第三十九話 三角関係
気まずい、とキロは白米を研ぎながら思う。
朝になって起き出したはいいものの、クローナとミュトの間には一切の会話がない。
別段嫌いあっているわけでもなく、布団の片付けは二人で協力している事も、気まずい空気の一因かもしれない。
いっそ喧嘩しているのであれば仲を取り持つだけでいいのだが、今回は恋愛がらみでキロも当事者である。
ひとまず、クローナは傍観を決め込み、キロとミュトの間での結論を待つつもりのようだが、昨夜の強引な手段を考えるとあまり時間をくれないはずだ。
研いだ米を炊飯器に入れて、ボタンを操作する。
独特の匂いがある味噌汁は避けて、キロは冷蔵庫の中身とにらみ合う。
ハムエッグとサラダに決めて、キロは卵とベーコン、サニーレタス、カイワレ大根を取り出した。
このまま料理を続けて現実逃避したいところだが、逃避し続ける度胸もない。
キロはリビングを振り返り、声を掛けた。
「ミュト、少し手伝ってくれ」
返事はなかったが、リビングとを仕切る扉が開いてミュトが顔を出す。
断頭台にでも向かうような覚悟を決めた顔で歩いてくるミュトを見ていると、自然とキロの顔も険しくなりかけるが、意識して明るい顔で迎え入れる。
「この葉っぱを水洗いして、適当な大きさに切ってくれ」
キロが渡したサニーレタスを、ミュトは無言のまま水道水で洗いだした。
キロはフライパンに油を敷きながら、口を開く。
「昨晩の話だけどさ」
ミュトの肩が跳ねるのを横目に、キロはフライパンを熱し、ハムを焼く。
ミュトがサニーレタスを洗い終えるのを見計らって、キロは再び口を開いた。
「俺はクローナが好きだから、ミュトを恋愛対象としては見れない」
「……分かってる」
ミュトは呟いて、サニーレタスを包丁で切り始めた。
「分かってるけど、好きになった。だから、黙ってたんだよ」
泣きそうになるのを堪えているのか、ミュトは下唇を噛んで言葉を切った。
サニーレタスを切り終えたミュトが包丁を洗い出す。
キロは卵をフライパンに落として焼き始め、ミュトを横目に見た。
「固焼きがいいか?」
ミュトが頷いたのを確認して、キロはリビングを振り返る。
リビングにいるクローナに声を掛けようとして、思いとどまった。
昨夜の事を思い出して、キロはあえてミュトとクローナの会話を促すことにした。
「クローナのところに行って、卵の焼き加減を聞いてきてくれ」
「……ボクが?」
困った顔をするミュトに微笑みかけて、キロはリビングを指差す。
「ミュトは告白したら三人で旅を続けられなくなるかもしれない、とか考えてたんだろう?」
「振られるのは分かってたから、気まずくなるくらいなら言わない方がいいと思って……」
ミュトは小さな声でキロの予想を肯定する。
キロも他人の事をとやかく言えないが、それでもミュトのコミュニケーション能力の低さには苦笑してしまう。
「多分、大丈夫だ。クローナはあれでも嫉妬しやすい性格だけど、ミュトの気持ちを知っていて、何もしなかった。それが答えだろ」
「……いまいち話が見えないんだけど」
ミュトが首を傾げる。
米が炊けた事を知らせる電子音を奏でる炊飯器をコンセントを引き抜いて黙らせたキロは、昨夜のクローナの言動を思い出しながらミュトに説明する。
「クローナにとって、ミュトがどうでもいい存在なら恋心に気付いた時点で俺から遠ざけようとするか、俺との関係を進めるために強引な手段に出ていたと思う」
「今でも強引だと思うけど……」
「地下世界にいた時もそう思ったか?」
キロの問いかけに、ミュトは思い出すような素振りをした後難しい顔で首を横に振った。
「言葉遊びがせいぜいだったろ。多少俺との関係が進む可能性がある行動をとる時はミュトの事も誘ったんじゃないか?」
思い出されるのは温泉に入る時や膝枕だ。どちらの場合もミュトと共に行動するか、誘っていた。
