第十八話 ささやかな送別会
帰り道はゴブリンに強敵を押し付けられることもなく、無事に司祭のいる町が見えてきた。
キロは町を遠目に透かし見ながら、どんよりとした溜息を吐く。
「二日目に本格的な筋肉痛って、ご老人ですか?」
「うるさい。まだ動作魔力の使い方に慣れてないから、身体に負荷がかかるんだよ」
「町に着いたら湿布を張ってあげますよ。本格的にご老人の仲間入りです。司祭様とあるあるネタで盛り上がれますよ」
クローナがニコニコしながらキロの筋肉痛をからかう。
キロはクローナを横目に睨む。
「ちなみに羊飼いのあるあるネタは?」
「羊の体を枕にしようとして脂っぽさに泣く、とかですね」
クローナが眠気眼を擦りながら羊を枕にしようとする光景が、キロの脳裏に容易く浮かぶ。
しかし、クローナ以外の羊飼いも同じ事をするのだろうかと疑問に思う所ではあった。
町に入って最初に向かう場所はギルドだ。
町への帰還報告に加え、シキリアを取ってきた事を証明しておかなくてはいけない。
相変わらず開放感のあるギルドの建物に入ると、見知った受付の男がいた。
「お帰りなさい。初めての遠出はどうでしたか?」
受付の男性は世間話でも振るように質問して、シキリアの葉を数え始める。
「散々でした。銀色のグリンブルを倒したり、パーンヤンクシュを倒したり」
クローナが答えると、依頼書に完了の判を押そうとしていた受付の男性の手が止まる。
疑うような視線をクローナに注いだ後、事実かどうかを問うようにキロを見た。
――やっぱり信じてくれないよな。
苦笑しつつ、キロが答えようとした時、背後から馬鹿にするように鼻で笑う音がした。
「姿を見ないと思ったら、大ぼら吹く準備してたのか」
振り返れば、若い冒険者が二人、見下すようにキロ達を見ていた。
キロはクローナに小声で訊く。
「……知り合いか?」
「確か、訓練所の教官が連れていた教え子のはずです」
自信なさそうにクローナは若い冒険者二人をちらちら見る。
そんな奴もいたな、とキロも顔を思い出そうとするが、無駄だった。
「どうでもいいか」
「ですね」
思い出す事はおろか、構う事すらしないと決めて、キロとクローナは受付の男性に向き直った。
無視された事に舌打ちして、若い冒険者二人はギルドの壁際からキロ達を睨んでいる。
「あの二人は先日教官からお墨付きを貰って、討伐依頼に成功したばかりなので気が大きくなっているのでしょう。お気になさらず。話を戻しますが、本当にパーンヤンクシュを討伐したんですか?」
キロとクローナが同時に頷くと、受付の男性は苦笑する。
「キロさんの武器が新しくなっていましたから、道中で臨時収入があったのだろうとは思いましたが……また無茶をしたものですね」
率直な評価に、今度はキロとクローナが苦笑する。
無茶したくてしたわけではないのだ。
事の顛末を話すと、受付の男性は苦笑を深めた。
「つくづく、運が悪いですね」
受付の男性は依頼書を片付けながら、机の上のシキリアの葉を指差した。
「依頼品のシキリアはギルドで預かった後、依頼主にお渡しする事も可能ですが、どうされますか?」
キロとクローナが依頼主である司祭の住む教会に居候しているため、手渡しした方が早い、と言外に告げられる。
事前に相談してあったため、クローナは迷いなく答えた。
「教会から独り立ちするための依頼なので、けじめをつけるためにも手渡しにしたいと思います」
事情はある程度把握しているからだろう、受付の男性は快くシキリアを返してくれた。
「しばらくはこの町に滞在しますか? 受けて欲しい依頼があるのですが」
受付の男性が机の上に取り出した依頼書を読み上げる。
ギルド提携の治療院で使う止血用の薬草が不足しており、緊急で補充を願う内容だった。
問題の薬草の名前を聞いて、クローナがキロの袖を引く。
「ゴブリンから渡された花の中に混ざってたはずです」
「香辛料といい、地味に役立つな」
