第四十話 革手袋の持ち主
――余程の衝撃だったんだな。
真っ赤な顔を俯かせて隣を歩くクローナを横目に、キロは他人事のように考えた。
カッカラを出てから半日以上、クローナはずっとこの調子だ。
運悪く辻馬車は近くの村までしかなかったため、今は徒歩で司祭の住む町へ向かっている。
辻馬車の中でもクローナは真っ赤な顔で俯き、キロに声を掛けられるたびに挙動不審になっていた。
それというのも、カッカラを出発する直前、つまりは今朝、クローナが目を覚ました場所が問題だった。
キロが寝ているベッドの上だったのだ。
結局、昨夜は寝るまで酔いがさめなかったクローナが、キロが寝入った後にベッドへ潜り込んだらしい。
酔いに加えて眠気と昨夜の冷え込みが重なって、猫よろしく温もりを求めたのだろう。
今朝のキロが起きた理由からして、クローナに毛布をはぎ取られた寒気からだった。
自分だけ毛布にくるまり、キロの肩のあたりを枕にしてすやすや眠っているクローナを見て、キロはとりあえずベッドから蹴落とそうかと考えた。
昨夜の送別会が長引いたため、キロは眠かったのだ。
キロが低血圧ゆえのだるい身体を動かして自らの肩を救出した時、支えを失った頭が落下した軽い衝撃でクローナは目を覚ましたらしい。
肩を救出するために現場、クローナの顔のあたりを眺めていたキロと正面から目があって、クローナは見る見るうちに朱くなっていった。
酔ってからの記憶は辛うじて忘れていなかったらしく、何事もなかった事をクローナ自身も分かっているようだ。
しかし、同じベッドで目を覚ましたという事実だけで頭がいっぱいになってしまったらしい。
「クローナ、そろそろ司祭のいる町に着くけど、その赤い顔で通りを歩くのか?」
キロが声を掛けると、クローナは無言で首を振った。
阿吽の冒険者にでも出会えば十中八九、からかわれるとキロも分かっている。
「少し遠回りするから、頭切り替えろ」
「……ま、周りは人気のない森ですけど」
「なぜ、人気がない事を強調したかは聞かないでおいてやるよ。俺とクローナが初めて会った場所にちょっと用があるんだ」
「お、思い出の場所ですか?」
「本格的にどうかしてるな」
キロは呆れるが、クローナは心外だと言わんばかりに頬を膨らませる。
「なんでキロさんはあんなことがあったのに平気なんですか? 理不尽じゃあないですか!」
理不尽なのはクローナの怒りの方だったが、キロは無視して話を戻す。
「結論から話すと、俺がこの世界に来た方法が遺物潜りだった可能性があるんだ。それを確かめに行く」
と、キロは切り出して、この世界に来た経緯をクローナに話す。
バイトから養護施設へ向かう途中、丈夫そうな革手袋が片方だけ落ちているのを見つけた事、革手袋を拾おうとして自分にそっくりな何者かに黒い長方形の空間へ突き飛ばされた事、目が覚めたら森の中にいた事などだ。
自分そっくりの何者かに言われた、救ってくれという言葉については迷った上で伝える事にした。
クローナに話す事でタイムパラドクスが起こり、何か、もしくは何者かが救われるのならよし、救われないとしても気をつける事に変わりはない。
クローナも重要な話だと気付いたのか、顔から段々と赤みが引いていく。
真剣な顔で話を聞き終えたクローナが森へ足を向ける。
「よく分かりませんけど、とりあえずその革手袋を見つければいいんですね」
すっかり赤みが引いた顔で、クローナが先導して森を歩き出す。
初めからこうすればよかったと思いつつ、キロはクローナの後に続いた。
キロはクローナの隣に並び、周囲に気を配る。
いつもは依頼のために入っている森とは町を挟んだ反対側にある森だが、キロには違いがよく分からない。
相変わらず、まるで自宅の庭を行くようにすいすいと進むクローナがキロを横目に見て口を開いた。
「革手袋が遺物潜りの媒介になるとしたら、持ち主は亡くなっているはずです。キロさんがこの世界に来てかなり時間が経ってますから、魔物や動物に荒らされている可能性もありますね」
「あまり見たくはないけど、死体を確認する必要はありそうだよな」
遺物潜りの媒体であるかを確認するには持ち主の死体が存在するかを調べるのが手っ取り早い。
キロは暗鬱なため息を吐くが、必要な事だと自分に言い聞かせ、重い足を動かした。
「一度遺物潜りを発動した遺品でも、検査魔法に引っかかるといいんだけど」
遺物潜りの媒体として使えるかどうかを調べる検査魔法を思い出す。
遺物潜り同様、アンムナにしっかり教わった魔法だ。
複雑すぎて好んで描きたくはない魔法陣が頭の中にこびりついている。
「着きましたよ」
「結構近かったな」
キロは来た道を振り返るが、街道は影も形もなかった。
この世界に来たばかりの頃から冒険者稼業で身体が鍛えられたため、歩く速度も速くなっていただけだと気付き、キロは喜ぶべきかどうか複雑な思いを抱いた。
見覚えのある古木を見つけ、キロは歩み寄る。
