第五話 児童養護施設
キロがチャイムを鳴らすと、玄関の電気が点き、玄関扉のすりガラスに小さな影が差した。
「はい。あの、ご用件は?」
「俺だ。史隆だ」
「史隆君!」
勢いよく玄関扉が開き、中学生くらいの女の子が顔をだす。
「史隆君、遅かったね。みんな待ってる――」
キロを見て笑顔を浮かべた女の子は、隣に立つミュトに気付いて後退りした。
驚愕の面持ちで女の子は回れ右をし、施設内に大声で第一報を届ける。
「史隆君が彼女連れてきた!」
施設内の空気が揺れる。
バタバタと向かってくる足音の群れに、女の子はさらなる知らせを送った。
「しかも、外国の人ッ!」
施設内の人間が全員加速した事が足音から分かるほど、大きく踏み切る音が轟いた。
第三報を送ろうとした女の子の口を慌ててキロが抑えるが、もう遅い。
玄関に殺到したのは年齢も様々な七人の少年少女。
少年少女はキロとミュトを見比べて瞳を輝かせる。
「凄い美少女連れてきてる」
「え、何人? ねぇ、何人?」
「事情聴取しようぜ!」
口々に勝手な事を言い始める少年少女の後ろから、施設長である壮年の男が現れた。
施設長はキロとミュトを見て一瞬度肝を抜かれたような顔で動きを止めたが、すぐに我に返って少年少女を追い払う。
「お客さんの前で騒ぐんじゃない」
子供達を寝室へ続く廊下へ追いやって、施設長はキロ達を手招いた。
「遅いと思ったら彼女を迎えに行ってたのか。連れてくるなら先に言え。子供達の手が付けられなくなる」
日本語を話せないため間違いを正す事も出来ず、赤い顔を俯かせているミュトの肩に手を置いて、キロは口を開く。
「彼女じゃないよ。今日こっちに来た友達なんだけど、日本語が話せないから一人にするわけにもいかなくてさ。連れてきたんだ」
微妙に真実をぼかしつつ紹介すると、施設長は疑わしげな眼差しを向けてきた。
「どこで知り合ったんだ?」
「ネットの掲示板」
「……若者文化は良く分からん」
理解する気概もないらしく、施設長は施設の奥の広間にキロ達を通す。
「日本語が話せないって、何語で会話してるんだ」
「話せないだけで、日本語の聞き取りはできるんだ。だから俺達の会話も理解できるよ。なぁ、ミュト?」
キロが話を振ると、ミュトは何度も頷いた。
「アニメを見て勉強したらしい。だから、読み書きできないし話せないけど、聞き取りだけは完ぺき」
「偏ってるな。しかしまぁ、それなら放っておくわけにもいかないかな」
施設長はミュトに軽く挨拶すると、キロに向き直る。
「色々と近況も聞きたいが……先に会っておくか?」
施設の裏手を指さす施設長に頷きを返して、キロは足を向けた。
施設の裏手には小さな家庭菜園と子供たちの遊び道具や行事に使う道具を収めた納屋がある。
建物の庇の下に、タオルでくるまれた大型犬の姿があった。
――苦しまずに逝ったみたいだな。
ほっとして、キロは大型犬の手前にかがみ、手を合わせる。隣にかがんだミュトも同じように黙とうをささげた。
「年少の子が学校から帰ってきてすぐに散歩に行ったときはまだ元気だったんだが、歳だからな。誰も見送ってやれなかった」
「プライドの高い奴だったし、無理して散歩に行ったのかもしれないな。意地でも死ぬところは見せない、とか考えそうだ」
手を合わせ終えて、キロは立ち上がる。
家の事が心配なため早く帰りたいキロだったが、施設の窓からじっと見つめてくる子供達に気付く。
施設長も子供達に気付いて、苦笑した。
「お茶くらい飲んでいきなさい。みんなもお前の近況を知りたがっているみたいだ」
「どちらかというと、ミュトの事を知りたいみたいだけどな」
好奇心を隠そうともしない子供達の輝く瞳に気圧されたミュトがキロの服の裾を掴んだ。
施設内に戻ると待ち構えていた子供達が一斉にキロ達を取り囲む。
