第二十話 悪食の竜への贄
「かつて我らの頭上には遥かな蒼き大空と草木に覆われた見渡す限りの広大な土地が存在した。名を、地上」
ラビルはおとぎ話の一節を静かに口ずさみ、一呼吸おいて続ける。
「これは事実であり、歴史だ。それを念頭に置いてもらいたい」
「前提からおかしいじゃねぇか――」
否定しにかかった酒場の客の眼に、フカフカが強烈な光を照射した。
顔を両手で覆って苦しむ客を無視して、ラビルが話を続ける。
「自分達の先祖は地上を主な生活の場としていたが、そこに侵入者が現れたんだ」
「悪食の竜か?」
ランバルが答えを先回りすると、ラビルは頷きを一つ返した。
「ご名答。悪食の竜は此処とは別の世界から現れた存在――いや、自然現象だ」
ラビルはランバルの答えに補足して、自らの鞄の中から紙束を取り出した。
机に置かれた紙にはびっしりと文字らしきものが連ねてある。
キロには読めない文字だったが、ミュトやフカフカは食い入るように紙束を見つめ、文字を追っていた。
「別の世界の存在で自然現象ってのはどうにも座りの悪い表現だな。生き物なのかどうかあやふやじゃねぇか」
細身の老人が呟くと、ラビルが苦笑する。
「実際、生き物のような形態を取る自然現象なんだ」
ラビルは紙束の表面を指先でなぞった。
「遺跡の文章を現代語に直訳しただけで悪いけど、この文を読んで」
文字の読めないキロとクローナに配慮してか、フカフカがすかさず紙の上の文字を音読する。
「無の世界より現れた悪食の竜は何もかもを食らいながら成長する、とあるな。古代でも食らうと表現しておるのだから、生き物とみられていたようであるな」
尻尾で机の上を軽く叩いたフカフカがラビルを見上げた。
悪食の竜に関する情報はこれだけなのか、と問いたげなフカフカに、ラビルは緩く微笑んだ。
「この文章で注目すべきところはまだあるよ。一つは悪食の竜が食べた物を空ではなく、なにもかも、と表現している点、そして、何が悪食の竜を成長させる要素となったかという点だ」
フカフカがふむ、と鼻を鳴らす。
食べる、と表現するからには、悪食の竜が何かを食べる理由が栄養補給であると地下世界の古代人は考えていたことになる。
だが、古代人は同時に、悪食の竜が自然現象であるとも考えていた。
ランバルが腕を組み、口を開く。
「持って回った言い方で少しでも長く注目を集めたいんだろうが……早く結論を話せ」
「そんな下心はないよ! まったく、せっかちだなぁ」
ラビルは不貞腐れたように言って、紙束をめくる。
「結論から言って、悪食の竜が食べるのは対象空間の過去。より正確に言えば、対象空間が過ごしてきた時間という名の可能性だ」
いきなりの抽象的な話にキロ達は一斉に頭の中に疑問符を浮かべた。
キロ達の反応に、そら見た事か、とラビルが肩を竦める。
こうなる事が分かっていたから、ラビルは順序立てて説明しようとしていたのだろう。
「悪食の竜は無の世界で発生すると別の世界の可能性を食らって成長し、成長限界を迎えると死亡する。そして、今まで食らってきた世界の可能性をまとめて新たな世界を構築すると考えられている。つまり、世界の破壊と創造を行う自然現象だ」
ラビルの追加説明を聞き、キロの脳裏に一つの解が浮かんだ。
同時に、現代社会での大原との会話がよみがえる。
「ビックバン、か」
「ビックバン?」
キロの呟きを聞き取ったミュトが首を傾げながらも繰り返す。
翻訳が機能したものの、言葉の意味までは分からなかったのだろう。
しかし、ビックバンに相当する語句を遺跡で発見したらしいラビルはキロを見て頷いた。
「キロ君が何故知っているのか分からないけど、それであってると思うよ」
――悪食の竜は世界の再構築を行うべく別の世界を食らっている。
しかし、食らうのはあくまでも対象空間の過去の可能性のみ。
キロは頭の中で整理し、ミュトに翻訳を頼み、ラビルに向き直る。
「悪食の竜は食らう世界を選別してますか?」
「その世界に残った可能性の多寡で選別していると考えられていたようだよ。悪食の竜もお腹いっぱい食べたいだろうからね」
ラビルが冗談めかして言うと、フカフカが不愉快そうに机を叩いた。
空を食われた身としては、理不尽な動機だからだろう。
ラビルは紙束をめくり、話を続ける。
「ただ、古代の人々はもう一つ、悪食の竜の好みを特定した。それが、この世界が地下だけとはいえ残っている理由でもある」
「魔力食ですか?」
