第三十五話 悪食の竜の異変
体を起こした悪食の竜が緩慢な動きでキロ達に顔を向ける。
キロ達を見る悪食の竜の瞳は、鬱陶しく視界を飛び回る羽虫に向けるような苛立たしげな光を宿していた。
悪食の竜が尻尾を大きく打ち振るう。それだけで何本もの大木が木端のように吹き飛んだ。
飛んでいく木々を気にせず、キロは槍を悪食の竜に向ける。
「隙を見て側面に回り込む。遅れるなよ」
クローナとミュトが頷きを返し、各々の武器を向けた時だった。
悪食の竜が四肢の爪を地面に食い込ませ、キロ達へ口を大きく開いた。
直後、悪食の竜の口の周りから急速に虚無の世界へ続く真っ黒な空間が形成され始める。
フカフカがすぐさま悪食の竜の狙いに気付き、声を張り上げた。
「空間を吸い込んでおる!」
大きく息を吸い込む要領で、周囲の空間ごとキロ達を吸い尽くすつもりらしい。
キロはクローナとミュトに場所を譲りつつ、あらかじめ決めておいた符丁を口にする。
「反転防御!」
即座に反応したミュトが悪食の竜との間に特殊魔力の壁を張る。
続けざまに、クローナが特殊魔力をミュトが作った壁に込め、空間を未来の状態に反転させた。
悪食の竜の口から広がった真っ黒な空間の侵食はミュトとクローナの特殊魔力で生み出された未来の壁に遮られて停滞する。
目の前の空間が見る見るうちに未来の姿を減らしていく。
「長くはもたないよ」
ミュトが壁を見て眉を寄せ、キロに指示を仰ぐ。
キロは左右を見回した。
「左側から回り込もう。クローナ、アンムナさん達に悪食の竜から距離を取るよう知らせてくれ」
「あの吸い込みに対抗できるのは私達だけですからね」
悪食の竜の吸い込み攻撃を食い止めるには、可能性を大量に保持した壁が必要になる。
現状、ミュトとクローナの特殊魔力を併用する以外に対処法が存在しないのだ。
クローナが合図の火球を打ち上げ、キロ達は悪食の竜の左側に回り込むべく走り出す。
キロ達よりも目の前の空間を吸い込む事を優先したのか、悪食の竜は顔をキロ達の動きに合わせて動かす事なく吸い込みを続けている。
虚無の世界へ続く空間を回り込み、悪食の竜への射線を確保したキロは奥義を発動して地面を大きく抉った。
奥義によって吹き上がった土くれや石を手に取り、キロは悪食の竜に狙いを定める。
「大口開けやがって。そんなに食いたいなら食わせてやるよ」
キロはナックルから引き出した特殊魔力で石や土塊を未来の姿にすると、悪食の竜が開けたままの口へ投げ込んだ。
未来の壁を吸い込みながら徐々に膨張を続けていた悪食の竜の口にキロが投げ込んだ土くれや石が入る。
クローナやミュトもキロに倣って石を拾っては竜の口に放り込んでいく。
悪食の竜が口を閉じる頃には、その体が二割増しになっていた。
あまりの巨大さにキロは頬の筋肉が引き攣るのを感じる。
「本当に、こいつはどこまで大きくなるんだ」
悪食の竜が顔を巡らせ、キロ達を見る。
緩慢な動作にもかかわらず、あまりに大きな頭であるため風切音が響いた。
まだいたのか、と言いたげな視線に何とも言えない気分になるものの、キロ達はゆっくりと後退した。また吸い込み攻撃をされてはたまらないからだ。
しかし、悪食の竜は首を持ち上げて周囲を見回すと、今度は地面に向けて口を大きく開く。
足元の地面を丸呑みした悪食の竜は、さらに周辺の地面を貪り食う。
悪食の竜の動きを観察していたフカフカが目を細める。
「腹に溜まる未来より、軽い食事として過去を選んだようであるな」
「おやつ感覚で食べられてもなぁ」
キロは足元から石ころを拾い上げ、悪食の竜の口を目掛けて投げつける。
しかし、悪食の竜はいきなり口を閉ざした。
行き場を失った石ころは悪食の竜の口元を飛び越えて真っ黒な空間へと吸い込まれて消えていく。虚無の世界へ移動したのだろう。
石ころが口に入るのをやり過ごした悪食の竜は再び地面を食べ始めた。
「意地でも未来は食べないつもりみたいですね」
「腹八分目にするつもりでなければ、そろそろ満腹が近いって事かな?」
クローナが眉を寄せて呟くと、ミュトが予想を口にした。
「随分早い気がするな」
「さっきはいつ終わるのか心配していたくせに」
ミュトに指摘されたキロは苦笑する。
キロを擁護するつもりでもないのだろうが、フカフカが口を開いた。
「元の許容量が分からぬ上に、散々未来を食わされたのだ。ここで限界が来ることもあるだろう。何より、早く終わるのならばその方が良かろう?」
悪食の竜の食害を受け、真っ黒な空間が点在する空や森を見回してフカフカが同意を求める。
それもそうだ、とキロは頷き、悪食の竜に視線を戻した。
