第四十八話 旅立ちの前に
隣のベッドに誰もいない部屋で、キロは朝日に眼を細めた。
誰かにおはようと言わないで起き出す朝はこの世界に来てからは初めてだと思い至り、キロはため息を吐く。
鬱々とした気分をはぎ取るように毛布を退けて、キロは重たい肩を回した。
忘れ物がないかを確認しようと部屋の中を見回すと、机の上にクローナの髪飾りを見つけた。
モザイクガラスの複雑な模様を眺めて、キロはどうしたものかと頭を掻く。
昨夜の一件もあり、クローナと顔を合わせるのは気まずい。
しかし、クローナが大事にしている品だというのは知っている。
――まったく、なんで置き忘れてるんだよ……。
キロはモザイクガラスがあしらわれた髪飾りを手に取り、部屋を出た。
一階に下りてカウンターにいた若旦那に声を掛ける。
「俺と一緒に泊まっていた女の子が探し物をしに来るかもしれません。司祭様に預けてあると伝言を頼めますか?」
腕輪を貸して頼むと、若旦那は快く請け負ってくれた。
感謝を伝えて、キロは宿を引き払う。
――これも返さないといけないな。
腕輪を見て、キロはひとまず冒険者をやめるべくギルドへ足を向けた。
ギルドに入ると受付の男性が腕を組んで渋い顔をしていた。
不機嫌さ全開の受付の男性に近付く者は依頼に来た一般人はもちろん荒事慣れしている冒険者にさえいないようで、彼の前にだけぽっかりと無人スペースが出来ていた。
扉を潜ったキロをぎろりと睨んだ受付の男性は、無言で手招きする。
キロが受付に近付くと、受付の男性は開口一番に言う。
「痴話喧嘩で冒険者をやめる気ですか?」
成り行きを窺っていた冒険者達が受付の男性の言葉にざわつく。
キロは口元を引きつらせつつも、口調だけは冷静に言い返す。
「クローナを見て痴話喧嘩と判断したんでしょうけど、冒険者をやめる理由は別ですよ」
「痴話喧嘩をした事については否定しないんですね」
「個人的には喧嘩とさえ呼べないと思いますけどね」
キロはため息交じりに言い返す。
受付の男性は疲れたように眉の間を揉んだ。
「なんで面倒事を増やすんですか。いつのまにかあなた達の面倒は私が見る暗黙の了解ができている始末ですよ」
背もたれの上に肘を掛けながら、受付の男性が愚痴る。
――冒険者ごとに受付が決まってるわけじゃなかったのか。
いつも同じ受付としか話していなかったため、キロはいまさら事実を知る。
しかし、もう意味のない事だ。
「クローナからお金を預かっているはずです。冒険者を廃業するので差し引いて渡してください」
「……出来ません」
受付の男性が小さく、しかしはっきりと言い切った。
上目使いにキロを睨みながら、受付の男性は口を開く。
「ギルド上層部にあなたを上位陣の冒険者として指定してもらえるよう申請を出しています。少なくとも結果が出るまで、あなたは冒険者をやめられません」
――傭兵への転職をできなくするアレか。
都市同盟の共有戦力である冒険者の内、実力者を手元において戦力を確保しておく方法である。
この世界に来た初日、教会の掃除をしている時にクローナから聞かされた事だ。
キロは、自分には関係ないと高を括っていたのだが。
「……それってつまり、人材流出を防ぐために飼殺すための規定ですよね。俺なんか指定されないと思いすけど」
「そんなもの、やってみないと分かりません」
「……あんた、申請が通らないと分かっててやっただろ?」
「どうとでも言ってください。私は仕事をしているだけです」
白々しく言い切って、受付の男性はクローナから預かったという金が入った革袋を差し出した。
「そういうわけですので、今後も冒険者をやっていくだろうキロさんに全額お渡しします。なお、都市同盟の外へ行く事はできませんので、ご了承ください」
「まるで指名手配犯みたいな扱いですね」
「ご高名な冒険者であるキロさんにご滞在頂き、一市民として嬉しく思います」
キロの皮肉にもにこやかに切り返し、睨み合いの末、受付の男性はため息を吐く。
