第四十五話 殺人者
キロは反射的に戦闘態勢を取りそうになる体を押さえつけ、周囲に視線を巡らせる。
この場にいるのは窃盗組織の人間に加えて一般客、カルロ達を含めた総勢五十名。
窃盗組織やカルロ達はともかく、一般客がいる場での戦闘は避けたいところだ。
――正体がばれたのは俺とクローナのみ、カルロさんにゼンドル、ティーダの三人はまだ紛れ込んでる。
今回の依頼の目的は窃盗組織の人間の捕縛と情報を聞き出す事だ。
究極的には、依頼に参加したキロ達五人の内、たった一人でも紛れ込んでいられれば目的の達成は可能である。
つまり、今キロ達に出来る事は素早くこの場を離脱し、仲間がぼろを出さずに済むようにする事。
――だけど、シールズを野放しにしておくのは危険すぎる。
シールズの特殊魔力は汎用性が高く、初見では対応が難しい能力だ。
なにより、窃盗組織の人間ごと空間転移されては元も子もない。
紳士風の男がキロとクローナへ視線を向け、正体を見破ろうとするように目を細める。
「前衛にしてはどちらも細い……魔法使いか。あんたら、この場で暴れようなんて思ってないだろうな?」
紳士の言葉は、客を巻き込む荒事を避けたい本心の表れだった。
キロ達が一般客に被害が出ないように立ち回る確信があるのだろう、紳士風の男には余裕がある。
「シールズ、ここでその二人を捕まえろ。大事の前だからな、破綻の芽は確実に摘んでおきたい。お前ら、早々に撤収準備に掛かれ。ギルドの連中が乗り込んでくるかもしれん」
紳士風の男はシールズをキロ達へけしかけつつ、周囲の仲間に指示を飛ばす。
状況について行けずにきょとんとしている一般客の中をシールズが悠然と歩いてくる。
「会いに来てくれたところ悪いんだけど、僕は仕事中なんだ。キロ君は欲しいけれど、準備が整うまで大人しく待っていてほしいな」
シールズの言葉の真意に気付いたのは、キロとクローナだけだっただろう。
シールズはキロ達にさっさと逃げろと言っているのだ。
キロが大事な素材であるがゆえに、ここで捕まえて窃盗組織の手に渡したくはないのだろう。
キロはクローナと視線を交わし、頷きあう。
直後、キロはクローナと共に動作魔力を使って後方へ逃れた。
紳士風の男が舌打ちと共にシールズへ視線を向ける。
「わざと逃がしたな? まぁいい、撤収を手伝え。魔法を使える奴はさっきの二人を捕まえて来い」
撤収のために力仕事を任せられる者を残し、他の者にはキロ達を追わせる指示を出し、紳士風の男はシールズを別段咎めもしない。
それどころか、気安くシールズの肩を叩いて倉庫へ足を向けた。
「お前は使える奴だ。多少のわがままは目をつむってやるが、相談くらいはしろ」
――信じないけど用いる上司か。あれも厄介そうだな。
離脱間際に聞こえた紳士風の男の言葉に、キロは警戒を強めた。
客の輪を抜け、キロ達はギルドに向かって走り出す。
肩越しに振り返れば十人の男達が後を追いかけてきていた。中には照明係をしていた二人の男も含まれている。
「キロさん、大通りは避けないとダメです」
時刻は昼過ぎ、通りには町の住人が多数、出歩いている事だろう。
オークションの客ではない一般人に、後ろの男達がどこまで配慮するかはわからない。
キロは並走するクローナを横目に見て、口を開く。
「裏通りを使ってギルドに駆け込めるか?」
「一切誰ともすれ違わずに、なんて無茶な条件でなければ、行けるかもしれませんね!」
自分で言った皮肉に苦笑するクローナにつられて、キロも口端を吊り上げる。
ギルドに駆け込めない以上、逃げ続けても魔力の使いすぎにより戦わずして戦闘不能になるだけだ。
後ろから追いかけてくる十人の男は曲がりなりにも魔法使い、魔力総量ではキロと同等以上と考えられる。
――せめて、開けた場所さえあれば。
風を切り、狭い路地を縫うように駆け抜けながら、キロは町の地理を思い浮かべる。
開けた場所と言えば、広場か訓練場になるだろう。
しかし、どちらも人通りの多い道に面しているため使う事は出来ない。
「キロさん、後ろ!」
クローナの声にキロは振り返る。
照明係をしていた魔法使い二人が石弾を準備している所だった。
走りながら準備している石弾は歪だったが、ありったけの魔力を込めて放つつもりらしく、直径一メートル近い大きさがある。
――殺す気かよ!
