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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第十五話  魔力の味

 キロ達が通された客室に置かれたベッドは二つだけだった。

 誰からとなく顔を見合わせる。


「男女で分かれて眠ればよいだろう。疲れを取るのが最優先であるからな」


 フカフカの鶴の一声で割り振りが決まり、キロは荷物を置いてベッドに腰掛けた。

 向かい合わせにもう一つのベッドに腰掛けたクローナとミュトを見て、キロは声を掛ける。


「前にも聞いたけど、なんで男装してるんだ?」


 初対面でもぶつけた質問ではあったが、答えを貰っていなかった。

 ミュトが男装していなければ、誤解を招くこともなかったのだと思うと自然と恨み節になる。

 ミュトが視線を彷徨わせた。


「女は地図が読めない方向音痴だって偏見を持ってる人が居るんだよ」

「――という建前で?」


 キロは再び問う。

 ミュトが男装を始めた時期は判らないが、養成校を出ている以上は実力が証明されているはずだ。

 地図師協会でも女性が受付をやっていたため、偏見が根強い物とは考えにくい。

 また、ここは上層であり、実力を認められたものだけが探索を許可される階層だ。

 偏見もだいぶ緩いだろうと思えた。

 ミュトは力なく笑う。


「うん。今のは建前だよ。一応、養成校時代から地図師を目指す女性は男装するけどね。どうしても人気のない暗がりを歩く事になる仕事だから、ほとんど義務みたいなものなんだ」

