第二十一話 二十時
公園入口の横にある林の中を合流場所に定めると、クローナが地図を取り出した。
ミュトの手による地図はかなり正確な代物だ。当然のように公園の位置も寸分違わず記してあった。
「……合流場所、と」
クローナは地図上の公園の入り口付近に文字を書く。
周囲を見回して目印になるようなものを探すクローナに、キロは近くのコンビニの看板を指差した。
クローナが看板の文字を読もうと目を凝らし、首をかしげる。
「あの看板、なんて書いてあるんですか?」
「一日中休まず営業しています、とさ」
「働き者なんですね」
感心したように言って、クローナは地図をポケットに仕舞い込んだ。
キロは時刻を確認して、アパートに到着するまでの時刻を割り出す。
「七時前には辿り着きそうだな。問題は俺とミュトか」
アパートで虚無の世界から過去のキロが戻ってくるのを待ち受けるだけのクローナとは違い、キロ達はアパートからさらにキロのバイト先へ向かわなければならない。
「余裕を持って行動したいから、アパートに急ごう」
キロはクローナ達を促して、アパートまでの最短距離を進む。
途中何度かクローナに地図を確認させ、道を覚えてもらった。
十九時前にアパートに到着し、クローナに向き直る。
キロは携帯電話を取り出して時刻を確認した。駅で時刻を合わせているため、誤差は数秒程度だろう。
携帯電話の液晶画面をクローナに見せ、時刻の読み方を教える。
「良いか、二十時になったら、虚無の世界から来た俺にちゃんと伝えろ」
「大丈夫ですよ。それよりもきちんと公園まで帰れるかのほうが不安です」
「道に迷ったと思ったらその場を動かないで待ってろ。探し出して迎えに行く」
最終確認を終えて、キロはミュトとフカフカを連れて歩き出す。
クローナ一人を残すのがどうにも不安で、キロは何度も振り返った。
振り返る度に、クローナが苦笑して手を振ってくる。
ミュトがキロの服の裾を引いた。
「キロが心配してたら、クローナまで不安になっちゃうよ」
「嫁に出すわけでもあるまいに、心配しすぎであるな」
フカフカが呆れ交じりに呟き、キロを見上げた。
「時間は大丈夫か?」
「少し急ごう」
タイムパラドックスの発生を防ぐために行動しているのだから、わずかでも時間的な余裕を確保しておきたい。
キロはフカフカに人の気配がない道順を聞きながら、二か月前にミュトを見かけた歩道へ急ぐ。
問題なく歩道に到着し、キロはほっと胸を撫で下ろした。
「ミュトはここで立っていてくれ。道の向かいにあるあの店から俺が出てくる。声を掛けたりはしなくていい」
店を指さしつつ、キロはミュトに言い含める。
一度訪れた事があるためか、ミュトはクローナとは違って落ち着いていた。
「フカフカは首に巻きついていたんだよね?」
「知らぬとはいえ、我をマフラーなる物と誤認するとは、過去のキロの眼は節穴であるな」
「フカフカは黙ってて」
「己とは何かに直結する問題である。これが黙っていられようか」
「自分の内側にだけ語りかけてなよ」
「……言う様になったな」
しみじみと、なぜか嬉しそうに呟いてフカフカは口をつぐむ。
ミュト達にとっては異世界だというのに、ずいぶんと堂々とした漫才だった。
ひとまず安心できそうだ、とキロは内心苦笑して、バイト先を監視できる場所を探す。
記憶を探る限り、ミュトの側に未来の自分はいなかったはずだ。
隠れる事ができて監視も可能な場所、と考えて、キロは問題の路地の側にある家電量販店を思い出す。
「それじゃ、ここを動かないでくれ。昔の俺を異世界送りにしたら迎えに来る」
通行人に聞かれたなら中二病扱いされそうだな、と思いつつ、キロはミュトと別れて道を渡り、件の路地へと入る。