そういえば、生きて捕えろとは言ってなかったよな、と頭の中の冷静な部分は振り返るが、今は放たれた石弾の対処が先だった。
路地の幅いっぱいになるように考えて作られた石弾は避けられそうにない。
仮に避けたとしても民家に被害が出るだろう。
思案するキロより先にクローナが動く。
「頭を下げてください」
率先して重心を落としながら、クローナは石壁を斜めに生み出した。
飛来する歪な石弾はクローナの壁にあたり、いなされるように上空へ飛びあがる。
キロは飛んで行った石弾を見送って、ひらめく。
――開けた場所、見っけ。
「クローナ、屋根の上に行くぞ!」
キロは足場になるよう石の階段を作り、駆けあがる。
魔力を使い果たしてうずくまる照明係たちを置き去りに、八人の男が次の攻撃を仕掛けようとするが、キロが屋根の上に着地する方が早い。
キロは振り返りながら魔力で水を生み出す。
キロに遅れてクローナが屋根に上がった事を確認すると、キロは生み出した水を勢いよく追手に向けて放った。
嫌がらせのような攻撃を片手で顔を庇いながら凌ぐ追手に対し、キロは背を向けて再び駆け出す。
しかし、今度は進行方向が限定される路地とは違い、屋根に飛び移りさえすればいくらでも道を短縮できる。
距離が離れるにしたがって、追手は諦めたのか、速度を緩め始めていた。
そろそろギルドに向かおうかと考え始めた時だった。
屋根から屋根に飛び移り、両足を付けてバランスを取った瞬間、轟音と共に地面が揺れる。
「なんだ⁉」
追手の攻撃かと思い、振り返ったキロが見たものは――
屋根が吹き飛び天高く火柱を挙げている、オークション会場の倉庫だった。
追手達も呆気にとられ、倉庫を眺めながら大口を開けている。
「……あらあら、旦那さんったら派手好きなんですから」
不意に、場違いなほどのんびりとした声が聞こえてきて、キロは振り返る。
屋根の上に、口に手を当ててクスクスと笑う女がいた。
動きにくそうな正装に身を包んでいるにもかかわらず、水が流れるように優雅な足運びで屋根の上を歩いてくる。
「オークションの司会?」
キロの呟きが聞こえたのか、女はニコリと笑い、恭しく腰を折る。
「キアラと申します」
正装の女、キアラはキロとクローナを交互に見て、残念そうな吐息を漏らす。
「冒険者になられたんですね。残念です。羊飼いを続けていればここで殺されることもなかったでしょうに」
「……なに?」
愛用している羊飼いの杖をギルドに預けているクローナを一目見て、元羊飼いだと看破したのかと思いキロは眉を寄せる。
キアラはふと思い出したように、防壁の外の森を指差す。
「わたくし、あちらの森にごみを転がしておいた者です。キロさん、とおっしゃいましたか、あなたが突然降ってきた時には見逃しましたけど、こんな事ならあの時、首を掻っ切っておけばよかったですね」
晴れやかな笑顔のまま、淀みなく言ってのけたキアラの言葉を聞いて、キロは全身に怖気が走った。
「まさか、窃盗組織を追っていた冒険者を殺したのって」
「はい、わたくしです。あの頃はそうでもなかったのですが、最近は冒険者という人種が大嫌いでして、あなた方もゴミに変えて差し上げようかと思い、はせ参じた次第です」
笑顔のまま毒を吐き、キアラが路地の魔法使い達を見る。
「会場に三人、冒険者が紛れていました。もう片付いている頃でしょう。あなた達はこのまま町に紛れ込み、ほとぼりが冷めたら外に出なさい」
魔法使い達はキアラの言葉に異論をはさむ事もなく、素直に路地を抜けて通りの方へ走って行く。