「ミュトは味方もいないのでな。襲われればひとたまりもない」


 フカフカが呟き、ミュトは眉を八の字にする。


「もっとも、襲う物好きがいるのか、我には疑問であるがな」


 一言多いフカフカに、ミュトが微妙な顔をする。

 その時、ぐぅ、と誰かの腹が鳴った。

 自分が音の出所でない事を知るキロはクローナとミュトに視線を向ける。


「腹が減ったのである」


 意外にも、自首してきたのはフカフカだった。


「ミュトよ、魔力を寄越せ」


 フカフカがミュトに期待のまなざしを向けてねだる。

 先ほど余計なひと言を呟いたというのに、フカフカには悪びれる様子が微塵もない。

 ミュトは特に怒った様子もなかったが、フカフカの期待を袖にした。


「マッドトロルから逃げる時に特殊魔力を使い切っちゃったんだよ」

「なんと……なんという事だ……」


 絶望の色さえ滲ませて、フカフカが呟く。

 ――そういえば、魔力食動物とか言ってたな。

 フカフカはしょんぼりと尻尾を垂らし、頭を下げる。


「……いたしかたない。普遍魔力でもよい。寄越せ」


 顔を挙げて再度ねだるフカフカに、ミュトは首を振った。


「普遍魔力もほとんど残ってないよ。気絶するからダメ」

「……ランバル護衛団め、つくづく恩をあだで返す輩だ。耳を齧り取ってやろうか」


 不穏な発言をするフカフカに苦笑して、キロは声を掛ける。


「特殊魔力なら俺も持ってるけど」


 直後、フカフカが身をひるがえし、キロに向かって跳躍した。

 毛並みの良い尻尾がはためき、宙を駆けてキロの肩に降り立ったフカフカはすぐさまキロの髪の毛を一本引き抜いて飛び降りた。

 髪を引き抜かれた痛みにキロが顔を顰め、文句を言おうとフカフカを振り返る。


「おい、いきなり何し……ふかふか、何してんだ?」


 引き抜いたキロの髪の毛の先を口に含み、フカフカが首を傾げる。


「むろん、食事である」


 キロの髪の毛の先をちゅるちゅると吸いながら、フカフカが答える。

 キロがドン引きしていると、ミュトが困ったように笑いながら説明した。


「髪の毛の残留魔力を吸ってるんだよ。味見みたいなものだね」

「味見って言われても、正直な話、気色が悪いんだけど」


 自分の髪を吸っている生き物というのは、見ていて楽しいはずもない。

 キロとミュトが言葉を交わしている内に〝味見〟が済んだらしい。

 フカフカがキロの髪から口を離し、舌を出した。


「……うぇっぷ。なんだこれは。新鮮さに満ち満ちておる。まるで生き返るようだ。だが、何か大切な物が抜けておるせいでとんでもなく不味い。栄養過多だ。太るぞ、これは」


 はっきり不味いと言われ、キロは頭を掻く。

 クローナが興味を惹かれたようにフカフカへ身を乗り出す。


「魔力に味があるんですか?」

「普遍魔力にはない。だが、特殊魔力は味ものど越しも様々だ。キロの魔力はかなり不味いが、のど越しは悪くないな」


 喜んでいいのかよく分からない評価にキロは戸惑うが、ふと思い出してフカフカに顔を向ける。


「クローナも特殊魔力持ちだ」

「……ほう」


 フカフカの目が光る。

 瞬時に防御姿勢を取ったクローナの横を走り抜け、フカフカは背後からクローナの背中に飛びついた。

 例のごとく一本の髪を抜いたフカフカは、クローナの反撃を避けてベッドの下へと潜り込んだ。

 反撃が届かないと知って、クローナがゆらりと立ち上がる。

 ミュトが慌てて袖を掴んで引きとめるが、クローナは不敵な笑みを浮かべるだけで眼もくれない。


「キロさん、私の方にけしかけるのはどうかと思いますよ?」

「いや、どんな評価が下されるのか少し興味が……って、お前、ちょっとやめ――」


 いきなり飛び掛かったクローナがキロをそのままベッドに押し倒し、わきの下をくすぐり始めた。

 キロは笑い転げながら逃れようとするが、クローナに完全に抑え込まれていて思うように動けない。


「……えっと」


 じゃれ合うキロとクローナを前に、喧嘩が起こるかとハラハラしていたミュトは反応に困っていた。

 フカフカがベッドの下から顔を出す。


「何を遊んでおるのだ、お前達は」


 呆れたように言うフカフカに、キロはくすぐり地獄に耐えながらクローナの魔力の味について尋ねる。

 フカフカはうぅむ、と唸り、言葉を選ぶような間を開けた。


「美味いような、不味いような。味があるようで、ないような。味の天秤がグラグラしておる。どうにも判断が付かぬ」


 本当に評価を下しかねている様子で、フカフカは唸りながら天井を仰ぐ。


「キロの魔力よりはマシだがな」


 フカフカの最後の呟きを聞いたクローナはキロに向き直り、微笑んだ。


「許してあげます」

「現金だな、おい」


 くすぐり地獄から解放されて、キロは身体を起こす。

 クスクスと忍び笑いが聞こえて顔を向ければ、ミュトが口に片手を当てて笑いをかみ殺していた。

 クローナがキロをちらりと見た後、立ち上がってミュトに向かう。


「何を笑ってるんですか。もとはと言えばミュトさんが魔力を使い果たすからいけないんですよ」

「……え?」


 対岸の火事だと思っていたミュトがクローナの言葉にきょとんとする。

 しかし、手を不審な動きで握ったり開いたりしながら近づいてくるクローナを見て、飛び火してきた事を悟ったらしい。

 ミュトは慌てて腰を浮かすが、クローナの動きの方が早かった。


「ま、待って、クローナ、そういうの苦手だから――」


 最後は言葉にならず、ミュトはクローナにくすぐられて身動きができなくなっていた。

 一線を引いてばかりいるミュト相手にはちょうどいいスキンシップだろう。

 キロはじゃれあう二人を眺めていたが、ふと肩に重みを感じて目を向ける。

 いつの間にかフカフカが肩に乗っていた。


「……ミュトを笑わせた事、誉めてやろう」

「お前、保護者みたいだよな」


 囁きかけてくるフカフカに横眼を投げて、キロは呟いた。

 フカフカが尻尾を揺らす。


「おぬしの心配もしてやろうか?」

「自分の事くらい自分でできる」

「子供は皆、その言葉を口にするものだ」

「大人の振りするなら自分の手が届く範囲にだけ気を配れよ。手を広げ過ぎると逆に心配されるだろ」

「生意気な」


 キロが言い返すと、フカフカは満更でもなさそうに鼻を鳴らす。

 コンコンと扉がノックされて、中年の女が顔を出した。

 盆の上に野菜のスープやパン、チーズが置かれている。


「状況が状況ですから、簡単な物しか出せませんが、よろしければどうぞ」


 お盆を置いて、中年の女は廊下へと戻っていった。

 開いた扉の隙間から料理を載せたカートが見え、上に置かれた肉や干した果物も視界に入る。

 ――格差だなぁ。

 村としても、実績のない若い地図師とさして強そうに見えない細い体格の若い護衛二人より、曲がりなりにも中層および上層で活動する大規模な護衛団に所属している五人の方を優遇するだろう。


「期待されてなさそうですね」


 キロと同じものを見たのだろう、クローナがパンを齧りつつ言う。

 クローナの横ではミュトがぐったりとベッドに突っ伏していた。

 のろのろと身体を起こしたミュトは、クローナからさり気なく距離を取る。

 クローナの動きを警戒しつつ、お盆の上からパンを取ったミュトが口を開いた。


「期待されてないならそっちの方がいいよ。マッドトロルがあんなにいたんじゃ勝てっこないから」

「実物を見て思ったんですけど、マッドトロルってどうやって倒すんですか? 本体の虫がどこにいるのか、皆目見当がつかないんですけど」


 クローナが顔を向けて質問すると、ミュトは一瞬怯えたように身をすくませて答える。


「泥ごと吹き飛ばして飛び出た本体を駆除するか、本体である虫の魔力が切れるまで戦い続けるかの二択だよ。本来、あんな風に群れる魔物じゃないから、この方法で対処できるんだけど、今回は……」


 マッドトロルの数が多すぎて泥ごと吹き飛ばす事さえ困難を極める。


「本体の虫を駆除しない限り、何度でも泥を纏い直すから厄介なんだ」

「火か何かで泥を乾かして動けなくしてしまえばいい気がしますけど」

「火はダメだよ。ボク達まで煙に巻かれて窒息するから」


 一酸化炭素中毒の事を言っているのだろう。

 クローナはよく分からなそうだったが、火を使ってはいけない事だけは理解したらしく、困ったように眉を寄せる。


「どうするんです?」

「街から応援が来るまで堪えるしかないんじゃないかなぁ」


 消極的だが現実的な意見を口にして、ミュトはパンを頬張った。

 それが甘い見通しだと知るまで、そう長くはかからなかった。


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