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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第十話  彼女が抱えるジレンマ

 ――もっとジメジメしていると思ったんだけどな。

 洞窟の中であるため湿気が気になっていたキロは、意外にも快適な湿度を保つ部屋に首を傾げていた。

 ミュトとフカフカの喧嘩もあり、男女で別れて部屋を取ってあったためキロは一人用の小さな客室に泊まっている。

 部屋を見回すと四隅に多数の穴が開けられた石の箱があった。

 気になって覗いてみると、二層構造になった箱の上には白い粉、下には水が入っている。

 どうやら、吸湿剤らしい。


「フカフカ、これも魔物から取れるのか?」


 窓際で尻尾の毛繕いをしていたフカフカが顔を向ける。


「ある種の魔物が甲羅の中に蓄えていると聞いたな」

「何でもアリだな」


 半ば呆れつつキロは呟く。

 白い粉は高い吸湿性を有しているらしく、会話をしてる間にも水滴が下の層に落ちていた。

 毛繕いを終えたフカフカが窓の格子を潜り抜けて外へ出る。


「そろそろミュトの所へ行くとしよう。喧嘩の仲裁を押し付けて悪かったな。借りにしておこう」

「貸しとくよ。今度は事前に相談してくれ」

「あまり手を煩わせるのもどうかと思っておったが、今の言葉を聞いて安心した。また頼むぞ」


 フカフカは礼を言うように尻尾を一振りすると窓の外の出っ張りを伝って隣の部屋へ歩いて行った。

 フカフカを見送ったキロは、鞄に目を向ける。

 ――懐中電灯がなんで大事なのか疑問だったけど、こんな世界じゃ仕方ないか。

 鞄に入っている懐中電灯の持ち主がこの地下世界に来たのなら、故郷の品であると同時に貴重な明かりを提供してくれる懐中電灯には相当の思い入れがあった事だろう。

 地下世界では非常に実用的な品物でもあり、肌身離さず持っていた事は想像に難くない。

 しかし、遺物潜りで転移してきた場所に、持ち主の遺体はなかった。

 キロは窓の桟に肘を突き、遺体の在処を考える。

 現場は洞窟道であり、左右はおろか上下さえも土でできている。しかし、遺体が埋まっているとは考えにくい。

 地面には掘り起こしたような痕跡がなく、死亡直後の世界に転移する遺物潜りの性質上埋める時間があるかも疑わしい。

 持ち去られた可能性が一番高いと思うものの、遺体を持ち去る動機が分からない。

 魔物に食べられた、と考えるのが一番納得できる可能性なのだが……。

 ――最上層での目撃証言が気になるんだよなぁ。

 地下世界では上の階層へ行くほど大型で強力な魔物が出現する。

 最上層で目撃された懐中電灯の持ち主が上層の魔物に食われるとは考えにくい。

 また、懐中電灯の持ち主が最上層からわざわざ上層に戻ってくるとは、キロには思えなかった。

 考えに耽っていると、部屋の扉がノックされる。


「キロさん、いますか?」

「いるよ。どうかしたのか?」


 扉の向こうから呼びかけるクローナの声に、キロは答えた。

 扉が開き、クローナがひょっこりと顔を出す。


「フカフカさんが私達の部屋に来たので、キロさんが一人で寂しがってないかなって」


 悪戯っぽく笑いながら、クローナが部屋に入ってくる。

 なし崩し的に矛を収めたフカフカと気まずそうにしているミュトが二人きりで話し合う時間を作るため、部屋を出てきたのが真相だろう。

 軽い足取りでキロのそばまで来たクローナは窓の桟に手をついてやや前屈みになりながら、町の風景を眺め始める。

 前屈みになった事でクローナの胸が目の前に来たキロはさっと窓の外へ視線を逃がした。


「明るくて綺麗な町ですけど、やっぱり太陽の光が恋しくなりますね」


 クローナが町の明かりに目を細めて呟いた。

 幻想的に揺れ動く町の明かりは太陽と比べると弱く、温かみも薄い。

 薄黄緑色の光はむしろ冷たさを感じるほどで、洞窟内のやや低い温度も相まって長時間眺めていると肌寒さを感じた。


「懐中電灯の持ち主も太陽が見たくて上を目指したんだと思う」


 半年前にこの町を訪れた懐中電灯の持ち主は、キロと同様に日本円札を売り払い、資金を得た。

 そして、二か月前には最上層の街で目撃されている。

 魔物ひしめく地下世界、しかも、逃げ道はほとんどない洞窟道を片手に持った懐中電灯を頼りに進み、ひたすら上を目指す。

 キロとは違って翻訳の腕輪を持たなかっただろう彼女がどのように魔物との戦いを潜り抜けたのか、具体的には分からずとも想像を絶する苦労を味わった事だけは分かる。

 キロの予想を聞いてクローナも同意するように頷いた。


「でも、何で懐中電灯で着いた先が上層なのかが分からない」


 目撃証言は最上層、空を目指すのならひたすら上に向かうはずで、下の上層に来るとは思えない。

 諦めたのか、ともキロは考えたが、クローナが首を振った。


「もしかすると、懐中電灯を上層で落としてしまって、そのまま仕方なく上を目指したのかもしれません」

「遺物潜りで辿れた遺品の記憶が上層で途切れてるって事か? 持ち主だけ最上層に向かって、そこで亡くなった」


 遺物潜りは開発者であるアンムナさえ実際に発動した事のない魔法だ。

 原理を詳しく知るアンムナならともかく、発動させる事しかできないキロ達には推測を証明する手立てはなかった。


「それにしても、あの懐中電灯も数奇な運命を辿ってますね。持ち主と一緒に地下世界に来て、持ち主と離れたら今度は私達の世界の森に落ちて、今度はキロさんと私と一緒に持ち主を捜しに地下世界へ戻ってきて」