施設長が窘めても子供たちの好奇心を抑える事は出来ず、いくつもの質問が飛んだ。
しかし、ミュトが日本語を話せないと分かると、質問の矛先はキロの生活についてのものに逸れていった。
年少組の子はまだ具体的な未来として思い描けていないが、中学生の子供達は将来の参考として話を聞きたがったのだ。
特に、身元保証人についての話もあり、施設長は少し居心地が悪そうな顔をして、お茶を入れる名目で台所に引っ込んだ。
あれこれと質問に答えている内に年少組の何人かが眠いと言って寝室に向かい、久々の来客で目がさえてしまっている子供を寝かしつけるために中学生の子達も寝室に戻っていく。
ようやく解散してくれたか、とキロとミュトはそろって疲労を抱え、机に突っ伏した。
「お疲れ様。すまないね」
キロ達の前に入れ直したお茶が入った湯呑を置き、施設長が謝る。
キロは体を起こし、お茶を一口飲んだ。隣でミュトが湯呑を傾け、飲みなれない味に渋い顔をする。
「お口に合わなかったか。リンゴジュースがあるはずだから、すぐに出しましょう」
施設長が立ち上がろうとするのをミュトが首を振って止める。
ミュトはキロの袖を引いて耳打ちする。
「不思議な味に驚いただけだから、このまま飲むって伝えて」
気を使っているのかとキロは思ったが、ミュトは再び湯呑に口をつけて見せた。
大丈夫らしいと判断して、キロはミュトの言葉を施設長に伝える。
ミュトが何事もなかったように飲み始めたのを見て、施設長も安心したように腰を落ち着けた。
「さっき子供達に囲まれているお前を見て思ったが、態度が柔らかくなったな。壁がなくなったというか」
施設長をほっとしたような声で言って、キロとミュトを見比べる。
「やはり、ミュトさんのおかげかな」
ミュトが居た堪れないようにキロを横目で見る。
キロはミュトの視線に首を傾げた。
「ミュトのおかげでもあると思う」
気を使いすぎるな、とクローナに叱られたのが発端だったとキロも思うが、ミュトと仲良くなる過程はキロにとっても実りのある物だった。
誰かと積極的に付き合いを深める努力をしてこなかった点で、キロとミュトは非常に似ていたからだ。
その点でも、間を取り持っていたクローナには頭が下がる。
クローナの事に触れるわけにはいかず、キロははぐらかしながら施設長に説明した。
ミュトは俯いて湯呑を持つ手に力を込めている。
施設長は顎に手を当てて、ふむ、と小さく息を漏らした。
「少し悔しい気持ちがない事もないが、こいつの悪い癖が無くなったのは喜ばしい事だ。ミュトさん、私からも礼を言うよ。ありがとう」
施設長の言葉に肩を跳ねさせたミュトは、首を横に振った。
「……ボクはキロに助けてもらってばっかりで、キロが変わったとしたら全部クローナのおかげ」
施設長には言葉が通じない事も忘れているのか、ミュトは否定する。
施設長が目を細めた。言葉が理解できなくとも、自分の言葉が否定された事は伝わったのだろう。
「二人の事については良く分からないが」
施設長は前置きして、話半分にでも聞けと付け足す。
「十年以上守っていた壁を崩した本人が感謝しているんだ。ミュトさんが何らかの影響をもたらした事は否定できないよ。後で二人してゆっくり話し合うといい」
施設長が湯呑を傾けると、ミュトは俯いたまま小さく頷いた。
キロは壁の時計を見上げて、腰を上げた。
「帰りの電車もあるから、俺達はそろそろ」
「そうか。また顔を出すといい」
「あいつのエサ入れ、貰って行ってもいいか?」
キロが庭の小屋の前に置かれているはずのエサ入れについて言及すると、施設長はあっさりと頷く。
「もともと、あれはお前が買った物だ。あの皿じゃないと結局餌に手を付けなかったな」
なつかしむように言って、施設長が立ち上がる。
「子供達には説明しておこう。気を付けて帰りなさい」




