第十一話 滝壺の街
翌日――空が見えないため本当に翌日なのかはわからなかったが――キロ達は町を出発した。
キロ達と同時にランバル護衛団の五人が町を出るようだった。
見送りに地図師協会の職員が数人と、町を拠点にしている地図師が来ていたが、キロ達には目もくれない。
予想通りではあったので、キロ達は特に気にする事もなく洞窟道へ足を踏み入れた。
ランバル護衛団の五人が途中まで後ろを付いてきていたが、途中で道を曲がり姿を消した。
闇討ちを警戒していたフカフカが吐息を漏らす。
「奴ら、守魔の足を切り落としたのがキロだと知らぬようだな」
「戦闘中でも近くに誰かが居たらフカフカが気付いているだろ」
「普段なら気付くが、あの時はキロとクローナの戦いぶりに意識が逸れていたのでな。自信がない」
フカフカでも自信を持てない事があるのか、とキロは思ったが口には出さない。
代わりに、ミュトに声を掛けた。
「いま向かってる街はどんなところなんだ?」
「水の産出地だよ。近くに野菜を育てている村もある」
野菜、と聞いてクローナがフカフカの尻尾に注目する。
視線から逃がすように尻尾を曲げたフカフカがミュトの言葉を補足する。
「野菜を育てる際の光源は二本足でずんぐりむっくりした歪な生き物だ。我ら尾光イタチのような優雅な生き物と一緒にしないでもらおうか」
「それはそれで見てみたい気もしますね。さわり心地も気になりますし」
「我の尻尾は至高の手触りだ。比較にならん」
自慢するように尻尾を揺らしながら、フカフカはミュトに顔を向ける。
「街の近くでは魔物を狩って資金の足しにするぞ。我が耳を澄ませば発見もたやすい」
ミュトが意見を窺うようにキロとクローナを見る。
しかし、器用に尻尾を持ち上げたフカフカがミュトの視線を遮った。
「まずはお前の意見を言うのだ、ミュトよ」
ミュトが困ったように俯く。
しかし、キロもクローナも助け舟は出さなかった。
少しずつでも慣れていくしかないのだ。まだ関係が固定されていないうちに自分の意見を言う事と通す事を覚えた方がいいという判断だった。
「……ボクは、街に入って最新の地図で周辺の洞窟道を確認してからの方がいいと思う」
恐る恐る、と言った風にミュトが意見を口にする。
あぁそうか、と呟きながら、キロはミュトに笑いかける。
「洞窟道は変化するって事を忘れてた。確かに、先に地理を調べておかないと迷うよな」
通った道を引き返せば必ず帰る事が出来るとは限らない。落盤で塞がれていれば迂回しなくてはいけないのだから。
「俺もクローナも、まだこの世界の考え方というか、常識に疎い所があるからさ。いろいろ助言してくれるとありがたい」
地下世界と今まで生きてきた世界との違いを痛感しながら、キロはミュトに頼む。
あっさりと意見が通った事はもちろん、感謝までされるとは思わなかったらしく、ミュトは驚いたように瞬きを繰り返した。
フカフカが愉快そうに尻尾を揺らすが、クローナは心配そうに眉を寄せてキロを見た。
付き合いが浅いミュトやフカフカに分からないだろうクローナの表情の変化に、キロは内心で苦笑する。
――ミュトに気を使った、と思ってるな。
遠慮ばかりして気疲れするキロの不器用さを知っているクローナは、フカフカによるミュトの対人訓練を手伝う内に、キロが疲れないかと心配になったのだろう。
「修練所を覗きに行く必要はないから」
キロがクローナにだけ分かるように言葉を選ぶ。
言葉の意味を理解したクローナがくすりと笑った。
「これじゃあべこべじゃないですか。意地悪ですね」
「意地悪できるくらい、成長したと自負してるんだけど?」
「分かってますよ」
クスクスと笑いあうキロとクローナを、ミュトが不思議そうに眺めていた。
ミュトに対して、フカフカはキロとクローナのやり取りに思う所があったらしく、ミュトをちらりと見る。
「当たり前の事であるが、キロとクローナの間には積み重ねがあるのだな」
小さな溜息を落として、フカフカがミュトの肩を尻尾で軽く叩く。
「キロとクローナは何年一緒にいるのだ?」
キロは異世界での生活を思い出しながら日にちを数える。
「一か月くらいだな」
「……一か月、か」
フカフカはキロの言葉を繰り返すと、ミュトの首に巻き付いて眠り始めた。
不思議そうに首を傾げるミュトとは違い、フカフカの心中を察したキロは頬を掻く。
――今後の関係発展に期待していいと思うんだけどな。
一カ月で築いたキロとクローナの関係に比べるとふて寝したくなるほど、ミュトとの間に築いた関係が薄いと感じたのだろう。
だが、今はキロとクローナがいる。
仲裁に入れる者がいれば、意見のすり合わせも容易になるだろう。
キロはフカフカをひとまず寝かせたままにして前を向く。
閉ざされた洞窟道の先は真っ暗だった。
「――何か落ちてますね」
キロより夜目が効くのか、クローナが道の先を指差す。
地図から顔を上げ、クローナが指差す先に視線を向けたミュトが首を傾げた。