まるで、猛獣の前から我先にと逃げ出す小動物のようだった。
「もしかして、組織のお偉いさんだったりするのか?」
逃げ出した魔法使い達から意識を外し、キロはキアラに声を掛ける。
キアラは笑顔のまま両腕で自らを抱いた。
「あぁ、気持ち悪いですね。気色悪い趣味のシールズと同じ冒険者、心の底から言わせてもらいましょう。話しかけないでください、気持ち悪いので」
辛辣に言葉を連ねるキアラにクローナが食って掛かる。
「あんなのと一緒にしないでほしいです。シールズさんはそれはもう気持ち悪い趣味の持ち主ですし、弁護の余地はありませんけど、私達はまともです!」
「女装男とその相方なのに? 冗談でしょう?」
「……っく」
キアラの言葉にクローナが悔しそうに俯いた。
「言い負かされんなよ」
「オークション開始以来、女装キロさんに違和感が無くなっていた自分の順応性の高さに絶望しました」
クローナは本心から言っているらしく、しばしの間俯いていたが、それでも、と言葉を繋いで顔を挙げた。
「シールズさんみたいな純正の変態じゃないです! キロさんは仕事上仕方なくやってるだけですから」
「あら、そうなの? 確かにシールズみたいな極端な変態がごろごろしてるわけもないですよね」
「お前ら、シールズの悪口言いたいだけだろ……」
キロもシールズが嫌いだが、罵倒合戦に参加する気はなかった。
キロは魔法使い達が走り去った方向にちらりと視線をやり、キアラに向き直る。
「お仲間の避難も済んだみたいだから、時間稼ぎは終わりだろ。どうするんだ?」
「あら、察しが良いんですね」
キアラは笑い、ギルドの方角を見る。
「旦那さんには仲間の回収だけでよいと言われてますから、ここで失礼させていただきましょう」
そう言って、キアラはとんっ、と軽い調子で足元の屋根を蹴る。
キロは遠ざかるキアラに声を掛ける。
「森で殺した冒険者、最後の言葉はなんだった?」
音もなく路地に着地したキアラはニコリと笑って、手を振った。
「死にたくない、と」
キアラが答えた直後、魔法による砂煙が姿を覆った。
攻撃を警戒して、キロはクローナと共に身構える。
案の定、行きがけの駄賃とばかりに投げナイフが飛んできた。
――四方八方から。
「おいおい⁉」
ナイフの柄の下部に取り付けられた鉄線により円を描いて飛んでくる投げナイフは上、ななめ下、左右から襲いかかる。
動作魔力で軌道を制御しているのだろう。
一目でわかるほど高度な魔力の運用法だ。
「クローナは上下を頼む!」
キロは指示を出しながら、左右に土の壁を生じさせる。
幸い、投げナイフに込められた魔力は多くないようで、威力は低く、土壁を壊せるほどではない。
クローナが上下一帯に外側へ湾曲した土壁を作り出して投げナイフを受け止めた。
ほっとしたのも束の間、クローナの土壁が爆ぜた。
石弾を叩き込まれたのだと認識するより早く、キロはクローナの袖を思い切り手前に引き倒す。
掠めるように、風切音を伴って先の鋭い石弾が空へと打ちあがった。
「あら、残念……」
上品な声が聞こえ、キロは路地に目を向ける。
しかし、そこにキアラの姿はすでになく、路地には地下水道へ通じる穴が口を開けていた。
――翻訳の腕輪といい、準備のいい事で。
キロが地下水道の入り口を屋根から見下ろしていると、クローナに腕を掴まれた。
「早く倉庫に行かないとティーダさん達が――」
「落ち着け。ギルドの応援と合流する方が先だ。情報を持ってるのは俺達だけなんだからな」
――あのキアラって女も危ないし。
クローナを押し留め、キロはギルドへ足を向けた。




