第十三話 遺物潜り
朝、キロは布団に包まったまま寝ぼけ眼を擦り、横を見た。
そこには仕事仲間の娘がすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
まつ毛長いな、と思いながらもキロは上半身を起こす。
――疲れていたとはいえ、こんなおいしい状況で何もしなかった俺って紳士だよな。
「そう、紳士だ。紳士的に一夜を過ごしたはずなんだ。なのに何故、腰が痛いんだ……」
キロは腰を摩り、続いて腕を摩る。
原因には気付いていた。
「筋肉痛か……」
思い返せば、昨日は無茶をし過ぎた。特にグリンブルとの戦いでは肉体的に無茶な動きを動作魔力で無理やり行っていた。
反動が来るなど、簡単に予想できることだ。
キロは腕や足を揉み、気休めにしかならないと見切りをつける。
「クローナ、朝だ。そろそろ起きろ」
隣で未だに寝息を立てているクローナの肩を軽く叩いて、呼びかけた。
身じろぎした後、クローナは目を擦って欠伸した。
「おはようございます」
寝起きの良いクローナは猫のように伸びをすると身体を起こした。
キロは太陽が出たばかりの外の明るさに目を細める。
「素泊まりだから食事は出ないし、外でパンでも買うか?」
昨日、夕食を食べていない事を思い出して、キロは腹をさすった。
夕食を食べようと考えもしなかったのだから、余程疲れていたのだろう。
うーん、と悩むような声が聞こえてくる。横を見れば、財布を覗いているクローナがいた。
「……木の実入りとかの高いパンは無理ですよ?」
「種類は任せる」
キロ達は身支度を整え、部屋を出た。
一階に下りるとすでに宿の親父が仕事を始めていた。
クローナがカギを渡している間、キロは筋肉痛を訴える腰を軽く叩いてほぐす。
キロがふと視線を感じて目を向けると、宿の親父がにんまりと下品な笑みを浮かべていた。
「ずいぶん楽しんだようで」
「――クローナ、早く行こう」
クローナの理解が追いつく前に、キロはさっさと宿を出る決意をして、促した。
この世界の人は朝が早いのか、街の大通りはすでにたくさんの人が行きかっていた。
中でも、朝食にパンを買い求める人は多いらしく、パン屋の前には短いながらも行列ができている。
食欲をそそる香ばしい匂いと共にパンを口に含んだキロは、焼きたてのおいしさに驚いた。
硬い食感のパンは表面に歯を通すとパリッと音がする。
パンを齧りながらギルドに入ると、キロ達と同じように朝食を食べながら受付で依頼を聞いている冒険者の姿が多々あった。
全体的に若く、武器もキロが使っていた槍と同じ骨製の者がいる。皮を張った盾を身に着けている者もいた。
昨夜の受付の女性を見つけ、クローナが声をかける。
「護衛依頼を受けてくれた人はいますか?」
受付の女性は依頼書を引っ張り出し、ナンバーを確かめるとギルド全体に響く声で冒険者の名前を呼んだ。
「ゼンドルさん、ティーダさん、依頼人がいらっしゃいましたよ!」
キロもギルドを見回すと、壁際で談笑していた男女二人組の冒険者が手を上げた。
「ほいほい、御呼ばれしましたよっと」
軽い調子で答えた若い男、ゼンドルがクローナを見て小さく口笛を吹いた。
「かわいい子じゃん――」
ゼンドルに最後まで言わせず、短髪の女性、ティーダが肘鉄を食らわせた。
珍しい女冒険者だが、性格はなかなか男勝りであるらしい。
「依頼人に失礼でしょう。でもかわいい子。しかも、すっぴんだし」
仲が良さそうな二人組の冒険者を手で示し、受付の女性が口を開く。
「今回、この二人は護衛依頼を初めて受けます」
初めてと聞いて、キロは少し心配になるが、受付の女性は苦笑する。
「誰でも最初は経験がありません。しかし、クローナさんとキロさんは銀色になったグリンブルを討伐する腕前ですから、彼らの経験を積むためにもどうかご了承ください。代わりに報酬の三分の一はギルドが負担します」
戦闘技能のある護衛対象であるため、素人に経験を積ませる算段らしい。
聞けば、ゼンドルとティーダもそれなりに腕が立つらしく、動作魔力を使った戦い方にも心得があるとの事だった。
クローナはギルドが報酬を一部負担してくれると聞いて目を輝かせている。
護衛対象のクローナが納得している事もあり、正式に契約を結んだ。
クローナがキロに腕輪と新しい槍を買うための資金を差し出してくる。
「無駄使いしちゃだめですからね?」
「大丈夫だよ。用事が済んだらギルドでグリンブルについての報告をしているから、間に合ったら付き合ってくれ」
キロはギルドから渡された地図を眺め、武器屋や元冒険者の家を回る順序を考える。
面白がったゼンドルがキロの肩越しに地図を覗いた。
「新しくできた武器屋があってさ、元冒険者が運営してるから、もしかしたらおまけしてくれるかもしれないぜ」
ほら、ここだ、とゼンドルが地図の一点を指差す。だが、そこは空き地と記されていた。
開店したばかりという事で、まだ地図に載っていないのだろう。
キロは情報をくれたゼンドルに礼を言った。
「それじゃあ、気を付けて行けよ」
「キロさんも、客引きに掴まってもついて行ったりしたらダメですからね?
