第十九話 対人戦
――何の騒ぎだよ、これは。
早朝の訓練場には人だかりができていた。
ギルドで見かけた事のある顔ばかりである。
「申し訳ありません。口止めを忘れていました」
流石にこの事態は想定していなかったらしく、受付の男性は開口一番に謝った。
どうやら、あの若い冒険者二人が触れ回ったらしく、面白がった冒険者達が観戦しに集まったのだ。
たった一晩でよくここまで話が広まった物だと、キロはむしろ感心してしまう。
観戦者の中から阿吽の冒険者が手を振っていた。
キロとクローナが気付いて手を振り返すと、おもちゃで遊ぶ子供のような無邪気さが残る顔で歩いてくる。いい年をしたごつい男が浮かべるにはシュールな笑みだ。
「ついにこの日が来たな!」
「ノリノリですね」
「おうよ。あの教官のひん曲がった鼻を明かしてやれるんだ。キロ、鼻骨砕く勢いで暴れてやれよ」
「なんか微妙に限定的な暴れ方ですね」
試合に出るわけでもないのにずいぶんな意気込みだ。
クローナが言葉を返しつつ、苦笑する。
そもそも勝てるかどうかも分からないのに、とキロは思う。
たとえ負けても善戦したと認められるくらいがキロの目標だ。
「キロさん、防具つけておいてください」
クローナがキロに訓練用の防具を指差した。訓練用にもかかわらず、幾重にも皮を重ねた丈夫な物だ。
――あ、汗クセェ……。
すえたカビの臭いと汗の臭いが混然一体となった不快臭に、キロは思わず鼻を押さえた。
クローナはどうだろうと目を向けると、キロの反応に首を傾げている。
不意に肩を叩かれて目を向けると、阿吽の冒険者の片方、阿形が同情するような目を向けていた。
「女冒険者は少ないから、使用頻度の関係で女物の防具は臭わないんだ」
「ずる過ぎる」
予想外の男女格差に、キロは思わず呟いた。
「使用直後の女物の防具がなくなる事もあるそうだ」
「……うわぁ」
阿形からもたらされた知りたくない情報を記憶から抹消しつつ、キロは防具を着込む。
終わったら何を置いても体を洗いに行く事を決めた。
着てみると防具の丈夫さが再確認できた。
丈夫さと比例して重量もあるため、キロは動きにくい身体を動かしてみる。
動きにくさに不満を募らせるキロを見て、受付の男性が口を開く。
「殺す気でいかない限り、魔法や動作魔力を使用した攻撃を受けても大丈夫です」
これは安全策ですよ、と付け足す受付の男性に、キロは頷きを返した。
一番の不満は動きにくさではなく臭いだが、いまさら言っても仕方がない。
渡された武器は木製の訓練槍だったが、キロは少し長めの物に替えてもらった。
槍を構え動作魔力を使用せずに軽く振り、握りを確かめる。
クローナの武器はもともと木製の杖であるため、そのまま使用する事を許可されていた。
キロの素振りを眺めていたクローナが、口を開く。
「調子はどうですか?」
「柄が太くて握りが甘くなる。いつもより振る速度は遅くなりそうだ」
「いつもより多めに私が魔法で援護して、キロさんの隙を埋めればいいわけですね」
簡単な打ち合わせを済ませて、クローナが片手を握り、胸の前に掲げる。
「では、ボコボコにして目に物見せてやりましょう」
「クローナまで好戦的になるなよ」
キロはやる気満々のクローナを窘めるが、不服そうに睨まれた。
「キロさん、今回あの人たちと戦う事になった理由はわかってますか?」
「対人戦での実力を見るためだろ」
何をいまさら言い出すのかと、キロは怪訝に思う。
しかし、クローナは子供のようにむくれた。
「そう、実力を見るためです。見せる必要があるんです。私達はパーンヤンクシュだって倒したのに!」
我慢できなくなったように、クローナは声を大きくする。