――ここからクローナが顔を出したんだったな。
感慨深く木の幹に手を当て、キロは周囲を見回した。
「……見当たりませんね」
同じように辺りを見回していたクローナが首を傾げる。
「もしかしたら、キロさんのいた世界に残っているのかもしれませんね」
「もしそうなら革手袋に宿った願いを成就させる事も出来ないのか」
もし、キロが遺物潜りで異世界にやってきたのなら、媒体である革手袋に宿っている願いを成就させれば、元の世界への帰還の道が開く。
期待を裏切られてキロは落胆するが、まだ諦めるには早いと考え直す。
「周辺を捜索しよう。革手袋の持ち主の死体や遺品から何か手がかりが見つかるかもしれない。それに、俺が見たのは革手袋の片方だけだった」
キロはおぼろげながら革手袋の形も覚えている。
持ち主が片方の手袋だけをはめている状態であれば、記憶と照らし合わせる事が出来る。
キロの意見にクローナが頷き、魔物の襲撃を警戒しながら捜索を開始した。
日が傾き始め、暗くなる前に切り上げて明日にまた来ようかと提案しかけた頃、キロは一本の木の根元に転がる骨を見つけた。
「クローナ、こっちに来てくれ。骨がある」
骨一本からどんな生き物かを特定できる観察眼や知識がないキロはクローナを呼ぶ。
流石のクローナも分からなかったようで首を傾げた。
「風化してはいませんね。不自然に削れている部分がありますから、魔物か動物に食い荒らされたんだと思います」
クローナの分析を聞いて、キロは周囲の茂みを掻き分け始める。
すぐに別の骨を見つけた。
「頭蓋骨だな」
素人目に見ても人間の骨だと分かる部位が転がっていた。
壊れた装備品が転がっている所から察するに、魔物か何かに襲われた冒険者だろう。
キロは黙祷を捧げた後、遺体を調べる。
完全に白骨化しているため、覚悟したほどの生々しさはない。
「この革手袋、たぶん同じデザインだ。しかも片方だけか」
遺体が右手にはめている革手袋はキロが元の世界で拾おうとしたものと似ていた。
少し古ぼけた男物の革手袋だ。
キロは周囲を見回す。キロがこの世界で目覚めた場所が目視できる範囲にある。
すぐそばに死体が転がっていた事実に、キロはぞっとした。
――この冒険者を殺した何かがすぐそばに居たって事かよ。
よく襲われなかったものだ。キロは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
――そういえば、ここに来てすぐ、走り出したんだよな……。
その時に革手袋を蹴り飛ばしたのかもしれないと思い、キロは適当に藪の中を探す。
根元ではなく、藪の中に入り込んでいるのではないかと思ったのだ。
「よし、あった」
キロは藪の中に革手袋を見つけ、腕を伸ばして拾い上げる。
クローナがキロの手元を覗き込み、首を傾げた。
「こうしてみると普通の革手袋ですね」
「遺品の見分けなんかそう簡単につかないさ。血も付いていないからな」
もし血が付いていれば、キロも元の世界で拾おうなどとは思わなかっただろう。
――あとはこれが遺物潜りの媒体に使えるかを確かめて、願いを叶えれば帰れる。
ようやく帰還のめどが付き、キロは口元を綻ばせた。
それにしても、とキロは空を仰ぐ。
――あいつが〝救いたかった何か〟は結局、クローナだったのか?
確かに、シールズとの戦いでは一歩間違えれば死んでいたが、キロは意識して何かを行った記憶がない。
キロがこの世界に来る事も含めてこの世界の未来が決まっているのなら、キロが意識して何かをしないとタイムパラドクスは起こらず〝救いたかった何か〟も助からないのではないか。
この世界にキロが突き飛ばされた瞬間に運命が変わったのかもしれないとは思う。
キロは掌底で突き飛ばされてこの世界にやってきたが、救えなかったキロにそっくりな誰かは蹴り飛ばされてきたのかもしれない。
そんな些細な差から、例えば革手袋の冒険者を殺した何かにクローナが殺されたと考える事も出来る。
そして、助けられなかった事を悔やんで遺物潜りを使ってまでタイムパラドクスを起こした。
話として筋が通っている気はする。
――けど、どうにも腑に落ちないんだよな。
キロの性格からして、見ず知らずの女性が死んだとしても助けようとはしないだろう。
自分には関係ない、そう切って捨てるはずだ。
――俺を庇って死んだ、とかか?
想像してみるが、悔やみこそしてもタイムパラドクスを起こそうと考えるかはわからなかった。
あれこれ考えていても埒が明かない、とキロは冒険者の亡骸に向き直って一礼し、悪いとは思いつつ革手袋を鞄に入れる。
「後は冒険者カードだけど」
死亡確認がスムーズに進む、と冒険者になった際にギルドで受付の男性に言われた言葉を思い出す。
「鞄の中にありました」
すでに調べ終えていたらしく、クローナが亡くなった冒険者の鞄を片手に答えた。
用事を済ませたキロ達は司祭のいる町へと足を向けた。




