第三十話 記憶との矛盾
「……は?」
キロとクローナ以外の全員が、一斉に戸惑いを口にする。声の数から判断する限り、武器を届けてくれた村人も呆気にとられて口を開いたらしい。
キロは構わずグリンブル二頭を槍で突き殺し、クローナを振り返る。
「特殊魔力を込めただろ?」
「……はい」
消え入りそうな声で返事をして、クローナは頬を膨らませる。
「リーフトレージがないんだから仕方ないじゃないですか!」
逆切れするクローナに苦笑して、キロは森に視線を移す。
魔物の襲撃は小休止に入ったようだ。
ミュトが凍ったグリンブルとクローナを見比べる。
「いまのってクローナの特殊魔力なの?」
「そういえばミュトとフカフカもクローナが魔法を失敗するところを見た事がないんだったな」
シールズが起こした誘拐事件で、アンムナから報酬としてリーフトレージを受けとって以来、クローナは魔法を失敗していない。
リーフトレージに魔力を込めてから使用していたため、焦って特殊魔力を込めてしまう事がなかったからだ。
「面白い失敗の仕方をするね。アシュリー、どう思う?」
「火、燃える、凍結……温度関係?」
アシュリーとアンムナが興味深そうに凍ったグリンブルを検分し始めると、クローナが赤い顔でアシュリーの腕を引いた。
「人の失敗をいつまでも分析しないでくださいよ」
「失敗から学ぶのが大事」
アシュリーに言い返され、クローナは二の句が継げず視線でキロに助けを求める。
キロはニコリと笑って、視線を逸らした。
クローナがむっとしてキロに歩み寄る。
「キロさんの意地悪!」
「クローナの特殊魔力の効果は気になるし、誰かの意見を聞けば参考にもなるだろ」
キロは正論をぶつけつつ、森へ視線を飛ばす。敵はまだ来ないようだ。
――ミュトの魔力だけだと鍵が足りないんだよな。
対象物を過去の状態へと戻すミュトの特殊魔力は、キロの計画に必要不可欠なものだ。
だが、一切の干渉を受け付けないという副次効果が厄介だった。
副次効果を無効化する何かが、キロにはまだ分からない。
「他の失敗例は?」
アシュリーがクローナに質問している。
自身の失敗談を話すのは恥ずかしい様子だが、クローナは一つ一つ丁寧に答えていた。
キロによってミュトの特殊魔力が解明された事に触発されたのかもしれない。
パーンヤンクシュがなかなか現れないため、キロはミュトの肩に乗っているフカフカを見る。
フカフカはキロを一瞥すると頭を振った。
「森の中で魔物同士の戦闘が行われておる。先ほどのグリンブルも、魔物同士の戦いに敗れて飛び出してきたようであるな」
「魔物も生きるのに必死なのか」
キロは槍の石突きで地面を穿ち、杖代わりにする。
隣に誰かが立った気配に目を向ければ、アンムナが目の上に片手で庇を作り、森を見つめていた。
「キロ君は名うての冒険者だったりするのかな?」
「そもそも冒険者じゃないんですけど」
平然とした態度をつくろいながら、キロは嘘を吐く。
アンムナは「へぇ」と納得したのかどうかわからないような呟きを落とす。
「パーンヤンクシュを単独撃破、粗悪な槍、しかも刃こぼれをしているそれで両断したり、魔法を併用して戦う。槍の振り方も独特なら、使う言葉も独特。噂にならない方がおかしいと思うんだけどなぁ」
あからさまに探りを入れられている。
キロは警戒しながらも、平常心を心がけて口を開く。
「……みんながみんな噂好きって事もないでしょう」
「噂できない場所にいるかもしれないものね」
「確かにそうですね。故郷が遠方ですから」
「例えば異世界とか?」
そう来たか、というのがキロの感想だった。
未来からという答えより異世界から来たという答えの方が、この世界では現実的な答えなのだ。
肯定すべきかどうかキロの心の内で一瞬の葛藤が生まれる。
しかし、アンムナはキロの表情を横目に見て、目を細めた。
「当たらずとも遠からずという反応だね。特に偏見はないから、安心していいよ。知的好奇心は大いにくすぐられるけれども」
アンムナの言葉にもはやごまかしは通用しないと判断して、キロはため息を吐く。
「そうです。異世界出身ですよ。クローナは違いますけど」
「だろうね。自然にこの世界の言葉を扱っていたから」
どうやら未来から来たことまでは気付かれていないらしい。
ギリギリの線で秘密は守れたようだ。
「それにしても、すごい観察眼ですね」
「アシュリーに僕が嫌われていると勘違いしてしまう君よりは、はるかにね」
「……根に持ってます?」
アンムナが肩を竦める。目は笑っていなかった。
アシュリー関連でアンムナをからかうのはやめておこう、とキロは決意する。
パキパキと枝が折れる音が断続的に響いて、キロ達は一斉に口を閉ざし、森へ視線を向ける。
「来るぞ」
と、フカフカが注意を促した。
間をおかず現れたパーンヤンクシュがクローナの石弾を受けて絶命する。