「確かに、俺達よりよっぽど異世界トリップを経験してる先輩になるな。言葉を交わせるならいろいろご意見を伺いたいところだ」


 キロは鞄の中の懐中電灯を思い出して苦笑する。

 元の持ち主についていろいろと尋ねる事が出来ればどれほど楽か。


「――ところでキロさん」


 話題を変える枕詞とともに、クローナがキロの名を呼ぶ。

 不思議に思ってキロは町の景色から視線を外してクローナを見た。

 いつのまにか、クローナはキロに向き直っていた。


「私は今、一つのジレンマを抱えています」


 藪から棒にそう切り出して、クローナはじっとキロを見つめる。

 真剣な相談事だろうかと、場合によってはフカフカに早速借りを返してもらう事も考えて、キロは無言で先を促す。

 クローナの真剣な顔に少しづつ赤みが差し始めた。


「お金を稼ぎます」

「魔物を狩って、という事だよな。それで?」


 ――きちんと武器も整えたし、問題はないと思うけど。

 首を傾げるキロを見つめながら、クローナが続ける。


「けど、お金を稼ぎすぎると宿は二部屋借りる事になります」

「むしろそれを目指すべきだと思うんだけど。ミュトもいる事だし」

「そうなんです。女の子のミュトさんがいるから二部屋借りないといけません。この世界の人に通訳を頼む都合上、私はミュトさんと、キロさんはフカフカさんと一緒に泊まるのが正しい形になります」


 会話相手と腕輪を共有すれば通訳はいらないが、意思疎通は面倒になる。

 クローナの意見は正しく、実際、今夜に借りた二部屋の客室における部屋割りも男女で分かれている。


「倫理的にも一番いい形で収まっていると思うんだけど、不満なのか?」

「キロさんと二人っきりの時間がないじゃないですか」


 頬を膨らませ、なんで分からないのかと言いたげな顔をするクローナに、キロはそっと視線を逸らす。


「……考えてなかった、とか言いませんよね?」

「予想外の事が多すぎたから、ついそっちに思考が持ってかれて――」


 最後まで言わせず、クローナがキロの頬を両手で挟む。


「いま考えてください」


 キロの瞳を覗き込んで、クローナが有無を言わせぬ口調で命令する。

 ――考えろと言われても、二人きりの時間の作り方なんて……。

 見知らぬ地下世界でどのように二人きりの時間を作るというのか。

 そもそも、二人きりでは咄嗟の事態に対応も出来ない。

 言い訳を考え始めた事を気配から悟ったか、クローナがますます頬を膨らませる。

 キロは一時しのぎに自らの膝を軽く叩く。


「ひとまず、座れ」


 個室であるため部屋に椅子はキロが座る一脚だけ。

 甘えさせて時間稼ぎをしようという魂胆だったが、この手のやり取りに慣れていないクローナには効果覿面だったらしく、彼女は慌て始めた。

 赤く染まった顔を両手で挟んで冷ましつつ、クローナは逡巡する。


「し、失礼します」


 悩んだ末、キロの膝の上に座る事にしたらしいクローナが覚悟を決めた顔で呟いた時、


「――何をしておるのだ、お前達」


 面白がるような響きを含ませて、フカフカが窓の外から声を掛けた。

 クローナが窓の外のフカフカを見て、硬直する。

 クローナの反応すら楽しんでいる様子のフカフカは、窓の格子を抜けて部屋に入ってくると尻尾を揺らす。


「ミュトもいつか伴侶を見つけて今のようなやり取りをするのだと思うと、なかなか感慨深いものがあるな。このような時、我はどういった行動をとるのが正解なのであろうか」


 自問自答しながらクローナとキロを観察するフカフカに、キロは半眼を向ける。


「少なくとも、いきなり声を掛けるのは厳禁だ」

「ふむ、次回からは気を付けよう。しかし、我にもやむを得ぬ事情があってな」


 悪びれもせずにフカフカは部屋の扉を見る。


「夕食の時間だからとミュトと共に呼びに来たのだが、いくら声を掛けても反応がない。仕方なく我が外から回り込んだ次第だ」


 フカフカの視線を追って、キロは扉を見る。

 ――鍵が掛けられてる?

 最後に扉を開いたのはクローナであり、鍵を掛けるとすれば彼女しかいない。

 キロが視線を向けると、真っ赤な顔でクローナが扉に駆けだした。

 キロの肩に飛び乗ったフカフカが、愉快そうに尻尾を揺らす。


「鍵まで掛けて、いったい何をするつもりだったのだ?」

「……さぁね」


 キロは誤魔化しつつ、席を立った。


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