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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第四話  ミュトの逃げ癖

 資料を確かめたミュトが地図を片手に建物の奥を目指す。

 キロ達はその後ろをついて歩くが、建物内のあちこちから視線を感じた。

 ――有名人だな、とか茶化すと不味いよなぁ。

 どうやら、ミュトの顔を知っている者は少ないようだが、灰色の瞳と尾光イタチの組み合わせで警戒されているらしい。


「尾光イタチって珍しいのか?」

「人と行動を共にする者は少ないぞ。何せ我らは貴様ら人間に協力してやっている立場だからな」


 偉そうに鼻を鳴らしてフカフカが答える。

 しかし、ミュトが呆れ交じりに口を挟んだ。


「尾光イタチは魔力食動物、つまり魔力を食べないと生きられない。人間とは魔力と光を交換する協力関係だから、どちらが上という事もないよ。でも、数が少ないのは事実」


 ミュトの言葉を聞き、クローナが向けられる視線を気にしながら口を開く。


「珍しい尾光イタチを連れているから、ミュトさんが個人特定されているわけですね」

「そういう事であるな。だが、この世話の焼ける娘を放っておけんのだ」


 一人娘を思う父親のような台詞を口にするフカフカに、ミュトがため息を吐く。


「よく言うよ。ボクの魔力が美味しいからついて来てるだけの癖に」


 フカフカが逃げるように自らの尻尾で顔を隠した。


「仕方なかろう。ミュトの魔力は病み付きになるのだ」

「……良い話風だったのに、台無しだな」


 キロとクローナが半眼を向けるが、フカフカは顔を隠したままだった。

 視線でフカフカをなじりつつ協会の奥に赴くと、石に刻まれた巨大な街の地図とその下に作られた受付カウンターがあった。

 灰色がかった石作りの机に向かう石製の椅子には動物の革らしきものが張ってある。

 受付に座るのはメガネを掛けたキツネ顔の若い女だ。

 複数の地図を纏める編纂作業中らしく、細長い机の上に所狭しと羊皮紙が並べられ、中央の石灰岩に何かを描いている。

 ――美大に行った奴が同じ事やってたな。リトグラフって言ったっけ。

 版画技法のひとつだが、木板が乏しいこの世界では石を使うリトグラフが一般的なのだろう。

 クローナは何をしているのか分からないらしく、しきりに首を傾げている。

 キロも説明できるほど詳しくはないので黙っておいた。

 絵の具や固着剤は受付の後ろにある作業台に置かれていた。

 受付の前に立つと、若い女はミュトを一瞥する。


「……なんでミュトが上層にいるのよ」


 若い女は石灰岩の板を持ち上げて作業台に移動させながら、はっきりと呟いた。

 侮蔑混じりのその声にキロはクローナと共に眉根を寄せる。

 ――ミュトの知り合いなのか?


「クローナ、いま食って掛かると逆効果だ」


 仲間思いのクローナが暴走しないよう、キロは釘を刺す。


「分かってますよ」


 クローナが頬を膨らませてそっぽを向いた。

 キロは取り繕うように愛想笑いを浮かべて受付の若い女を見る。

 聞き覚えのない言語を操るキロとクローナに怪訝な顔をした受付の若い女は、すぐに合点が入ったように嫌味な顔をしてミュトを見た。


「言葉が通じなければ騙せるってわけね。卑怯なミュト」


 キロでさえ不快感を覚える言葉だったが、言われたミュトは気にした様子もなく地図を差し出した。


「中層から上層まで間層を含めた地図」


 マフラー代わりのフカフカに顎を埋め、ミュトは声をくぐもらせて地図の説明をする。


「上層探索の認可を貰いに来た」

「あぁ、上層級昇格任務中って事ね。 それにしても随分早いけど、どんなズルしたの? 他の地図師から成果をパクった? その地図も本当にあんたが描いたか怪しいもんだわ」


 根拠もなく疑義を吹っ掛ける受付の若い女を止める者はいない。

 段々とキロも愛想笑いを浮かべていられなくなるが、怒りだしては相手の思うつぼだ、と感情を押さえつける。


「認可を」


 ミュトは淡々と繰り返す。

 面白くなさそうな顔で受付の若い女は腕を組み、ミュトを睨んだ。

 続いてキロとクローナを見たかと思うと、上から下まで不躾な視線で観察する。


「認可って言われてもさ。実力がない奴を上層で活動させるわけがないって、ミュトみたいな馬鹿でも分かるでしょう?」

「実力を証明するための昇格任務。達成もしてる」


 ミュトは地図を突き出すが、受付の若い女は地図を軽く手で払いのける。


「地図ぐらい最下層の駆け出し連中でも描けるわよ。わたしが言ってんのは戦闘能力よ、落ちこぼれ」


 受付の若い女は虫でも払うように手を振り、馬鹿にしたように笑う。


「ミュトの特殊魔力は知ってるよ? 確かに凄い防御力だわ。でも、攻撃力は皆無よね。後ろの魔法使い二人も若すぎて頼りないし、戦闘力が足りないから認可は出せないわ。はい、ネズミよろしく中層に戻って逃げ惑ってなさい」