「強引な手だというのは分かっていますよ。しかし、クローナさんまで冒険者をやめると言い出すし、そうでなくてもキロさんはもう駆け出しとは呼べない立派な冒険者です。簡単に辞められたら困るんですよ」
「……ちょっと待ってください。クローナも冒険者をやめる?」
キロが聞き返すと、受付の男性はいかにも深刻そうに頷いた。
「自分一人では続けていけないから、と。なんとか引き留めましたけど、クローナさんの中では保留扱いになっただけで、キロさんが冒険者を廃業したら後に続くでしょうね」
――クローナの奴、ティーダの所に行ったんじゃなかったのかよ。
クローナの実力やティーダとの仲の良さなどを考えると、一緒に冒険者をやろうと持ちかけて断られたとは考えにくい。
ティーダに説得されたのだとしたら、冒険者をやめるとは言い出さないだろう。再びキロとの話し合いの場を設けるはずだ。
腑に落ちないながらも、キロは受付の男性から金を受け取る。
「都市同盟の外には出ませんけど、俺との連絡は取れなくなるものと思ってください。里帰りするので」
「里はどちらです?」
「隠れ里なんですよ」
キロの言葉を嫌がらせと取ったのか、受付の男性は眼を細めて睨んでくる。
キロは肩を竦め、はぐらかした。
「それじゃ、さようなら」
キロは鞄の中にお金を入れ、ギルドを後にする。
朝食を取っていなかった事を思いだして、キロは教会への道を適当にぶらつく。
この世界で食べる食事も最後だが、考えてみれば文字が読めないためメニューが分からない。
最後の最後で不味い飯を食う羽目になると癪に障るので、キロは朝食を諦めた。
教会への道を歩きながら、空を見上げる。
高く澄んだ青空だ。東京の色の薄い空とは違う、綺麗な色だった。
「この世界の方がいいと思うんだけどなぁ……」
奨学金の返済予定を思い出しながら、キロは呟いた。
道の先に教会が見えてくると、キロは深呼吸して気を引き締める。
「こんにちは」
礼拝堂の窓ガラスを拭いている司祭を見つけて、キロは手を振った。
司祭はキロを振り返り、笑顔を浮かべる。
しかし、すぐに周囲を見回して首を傾げた。
「クローナの姿が見えないが、どうかしたのかな?」
「少々喧嘩をしまして……司祭には詳しい事情を話しておこうと思い、訪ねました。掃除を手伝いましょうか?」
「いや、もう終わるところだから大丈夫だよ。中に入りなさい。お茶を入れよう」
招かれるままにキロは教会の居住スペースへと入る。
食堂の椅子はキロ達が出て行った時そのままの配置だった。
住んでいる間に定位置になりつつあった席にキロは座り、お湯を沸かす司祭に経緯を話す。
司祭はときおり相槌を挟みながら、静かに聞いてくれた。
「――というわけです。それと、これはクローナが出て行った部屋に忘れていた髪飾りです」
「預かろう。しかし、何というか……」
司祭はキロからモザイクガラスの髪飾りを受け取りながら、苦笑を禁じえない様子で頬を掻く。
しばし、言葉を選んでいた司祭は苦笑したまま口を開く。
「キロ君は気負い過ぎだと思うね。選択に伴う責任は選んだ者だけが負うべき物だという事を分かっていないようだ」
「いえ、責任感がどうという話ではないんです。俺は単に自分が悪者になりたくないだけで」
「クローナを諦めさせようとして自己嫌悪に陥っている君がかい? 君はクローナが素直になれない事を見越して質問したというが、それ以前にクローナの感情を逆手にとる行為だと気付いていたはずだろう。自己嫌悪に陥る事も事前に理解した上で、君はそれでも質問した。何故だい?」
「向こうの世界にクローナが付いて来たらきっと密入国者扱いで捕まるからです……」
「それはクローナの選択した結果だろう。事前に考えていた危険に襲われる可能性も、事前に考えていなかった危険に襲われる可能性も、選択する際に全部飲み込むべきものだ。こんな事になるなんて思わなかった、などという言葉は、考えなかった選択者が悪い」
「ば、ばっさり切りますね……」
とはいえ、司祭の言う言葉に一理あるとキロは思う。
だが、キロにも選択する権利があるのだ。