クローナが先回りして問うと、ミュトの翻訳を挟んで聞いたラビルが驚きに目を丸くする。
「なぜそれを?」
「実際に悪食の竜に魔力を食べられてしまったので」
クローナは虚無の世界で自殺するまでの記憶を有している。
つまり、悪食の竜から逃れようと逃げた事も覚えているのだ。
クローナが自殺して逃げ道を作り出したあの時、本来干渉不可のはずのミュトの特殊魔力までもが悪食の竜によって食べられている。
ミュトが特殊魔力で過去に戻した空間は、悪食の竜が普段から食べている餌だ。
いま考えれば、二重の意味で食べられて当然だったのだろう。
ミュトを介して悪食の竜との出会いを聞かされたラビルは険しい顔をした。
「話を聞く限り、悪食の竜が食べるのはあくまでもその時点での過去の可能性みたいだね。だから、食べられた空間は無の世界として存在し続けられる、と。しかし、困ったね……」
「困った?」
確かに当時は困ったけれど、とキロは首を傾げるが、ラビルはため息を吐いて首を振った。
「とりあえず、話を戻そう。悪食の竜は魔力食生物であり、一度食らった世界については一度腹に収めた魔力の大本が全て断たれない限り食事をやめない。古代の人々は悪食の竜が食べる順番を調べ、今までに奴が食らった魔力を全て特定した」
ラビルは紙束の最後のページをめくる。
そして、机の上のフカフカと、細身の老人の肩の上で光虫の触覚をくわえて食事をしているサラサラを見る。
「そして、魔力を食われていない人間を地下へ、魔力を食われた人間は地上へそれぞれ分かれた。研究の結果生み出した魔力食生物までも使い、徹底的に魔力を分離したんだ。結果、地上の人々は悪食の竜に食い尽くされるが、種としての人類は地下で生き延びる事になる」
「それって、最初に言った生贄?」
ミュトが顔をしかめて問うと、ラビルは静かに首肯した。
「ここでロウヒが出てくる。ロウヒは人類が隔離政策を徹底するために生み出された地下と地上を隔てる門番なんだ」
「我らの空は失われた、とロウヒが繰り返しているのは地下の人間への報告か」
ロウヒの言葉を思い出したフカフカが呟く。
地上の人類が全滅した事を知らせるロウヒの報告。古代の人々がその報告に何を思ったのかは分からない。
ラビルが紙束を机の上から回収し、鞄の中へと片付ける。
「それにしても、本当に困ったね」
ラビルがぼやくように口にする。
「悪食の竜がキロ君達の魔力を食らったという事は、すぐにでもこの世界に現れかねない」
「――え?」
ラビルの言葉に、ミュトとクローナが同時に声を上げる。
遅れて気付いたキロはため息を吐いた。
「そうか。悪食の竜は魔力を辿って最優先に俺達を狙ってくるのか」
「そう、本当に困った事態だよ」
キロの言葉を理解していないはずのラビルが同意するように呟いて、天井を見上げる。
「なにしろ、ロウヒまで君達を連れ戻しに来るだろうからね。八千年ぶりの生贄を地上へ連れ戻しに、さ」
「――は?」
今度はキロまで呆気にとられてしまった。
しかし、考えてみれば当然の事だ。
ロウヒの使命は、悪食の竜による食害を地上だけに食い止める事なのだから。
縄張りを抜けて地上に出たはずのキロ達が地下へ戻っていると分かれば、連れ戻しに来るだろう。
「……ロウヒって、魔力食生物だよな。俺達の魔力を辿ったりできるのか?」
外れてほしいキロの予想を、フカフカが冷酷に肯定する。
「余人ならばいざ知らず、お前達は全員が特殊魔力の保持者である。鼻が利くモノならば、追う事など容易いだろう。ロウヒの縄張りからここまでであれば、我でも辛うじて可能である」
キロは慌ててクローナに視線を移す。
すでにクローナは鞄から日記を引っ張り出し、日数を計算していた。
「……多分、明日の内に遭難した私達がロウヒの縄張りを強行突破します」
「ややこしい事になってきたな」
今のキロ達がロウヒの縄張りを抜けて最上層下端の町トットにいる一方、過去のキロ達は遭難した挙句にロウヒの縄張り抜けようとしている。
果たして、ロウヒは縄張りを抜けたはずの人間がいつの間にか地下にいる事に気付いた時、どう動くのか。
キロはシールズの特殊魔力を思い出す。
「なぁ、俺、ロウヒの前で……」
「空間転移の特殊魔力、使っちゃいましたね」
クローナが引き攣った笑みをキロに向けた。
ミュトが頭を抱え、フカフカがキロの右手、シールズの特殊魔力が入っていたナックルを叩いた。