誰も見ていないことを確かめて、キロは用意していた革手袋を落とし、何食わぬ顔で路地を出た。
バイト終わりのキロが前を通るだろう家電量販店へと入ると、浮ついた音楽が耳に入ってきた。
政治ニュースの名目で政治家ニュースを垂れ流している液晶テレビを横目に店内を進み、店先を目視できる場所に陣取る。
テレビ画面の端に表示された時刻は十九時三十分。
――バイト先から出てくるまで残り三十分か。
余裕を持って動けそうだとキロが胸を撫で下ろした瞬間だった。
「――キロチー? 何してんの、お前」
聞きなれた声が背後から掛けられ、キロは頭を抱えたくなった。
振り向けば、そこにいたのは悪友、大原だ。
「キロチー、バイト終わったのか? 顔出して弄ろうかと思ってたんだけど」
「残念だったな。少し早めに終わったんだ」
さらりと嘘を吐きつつも、キロは内心焦りに焦っていた。
残り三十分で大原との会話を切り上げるのは造作もない。だが、大原が店を出た時にバイトを終えた直後のキロと鉢合わせてはタイムパラドックスが起きてしまう。
かといって、話を長引かせてしまうと店の前を通るバイト終わりのキロを見咎められる危険性がある。双子だと言い張るのは無謀だろう。
程よいタイミングで大原との話を切り上げ、店内に大原が視線を向けるように誘導しなくてはならない。
三十分、無駄話をすればあっという間に過ぎてしまう時間だけに、話題選びは慎重に行わなくてはならない。
キロは瞬時に考え、口を開く。
「そういえば、気になってた事があるんだ。ちょっと良いか?」
「キロチーで遊びに来ただけだから時間はあるけど、ここで駄弁る気かよ」
こんな時に限って常識的な意見を口にする大原。無論、キロはここで駄弁る気満々である。三十分限定で。
「タイムパラドックスが起きると、パラレルワールドが発生するっていうだろ? 世界が一つ増えるわけだけど、どこからそのエネルギーが出てくるんだろうな?」
「面倒な事言いだしたな。そっち方面は門外漢なんだが」
大原は頭を掻きつつも、どことなく楽しそうな顔をする。
大原と時間を潰すなら、まずは科学系の話を振ればいい、とのキロの経験則は正しかったようだ。
後は適当な時間で話を切り上げ、店先を歩くバイト終わりの自分を追いかければよい。
キロの計画には気付いた様子もなく、大原はしばし考えをまとめた。
「今も宇宙は膨張しているわけだから、世界はまだエネルギーを持っているって事だろ。パラレルワールド発生時に持っているエネルギーを折半するのかもな」
門外漢というだけあって自信が無さそうではあったが、それらしい回答が帰ってきた。
「それだと、パラレルワールドが作られるたびに世界の寿命が減る?」
「仮説だけどな。もともとの総量がどれくらいあるのかもわからないし。そもそも、最初の世界ができる時のエネルギーはどこから来るんだって話もある」
やっぱりわからないな、と大原が肩を竦める。
キロにとっても難解な話だったが、ふと瞼の裏に悪食の竜の姿が浮かんだ。
「なぁ、世界を分解する現象とか、あると思うか?」
「増えすぎたパラレルワールドをまとめて分解して再構築、新しい世界を作り出す現象、ならありそうだよな。特に後半の、世界を作り出す現象を言い換えて、宇宙を作り出す現象とすると……?」
気分が乗ってきたのか、大原が楽しそうに謎かけする。
「――ビックバン?」
キロの答えを聞いた大原が満足そうに頷いた。
大原が液晶テレビに視線を移す。報道内容がいつの間にか行方不明の女子高生に関する話へと変わっていた。
「……早く見つかるといいな」
