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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第五話  一時的な仲直り

 宿泊している三階の部屋から町を見渡す。

 効率的に町を照らせるよう並べられた街灯と、家々の明かりが本来は暗い洞窟を明るく照らしている。

 生物による明かりであるからか、光は一定の幅で揺らめき、町の全体像をおぼろげに美しく見せていた。

 万年夜景状態の町並みはこの世界の人々にとっての日常だが、キロにとってはそれなりにムード溢れる景色だ。

 ――部屋に獣と二人きりでなければ、だけど。

 キロは同室のフカフカを見て、クローナとミュトが泊まっている隣の部屋とを隔てる壁を見る。

 喧嘩状態のミュトとフカフカを同室にする事も、キロとミュトを同室にする事も、どちらも問題が出てきてしまうため、男女で部屋を分けたのだ。

 どうやら、フカフカはオスの個体であるらしい。


「出会ったばかりの俺達に任せるにしては、少し荒っぽすぎないか」


 キロはフカフカを咎める。

 キロとクローナがきちんと仲裁しなければ、ミュトは他人との衝突にますます苦手意識を抱いていたはずだ。

 フカフカは窓際で尻尾を揺らす。


「事前に問題点は教えてあったのだ、まともな人間性の持ち主なら仲裁に動くであろうよ。うまくとりなせるかは賭けであったが、賭けなければならなかったのだ」


 フカフカは窓の外、街の入り口にあたる洞窟道へ視線を向ける。


「上層の魔物はミュトと我だけでは手に余る。仲間を募ろうにもあの性格を直さねば破綻するだろう。荒療治でも、いま直すべきなのだ」

「そう簡単には直らないよ、あれは」


 キロが実感を込めて呟くと、フカフカは分かっている、とばかり不機嫌に尻尾で窓枠を叩く。


「クローナと言ったか。あの娘に任せて本当に大丈夫なのか? 我はキロに任せたかったのだが」


 フカフカが尻尾の先から光を放ち、隣の部屋とを仕切る壁を照らして示す。

 壁の向こうではクローナがミュトを説得している事だろう。

 キロも壁を見つめて、机に頬杖を突く。


「俺よりよっぽど頼りになるよ。けど、逃げ癖を直す事まではできないと思う。あの手の性格は時間をかけて、絶対に失いたくないってくらい親密な関係を築かないと本人も直そうとは思わないからな」


