第三話 冒険者と魔法講義
教会の礼拝堂を掃除しながら、キロはため息を吐いた。
当面の寝床と食事は確保できたが、一文無しである事に変わりはない。
冒険者をやるにしても、まさか丸腰というわけにはいかない。
「私が無理を言ったのだから、初期費用くらいは出そう」
床を箒で掃きながら、司祭がそう言ってくれる。
「ありがとうございます」
――世話になりっぱなしだな。
キロは早くひとり立ちできるよう、心の中で神様に祈っておいた。
「それにしても、キロ君は武器もなしにどこから旅をしてきたんだね?」
不思議そうに訊ねてくる司祭から目を逸らし、キロはクローナを見た。
クローナは視線がぶつかると、何も言わずにキロを見つめた。
キロの判断に任せるという意思表示だろう。
「……色々ありまして」
キロは言葉を濁して司祭に背中を向け、それ以上は聞かないでくれと無言で懇願した。
司祭も深く訊ねるつもりはなかったらしく、ふむ、と一つ頷くだけで済ませた。
司祭は礼拝堂をぐるりと見回すと、口を開く。
「夕食の準備をしたいから、後は任せるよ」
そう言って、司祭は礼拝堂を出て行った。
司祭を見送ったキロは掃除を再開しながら、クローナに話しかける。
「俺は戦いの心得がないから、あまり当てにしないでくれ」
「最初はみんなそうですよ。いくら冒険者でも、最初は戦闘が想定される依頼を受けられません」
「そうなのか?」
意外な答えを聞いて、キロは思わず問い返す。
それでも掃除の手は止まっていない。施設や高校の寮生活で培われた手際の良さをいかんなく発揮していた。
「そもそも、冒険者は都市同盟が共同管理する兵力です。死亡率が極端に高かったり依頼達成率が低かったりすると、あの都市は冒険者を管理できていない、と陰口を叩かれ、罰則を受けてしまいます」
憧れているだけあって、クローナは饒舌に冒険者を取り巻く状況を話してくれた。
それによれば、冒険者とは都市国家群が管理する兵力として、普段は魔物を討伐したり、行商人の護衛を行うという。
これとは別に都市国家が各々で管理する騎士団が存在しており、こちらはもっぱら都市防衛を仕事にし、普段は治安維持にあたるそうだ。
一都市国家に所属する戦力である騎士団では人数が足りなかったために、都市国家を行き来できる遊撃部隊的な冒険者が台頭を始めたのだろう。
キロは冒険者と傭兵は何が違うのかと思ったが、傭兵は世界規模で通用する職業で、冒険者は都市国家群に所属する戦力として他国からは見られているとクローナは教えてくれた。
存外、複雑な事情があるらしい。
冒険者の位置づけが、都市国家群が共同管理する戦力である事から、高い損耗率を出した都市は罰則を受けてしまう。
罰則を受けないよう、新人の冒険者には戦闘を極力避けさせる方針なのだ。
「よほど上位の冒険者であれば別ですけど、冒険者自体は一定額をギルドに納める事でいつでも辞める事が出来ます。元冒険者という肩書は一定の質を保証するので、傭兵に転職する方もいるそうですよ」
退職金を貰うのではなく、払うのかと、キロは少し笑ってしまう。
転職による人材流出を防ぐための規則なのかもしれない。
キロは掃き掃除を終え、集めた塵を取る。
「それでも結局、いつかは戦う事になるんだろ? 武器の類はどうすればいい?」
キロは脱線していた話を軌道修正した。
クローナは顎に手を当てて少し考えた後、口を開く。
「キロさんに魔法の素養がどれくらいあるかによると思います。後で試してみましょう」
魔法ときいて、キロの手が一瞬止まった。
すぐに何食わぬ顔で塵取りを再開する。よくよく見れば、口元がにやけている。
――魔法、魔法か。
キロの様子にクローナが気付かぬうちに掃除は終わり、夕食前の時間を使ってキロとクローナは教会の裏手に出た。
羊と鶏が喚き散らしているが、キロは気にも留めない。
まずは実演するというクローナが羊を入れていない柵の中に手をかざした。
「では、水球の魔法を使います」
言った傍から、クローナがかざした手の正面に拳大の水の塊が出現した。
キロは目を輝かせる。