すぐに二匹、三匹と新手が現れ、仲間の屍を越えてきた。
村の周囲を移動しながら夜通し戦闘を継続し、空が白み始めた頃、襲ってくるパーンヤンクシュの数が激減した。
キロとミュトが武器を交換すること七回、村の周囲にはよくぞこれほど集まったものだと感心するほど、パーンヤンクシュが屍をさらしている。
八本目の槍と短剣を持ってきてくれた村人が心配そうに畑を見た。
「収穫が済んでいるとはいえ、この有様だと畑は……」
戦闘の余波で荒れ放題の畑を見回して、アンムナが申し訳なさそうに頭を掻く。
「死骸の撤去をすれば大丈夫だと思うよ。無論僕らも手伝う。それに、鱗がほぼ完全な状態で手に入っているから、売ればかなりの額になるんじゃないかな」
パーンヤンクシュの鱗はスケイルアーマーの材料となり、駆け出し冒険者の需要が高い。
クローナが思い出したようにキロを見た。
「そういえば、私達も売ったことありましたね」
「キロが木の上から落ちた時の話?」
「そう、それです」
「本人がいるところでそういう失敗を何度も蒸し返すな――って俺が言える話でもないか」
クローナが、特殊魔力が原因で失敗した魔法についてあれこれとアシュリーに聞かれている時、助け舟を出さなかったのはキロである。
ミュトがくすくすと笑い、クローナが意地悪に笑いながらキロの脇腹をつつく。
「――ちょっといいかな?」
アンムナに声を掛けられて、キロ達は振り向く。
アンムナが森を指差した。
「そろそろ、死骸を片付けたいと村の人達が言っているんだ。森の様子はどうだい?」
キロ達はフカフカに視線で問う。
フカフカは耳を動かして音を探った後、キロを見た。
「……かなり数が減ったようだ」
「本当か?」
村人たちにとっては朗報だが、キロは眉を寄せて深刻な顔でフカフカに確認する。
キロの反応を妙に思ったのか、クローナとアンムナ、アシュリーが首を傾げる。
対照的に、ミュトはキロと同様に真剣な眼差しを森へ向けた。
未来の資料を閲覧した記憶を有するキロとミュト、フカフカだけが知っている。
資料に記載があって、未だ襲撃してきていない魔物がいる事を。
キロとミュトの反応に首を傾げたまま、アンムナが口を開く。
「魔物の数が減ったなら、村の人を呼んで死骸の撤去を始めようか。このまま放置していると魔物の血で畑が駄目になってしまう」
「待ってください」
踵を返しかけたアンムナを、キロは呼び止める。
アンムナは不審そうな目をキロに向けた。
「何を待つんだい?」
「もう少し、様子を見ませんか? いざという時、俺達五人で村人全員を守れるとは思えないので」
「僕とアシュリーがいても、そう思うのかい?」
「それは……」
アンムナの言葉がうぬぼれではない事を知っているキロとしては、反論しにくい言葉だった。
槍を持ってきてくれた村人がキロ達の雰囲気を察して口を挟む。
「鱗を臨時収入にもらうとしても、畑が駄目になったら生活できない。早いとこ片付けたいんだがね」
「という事だ。心配するのも分かるけど、村の人が生活できなくなったら元も子もない」
「……わかりました」
アンムナ達に押されて、キロは頷くしかなかった。
村人を呼びに戻るアンムナ達の後ろ姿を見送って、キロは森に視線を移す。
クローナがキロの袖を引っ張った。
「何か心配事があるんですか?」
「まだフリーズヴェルグの襲撃がない。資料には十体の死骸が確認されている」
キロの言葉の後をミュトが引き継ぐ。
「フリーズヴェルグの襲撃があるなら村の人が危ない。でも、もっと問題なのは、襲撃がなかった場合、タイムパラドックスが起こる事」
ミュトの説明に、クローナが不思議そうに首を傾げた。
「タイムなんとかって、未来の記憶や記録と矛盾してしまう事ですよね?」
クローナが念を押すと、ミュトは頷いた。
クローナはさらに不思議そうな顔をして、キロを見る。
「今更だと思いますよ?」
「……どういう事?」
クローナに続いて、ミュトが不思議そうな顔をする。
キロはクローナが言わんとしている事を察して、二人の間に手を挟んだ。
「とにかく、俺達に今できる事はフリーズヴェルグの襲撃に備えつつ、素早く死骸を片付ける事だ。村の人はまだ来てないけど、俺達だけでも始めてしまおう」
ほら、早く、とキロはミュトを急かして、クローナから遠ざける。
不可解そうにキロを見上げたミュトだったが、フカフカが少しでも森の近くで音を聞いて索敵したいと告げたため、渋々歩き出した。
クローナがキロを見上げる。
「さっきの話ですけど、キロさんがここにいたらタイムなんとかが起こりますよね? 私が間違ってますか?」
「いや、合ってるよ。クローナの記憶だと、村を守った冒険者の数は〝四人〟なんだろ?」
「はい。それに――」
キロが確信を持って訊ねると、クローナは頷いた。
「槍を持っている人なんていませんでした」