「ミュトが自分の気持ちに気付くまでは抜け駆けしない様にしてたんだよ。どうでもいい相手にそんな配慮しないだろ。関係を壊したくないのはクローナも同じなんだよ」
ミュトは不安そうにリビングを見た。
キロはそっとミュトの背中を押した。
「行って来い。これからもみんなで旅を続けたいならさ」
キロの言葉が決め手となったか、ミュトは深呼吸を一度して歩き出した。
少しの間を置いて、リビングから話し声が聞こえて来たのに安心して、キロは自分用のハムエッグを焼き始める。
絶妙な焼き加減を目指してフライパンの上の卵を見張っていると、リビングの扉が開いた。
振り返ると、クローナがいた。
笑みを浮かべたクローナは扉に寄りかかるようにしてキロを眺めている。
「私は固焼きではないけれど液状でもない焼き加減でお願いします」
「俺と同じか」
もしも失敗したら自分の分にしよう、と思いながら、キロはコンロの火を調節する。
パタン、と扉が閉じられた音を聞き、キロはもう一度振り向いた。
クローナはもちろん、ミュトもいない。リビングは静まり返っている。
てっきり報告があると思っていたキロは、いささか不安を抱きつつも調理を続けた。
料理を作り終え、茶碗にご飯をよそう段階になってもリビングは静まり返ったままだ。
付き合いの長さから来るのか、はたまたキロの純粋な勘なのか、キロはリビングの光景をなんとなく想像できる。
何かを企んでいる事だけは確かだろう、と。
二つの盆に載せた人数分の料理を持って、キロはリビングに声を掛ける。
「両手がふさがってるから、扉を開けてくれ」
何かを企んでいるとしても、出鼻を挫いてしまえばいいだけだ、とキロは扉のノブに視線を落とす。
ノブが回ったかと思うと、ゆっくりと扉が引き開けられた。
開けた扉の先にはテーブルに向かい合って座るクローナとミュトがいた。
キロはリビングに入って、扉の裏を見る。
「我に何か言うべきではないか?」
「扉を開けてくれてありがとう」
ノブにぶら下がっているフカフカに礼を言う。
キロは料理が乗った盆をクローナとミュトの前に置く。
「――それで、何で二人して笑ってるんだ」
キロは食べ始める前にクローナとミュトに訊ねる。
クローナとミュトが笑っているからには、関係に亀裂が入る事はなかったのだろう。
だが、いかに二人が旅を続けたいと望んでいたとしても、事は恋愛である。どちらかが泣きを見る可能性は非常に高い。
クローナが片手を挙げ、宣誓する。
「私はキロさんが好きです」
「ボクもキロが好き」
ミュトが応じて、片手を挙げた。
二人の告白に戸惑うキロを見たクローナはテーブルに頬杖を突いた。
「これでようやくスタート地点です。キロさんには私を選んでもらうつもりですけど、ミュトさんがキロさんを好きな気持ちまでは変えられません」
「だから、ボクは諦めず、キロに好きになってもらう努力を続ける、という話がまとまったんだよ」
「……そういう落としどころで納得するのかよ」
辛うじてツッコミを入れるキロに、クローナとミュトは顔を見合わせる。
「だって、今までも似たようなものだったよね」
「互いの立ち位置もはっきりしたので、一歩前進の感さえありますね」
ねぇ、と声を合わせて笑いあうクローナとミュト。キロをダシにして二人の仲は良くなったようだ。
そして、キロはどうでもよくなった。
「二人が納得してるならそれでもいいけどさ。どうせ誰かを好きになった以上すぐに頭を切り替えろと言ってもできないだろうから」
「ボクの諦めの悪さは知ってるでしょ」
ミュトがクローナと同じようにテーブルに頬杖を突き、キロに微笑んだ。
ミュトの肩にフカフカが飛び乗り、愉快そうに尻尾を揺らす。
「最下層から未踏破層へ赴き、果てに二つの世界の空を見たのだ。ミュトは手ごわいぞ?」
娘の出来を誇るように言って、フカフカが尻尾を光らせて左右に振った。




