第二十二話 ちょっと良い宿
キロとクローナはアンムナの家を辞し、宿を捜し歩いていた。
キロが遺物潜りを習いたいと申し出ると、アンムナは快諾してくれたが、実際に教えるのは明日からだと言われたのだ。
キロとしても、焦ったところで意味がないと分かっている。
――遺品、と言われてもなぁ。
遺物潜りの魔法を発動させるために必要な物は死者が何らかの念を残した品物だという。
遺品に残された念を頼りに、念が宿った直後の世界への扉を開く魔法なのだ。
しかし、キロに遺物潜りの情報をもたらした武器屋のカルロは失敗作だと言っていた。
アンムナに問えば、苦笑交じりに答えが返ってきた。
遺物潜りは同一世界間の移動、つまりは時間移動が出来ないのだ。
世界Aから世界Bへ行く事は出来ても、世界Aから世界Aの前日に行く事は出来ない。
この制約故に、アンムナは理論を完成させたものの実際に発動した経験がなかった。
この世界では別の世界から人や物がやってくる事例がいくつか報告されているが、別の世界の遺品が簡単に手に入るほど豊富に転がっているわけでもないからだ。
だが、キロは遺物潜りが理論だけの魔法ではないと考えていた。
――俺がこの世界に来る時に拾おうとしていた手袋も誰かの遺品だったんだろうな。
キロはこの世界へ、遺物潜りで送り込まれたのだと見当をつけていた。
だとすれば、キロをこの世界へ送り込んだあの男はやはり、自分だと考えるのがしっくりくる。
年齢がさほど開いているようにも見えなかったことから、元の世界へ帰還するための遺品は直に手に入る可能性が高いだろう。
――この世界を迂回して、遺物潜りを使った時間移動を起こした、って事なのか。
ややこしいな、とキロは頭を掻く。
「――キロさん、ここにしませんか?」
考えに耽っていたキロは、クローナに問われて面を上げる。
クローナが指差していた建物は、少し立派な作りをした食堂併設の宿だった。
高級とはとても言えないが、それでも値が張るだろう事は想像に難くない。
倹約家のクローナが提案したとは思えない宿に、キロは内心で首を傾げる。
「これだけ大きな街なんだから、もっと探せば素泊まりの宿が見つかるだろ。わざわざこんなところに泊まらなくても」
「キロさんの世界へ行く目途が付いたんですから、こんな時くらい贅沢しましょう」
明るい声で言ったクローナはキロの腕を取り、半ば強引に宿へ連れ込む。
財布の紐を握っているクローナが言い出した事なのだから、とキロは特に抵抗もしなかった。
まだ夕方にもならない早い時間だからか、カウンターに人の姿はない。
併設されている食堂で机を拭いていた娘が振り向いた。
童顔ながら、右目の下にある泣きぼくろがちょっとしたアクセントになって心にさざ波を立たせる色気がある。珍しいほどすらりと長く伸びた肢体も美しい。
娘はキロとクローナに気付き、慌てて厨房へ声をかけた。
「父ちゃん、お客さんが来たよ!」
「おう、いま行く」
厨房から野太い返事がしたかと思うと、やけにエプロンが似合う中年の男性が顔を覗かせた。
「いらっしゃい。今、食事の準備で手が離せないんだ。部屋は空いてるから、そこら辺の椅子へ適当に座って待っていてくれるか?」
中年男性の言葉に、食堂にいた娘がてきぱきと椅子を用意した。
「ほら、こっち座って。今なんか軽くつまめる物だすからさ。お酒は日が落ちてからだけど」
娘はわざわざ椅子を引いてキロ達が座りやすいようにする。
礼を言って、キロとクローナは椅子に腰かけた。
娘が厨房を振り返り、声を張り上げる。
「父ちゃん、何してんの! 早くから来てくれたお客さんなんだから、もてなしなよ!」
「うっせぇ、手が離せないって言ってんだろうが! お前がやれ、気がきかねぇな!」
荒っぽく言葉を交わした後、娘は営業スマイルでキロとクローナを見る。
「つかぬ事をお聞きしますけどお二人さん、一緒の部屋に泊まる?」
娘は片手で口元を隠しつつ、冗談めかして問う。
クローナがピクリと肩を跳ねさせた後、俯き加減で赤い顔を頷かせた。
クローナの返事に満足そうな顔をした娘は、ニコニコしながら厨房へ歩き出す。
厨房へ姿を消す直前、娘はキロを振り返り、親指を立てた。
――やっぱり、勘違いされてるな。
予想できた反応なので、キロは苦笑するにとどめた。
「本当に同じ部屋で良かったのか?」
「……今後の事でお話もありますから」
ぼそりと呟いて、クローナは上目使いにキロを見る。
なるほど、とキロは納得する。
この宿ならば壁は厚く、異世界がどうのという話をしても外に漏れる心配は少ないだろう。
クローナやアンムナのような理解ある人間ばかりではないのだ。秘密にしておくに越した事はない。
――今後の事か。
そう言われてキロが思い出すのは司祭の言葉だった。
クローナの口から直接聞かされたわけではないにしろ、司祭の言葉なら大きく間違ってはいないだろう。
では、問題となるのは自分だ、とキロは考える。