「クローナを連れて行く事を選んだら、俺にも責任が生じると思うんですけど」
「クローナの身の安全の全てを保証する事が責任だと思うのなら、それが気負い過ぎというものだ」
司祭は沸騰したお湯で茶を入れる。適温に冷ます等の工夫はしないらしい。
キロの前にお茶が入った陶器のコップを置き、司祭は苦笑交じりに口を開いた。
「クローナは大騒ぎになると聞かされても君と一緒に行きたいと言ったんだろう? 大騒ぎになった時の危険性も考慮しているという事だよ。まぁ、理屈は置いておいて、単刀直入に訊こうか」
司祭は一口お茶を飲み、コップを片手にしたままキロに問いかけた。
「君はクローナと一緒にいるのが嫌かい?」
「いえ、クローナと一緒にいるのは楽しいですし、遠慮なく付き合える数少ない――」
キロが質問に答えている途中で、司祭はキロの前にあったコップを持ち上げる。
直後、キロは後ろから勢いよく抱き着かれた。
あまりの勢いに、キロは机に両手を突き、反動を殺す。司祭がコップを没収したのはこれが原因かと思う間もなく、耳元ではっきりとクローナの声が聞こえた。
「押しかけ女房上等という事で、キロさんの世界に連れて行ってくれるまで離しませんから」
驚いて振り返ると、キロの肩に顎を載せるようにしてクローナが微笑んでいる。
「どうしてここに……」
「何のために大事な髪飾りを置いてきたと思ってるんですか? 責任論は理解しましたよね? 言質も取りましたし、これで心置きなく私はキロさんについて行けます!」
「言質って、まさかさっきの質問……?」
キロが司祭に視線を移すと、苦笑交じりに肩を竦められた。
「もう瀬戸際の優しさではないと理解しているが、最後かもしれないんだ。ちょっと甘やかすくらい構わないだろう?」
――やられた……。
大事な髪飾りを置いておけば、キロが司祭の元に来るだろうと予想していたのだろう。
狙い通りノコノコやってきたキロに真意を聞き出す企みに司祭が乗ったという事だ。
「もしギルドに髪飾りを預けてたらどうするつもりだったんだよ」
「受け取り拒否してもらえるように頼んでおきました。キロさんが髪飾りを持って宿を出たかどうかもティーダさんやゼンドルさんに確認してもらいましたし、カルロさんにキロさんが遺物潜りを発動しないよう尾行してもらってました。皆さん、どうぞ入ってきてください」
クローナが食堂の入り口に声を掛けると、受付の男性にティーダとゼンドルやカルロ、何故か阿吽の姿まである。
「キロさんがカルロさんに止められても遺物潜りを使いそうな時には止めてもらうよう頼んでました。流石のキロさんでも三人がかりなら抑えられる、と思うので……多分」
「なんで自信なさそうなんだよ。失礼だろうが」
キロはクローナにデコピンを見舞い、嘆息する。
随分と大事になったものだ、とキロは食堂の面々を見回す。
ティーダがキロとクローナを見てにやにやしていた。
「素直になれなかった私は最低です、とか泣きながらやってきた時はどうなるかと思ったけど、まぁ丸く収まったんじゃないの?」
「素直に気持ちを伝えてキロに拒絶されるのが怖い、だっけか。乙女だよなぁ、ティーダと大違い――ぐふっ」
余計なことを口走ったゼンドルがティーダに肘打ちされて横腹を押さえた。
ゼンドル達の言葉が事実か、クローナに確認しようとしたキロは首を押さえられた。
「さぁ、キロさん、遺物潜りを発動してください。ついて行くので、何があろうと」
「……時々、クローナの行動力が恐ろしくなるよ」
半分ストーカーじゃないか、とキロは嘆息する。
降参とばかりに、キロはあらかじめ書いてあった遺物潜りの魔法陣を鞄から取り出した。
――ここまでされたんだ。腹くくるか。
「なぁ、クローナ、キスしないか?」
「え……今なんて――」
聞き返そうとしたクローナの唇を素早く奪い、キロは椅子から立ち上がる、
そして、赤い顔のまま呆然としているクローナを放っておいて、何事もなかったかのように遺物潜りの準備を始めた。
何のことはない、キロは覚悟を決める儀式と共に、クローナに小さな復讐をしたのだった。