悪食の竜の姿を思い出したからだろう、連鎖的に同じ虚無の世界で見つけた日美子の遺体を思い浮かべ、キロは呟いていた。
大原が意外そうな顔でキロを見る。
「キロチーの事だから、自分には関係ないとか言って気にも留めないと思ってた」
「……ここ最近、色々と心境の変化があったんだよ」
大原の指摘に、キロは居心地が悪くなって視線を逸らす。
「今まで、俺はそんなに薄情な態度を取ってたか?」
「取ってたね、そりゃもう、引くくらい取ってた。もう少し熱血要素があれば女にモテるのにもったいないと噂になってた。主に俺の中で」
「大原の中限定か」
大原がただ茶化しているだけで、実際には周りの噂になっていたのだろう。
キロは過去の自分に苦笑した。
「そういえば、電池切らしてたんだった」
そう言って、大原がキロに背中を向ける。
「それじゃ、またな」
電池を買いに行くのだろう、大原は店の奥へと歩いていく。
キロは液晶テレビに表示された時刻を見ようとして、店先を歩く自らの姿を見つけた。
大原が背中を向けるのがほんの少しでも遅かったなら、二人のキロを同時に視界に収めていたはずだ。
ギリギリとはいえ乗り切った事に安堵しつつ、キロは店を出る。
自分の背中はすぐに見つける事が出来た。
すでに革手袋が置いてある路地に曲がろうとしている。
キロは走って路地に辿り着き、革手袋を拾おうとして屈んでいる過去の自分の姿を視界に収めると同時に、遺物潜りの魔法陣を発動させる。
革手袋から現れた長方形の黒い空間に驚く過去の自分に、キロは動作魔力を使って走り込み、肩ごとぶつかる。
たたらを踏んで堪えた過去のキロが振り返った。
「おい、何するんだ――」
文句を言おうとした過去のキロが目を丸くする。
当然だ、未来の自分に後ろから体当たりされるなど、予想できるはずがない。
キロは二か月前、未来の自分から聞かされた台詞を一字一句漏らさず口にする。
「……行って来い。そして、救ってくれ」
短く、台本を読み上げるような抑揚のなさに、自らの演技力のなさを自覚しつつ、キロは動作魔力を練る。
未だ混乱の渦中にある過去のキロが、それでも何か情報を引き出そうと口を開く。
「お前、誰だ?」
未来のお前だよ、と答えてやりたい衝動に駆られるが、今はタイムパラドックスを起こさないように行動しなくてはならない。
だからこそ、キロは台詞を紡いだ。
「――忘れるな。今は一月二十日、二十時だ」
言葉と同時に、キロは掌底を過去の自分に放つ。
アンムナの奥義の応用で動作魔力を過去の自分の体に流し、吹き飛ばした。
焦りの表情を浮かべた過去の自分が遺物潜りで開かれた異世界への扉を潜るのを見届けて、キロは落ちていた革手袋を拾い上げ、真っ黒な長方形の空間に投げ込んだ。
「……がんばれよ」
届かないと知りつつ呟いて、キロは長方形の空間が消えるのを見届けた。
念のために背後を確認し、目撃者の有無を確かめたキロは路地を後にする。
ミュトがコンビニ前で待っていた。
キロが手を振ると、ミュトが駆け寄ってくる。
「成功した?」
「あぁ、異世界に送ってきた。過去の自分に会うのは、なんだか妙な感覚だったよ」
鏡で見るのとは違う生々しさがあった。実際に触れた事もあって、余計に生々しさを感じたのだろう。
「これでタイムパラドックスは起こらない、はずだ。クローナがきちんとやり遂げてくれているといいんだけど」
「公園で待ってるだろうから、早く合流しよう」
ミュトがキロの手を取り、公園に向けて歩き出す。
フカフカがキロを振り返った。
「キロの心配性が移ったようであるな」
キロはミュトを見て苦笑した。
そして、キロ達は夜の公園で、街灯に照らされた血だらけのクローナを見つけるのだった。