現代社会は突如として現れた人間には優しくできていないのだから。
「あの、いろいろと考えるのは部屋に案内されてからにしましょう」
キロが悩み始めた気配を感じ取って、クローナがストップをかける。
「そうだな」
あっさり頷くと、クローナはほっとしたように胸を撫で下ろした。
厨房への通路から娘が顔を出した。
「お客さん達、運がいいよ。足が速いからこんな時間でもなければ出せない料理なんだから」
はいどうぞ、と娘が料理の盛られた皿をテーブルに置く。
放射状に並べられた薄切り肉の真ん中にトマトのような黄色い野菜が置かれていた。
薄桃色の肉は一瞬生かと思ったが、フォークで持ち上げてみた感触から察するに火は通してあるらしい。
口へと運んでみれば舌の上でほどける肉の柔らかさが楽しめた。少々臭みがあるが、野菜を食べると甘い香りに紛れてすぐに分からなくなるほどのものだ。
「どうよ、料理への期待が高まったでしょう? それはサービスだからお金は取らないよ。はい、あれがメニュー」
壁にずらりと掲げられた料理名を指差して、娘は机の拭き掃除に戻った。
――さらっと無料にしてくれたけど、これかなり美味いんだが。
キロは皿へとフォークを伸ばしつつ、クローナを見る。
視線が合った。
「……取り合いにならないうちに、半分にしませんか?」
「そうした方が良さそうだ」
クローナの提案にすぐさま同意したキロは、皿に盛られた肉を二カ所に振り分ける。
後ろでクスクスと笑い声がして振り向けば、宿の娘がしてやったりといった笑みを浮かべていた。
まるで悔しさが浮かんでこない。むしろこの料理と出会わせてくれたことに感謝の念すら浮かんでくる。
「お客さん、昨日仕入れた美味しいチーズがあるんだ。柑橘系の果実の皮をペースト状にして練り込んだやつでね。サラダに混ぜてみたいなって前々から考えててさ。どう?」
キロは反射的にクローナを見る。再び視線が合い、同時に頷いた。
「サラダを一皿」
「はいよ、すぐ用意するね」
埃を立てずに軽快な足取りで厨房へ引っ込んだ娘の代わりに、エプロン姿の中年男性が出てきた。
カウンターから宿泊名簿を取り出すと、キロ達の前に置く。
「待たせちまって悪かったね。部屋一つ、ベッドはどうする?」
「二つで」
流石にここで誤解を招きたくはない、とキロとクローナは声を合わせて答えた。
間髪いれずに即答されて、エプロン中年はたじろぐが、すぐに気を取り直して名簿に部屋などを記入した。
カウンターから鍵を取ってきて、クローナとキロを見比べる。
「キロさん、鍵を受け取ってください」
「俺の肉を虎視眈々と狙う奴の前で、フォークは手放せない」
「ちっ」
一足先にサービスの肉を食べきっていたクローナは、キロに見透かされて舌打ちする。
料理を巡って牽制し合っていたと知ったエプロン中年は嬉しそうに笑った。
「娘の創作料理でね。肉に特製の下味をつけたりして、なかなかだろ?」
「――父ちゃん、お客さんと話す暇なんかないでしょ!」
木の皿にサラダを入れて運んできた娘に叱られて、エプロン中年はすごすごと厨房へ消えた。
運ばれてきたサラダもやはり、舌を楽しませてくれた。
日が落ちて、食堂が酒場の様相を呈してきた頃、キロとクローナは二階の客室へ上がった。
十畳ほどの広さの客室は余裕をもって家具が配置されている。むろん、ベッドも二つあった。
円机を挟んで二つ、編み椅子が置かれている。
キロ達は編み椅子に腰かけ、部屋に備え付けのコップに水差しから水を注いだ。
「――では、今後の事について話し合おうと思います」
おもむろに、クローナが切り出した。
「直近の課題としては、アンムナさんから遺物潜りを習う事、だな。クローナはどうする?」
「私も一緒に習いたいです。ただ、行方不明者の捜索がありますから……」
「それは俺も一緒に探すよ。だとすると、捜索を終えた後にアンムナさんのところへ行く事になるな」
結構ハードなスケジュールになりそうだ、とキロは内心ため息を吐く。
しかし、遺物潜りを習得できるまでの宿泊費などを考えれば、ギルドの依頼を受けないわけにはいかない。
どうせ依頼を受けるのならば、クローナを一人にするより一緒にいた方が良いとキロは思う。
パーンヤンクシュの騒動以来、心に決めていた事だ。
「キロさんも一緒に居てくれるなら心強いです。明日は朝一でギルドに行って、捜索依頼を終えた後でアンムナさんのところへ行きましょう。それで、遺物潜りを習い終えた後、ですけど」
クローナは言葉を切り、キロの荷物を見る。
「キロさんの世界の物をどうやって探すか、ですね」
「……そうだな」
他に決めるべき事があるが、キロはあえてクローナの話題に乗る。
決めるべきではあるが、いま決めなくてはいけないものでもない、とキロは自分に言い聞かせる。
たとえそれが問題の先送りにすぎないと分かっていても、キロはまだ自分がどうしたいのか決めかねていた。




