についた泥を指で落とす。
「滝壺の街が襲われていたらどうしようかと思ってたけど、心配はいらないみたいだな」
「まだ距離がある。ここからは魔力勝負ではなく、体力と時間の勝負であろう。苦しくなった者は遠慮なく言うがよい。我が心温まる励ましを送ろう」
「それ、効果あるのか?」
「乗せて走れなどと、か弱い我に命じるつもりか? 励ます以外にできぬであろう」
イタチらしいスラリとした小動物のフカフカは、柔らかな尻尾でキロの首筋を叩く。激励のつもりらしかった。
クローナとミュトが少し息を整える時間を挟み、キロ達は再び移動を開始した。
道を進むほどに、マッドトロルの数が減っていく。
代わりに増してくるのはじっとりと肌を撫でる湿気だ。
「次の曲がり角を左、後は直進すれば街に着くよ!」
ミュトの方向指示にキロは頷き、速度を緩めて左折する。
果たして、暗い洞窟道の先に街の明かりが見えた。
朝もやのようにうっすら立ち込める湿気が明かりをおぼろげにし、輪郭も距離感もつかめないが、ゴールは近い。
ついに洞窟道を抜け、街へと繋がる橋に出る。
キロ達はなおも走り続けながら、ミュトを先頭にするべく順番を入れ替える。
ミュトが地図師協会への最短距離を思い出し、近道さえ使って通りを走り抜けた。
すれ違う通行人が迷惑そうな顔をするが、緊急だからと自分に言い訳して無視した。
たどり着いた地図師協会へ、ミュトが走り込む。
一斉に向けられる迷惑そうな視線、息を切らしている三人を見て怪訝なものに変わったそれは、キロの肩から飛び移ったフカフカと飛び移られたミュトを認識すると嫌そうな色が混じった。
ミュトが視線に怯み、足を止める。
嫌悪の視線には慣れているはずのミュトだが、キロ達との交流を通して他者から嫌われる事への忌避感を思い出したのだろう。
キロとクローナがミュトの左右に立ち、同時にミュトの背中を押した。
「行きますよ。仕事の最中なんですから、毅然としましょう」
「恥じる事もやましい事もないからな。いくら見られても放っておけ」
「――うん」
クローナとキロが発破をかけると、ミュトは深呼吸を一つして受付へ歩く。
歩きながら懐から出した救援要請の書類を、ミュトは受付に着くなり机の上に置いた。
大きな街の協会職員だけあってミュトを見ても顔色一つ変えなかった受付の男が、救援要請の書類を見て目を見開く。
「拝見します。ミュトさん、ですよね? ここまでの地図の作成をお願いします」
やはりミュトの噂は聞いていたらしいが、救援要請の方が圧倒的に重要度が上らしく、受付の男は書類をざっと見て眉を寄せる。
「人手を募っている時間はなさそうですね。順次派遣するしか……」
受付の男が苦い顔をして、机の横に置かれていた小さなベルを手に取り、鳴らす。
地下世界では珍しい金属製品である事から、ベルの音の重要度は何となくキロにも察せられた。
書棚に向かい合っていた地図師が受付に視線を注ぐ。
「救援要請が来ています。相手は大規模なマッドトロルの群れ。地図師の皆さんは護衛を連れてきてください」
受付の男性がミュトの手元に視線を向ける。
「……綺麗な地図ですね」
囁くように褒めて、受付の男は他の職員を呼びに行った。
「――集まらないってどういう事ですか⁉」
受付の男が別の職員に食って掛かる。
職員は苦い顔をしながら、ミュトをちらりと見た。
「現場までの地図が信用できない。マッドトロルの群れがひしめく洞窟道をこの短時間のうちにたった三人でどうやって抜けてきた? 水没地点まであるんだ。救援要請の書類も一切濡れていない。地図が信用できないのに命を張れるか、と護衛連中が取り合わないんだ」
苦い顔をする協会職員の視線に、ミュトが俯いて服の裾を両手で握りしめた。
「ちっ……仕事くらいしろってんだ、脳筋共。名簿作ってあちこちの街に回して仕事できなくさせてやるからな」
忌々しげに呟いた受付の男は、直接掛け合いに行くつもりなのかカウンターを出て協会の出口へ向かう。
受付の男が両開きの扉に手を伸ばした瞬間、扉が内側へ音も立てずに開いた。
衝突を避けるために受付の男が半歩下がる。
扉をくぐってきたのは、白髪赤目、痩せすぎず太すぎず、鼻の大きさ眉の太さや角度、唇の厚さに弧の描き方まで、どこを見ても次の瞬間に忘れてしまいそうな、地味が服着て歩いているような男だった。
男は緊迫した協会の空気に触れて挙動不審に視線を彷徨わせた後、身を縮こまらせて中へ入ってくる。
そして、ミュトに目を止めると、おぉ、と小さく呟いた。
「君達だね。財布を届けてくれた地図師達は」
「……財布?」
キロは呟き、思い出す。
初めてこの滝壺の街を訪れた際、道中で拾った財布をこの協会に届けていた。
どうやら財布の持ち主らしい地味な男に誰一人として注意を向けていない。
今はそれどころではないから出て行け、とさえ言われない存在感のなさは特徴というものが抜け落ちた男の容姿に起因するのかもしれない。
「いや、助かったよ。落し物を届けてくれた人なんて生まれて初めてだよ。自分はどうにも地味らしくて、荷物まで地味だから落ちていても気に留められないらしいんだ。ぜひ、礼を言いたいと思って待っていたんだよ。いや嬉しいなぁ」
心の底から嬉しそうに、地味な男はミュト、キロ、クローナの手を順番にとって固く握手する。
「あぁ、そうだ。自分とした事が名乗ってなかったね」
そして、地味な男は、注意していないと右から左に聞き流してしまいそうなほど特徴のない声で名乗る。
「自分はラビル。特層級の地図師だよ」