「財布かな?」
ミュトが地図に顔を戻した後、周囲に目を凝らす。
すぐに天井の一部に視線を固定させ、手元の地図と見比べた。
「あの穴から落ちてきたみたいだね」
ミュトの視線を追うと、天井の一部に握り拳一つ分ほどの直径の小さな穴が開いていた。
ネズミのような小動物が開けた穴だろうと見当がつくが、周囲にそれらしい生き物はいない。
ミュトは地図を見て首を傾げる。
「あの小さな穴がどこに繋がっているかはわからないけど、地図を見る限り、近くにある道は全部僕らが向かっている街に繋がってるね」
財布の持ち主が街にいる可能性がある事を示唆しつつ、ミュトはキロを横目に見る。
そのまま、ミュトはキロを窺いながら口を閉ざした。
キロは苦笑してミュトの額を人差し指で軽く突く。
「良い事するんだから堂々としろ。届けるんだろ?」
ミュトは小さく頷くが、困ったように眉を八の字にする。
「届けたいけど、ボクが持っていくと怪しまれるから、キロかクローナに頼みたいんだよ」
申し訳なさそうにするミュトに、今度はクローナが苦笑する。
「善行に遠慮はいりませんよ。ついでに私達にも遠慮はいりません」
クローナが財布を拾って、ミュトに笑いかける。
「さぁ、早く街へ行きましょう。財布を落とした人が困っているでしょうから」
クローナがミュトに手を伸ばす。
ミュトは差し出された手を見つめた後、おずおずとクローナの手を握った。
手を繋いで歩き出すクローナとミュトについて歩き出したキロは、フカフカの尻尾が機嫌良さそうに揺れたのを見逃さなかった。
街に近付くにつれて湿度が上がり始め、水音が聞こえ始めた。
同時に気温も下がり、肌寒くなってくる。
キロはマフラー代わりにフカフカを巻いているミュトを羨ましく思い、目を向けた瞬間、何か記憶に引っかかるものを感じた。
ミュトの姿をどこかで見たような気がしたのだ。
しかし、記憶から該当する者を見つけるより先に、キロはたどり着いた街の威容に目を奪われる。
自分が蟻にでもなったような錯覚に陥るほど、非常に広い空間だった。
球状の空洞の中央に浮島の如く存在する平らな地面に石造りの建物が乱立し、街灯が怪しく光る。
浮島へと渡る橋がいくつかの洞窟道から伸びている。石灰分が洗い流されてできた天然の物らしく、歪ながらも重厚感のある橋だ。
特筆すべきは球状の壁のあちこちから流れ落ちる滝の存在だろう。
地下世界である事を忘れさせるような、美しくたなびく雄大な滝の数々が球状の空洞に反響する水音を奏でている。
守魔の縄張りにもいた光る虫が滝の周囲を飛び回り、より一層の怪しさと、なにより幻想的な美しさを添えていた。
――凄いとしか言いようがないな。
ゴクリと喉を鳴らしたキロはミュトを見る。
「上層でも一、二を争う特殊な景観を持つ街だよ。主に水の輸出をしているんだけど、地図師や行商人が仕事抜きで観光に来る事もある。理由は見ればわかるよね」
「あぁ、偶然とはいえ、この世界に来てよかったって思った」
嘘偽らざる本心を吐露するキロに、クローナも頷いた。
「こんな景色を見たら、誰だって自慢したくなりますよ」
キロは携帯電話を取り出し、街の景色を撮影する。
虫や街灯の光があるとは言え、暗さが心配ではあったが、どうにか街の風景を取る事が出来た。
キロが持つ携帯電話を不思議そうに見つめているミュトとフカフカ、携帯電話自体は知っていても機能を詳しく知らないクローナの視線を受けつつ、キロは撮影したばかりの写真を保存して電源を切った。
「何をしたんですか?」
説明せずに携帯電話をしまうキロを見て、堪えきれなくなったクローナが問う。
「秘密だ。忘れた頃に見せるよ」
飛び切りの悪戯を仕掛けた顔でキロは笑い、街へ向けて歩き出す。
街へと渡る橋には落下防止の手すりが設けられており、手すりの外側には滝に削られて形造られた奈落が待っている。
高く設けられた手すりと、何より橋の頑丈さのおかげで歩いても不安はない。
街の中は落ち着いた空気が流れていた。
水の産出地は経済的にも潤うとフカフカに聞いてはいたが、人間は懐と同時に心も温まるらしい。
キロやクローナが持つ金属をふんだんに使った武器もこの街では注目に値しないようで、向けられる視線は皆無だ。
逃れようのない湿気にさえ目を瞑れば、過ごしやすい街である。
水が豊富な環境だけあって、地図師協会の前には水時計が置かれていた。
キロはミュトに先立って協会に入る。
湿気を警戒しているのか、あちこちに吸湿剤が置かれた建物の中には予想通りに大量の資料が詰まった本棚があった。
――少しカビ臭い気もするな。
目につく範囲にはカビが生えた資料は見当たらない。
「ボクは資料を確かめているから」
ミュトが教会内の地図師の視線を気にしながら呟き、キロとクローナから距離を取る。
資料を調べている内に財布を届けてほしい、という意味だろう。
キロはクローナと共に協会奥の受付へ向かうのだった。