それと、数字の見方は覚えてますね?」
「覚えてるも何も、地図の裏に対応表を書いただろ」
心配性のクローナを軽くあしらって、キロはゼンドル達に改めてクローナを頼むと頭を下げた。
ギルド前でクローナ達と別れたキロは地図を見ながら大通りを進み、適当なところで道を曲がった。
いちばん近い目的地は、ゼンドルから教えられた武器屋だ。
真新しい建物と看板をすぐに見つけ、キロは店に入る。
扉の上部に着いた呼び鈴がカランカランと高い音を立てた。
店内は広く、武器や防具の類がずらりと並んでいる。
最奥にあるカウンターのさらに奥の扉が開き、前垂れを付けた筋肉ダルマが現れた。
「ようこそいらっしゃいました――おや、キロさん?」
「……カルロさん?」
現れた筋肉ダルマは、キロ達にとって初めての依頼人、行商人のカルロだった。
グリンブルに追い掛け回され、仕方なく森に金属製の籠手を置いて逃げたものの場所が分からなくなって依頼を出した男である。
カルロはキロを見て嬉しそうに口元を緩めた。
「お久しぶりです、というほど時間は経ってませんがいやはや、こんなところで再会するとは予想外、嬉しい事です。本日はクローナさんの姿が見えないようですが……言葉が通じないのでしたね」
いまさら思い出したのか、カルロは残念そうに俯いた。
キロは苦笑して、カルロに腕輪を貸す。
「これで、言葉が通じるはずですよ」
「……おぉ、翻訳の腕輪! なるほど、必需品ですね。それで、今日はどのようなご用向きで――武器に決まってますね。以前会ったときは槍を使っていたはずですが、お変わりなく?」
捲し立てられて、キロは苦笑を深めつつ頷いた。
前回、依頼を受けた時にも感じたが、カルロは話好きらしい。
折れた骨の槍を見せると、カルロは断面を観察して唸った。
「動作魔力で放った一撃に強度が足りず、折れましたね」
「分かるんですか?」
「行商人をやる前に冒険者稼業をしてまして、鉄のメイスを何本か折りましてね。折れないようにメイスを特注する内に興味が出て、武器屋に転職したんですよ」
――鉄のメイスを折るってどんな馬鹿力だよ。
動作魔力の補助があるとしても、骨の槍を折るだけで筋肉を痛めるキロとは体のつくりが違うとしか思えない。
正直にキロが言うと、カルロは腹を抱えて笑った。
「動作魔力を使った攻撃なんてものは、膨大な量の反復練習の末にようやく使えるようになるもんでしょう。動きを体に教え込めば、動作魔力を使った素早い動きにも反射的についていけますよ。キロさんだって、今はそうでしょう?」
「……いえ、動作魔力を使い始めたのは昨日からなので」
キロが答えると、カルロは固まった。
笑いを引っ込めると、再度槍の柄をつぶさに検分し、眉を寄せる。
「……昨日から動作魔力を使い始めたというのは本当ですかね?」
疑うような視線を向けてくるカルロを不思議に思いつつ、キロは頷く。
カルロは腕を組み、探るような目をキロに向けた。
「安物とはいえ、それなりに強度がある槍ですよ。戦闘中にこれを折るくらい動作魔力を込める時間をどうやって稼いだんです?」
「稼いだりはしてないです。倒木を投げてきたのでさっと練って、纏わせただけで」
キロの口調から嘘ではない事を感じ取ったのか、カルロは喉を唸らせる。
「魔力の扱いが飛び切り上手なのか、それとも思考が早いのか。いずれにせよ、器用なもんです」
「考えてばかりで動きに反映されるまでが遅いと言われますけど」
キロが教官や元冒険者達にさんざん言われた言葉を継げると、カルロは鼻で笑った。
