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複数世界のキロ  作者: 氷純
第一章 クローナの世界

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第二十九話  新たな失踪者

 アンムナの奥義を練習したり、遺物潜りの魔法陣の書き取りをするうちにすっかり夜も更けていた。

 書き取りに悪戦苦闘するキロ達から視線を逸らしたアンムナが、窓の外を見て口を開く。


「夕食……もう夜食かな。うちで食べていくかい?」

「いえ、宿の食堂で奢ってもらう約束をしているので、遠慮しておきます」


 キロが答えると、アンムナはキッチンに視線を移し、悩むような素振りをした。


「奢ってもらうって、誰に?」


 さほど興味はなさそうに、アンムナが訊いてくる。

 キロはアンムナの考えている事がなんとなくわかった気がした。

 元の世界では高校を卒業した後、一人暮らしをしていた。キロは一人暮らしの経験から、調理の面倒さを知っている。

 おそらくはアンムナもそうなのだろう。

 ただ外で食べる言い訳が欲しいだけなのだ。


「シールズさんと宿の娘さんの賭けに付き合わされまして、そのお詫びに」


 キロが簡単に経緯を話すと、アンムナの眉がピクリと動き、面白い話を聞いたとばかりに笑みを浮かべる。


「弟子達の食事会か。師匠としては気になるね」

「一緒に食べますか?」


 アンムナに期待するような流し目を送られて、キロとクローナは苦笑しながら食事に誘う。


「では、一緒に食べるとしよう。アシュリーには悪いけれど」


 リビング中央に置かれたアシュリーを労わるように見た後、アンムナは財布を取ってくると言って部屋を出て行った。

 弟子に奢らせる気はないらしい。

 今日の修業は終わりとなり、キロとクローナは練習した魔法陣の束をまとめる。

 回を追うごとに上手に描けるようになっているが、アンムナの設定した合格点は何も見ずに一から魔法陣を完成させる事だ。

 元々が複雑な図であるだけに、少し手が滑ると失敗してしまう。失敗に気付かず魔法陣を使用しないよう完全に暗記しろ、とキロ達はアンムナに釘を刺されていた。

 アンムナが用意してくれていた紅茶を飲み、キロは一休みする。

 ――地下にもリビングにも、物的証拠はないんだよなぁ。

 さりげなくリビングを見回した後、キロは瞼を閉ざして外の情報を遮断する。

 ――アンムナさんが白と断言はできないけど、証拠がない以上は悪魔の証明だ。

 また一から容疑者を絞り込もう、と今後の方針を決めてキロは瞼を開いた。

 クローナが額に片手を当てて天井を見上げている。細い喉と白い鎖骨が無防備に晒されていた。

 キロは慌てて目を逸らしたが、視線を上に向けていたクローナが気付くはずはないと思い至る。

 かといって、凝視する勇気はなかった。


「知恵熱が……」


 天井を仰いだまま、クローナが呻く。

 自称楽しませるくらいにはある胸が体の反りに合わせて強調されていた。

 キロは目のやり場に困って、部屋を見回しながら視線の避難場所を探す。

 すると、扉の側で財布を片手にニヤニヤしているアンムナと目が合った。


「キロ君もちゃんと男の子じゃないか」


 一部始終を盗み見ていたらしい。

 何のことかわからずに首を傾げているクローナの手前、アンムナに反論しても墓穴を掘るだけだ。

 墓守の家で墓穴を掘り、地中の死者達に囲まれて笑いものにされるくらいなら、ここは口を閉ざしているべきだろう。

 せめてもの抵抗に睨んでみるが、アンムナは堪えた様子もない。


「さぁ、行こうか」


 率先して玄関に向かうアンムナは、小物入れの上に置いてあったやかんをすれ違いざまに持ち上げ、玄関横の靴箱の上に置いた。