 性格を直さない事による既知のリスクなら対処が容易く、直した後の未知のリスクは対処が難しい。

 リスクを抱え込むほどの価値を人間関係に見出さなければ、ミュトはずっと逃げ続けるだろう。


「でも、問題点を浮き彫りにする事には成功してる。今後はミュトの動き次第だな」


 それより、とキロはフカフカに向き直る。


「この世界の事についていろいろ質問したい」


 この地下世界についての知識が致命的に足りない事を、キロは受付の若い女との会話で痛感していた。

 一酸化炭素中毒の危険性から火が制限されることなど、いくらかは知識から類推できるものの、魔物や世界の成り立ちについてはさっぱりだ。


「まず、本当に空を見た経験がないのか?」

「空など、おとぎ話だからな」

「存在するかはともかく、どういうものかっていう知識はあるんだな?」


 翻訳の腕輪は装着者の母国語に存在しない単語を訳せない。裏を返せば、単語の意味が通じている時点で概念が存在する事になる。

 フカフカはこくりと頷いた。


「どのような手段を用いても触れる事が出来ないほどに高く、支柱もなしに見渡す限り続く、美しく青い天井であると聞いている。……いや、見ている」

「見た事はないって言わなかったか?」


 フカフカが言い直した言葉にキロは眉根を寄せる。


「うむ、実物を見た事はない」


 フカフカがキロの指摘を肯定した。

 思い出すように瞼を閉ざしたフカフカは語りだす。


「ミュトの生家は最下層にある小さな村であった。水を輸出する裕福な村であったのだが、崩落の危険性が指摘され廃村となった」


 水を輸出するという感覚がいまいち分からないキロだったが、地下世界で飲み水を得るには地下水脈を掘り当てるしかない。

 平面を歩き回って探せる地上とは異なり、地下世界では立体的に探す必要もあり、水脈に出会う確率は極めて低い。

 水脈があるというだけで、その地域は経済的に優位に立てる。

 フカフカはこんな事も知らんのか、という呆れ声で説明してくれるが、日本とは環境が違いすぎるのだから仕方ない。


「水の事などどうでもよい。ミュトの生家がある村の歴史は古く、喪失歴五千年の文献さえ出てくるほどの物だった」

「五千年って、この世界って一年は何日あるんだよ」

「三百日で一区切りとされておる。何の意味があるかはわからんが、慣例なのだろうな」


 地下世界では四季の移ろいが感じられないため、暦は日にちを定める以外の意味が形骸化しているらしい。

 ――田植えの季節、とか桜の季節、とか通じないのか。


「もう話の腰を折るでないぞ?」

「あぁ、悪かった。続けてくれ」


 度々本筋とは関係ない上に常識を問うような質問をされて、フカフカが不機嫌に鼻を鳴らす。

 キロの謝罪を受け入れ、フカフカが話を再開する。


「我はミュトが生まれた頃から村に出入りをしていたが」

「――お前何歳だよ」


 キロはついツッコミを入れ、フカフカに睨まれた。


「二十年生きておる。ミュトは十七歳だ。もう口を開くなよ?」

「あぁ、すまん」


 ――一年で六十五日の差が出てくるから、フカフカの実年齢は俺の一つ下くらいか。

 キロはざっと計算し直しつつ、フカフカの話に耳を傾ける。


「ミュトの住む家の裏手には美しい壁画があってな。広大にして奥行きのある青い天井に霧が固まったような白い物が浮いており、地面には濃い緑の草と花々が咲き誇り、信じられぬほど大きな木々が乱立する夢のような景色が描かれていた。だいぶ色褪せておったがな。事実、村の者は皆単なる絵と思っておったし、我らも地図師養成校に通うまでは夢だと思っておった」


 だが、地図師養成校の書庫深くに収められた古い資料に空についての記述があった。


「世界のあちこちで語り継がれる空という天井の話をまとめた物であったが、どれも驚くほど酷似している事が分かった。それでもなお、誰しもが夢物語だと思っておる。だが、我らは見てみたいと思ったのだ。あの絵に描かれた景色をこの目で、な」

「……空がどんなものか、聞きたいか?」

「必要ない。我らはこの目で見るのだから」


 フカフカの答えにキロは微笑んだ。

 おそらく、フカフカは無意識に言葉を選んだのだろう。だが〝我〟ではなく〝我ら〟とミュトと共に空を見る事を前提とした物言いをしている。

 今回の喧嘩も、したくてした訳ではないのだと再確認できて、キロは少しほっとした。

 その時、部屋の扉が叩かれた。


「皆でお昼を食べませんか?」


 扉の向こうから、クローナが誘う。

 ミュトの気配もする事から、説得が終わったのだとキロは悟った。


「いま行く」


 キロはフカフカを促して部屋を出た。



 この世界の人間にとっては極めて珍しい色素の濃い髪と瞳を有するキロとクローナに料理屋の客達からの視線が突き刺さる。

 しかし、キロ達の食卓を気まずい空気がつつんでいることに気付くと、客達も遠慮したのか目を逸らしていた。

 気まずい空気の元凶はミュトとフカフカにある。

 ミュトはサラダを小皿に取り分けてキロとクローナの前に置きながら、フカフカと言葉を交わす事を避けている。

 喧嘩を吹っ掛けたとはいえ正論をぶつけたフカフカからは声を掛ける事が出来ないでいるようだ。

 一向に改善が見えないミュトとフカフカの様子を見て、キロは隣に座るクローナの耳に顔を近づける。


「……なんて言って説得したんだ?」

「目の前の物さえ手から零れるのに空を見つけられるはずがないと……。空を見たい気持ちは本物みたいなので」


 小声のキロに同じく小声でクローナが返す。

 ――煽ったのか。効果はあったみたいだけど……。

 キロはさり気なくミュトを観察する。

 フカフカを気にしつつも声を掛けられずにいるミュトを見て、キロは内心でため息を吐いた。

 ――不器用すぎるだろ。

 キロもあまり人間関係の構築が器用ではないが、それでも不器用と断言できるほどミュトの対応はお粗末だった。


「……それで、これからどうするのだ?」


 痺れを切らしたフカフカが訊ねる。

 ミュトは困り顔をした後、助けを求めるようにクローナを見た。

 視線を受けたクローナだったが、代わりに答えるような事はせず、ただ勇気づけるように頷いた。

 ミュトは仕方なくフカフカに答える。


「クローナに言われて、守魔の調査を引き受ける事にした」


 ――おかしな言い回しだな。

 逃げ道を用意した答えを聞き、キロはフカフカに視線を向ける。


「……そうか」


 フカフカは何か言いたそうな間を開けたが、結局何も言わずに口を閉ざした。

 ミュトは逃げ道を用意した事を咎められなかった事にほっとしているようだった。

 ――さっきの言い回しだと、衝突を回避したというより自分の意見を言うのを避けたように聞こえるけど。

 キロは違和感を抱えつつ、食事を再開する。


「フカフカは何か食べないのか?」


 サラダやパンを食べるキロ達を眺めているだけのフカフカにキロは問う。

 フカフカは意味ありげにミュトに顔を向け、不機嫌に尻尾で机を叩いた。


「――いまは要らぬ。不味そうだからな」


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