「そんなもの、予め相手の動きや自分の動きを全部考えておけばよいでしょう」
無茶な事を言う、と思ったが、キロは指摘しなかった。
――正論ではあるんだよな……。普通は経験で補うんだろうけど。
キロは武器屋の中を見回して、槍が置かれた一角を指差す。
「適当に見てもいいですか?」
「半端な物ではまた折ってしまいますよ。予算は?」
カウンターから出てきたカルロは槍が置かれた一角に爪先を向けて訊く。
キロが銀貨を数枚見せると、渋い顔をした。
「新人にしては奮発しているとは思いますけれども、動作魔力を使うとなると……」
言葉を濁し、カルロは槍を眺めて唸る。
安物で丈夫な槍は重量のある鉄などの金属製ばかりらしい。
少し値が張りますが、と前置きして、カルロが一本の槍を奥の棚から取り出した。
象牙色の柄は少し長い気もしたが、持ってみるとやはり、ズッシリとした重みがあった。両端に着いた刃はどちらも折れてしまった槍と代わらない形状である。
「グリンブルの牙を削り出した柄で拵えてあります。腕力だけで支えるには少し重いですが、動作魔力を通すと強度が増す特徴がありましてね」
キロはグリンブルとの戦いを思い出し、納得する。
カルロに断って、物は試しと動作魔力を通してみる。
強度が上がるだけらしく、見た目の変化はない。
「鉄よりは軽いはずです。動作魔力を通せば強度は鉄にやや劣る程度ですね」
値段を尋ねると、予算内にはギリギリ収まるようだ。
キロは槍を構えてみるが、下端が床にぶつかりそうになり、構えを崩す。
「キロさんは小柄ですから、柄を詰める事も出来ますが、どうしますか?」
「明日の朝には街を出るので、それまでに仕上がるなら頼みたいです」
カルロは首を振った。
「流石に時間が短すぎます。拠点の町に帰った際、近所の武器屋に頼んでみてください。快く引き受けてくれるはずですよ」
キロは少し考えて、購入を決める。
他の槍は高いか、重いか、あるいはどちらもか、の欠点があるため、悩むだけ無駄だ。
キロが購入の意思を伝えると、カルロは気前よく端数をおまけしてくれる。
「ありがとうございます。助かります」
「柄詰めの分をおまけしているだけですから、御気になさらず。駆け出しの冒険者は何かと物入りですから。自分にも経験があるのでね」
カルロは昔を懐かしむような口調で言った。
代金を払いがてら、キロはもう一つの目的を達成しておこうと、カルロに声をかける。
「冒険者時代に面白い魔法を見た事ってありますか?」
「面白い魔法、ですか?」
銀貨の枚数を数えながら、カルロは思い出すような素振りをした。
カルロの答えを待たず、キロは畳みかける。
「特殊魔力を使った魔法でもいいんですけど、例えば瞬間移動とか、異世界に行ったりとか」
カルロは数え終えた銀貨を纏めて金庫に放り込みながら、短く笑う。
「瞬間移動ですか。そんな特殊魔力があったら行商も楽でしょうけどね。あぁ、でも色々と目を付けられてしまうかな」
「……それもそうですね。汎用魔力で再現できれば、戦術の幅が広がりそうだと思ったんですけど」
――空振りかな。
カルロの反応から、異世界に帰る方法は知らないらしいとみてキロは話を切り上げようとしたが、先にカルロが言葉を続けた。
「ただ、面白い魔法というのなら遺物潜りって難解な魔法があるとは聞いた事がありますよ。失敗作だとは聞きますがね」
金庫を閉じ、カルロは新品の槍をキロに差し出してくる。
ついでとばかりに続けられた言葉は、キロには到底無視できないモノだった。
「――遺物潜りなら、異世界にも行けるんじゃないかと思いますよ」