 やかんは正式にガーデニンググッズとしての道を歩き始めるようだ。

 やかんを複雑な表情で見つめるキロに、クローナが口を開く。


「きっと、火炙りにされるよりマシですよ」

「そういう見方もあるか」


 新たな視点で見たやかんは、刑場から救い出され明日への希望に光輝いて見える。もちろん、金属光沢のなせる業だ。

 アンムナの家を出ると、墓場へ続く道や墓場の中にランプを持った人影がちらほらと見えた。

 アンムナは一瞬眉を顰めたが、人影の正体が分かると今度は不思議そうな顔でキロを振り返る。


「騎士団がうろついているのは失踪事件の捜査だと思うけれど、失踪者の他殺体でも見つかったのかい?」


 事故死でも自殺でもなく、他殺の可能性を真っ先に出してきたアンムナに、キロはどきりとした。

 キロはそっとアンムナの表情を窺う。


「なんで死体が見つかった事が前提なんですか?」

「なんでって、この辺りには隠れられる場所はないから、失踪者だって寄り付かないよ。自殺の可能性も考えたけれど、それなら以前の捜索で死体が見つかるだろう? わざわざ調べ直すなんて、死体が埋められたかもしれないから、程度の理由しか思いつかないね」


 肩を竦めて、アンムナが推理を披露する。

 説得力もあり、キロは納得した。


「俺達も騎士団がここにいる理由は分かりません。失踪者が何らかの形で見つかったという話も聞いてません。単なる巡回だと思いますよ」

「巡回にしては数が多いけれど……。まぁ、良いか。留守にするなら、家の周りに人がいるのはむしろありがたい」

「警備員じゃないんだから」

「治安を守るのが彼らの仕事、何の問題もないよ」


 キロは突っ込みを入れるが、アンムナにさらりと切り返されてしまう。

 言ってる事は極めて正論なため、キロも言い返せない。何より、カッカラに税金を払っていないキロがとやかく口を挟む事ではない。

 クスクスと笑う声が聞こえて横を見れば、クローナがキロとアンムナのやり取りに笑っていた。

 このまま続けても笑いを提供し続ける事になるだろう。


「そういえば、キロ君達に教えたあの奥義、シールズは結局会得できなかったんだよ」

「シールズさんが?」


 問い返したのはクローナだ。

 たった一人で大量の魔物を狩ってきたり、複数台の馬車を動作魔力で動かしたりする、魔法使いとしてはかなりの腕を持つだろうシールズが会得できなかった。

 魔法使いとしてクローナが興味を持つのは当然だった。

 アンムナはまるで夜空に当時の光景が広がっているかのように、顔を上に向ける。


「今でも巧妙に隠しているようだけれどね。シールズ君は多分、特殊魔力持ちだよ」


 キロはクローナと顔を見合わせる。

 キロ達もまた、特殊魔力の持ち主だ。シールズが特殊魔力のせいで奥義を会得できなかったのなら、キロ達にも適性がない可能性が出てくる。


「……どうして、シールズさんが特殊魔力持ちだと分かったんですか?」


 クローナが訪ねると、アンムナは左の人差し指と親指で輪を作って見せる。


「僕の奥義は円状に張った動作魔力を外側に拡散させ、円の中心を通るように垂直方向の動作魔力を同時に発動させる。上下左右にぴんと張った布に杭を打ち込むような感覚だね。シールズは特殊魔力が混じった場合に紙がどこかに飛んだり、裂けるんだ」


 ――特殊魔力での失敗の仕方もいろいろあるんだな。

 クローナは凍る水球や脆い土壁といった形で失敗するが、シールズの失敗は物体の動きという形で現れるらしい。


「特殊魔力持ちは大変だよね。使い方さえ思いつけば人に出来ない事が出来るんだけど。悪臭を発する特殊魔力なんて面白い物を聞いた事があるけれど、強力な魔物に縄張りを移させるのに活躍してた」