阿吽の冒険者がクローナの言葉を疑って、受付の男性に確認する。
受付の男性がクローナの言葉を肯定すると、阿形はクローナに同意するように大きく頷いた。
「それは怒るよな」
阿形の同意を得られたことで、クローナは勢いづく。
「私達は結構強いんですよ!」
「あんまり調子に乗らない方がいいと思うぞ。それに、今まで戦った相手は全部魔物なんだ。武器を持った人間相手の経験が少ないのも事実だし、良い機会だとも思う」
「……まぁ、そうですけど」
キロに正論をぶつけられ、クローナはトーンダウンする。
「元の世界に帰る方法があるかもしれないって言ったのはキロさんなのに……」
唇を尖らせて、クローナは不満そうに呟いた。
キロは苦笑する。
「帰るのも大事だけど、身を守れないと困るんだろ。勝っても負けても損はない。全力を出すだけでいいから、あまり張り切りすぎるな」
「キロさんが納得しているなら良いんですけど」
キロの言葉に、クローナは渋々納得する。
その時、キロとクローナのやり取りを横から眺めていた阿吽の冒険者が興味深そうな目を向けてきている事に、キロは気が付いた。
不思議に思って見返すと、阿吽の冒険者は顔を見合わせた後でにやりと笑った。
「お前らの距離が縮まってる気がしてな。随分とポンポン言葉を交わすようになったじゃないか」
「そうですかね?」
同時に疑問を口にして、キロとクローナは横目で互いを確認する。
「そうかもしれませんね」
どちらからともなく口にして、声が揃った事に驚きもせず笑みを浮かべた。
訓練場の端で拍手の音が鳴る。
振り返れば、若い冒険者二人の準備が整ったところだった。
キロとクローナの背を、阿吽の冒険者がそれぞれ押す。
「健闘を祈るぜ」
「そのセリフは私達が戦う相手を睨みながら言ってくださいよ」
クローナの突っ込みを聞いて、阿吽の冒険者の視線を追えば教官に固定されていた。
背中を押されるままに、キロとクローナは訓練場の真ん中に歩み出る。
周囲を冒険者とギルドの職員で囲まれた空間は、戦うのにはちょうど良い広さだった。
戦いに従事する冒険者達だけあって、間合いをよく理解しているらしい。
向かいから歩み出てくるのは若い冒険者が二人、どちらもキロと同じ槍を持っている。
キロが前に、クローナは後衛として後方に控える形で構え、若い冒険者二人は横並びで槍を構えた。
相手の切っ先はどちらもキロに向けられていた。
受付の男性は双方が構えたのを見て、片手を上げる。
「治癒の特殊魔力持ちに来て頂いています。殺されない限りはこちらで治療しますので、気兼ねなく戦ってください。では――始めッ!」
受付の男性が言葉と共に手を振り下ろす。
直後、キロは動作魔力を練り、地面を強く蹴った。
重力に負けないよう正面やや上方に動作魔力を働かせ、キロは瞬時に若手の冒険者二人の正面に辿り着く。
勢いのまま槍を両手で持ち、身体の前で横向きに構える。
刃ではなく、柄を若手の冒険者二人の腹へ同時に押し付け、動作魔力を込めて弾き飛ばした。
「――ッ⁉」
唐突に腹へ加えられた衝撃で若手二人の顔が苦悶に歪む。
動作魔力による弾き飛ばしは若手冒険者の体を同時に地面から浮かせ、後ろ向きに吹き飛ばす。
若手冒険者達は地面に足を着け、威力を消そうと試みるも力負けて後ろ向きに倒れ込んだ。
しかし、何度となく反復練習してきた受け身を使い、すぐに身体を起こしている。自信を持つだけはある滑らかな動きだった。
体勢を立て直そうとした彼らの前に、キロが再び姿を現す。
今度は反応できた若い二人の冒険者は、どちらも槍を横から叩きつけようとする。