キロが鞄から薬草を取り出すと、受付の男性は状態を検分して、頷いた。
「十分使用可能ですね。量は少し足りませんが、他の冒険者に依頼を回す時間くらいは稼げるでしょう」
お預かりします、と受付の男性は薬草を受け取り、近くの職員を呼んで手渡した。
出所がゴブリンでも問題ないらしい。
「他にはありますか?」
クローナが質問すると、受付の男性は少し考えた後で首を振った。
クローナはキロを見た後、翻訳の腕輪を受付の男性に手渡した。
キロが直接話しやすくするために配慮したのだ。
キロは受付の男性が腕輪に触れるのを待って、口を開く。
「俺達は数日後、カッカラの町に向かおうと考えています」
キロが切り出すと、受付の男性が渋い顔をした。
「カッカラ、ですか。行方不明事件が多発していますが、知り合いの方が巻き込まれましたか?」
気遣うような質問に、キロは首を振る。
「遺物潜り、という魔法に興味があって、開発者である魔法使いを訪ねたいんです。ご存じありませんか?」
「カッカラに住む魔法使いとなると、シールズさんくらいしか心当たりがありませんね」
――またシールズ、か。
カッカラに住む魔法使いについて訊くと必ず返ってくる名前だ。余程有名なのだろう。
キロはカッカラに着いたら最初の聞き込みでシールズを訪ねる事に決める。
「しかし、キロさん、いま行かなくても良いのでありませんか? あまりお勧めしませんよ」
受付の男性が渋い顔で引き止める。
キロの事情を知らない受付の男性としては、行方不明事件の解決を待ってからでも遅くはないと考えたのだ。
異世界から来た事を唯一知るクローナが心配そうにキロを見る。
「俺にもいろいろと事情がありますから、近日中に訪ねたいんです」
キロの真剣な目を見て説得は無駄だと判断したのだろう、受付の男性は困り顔で頭を掻いた。
「クローナさん、カッカラ周辺の地理についても詳しいんですか?」
「この町周辺と同じくらいには」
「即戦力ですね。カッカラに着いたらすぐに周辺の洞窟など、死体を隠しておける場所を探す羽目になりますよ?」
死体、と聞いてクローナが息を飲む。
ギルドは行方不明者の命はすでにないと考えているのだ。
クローナは少し青ざめた顔をしつつも頷いた。
「……冒険者になった時に、覚悟はしてあります」
「クローナさんも折れませんか……」
受付の男性はますます困ったような顔をした。
「行方不明になった者の中には冒険者もいます。クローナさん達はパーンヤンクシュを倒したそうですから腕は立つと思いますが、対人戦は勝手が違いますので」
なんとしても引き留めたいらしい受付の男性は、暗に誘拐事件の可能性を示唆する。
しかし、キロ達にとっては意外な方向から援護が入った。
「対人戦でも腕が立つって証明できればいいんだろ?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、壁際から先ほどの若い冒険者二人組が声をかけてきた。
受付の男性が顔を顰めた。
「……調子に乗りすぎですね」
ぼそりと、足元から冷気が昇ってくるような錯覚がするほど冷たい声で呟いた受付の男性は、ふとキロに視線を移す。
一瞬考えた後、先ほどとは一転して友好的な明るい笑みを若い冒険者二人へ向けた。
「確かに、証明できるならそれが一番ですね。キロさんと模擬戦をしてくれますか?」
――ギルドで喧嘩はご法度って言ったのはあんただろ。
キロは突っ込みたい気持ちに駆られたが、受付の男性が提案したのはあくまでも模擬戦だと思い直す。
おそらく、この模擬戦で対人戦におけるキロの実力を見るつもりなのだろう。また、訓練所の出身ではないキロが善戦すれば、若い冒険者二人の高くなった鼻も折れる。
訓練所の教官の面子が潰れるのではないかと思ったが、受付の男性はキロが勝つとは思っていないらしい。
「――それでは、明日の朝に訓練所で模擬戦を行います。私が立ち会いますので、カッカラに行くかどうかは試合内容を見て決めましょう」