「……地面を食いだしてから、大きさが変わらないように見えるんだけど」
「未来と違って軽食であるからな。あるいは、別腹かもしれん」
「恐ろしい事言わないでよ」
フカフカを窘めつつ、ミュトは親指を突き出して悪食の竜の大きさを図る。
眉を寄せて大きさを図っていたミュトは、ため息を吐いた。
「膨張の仕方がかなり緩やかになってる。いつ限界が来るのか分からないけど、放置していたら周囲一帯が食べられるかもしれないよ」
「早く倒さないといけない点は変わらないわけですね」
クローナが足元の石に視線を向け、困ったように首を傾げてため息を吐いた。
キロが投げた石を悪食の竜が食べなかったくらいだ。投げる者がキロからクローナに代わっても結果は同じだろう。
「直接たたき込むしかないな」
キロは槍を構え、悪食の竜に駆けだす。
悪食の竜による食害を受けた地面は真っ黒な空間が広がっているため、足場にはできない。
キロはクローナを肩越しに振り返り、視線で会話する。
クローナが杖をキロに向け、水の塊を生み出した。
「行きますよ!」
クローナが水の塊をキロに向かってうねらせる。
生み出された水流に、キロは石壁を乗せ、さらにその上に飛び乗った。
振り落とされないように身を屈め、石壁に手を付けたキロは空いた片手で槍を強く握る。
何度も悪食の竜に叩き付けたため、槍の未来は大部分が失われている。そろそろ限界を迎えるだろう。
消耗品扱いも頷ける寿命だが、それだけ酷使されているのだ。
キロは水流に乗って悪食の竜の背中に到着すると、動作魔力を使って槍を振るう。
槍を横に一閃した後、悪食の竜の背に着地したキロは、すぐにクローナ達の元へ戻るべく大きく踏み込んだ。
魔力食生物でもある悪食の竜の背に乗っているだけで、動作魔力が吸われていく。
槍を悪食の竜の背に突き刺し、棒高跳びの要領で跳び上がったキロは、足元に石壁を生み出して即座に蹴りつけた。
槍で二度切り付けられた悪食の竜が膨張する。
キロは手元の槍が完全に未来の姿を失ったことを確認し、動作魔力を込めて悪食の竜の背中へ投げつけた。
音もなく悪食の竜の背中に突き刺さった槍は、ゆっくりと倒れていく。
「完全に食われたな」
槍の穂先が真っ黒な空間になっているのを横目に見て、キロはクローナ達の近くに着地した。
その時、悪食の竜に変化があった。
唐突に地面を食べる事をやめ、全身を激しく揺すりながら翼を大きく広げたのだ。
何をするつもりかと警戒するキロ達の前で、悪食の竜の体が内部から淡く光り出す。
顔を空に向けた悪食の竜が大地を震わすような咆哮を上げる。
悪食の竜の異変を察して、アンムナ達が状況を確認したい旨の合図をあちこちで撃ちあげた。
クローナがキロに指示を仰ぐ目を向けてくる。
だが、キロは答える余裕もなかった。
悪食の竜の異変から、一つの可能性を導いたのだ。
「――もしかして、あいつここでビックバンを起こすつもりじゃないだろうな⁉」
当初、悪食の竜は限界まで可能性を蓄えた上で虚無の世界にてビックバンを起こし、新たな世界を創造すると、キロは考えていた。
悪食の竜は世界を食らい、真っ暗な空間、虚無の世界への扉を生み出す。
だからこそ、悪食の竜は本来、世界を食べ終えて周囲を虚無の世界に作り替えた上で寿命を迎え、新たな世界を創造する自然現象としての役目を果たせていた。
しかし、地下世界の人々が生贄を送り出すことで地下の食害を免れ、さらにキロ達が未来の可能性をたらふく食べさせてしまったがために帳尻が合わなくなった。
故に、悪食の竜はまだ世界の大部分が残っているこの段階で生物としての死を迎えようとしている。
「ビックバンって世界を作るっていう、あの……?」
ミュトが地下世界で聞いた知識を引っ張り出して首を傾げる。クローナ共々、事態の深刻さが分かっていないらしい。
しかし、フカフカはふむ、と鼻を鳴らして悪食の竜を見た。
「奴の体から魔力が勢いよく漏れ出しておる。世界を創造するほどの魔力であるならば、何が起こるか分からぬな」
「……かなり危ない状況って事ですか?」
深刻な危機が迫っている事に理解が及んだらしく、クローナが恐る恐るキロの顔を窺った。
「世界が吹き飛ぶかもしれないくらいには危険だな」
キロの言葉を聞いたクローナとミュトが顔を青ざめさせる。
キロは頭の中で警鐘が鳴り響いているのを自覚しながら、打開策を探すべく周囲を見回した。
真っ先に思い浮かぶ方法は一つ。
「今すぐアンムナさん達をここに集めよう」
キロは悪食の竜が食べた地面に開いた虚無の世界へ通じる空間を指差す。
「――みんなで協力して、悪食の竜を虚無の世界へ放り込む」