 思い出し笑いをしながら、アンムナは気楽に言う。

 話をしている内に宿の近くまでやってきていた。

 宿の前には心配そうな顔で通りを見回すエプロン姿の宿の主がいた。

 帰りが遅いキロ達を心配して待っていてくれたのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。


「――どうかしたんですか?」


 クローナが声を掛けると、宿の主は固い生地で出来ているエプロンが翻るほど勢いよく振り返る。


「お前さんら、うちの娘を見なかったか?」


 勢いに任せて詰め寄ってくる宿の主に驚いて、クローナが後退る。キロが宿の主との間に割って入ると、クローナはほっとした顔をした。

 宿の主も自身の失態に気付き、申し訳なさそうに頭を下げる。

 しかし、娘の事が気がかりなのか、すぐに顔を挙げて質問の答えを聞きたがった。


「アンムナさんと一緒に墓場からここまで来ましたけど、見てませんね。何時頃から姿が見えないんですか?」


 連続失踪事件が起きている真っ最中だ。娘の姿が長時間見えないのでは不安にもなるだろう。

 キロもクローナと共に真剣な顔つきとなり、宿の主から詳しい話を聞く。

 それによれば、キロ達の編みかごを厨房にいた宿の主に渡した後、食材の買い出しに出かけたきり戻らないという。


「昼過ぎからって……騎士団への届けは?」

「日が暮れるちょっと前に出した。俺も探しに行きたいんだが、娘が帰ってきた時に誰もいないと困る、と騎士団に止められちまって……」


 そわそわと通りの向こうを窺いながら、宿の主は腕を組む。

 ――日暮れ前……騎士団をよく見かけた理由はそれか。


「クローナ、俺達も探そう。奢ってもらうどころじゃないからな」


 宿の娘とは何度か言葉を交わした。名前も聞いてはいないが、自分には関係ない、と割り切れはしない。

 何より、とキロは思う。

 ――約束をすっぽかすとは思えない。

 確かに、奢り、とだけ聞けば一見宿の娘に不利な約束に思えるが、彼女自身が他の料理で利益を出すと息巻いていたのだ。

 失踪する動機がないどころか、帰ってくる理由がある。

 キロはクローナを促す。もともと捜索に加わるつもりだったらしいクローナは即座に頷いた。


「私達も探してきます。食事をおごってもらう約束をしているので、シールズさんに伝言を頼めますか?」


 クローナが宿の主に心当たりを聞いている内に、キロはアンムナを振り返る。

 何かを思案するように難しい顔を俯かせていたアンムナは、キロの視線に気付いて顔を上げる。


「アンムナさん、食事は今度という事でお願いできますか?」

「こんな状況では、仕方がないね。僕も捜索に加わりたいから、特徴を教えて貰えるかな?」


 ――特徴、か。

 キロは宿の娘の姿を思い起こす。童顔ではあるが可もなく不可もなく、凡庸な作りだ。


「腕と足がスラリ長くて、泣きぼくろがあります。色っぽい感じの子で――」

「キロ君、今の発言は周りを見てからの方がいいと思うよ」


 苦笑いを浮かべるアンムナに注意され、キロは眉を寄せる。

 ――真面目な話をするのに、周りに注意する事なんて……。

 むしろ聞いてもらえれば捜索してくれる人が増えるかもしれないとさえ、キロは思った。

 だが、アンムナの指先に導かれるままに振り返って、キロは己の迂闊さを悟る。


「うちの娘が可愛いのも色っぽいのも認めるが、手を出したらどうなるか分かってるな?」


 宿の主が警戒するような目でキロを睨んでいた。

 娘が帰って来ないだけでも気が立っているのに、その娘に色目を向ける男が目の前にいれば神経を逆撫でされるだろう。

 慌ててクローナに救いを求めようとするが、彼女は不機嫌そうな顔でそっぽを向いていた。


「私には何もしない癖に……なんか、納得いかないです」


 ――クローナが気付かないだけで、ついさっきも目のやり場に困ったよ!