強引に話を決めた受付の男性の顔からは、渋るような色が消えていた。
教会に帰り着くと、笑顔の司祭に出迎えられた。
「怪我は……ないようだね。キロ君の槍が新しくなっているようだけれど」
夕食が出来ているとの事で、食堂に向かう。
キロ達が帰ってくる期限に合わせて、三人分の料理を用意したらしい。
今までより少し豪華な気がするのは、送別会の意味合いが含まれているからだろう。
ささやかな気遣いに嬉しさを抑えきれない様子で、クローナが土産話を楽しげに話す。
パーンヤンクシュ討伐など、話が一通り終わった時、司祭は優しげに眼を細めながら口を開いた。
「パーンヤンクシュを倒したのなら、もう冒険者としては一人前と言ってもいいね」
クローナが押し黙る。
クローナの反応に司祭は苦笑して、それでも言葉を紡いだ。
「今日中に荷物を纏めなさい。分かったね?」
有無を言わせない司祭の口調に、クローナはしぶしぶ頷いた。
身体を洗ってくるというクローナが食堂を出ていくと、司祭はキロに向き直った。
「……私の事を厳しいと思うかい?」
「甘やかすかどうかの瀬戸際の優しさだと思いますよ」
キロが答えると、司祭は曖昧な笑顔を見せた。
「クローナは早くに両親を亡くしていてね。今も母親が身に着けていた物と同じ指輪を部屋に持っている。私はそれを見るたび、クローナを甘やかしたくなるよ」
キロはクローナの部屋がある二階を見上げた。
クローナの境遇は、キロには理解できないものだ。
なぜなら、キロはいつだって遠慮して人と距離を置いてきた。そんなキロを甘やかせば、不必要に遠慮させ気疲れさせてしまうと周りの大人が悟っていたのかどうか、今となってはわからない。
しかし、司祭に適度に甘えられるクローナが少し眩しく見えた。
「クローナの面倒を見てくれて、ありがとう」
「持ちつ持たれつ、と言えるくらいには俺も役に立てるようになったと思います」
キロが返すと、司祭は朗らかに笑う。
「まだまだ役に立ってもらえると嬉しいよ」
「………その事ですが」
キロは遺物潜りについて調べるため、カッカラに向かう事を告げる。
「場合によっては、そのまま異世界に向かい、クローナとはそこで別れる事になります」
司祭はコップから水を飲むと、少し考える素振りをした。
「異世界に行きたい理由をわざとぼかしているね?」
――あぁ、やっぱり、バレてる。
キロは無表情を取り繕った。
司祭は苦笑しつつ片手を左右に振った。
「良いんだ。誰にでも秘密はあるからね。けれど、クローナはついて行きたがるだろうね」
「その時はおいて行きます。ギルドで俺の代わりになる冒険者を探しますから――」
「ダメだね。誰か、ではなくキロ君と冒険者をすると決めたのだから、クローナはついて行きたがるよ」
司祭は断言して、寂しそうな顔をした。
「もし迷惑でないのなら、連れて行ってあげてはくれないか?」
「いいんですか?」
司祭の言葉は意外性を持ってキロの耳朶を打った。
てっきり、クローナを置いていくつもりかと怒られると思っていたのだ。
司祭がクローナを大事にしている事を知っているからこそ、二度と会えなくなる可能性がある異世界行きに許可を出すのは予想外だった。
司祭は寂しそうな顔のまま苦笑するという、難しい表情をして見せる。
「良いも悪いも、クローナが決める事だ。もちろん、クローナが行きたくないというのなら、腕の立つ冒険者に護衛させてこの教会に向かわせてほしい。後の事は私がどうにかするから」
「……ありがとうございます」
――クローナは本当に大事にされてるな。
心から礼を言って、もしもの時の後を託すキロに、司祭が優しい声をかけた。
「私は君に会えなくなるのも寂しいんだ。異世界に行ってもこちらに帰って来れるのなら、たまには会いに来てほしいね」
「……本当、司祭には敵いませんよ」
キロが本音をぼかして伝えると、司祭は楽しげに笑った。