「――小娘、いい加減にしろ」


 しわがれ声が若い女の言葉を遮る。

 声の主、フカフカがマフラーの擬態を解いてミュトの肩に移動した。


「先ほどから聞いておれば頭の悪い戯言ばかり並べおって、はっきり物を言う事も出来ぬほど語彙が少ないのか。お前の戯言を我が要約してやろう」


 心して聞け、とフカフカは鼻を鳴らし言い切る。


「相手の力量も分からぬ愚か者ゆえ、目利きの出来るまともな職員とお話ください、ほれ、言ってみるがよい。一度では覚えきれんか?」


 不機嫌に尻尾を揺らすフカフカの首根っこを、キロは後ろから掴む。


「そこまでだ。まとまる話もまとまらなくなるだろ」


 ――おかげですっきりしたけど。

 内心はおくびにも出さず、キロはフカフカをクローナに預ける。

 ついでにフカフカの首輪代わりにしていた腕輪を返してもらい、受付の若い女に向き直った。

 腕輪を差し出し、自分の腕に嵌っている腕輪と同じものである事を示す。


「……こんな腕輪をどうしろと」


 怪訝な顔をする受付が腕輪に触れた瞬間、キロは声を掛ける。


「気持ちよくストレス解消している所をうちの獣が邪魔してごめんね」


 にこやかに皮肉をぶつけたキロは、絶句している受付に続ける。


「正直、俺達も自分がどれくらいやれるのか分からなくてさ。腕試しがてら試験してもらえないかな。内容はそっちで決めていいよ。いやぁ、目利きの出来る優秀な受付さんを疑うわけじゃないんだけどね」


 皮肉を織り交ぜながら捲し立てたキロは、試験内容を問うように首を傾げる。

 キロは柄にもなく怒っていた。

 仲間同士の衝突を事前に察知していながら、それを解消しようとせずにグループを抜け、我関せずを決め込んでいたミュトは確かに悪い。

 だが、それはそれ、これはこれ、だ。


「独断と偏見で人の努力を笑うなよ」


 キロは受付に顔を近づけて小さく囁いた。

 受付の若い女はむっとした顔をして、キロとミュトを見比べる。


「分かったわ。ずいぶん自信があるようだから、お望み通り試してあげるわよ」


 挑発的に口元を歪めて、机の上から一枚の地図を取り上げる。


「一昨年に見つかった守魔が潜む広間の調査よ」


 ――守魔?

 用語が分からないキロはミュトにちらりと視線を向ける。

 ミュトの肩からキロの肩へ、フカフカが飛び移り、耳元で小さく説明する。


「村や町の建設が可能なほど広い洞を縄張りにする魔物の総称である。いずれも体が大きく、周辺に比肩する者のない強力な個体だ。この娘、条件を吹っ掛けてこちらが折れるのを待っておるぞ」


 ――そういう魂胆か。

 啖呵を切っておいて厳しい条件にしり込みしたとなれば、腕に自信がないと取られる。

 それを殊更に大きくあげつらって優位に立とうという腹だろう。


「……調査というのは、具体的に何を?」


 キロと同じく受付の態度が腹に据えかねていたクローナが、条件の詳細を訊ねる。

 ミュトが協会に入ってから初めて慌て、キロとクローナの袖を掴んだ。


「乗せられたらダメ。条件が悪すぎる。一度中層から昇格任務を受け直せば済む話だから、ここは折れて――」


 ミュトの提案をフカフカが頭突きして止めた。

 ミュトは茫然とした顔で、キロの肩に戻ったフカフカを見つめる。


「折れて、またここで追い返されるのか? 我は御免こうむるぞ。今までミュトの逃げ癖に目を瞑ってきたのは逃げるが上策だったからだ。だが、今回は違うであろう。この二人と協力すれば守魔の討伐は叶わずとも調査は可能だ」

「……だけど、危険だ」


 フカフカの説得を聞いても、ミュトはあくまで調査依頼を断るつもりのようだ。

 キロは肩に乗っているフカフカを横目で見る。

 ――わざと喧嘩せざるを得ない状況にしてるな。

 依頼にかこつけてミュトの逃げ癖を直してしまおうという算段らしい。

 だが、失敗するとキロにはわかった。

 付き合いが長いらしいフカフカに今後の展開が読めない筈がない事も、フカフカがキロとクローナに求める役割も、おおよそ見当がついた。


「それに、この依頼を受けなくてもフカフカには願いを叶える方法がある」


 ミュトが感情を悟らせないよう僅かに顔を俯かせながら、普段通りの口調に〝似せて〟声を出し、ただ事実を述べる。

 キロが想像した通りの表情、口調、そして言葉だ。

 続く言葉も、また、キロの想像通りだった。


「フカフカがボク以外の地図師と組んで上層も、最上層も、未踏破層だって登ればいい。尾光イタチは引く手数多だから、何も難しい事はないよ。ボクは一人で中層からやり直す」


 脅しではなく、本気で言っている事はミュトの瞳を見ればわかる。

 受付の若い女との軋轢からも、養成校時代、あるいはそれ以前からの長い付き合いがあるフカフカとの考えの違いからも、ミュトは逃げようとしている。

 筋金入りの逃げ癖だった。

 ミュトの死角で、フカフカの尻尾がキロの背中を叩く。バトンタッチという意味だろう。

 キロは事前説明なしで振られた役割を全うすべく、フカフカとミュトの間に片手を割り込ませる。


「そこまでだ。とりあえず意志の統一ができるまで依頼は保留、今日は宿でもとって話し合おう」

「……ボクはもう中層に向かうよ。ここに居ても仕方がないから」


 すでに結論は出ているとばかりに、ミュトはキロとフカフカに背を向ける。

 しかし、ミュトの行く手をクローナが塞いだ。


「今までがどうだったのかは知りませんけど、今回は逃げたら一生悔やむと思いますよ?」


 顔だけで優しく笑ったクローナは、逃がす気はないとばかりにミュトの腕を強く掴んだ。

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