第六話 二人だけの秘密
川の水を飲む白い生き物がいた。
羊ではない。キロが見た事のない生き物だった。
耳の後ろと眉間に螺旋状の短い角を持ち、全身から垂れ下がった白い体毛が足元まで伸びて、すだれの様になっていた。
依頼にあった、逃げ出した動物である。
クローナと二手に分かれ、キロは生き物の気を引こうと風上に立ち、手を鳴らした。
生き物はおもむろに顔を上げると、興味深そうにキロを見つめていた。
その背後に、クローナが静かに近づき、愛用の杖の先端で生き物の後ろ脚を引っ掛けた。
ここまでくれば慣れたものだ。
クローナは抵抗もさせずに生き物をひっくり返した。
「……まずは一頭、捕獲ですね」
「毛を刈るために育ててるのか?」
「はい。五年に一度刈り取るんです。防水性に優れているんですよ」
高価ですけどね、とクローナは付け足す。
五年に一度しか取れないのなら、高価なのも頷ける。
羊と違って外に出さず、専用の小屋で育てている事からも、町にとっては大事な商品なのだと分かった。
「この調子で他の子も見つかるといいんですけど」
クローナは心配そうに言って、周囲を見回す。
キロもつられて視線をあちこちに飛ばしていたが、遠くに見える大木の上に何かがいるのを見つけて、目を凝らした。
「クローナ、あの木の上にいるのって……」
キロが指差すと、クローナも気付いたらしい。
青い顔を見合わせ、大木に向かってキロ達は走り出した。
「なんであんなところで黄昏れてるんだよ、あの毛むくじゃら」
「知りませんよ。あの辺りは魔物の縄張りではないですけど、目立ちすぎです。早く連れ帰らないと!」
全力疾走の末、たどり着いた大木の上で、問題の生き物は空の彼方を見つめていた。
「……木を揺らして落とすか?」
「虫取りじゃないんですけど」
ジトッとした目で睨んでくるクローナに、冗談だと返し、キロは大木の枝に手を掛ける。
「一度上まで登って、魔法で壁を生み出しつつ下へ追い立てよう。誘導を頼む」
クローナと共に大木に上り、キロは生き物を少しずつ下へと追い立て、地面に降ろした。
遠くから生き物を見つけた魔物が来ないとも限らないため、キロ達は休む間もなく移動を開始した。
無事に飼育小屋まで送り届け、キロ達は最後の一頭を探す。
昼を過ぎて、ようやく見つけた最後の一頭は、崖の中腹で立ち往生していた。
しかし、その姿からは焦燥も悲壮も感じない。
「……我はここで漫然と死を待とう」
「気持ちを代弁してないで、早く助け出しますよ」
クローナに急かされ、キロはクローナと共に魔法の壁を伝って最後の一頭を救出した。
魔法の壁の作り方ばかりに習熟している気がした。
キロ達は最後の一頭を飼育小屋に連れ帰り、街へと走り出す。
日が落ちるまではまだ時間があるが、キロ達には他に用事があるのだ。
ギルドに到着したキロ達は午後の依頼は後日に回し、受付の男性への別れの挨拶もそこそこに、修練場へと駆け出した。
――教えてくれないなら、見て覚えてやる!
修練場にたどり着いたキロ達は、遠巻きにしながら注意深く観察する。
槍の構え方や振るい方、次の動きへの繫げ方など、片端から記憶に刻みつけていった。
最初の内はキロ達を訝しげに見ていた老齢の教官は、キロ達の視線から狙いを悟ると顔を真っ赤にして駆け寄ってきた。
「ひょろいの、技を盗んでんじゃねえ!」
キロ達はすぐさま立ち上がり、脱兎の如く逃げ出した。
教官は途中まで追いかけてきたが、仕事場から離れすぎるわけにはいかなかったのだろう、途中で足を止める。
「見よう見まねで出来るもんじゃねえ。舐めた真似は二度とすんなよ!」
捨て台詞を吐いて、教官は修練場へと帰っていく。
その背中に向けて、キロは一枚の銀貨を思い切り投げつけた。
「代金だ。受け取れ!」
狙いがわずかに上方へ逸れ、教官の後頭部に追突した銀貨が地面に落ちる。
「――あ、やばい」
「……ひょろいの、覚悟はできてんだろうな」
鬼の形相で振り返った教官を無視して、キロ達は再び駆け出した。
教会に帰り着いた二人は、さっそく裏手で練習を始める。
キロは見てきたばかりの構えを取り、クローナの記憶と照らし合わせる。
構えを終えると次はゆっくりと槍を振り、動きを確認する。
夕方まで延々と反復練習を繰り返し、キロ達は教会の中へ戻った。