呪文の類は必要ないらしく、クローナは水の塊を押し出すように手を動かした。
すると、水球は柵の中に向かって飛んでいき、少しずつ速度を落としたかと思うと芝生に着弾した。
そして、何故か着弾地点を凍りつかせた。
「あ、また……」
「また?」
キロがおうむ返しに続きを促すと、クローナは気まずそうに視線を逸らせた。
「なんで凍ったの?」
「……えっと」
「水球の魔法って、相手を凍らせるものなのか?」
「……うるさいですね。失敗したんですよ!」
ねちねちと問い詰めるキロに嫌気が差したのか、クローナは両耳を塞いで首を振った。
「まぁ、そうじゃないかと思ったけどさ。こういう失敗ってよくあるのか?」
キロはクローナを弄る事をやめて、真面目に質問する。
クローナは両耳から手を離し、少しすねたような顔で答えた。
「普通の人は、こんな形で失敗はしません。私は大量に特殊魔力を持っているので、変な作用をして稀にこうなります。後は熱くない火球とか、ボロボロ崩れる石壁とか……」
失敗談を悔しそうに話しながら、クローナは両手の人差し指を突き合わせ、唇を尖らせた。
すねた仕草がちょっと可愛いな、とキロは思ったが、それより気になる言葉があった。
「特殊魔力ってなんだ?」
失敗談を穿り返す気だと勘違いしたのか、クローナはジトッとした目で睨んでくる。
キロの表情から他意はないと判断したのか、やがて説明を再開した。
「魔力は二つに大別されるんです。誰でも持っていて変化させる事ができる普遍魔力と、限られた人が持っていて普遍魔力では再現できない能力を持っている代わりに変化させられない特殊魔力です」
特殊魔力の能力は本人にもわからない事が多く、クローナも自身の特殊魔力の能力については詳しく知らないらしい。
普遍魔力では回復魔法が使用できないため、治癒の特殊魔力持ちは一生食うに困らないなど、能力によっては利用価値が高いそうだ。
残念な事に、クローナの特殊魔力が回復魔法でない事は確からしい。
クローナは説明する内に機嫌を直したのか、キロに魔法を使うよう指示してきた。
「とりあえず、私みたいに水球の魔法をお願いします。何回放てるかで魔力の多寡が分かるので」
「お願いしますと言われても、やり方が全く想像つかないんだが」
キロが言い返すと、クローナは呆れたようにため息を吐いた。
「まず、普遍魔力を集めて、それを動作魔力と現象魔力に分けて――」
「まてまて、初っ端から意味不明だから。動作? 現象?」
こいつ実はバカなんじゃないの、と言いたげな視線を向けてくるクローナを、キロは睨み返す。
――表情を作るのが上手いって、絶対ウソだろ。
クローナの態度がだんだんとあからさまになってきているのは、打ち解けたと解釈すべきか、舐められていると解釈すべきか。
「現象魔力は水や火を生み出す魔力で、動作魔力はそれを動かす魔力です。同じ魔力の量でも、現象魔力が多ければ規模や威力が上がって、動作魔力が多ければ速度や飛距離が伸びます」
「なるほど、動作魔力って運動エネルギーの事か」
――魔力で代わりができるのか。
他にも応用できそうだなと考えつつ、キロはクローナに普遍魔力の集め方から教わった。
ようやく水球の魔法を発動できるようになった頃、司祭が夕食に呼び来たため、素養を図るまでに至らなかった。
教会の奥にある居住スペースに置かれた机に料理が並べられていた。
使われずに仕舞い込まれていた椅子を納屋から引っ張り出してきたキロは、机の大きさに目を見張る。
教会の規模に不釣り合いなほど大きかったのだ。
「お偉方や旅の信者がやってくる事があるから、教会には少し大きめの机が用意されているんだよ」
司祭が優しそうにまなじりを下げ、説明した。
納得して、キロは席に着く。
机には小さなパンと豆のスープ、薄く切った生ハムが置かれていた。
居候なので贅沢は言えない。キロは大人しくパンを千切った。
「明日はギルドに行くのかい?」
司祭がパンをスープに浸しながら、クローナに問いかける。
生ハムを大事そうに齧っていたクローナが慌てて顔を上げ、頷いた。
司祭が苦笑して、懐から革袋を取り出した。