だが、キロの刺突の方がはるかに速かった。
右の冒険者へ槍を繰り出し突き飛ばした直後、キロは水球の魔法を左の冒険者へ叩き込む。
地面を転がった二人の冒険者へ、クローナが高速の水球を撃ち込んだ。
地面に手をついて起き上がろうとしていた若い冒険者二人の顔面に直撃し、彼らを仰け反らせる。
「――止めッ、止めてください、試合終了です!」
受付の男性が慌てて止めに入った。
観戦していた冒険者達が揃って呆然としている。
当然だろう、クローナが撃ち込んだのが水球ではなく石弾であったなら、死体が二つ転がっていたのだから。
誰の目にも勝敗は明らかだった。
キロは首を傾げた。
「……手加減された?」
「いやいや、向こうは本気だったから!」
声に笑いをにじませながら、阿形がキロの予想を否定する。
「教官からお墨付き受けたばかりって事は、せいぜい武器に動作魔力を纏わせられるようになっただけ、そんな奴に身体ごと動作魔力で突っ込めば勝負にならねえよ。というか、お前に動作魔力を教えたのって三日前だったはずだろ? なんでもう使いこなしてんだ」
阿形はキロを指差しながら豪快に笑っている。
「つまり、単純に動作魔力の差って事なのか?」
力量以前に、上乗せされる魔力の恩恵が違い過ぎて勝負にならなかったのだ。
「……それも実力だ。普通は習得にかなりの時間がかかるはずだがな」
会話に横から声を挟まれ、キロは顔を向ける。
老齢の教官が苦虫をかみつぶしたような顔で歩いてくるところだった。
「ひょろいの、お前はとっさの動きにはまだ対応できねぇだろ?」
言うや否や、教官は素早く距離を詰め、キロの眼前で突きだした拳を止めた。
キロは教官の動きが見えていたが、魔力を練り上げる暇がなく、身動きが取れなかった。
教官はキロを殴らず、腕を引く。
「不意打ちへの対処だけは常に頭ん中で考えとけ。いつも先手を取れるとは限らねぇんだからな」
ぼそっと助言を呟いて、教官は舌打ちする。
「大概の奴は考えてから動いても間に合わんはずなんだがな」
乱暴に頭を掻いて、教官はキロに背を向けた。
阿形がニヤニヤしながら何事か言いかけ、吽形に小突かれる。
おおかた、弟子をボコボコにされた感想でも聞いて煽るつもりだったのだろう。
阿吽達のやり取りは見えなかったはずだが、教官が足を止め、不機嫌そうな顔で振り返る。
「それからな、薙ぎ切るつもりならお前が新調したあの槍は不向きだ。もっと良い物を見繕ってもらえ」
そう言って、今度こそ教官はキロ達の元を去った。
キロは受付の男性を見る。
「カッカラ行きの許可は?」
「……出さざるを得ませんね」
盛大なため息をついて、受付の男性は鼻血を垂らして横たわる若い冒険者を見た。
クローナの一撃が相当な威力だったらしく、若い冒険者二人は鼻血が止まるまで地面に転がって天井を眺めるつもりらしい。
「少なくとも、高く伸びた鼻っ柱は折れたようですね」
片方の目的が達成されただけでも良しとするつもりらしい。
受付の男性はキロとクローナにギルドへ来るよう告げた。
「カッカラのギルドに紹介状を書きます。向こうに着いたらまず最初に見せてください」
キロ達のカッカラ行きが決まった。
――なんか、達成感ないな。クローナの言うとおり、自分は結構強いのかもしれない。
キロの思考が表情からダダ漏れだったのだろう、阿形がニヤニヤしながらキロの頭に手を置いた。
「今度はこっちの鼻が高くなってら。ここは俺様が叩いてやろう」
紹介状ができたと受付の男性が呼びに来るまでのわずかな間に、キロとクローナは阿形一人に五回ずつ地面へ転がされていた。
上には上がいると教え込まれた、貴重な一日だった。