礼拝堂の掃除を始め、細々とした家事手伝いを終えると、再び裏手に出て練習を繰り返す。
日が落ちて、辺りが闇に閉ざされれば、クローナと代わる代わる魔法で明りを確保して続ける。
気が付けば、日が昇っていた。
睡眠不足のまま森に行く依頼を受けるのは危険だと判断して、キロ達は教会で仮眠を取り、昼ごろにギルドへと向かう。
早めに依頼を終えた冒険者や依頼を出しに来た行商人などの一般人で、ギルドは賑わっていた。
複数ある受付の内、もはや顔馴染みとなった男性の元へと向かう。
キロ達の顔を見るなり、受付の男性は苦い顔をした。
「昨日、修練場の教官に喧嘩を売ったでしょう?」
キロとクローナはそろって首を傾げ、知らんふりをする。
「まったく……今朝から噂になってますよ」
促されて、耳を澄ませば、ギルドのそこかしこから小声でキロ達の噂話をする声が聞こえてきた。
才能なしの落ちこぼれが身の程もわきまえずに教官を敵に回した、そんな内容だった。
クローナが腕を組み、受付の男性に面と向かって反論する。
「教えて貰えないから、自力で強くなろうとしているだけです」
「――言うじゃねぇか、ガキが」
不意に怒気を含んだ声が聞こえてきて、キロは反射的にクローナを突き飛ばした。
後ろから伸ばされた手が、先ほどまでクローナの首があった空間を掴んだ。
「キロさん!」
注意を促すクローナの声を聴き、キロはその場を飛び退く。
床すれすれをローキックがかすめていった。
――足払いか。
キロは空中で上半身をよじり、後ろを見る。
立っていた人物は老齢の教官だった。後ろには訓練用の槍を持った若い冒険者が二人付いている。
「付け焼刃の癖に逃げ方だけは一人前か」
教官はキロを睨みつけ、後ろに立つ若い冒険者を指差した。
「俺が教えている冒険者の若造だ。表に出ろ、間近で技を見せてやるよ」
「……ずいぶん堂々とした半殺し宣言だな」
「何を言ってるか分からねぇよ。おい、通訳しろ」
腕輪を身に着けていない教官にはキロの日本語が理解できなかったらしく、クローナに通訳を命じる。
クローナがキロに視線を向けた。
キロは頷いて、言葉を紡ぐ。
「――仕事の邪魔しないでください」
キロの言葉を聞いて、クローナが目を丸くした。
続いて、顔の前で激しく手を振る。
「いやいやいや、ちょっと待ってください。おかしいですよ。なんでこの場面で仕事を気にするんですか⁉」
「あぁ? 仕事だと?」
クローナの言葉尻を捕えて、教官が眉を寄せる。
キロは教官を気にせず、クローナに顔を向けた。
「仕事をしないと司祭に恩返しできないし、お金もたまらない。俺がこの教官と喧嘩してもどうせ勝てないし、怪我をするだけ無駄だろ」
「それは、そうですけど……そうなんですけど」
「おい、仕事ってどういう事だ、こら」
いらいらした口調で言葉を挟む教官を無視して、クローナはキロに反論しようと言葉を探す。
混沌とし始めた場に終止符を打ったのは、受付の男性だった。
「ギルド内で喧嘩はしないでください。あなたも、教官でしょう。いちいち生意気だからという理由で冒険者を、貴重な労働力を痛めつけるおつもりですか? 彼らの代わりに依頼を受けてくれるんですか? なんなら治療費も払ってもらいますよ?」
次々に畳み掛ける受付の男性に、教官は舌打ちした。
教官はキロを睨み、口を開く。
「二度と舐めた真似すんじゃねえ」
警告を残して、教官はギルドを出ていった。
受付の男性が盛大なため息を吐く。
「本当に、二度と喧嘩を売らないでください。教官が舐められたら、訓練場へ行く冒険者が減ってしまう」
訓練場は冒険者の生存率を底上げするために作られた施設だ。
利用者が減れば冒険者の生存率が低下しかねない。
キロもここまでの騒ぎになるとは思わなかったため、素直に頷いた。
受付の男性は嘆息し、キロを眺める。
「そもそも、どうしてそこまでして強くなりたいんですか。この間も言いましたけど、解散して個々に活動する選択もあるでしょう」
キロはクローナを見た後、口を開く。
「頼られたら、応えたくなるだろ」
キロの言葉は腕輪をつけているクローナ以外に理解できない。
例にもれず、理解できなかった受付の男性はクローナに視線で翻訳を頼んだ。
クローナはキロを一瞬だけ見て、照れたように笑う。
「――私とキロさんだけの、秘密です」