「なら、武器も買うだろう。今の内にこれを渡しておくよ」
革袋を受け取ったクローナが、中を見て目を丸くする。
キロが横から覗き込んでみると、中には銀貨が数枚とかなりの枚数の銅貨が入っていた。
キロにはいまいち価値が分からないが、大金なのだろう。
司祭がニコニコとほほ笑む。
「初期資金は大事だよ。それに、クローナには後任の羊飼いに周辺の情報を教えて貰わないといけない。その手付金と思えばいい」
クローナが付けているという業務日誌を読めば周辺の情報とやらもわかるのではないかとキロは思ったが、野暮な事は言うまいと口を閉ざした。
クローナはしばらく悩んでいたが、やがて司祭に頭を下げ、大事そうに革袋をしまった。
そして、クローナは急いで食事を再開する。
――生き急いでるなぁ。
キロは苦笑しながら、さっさと料理を平らげた。
クローナは司祭の好意を無駄にしないためにも、ギルドに入るための準備を今日中に済ませてしまうつもりだろう。
案の定、パンの最後の一欠けを口に含んだ瞬間、キロはクローナに袖を引っ張られ、無理やり立たされた。
そのままずるずると裏手へ引っ張られてしまう。
「司祭、夕食を馳走様でした」
引っ立てられながらキロが感謝の言葉を述べると、司祭は苦笑交じりに手を振った。
「頑張ってきなさい」
ばたん、と裏口が閉まる。
「さぁ、キロさん、水球を撃ってみてください。連続で、ですよ」
「はいはい」
張り切っているクローナに苦笑しつつ、キロは羊のいない柵の中へ手を向ける。
この際だから、と現象魔力と動作魔力の比率を変えて、威力の違いを確かめながら打ち続ける。
二十発ほど撃った頃だろうか、キロは普遍魔力を集められなくなった。
「魔力切れみたいだ」
「……気分は悪くないですか?」
クローナが小首を傾げながら聞いてくる。
キロは軽くストレッチして胸焼けなどがないかを確かめた。
「いつも通りだな」
「キロさん、特殊魔力持ちですよ。しかも結構な量を持ってそうです」
クローナは困ったように告げた。
言われてみれば、普遍魔力ではない別の魔力があるのをキロは感じた。
クローナは水球の魔法が着弾した柵の中に入っていく。
キロが後ろからついていくと、クローナは周りの様子を確かめて腕を組んだ。
「特に変化はないですね。特殊魔力だけを外に出せますか?」
「割と簡単に」
キロは言いながら手のひらを誰もいない空間に向けた。
目には見えない魔力の塊が手の前に浮かぶ。
「魔力単体で何か起こるわけではないみたいですね。私と同じで正体不明で……これでキロさんは私を笑えませんね!」
やーいやーい、と囃し立ててくるクローナを無視して、キロは特殊魔力を振り回してみるが、何も起こらない。
正体を突き止めるのはまた後日と割り切って、キロはクローナに視線を向けた。
「結局、俺には魔法の素養があるのか?」
「普通の人よりはあると思いますよ。水球十発で気絶する人もいるそうですから。ちなみに、普遍魔力を使い切っても気絶しないのは特殊魔力があるからです」
「気絶って、そういう物騒な事は先に言ってくれよ」
「大丈夫ですよ。森の中じゃないですし、よほど鈍感でない限りは気分が悪くなったところでやめます。気絶するまで全力疾走するくらい根性がありますか?」
そういう問題じゃないとキロは思うが、この世界の住人にとっては魔力切れによる体調変化が運動過多の症状と同じくらいの常識なのだろう。
キロは文句を言うのを諦めて、実利的な話に戻す。
「普通よりはあるって話なら、向いてるとも言えないんだな」
「魔法はあくまでも補助にした方がいいと思います。やっぱり、武器を買わないとだめですね」
クローナは腕を組んであれこれと考えているようだった。
「とりあえず、今日のところは魔法の練習をしましょう。私が実演しますから、魔力が回復したら真似してください」
もうすっかり日も落ちているのだが、クローナは明かりの魔法を使い始める。
明日にはあこがれの冒険者になれるからか、眠気などまるで感じていないらしい。
キロはバイト疲れの残る体で一晩中クローナに付き合わされるのだった。