 抗議の言葉がのど元までせり上がってきたが、さらに収拾がつかなくなるだけだと、キロは無理やり飲み下した。

 アンムナが苦笑を浮かべたまま、キロ達へ声を掛ける。


「そこまでにしておいたらどうだい? 今はいなくなったその娘を見つけるのが先決だろう?」

「――その通りだね、アンムナさん」


 アンムナに答えた声は、キロの物でもなければ、クローナでもましてや宿の主の物でもなかった。

 アンムナのさらに後ろから聞こえてきたのだと、キロが方向を特定して振り返ろうとした時、宿や向かい家の屋根の上から複数の黒い影が通りに降り立ち、一斉に剣をアンムナに向けた。

 ――なんだ、こいつら⁉

 キロが槍を構えようとした時、黒い影の内の二人が地面を小さくえぐるほど強く踏み込み、キロに向けて飛び込んだ。

 その加速は明らかに動作魔力を使ったものだ。

 二つの黒い影はキロに向けて左右から同時に手を伸ばし、キロを捕えようとする。

 しかし、キロは黒い影達の手が服を掴んだ直後、槍の穂先を夜空に向け右足を軸に反転した。


「――ッ⁉」


 黒い影達が息を飲む微かな音が漏れた数瞬後に、キロは動作魔力を用いた高速回転で黒い影達を引きはがした。

 キロの唐突な回転に反応が遅れ、黒い影達は飛び掛かった力に遠心力を上乗せされて吹き飛び、地面を転がった。

 破れた服に構わず、キロはクローナを守れる位置に着く。

 そして、アンムナの後ろを見て眉を寄せた。


「あんた、騎士団の……?」


 アンムナの後ろには騎士団の詰め所で失踪事件の資料を見せてくれた初老の騎士が立っていた。

 初老の騎士はキロを見て目を丸くしていたが、転がった黒い服の騎士に視線を移す。


「夜闇に紛れて接近するための服だったのだが、一目で騎士とわからないのが玉に瑕でね。とはいえ、この者達は騎士の卵ではなくひよっこだから、傷付いても割れる心配はないだろう」

「……騎士団がこんなところで何を?」


 初老の騎士の冗談に微妙な顔をしながら、キロは油断なく問う。

 クローナも杖を構えたものの騎士団の目的が分からず対応に困っているようだった。

 アンムナはと思い見てみれば、黒い服を着た騎士達に剣を突きつけられていた。五つの切っ先を突きつけられてもなお、アンムナは頬を掻きながら困ったように笑うだけで、緊張感の欠片もない。

 キロにさえ振り払われた新米騎士とは違い、アンムナを囲むのは一目でそれとわかる手練れだったが、小型犬に吠え付かれたような困り顔でアンムナが初老の騎士を振り返る。


「よく分からないけれど、もしかして僕は逮捕されるのかな?」

「日が落ちたばかりの頃、騎士団に垂れ込みがありましてね。アンムナさんの家にこの宿の娘が持っていた買い物かごがあった、と」


 初老の騎士は真剣な眼差しをアンムナに注ぎ、言葉を続ける。


「失礼とは思いましたが、さきほどあなたの家を窓から覗かせてもらいました。証言通り、リビングの小物入れの上に買い物かごがありましたよ」


 ――それはおかしい。

 キロは証言の矛盾に気付く。

 キロ達がアンムナと共にリビングを出る時、小物入れの上に唯一あったやかんをアンムナが玄関に持って行ったのだ。

 小物入れの上には何も置かれていない筈である。


「ちょっとま――」

「キロ君、待ちなさい」


 キロが抗議しようとすると、他ならぬアンムナから待ったが掛かった。

 アンムナはキロを見て、首を振る。


「ここで無実を訴えても意味はない。分かるだろう?」


 肩を竦めて、アンムナは飄々と告げた。


「――僕は嵌められたんだ」


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