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複数世界のキロ  作者: 氷純
第四章  複数世界のキロ

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第一話  十九時

 熱を失っていくクローナの体を抱きかかえながら、キロはテレビ画面の端に表示された時刻を見つめていた。

 虚無の世界から自らが住んでいたアパートの廊下に出た理由もつかめないままに、キロはクローナの遺体が見つかっては事だと考え、自分の部屋に駆け込んだ。

 時間が分からなかったため、部屋の中に過去の自分がいるのではないかと危惧したが、フカフカの耳を頼りに内部を探った結果、留守だと分かったのだ。

 それもそのはず、現在時刻は一月二十日十九時二十分、キロがバイトに励んでいた時刻だ。

 ――あと四十分で過去の俺を異世界に送り込まないとタイムパラドクスが起きる……。

 キロはテレビ画面に表示されたデジタル時計が二十一分を表示するのを見ても、動きださなかった。

 異世界に送り込まれてからの生活を何度思い返しても、キロと出会わなければクローナが虚無の世界で死ぬ事はなかったように思えて仕方がなかった。

 それならば、異世界に過去の自分を送り込む意味などなくなる。

 誰をどうやって救えというのか、クローナを救う方法などあったのだろうか。

 何度となく自らに問いかけた事柄を、また頭の中で繰り返す。

 ――そもそも、皮手袋は宿に置いてきているし、この世界に偶然転移してでもいないと送り込めない。

 こんなところでも失敗していたのか、とキロは乾いた笑い声を漏らした。

 二十五分を指した時、脱衣場の扉が開き、ミュトが部屋に入ってきた。

 肩にタオルを掛け、キロの服を着たミュトはシャワーを浴びる前と同じ格好でクローナを抱きかかえているキロを見て、傍に腰を下ろす。


「キロも体を洗ってきなよ。ボクがクローナを綺麗にしておくから」


 胸から血を流すクローナを抱えているキロは血まみれだった。

 改めて血に染まった自分の服を見下ろして、キロはクローナの頬に片手を当てる。

 ――やっぱり、死んでるんだよな。

 ぼんやりした頭で考えて、キロは口を開いた。


「こうして温めてたら、生き返ったりしないかな?」

「……キロよ、諦めるのだ」


 ミュトに遅れて脱衣所から出てきたフカフカが落ち着いた声で諭す。刺激しないよう気を使っているのが声の調子からわかって、キロは苦笑した。


「分かってる。生き返る事なんかないって事ぐらい、分かってるんだ。ただ、もう少しだけこうさせてくれ」


 キロが俯くと、ミュトは何かを言いかけたが、結局無言で立ち上がってベランダに向かった。

 フカフカがミュトの後を追って歩き出し、キロを振り返らずに話しかける。


「短気は起こすな。お前にはミュトもいるのだからな」

「大丈夫だ。後追い自殺なんかしない」

「……気が済んだら声を掛けよ」


 ベランダと室内を隔てるガラス窓の開閉音を聞きながら、キロはテレビ画面を見る。時刻は十九時三十分を示していた。

 残り三十分では、異世界へ突き飛ばされたあの路地裏まで走っても二十時までにたどり着けない。

 だが、今のキロなら動作魔力を使って間に合わせる事は可能だ。

 しかし、行く意味を見いだせず、キロはクローナの体を抱きかかえたままテレビ報道を見つめる。

 失踪した女子高生、日美子についての報道が流れている。

 彼女が虚無の世界で餓死した事など誰も知らないのだ。

 同様に、クローナが死んだ事実も、この世界の人間はおろかクローナの生まれた世界の人間でさえ知らない。

 ――司祭さんには教えないといけないな。

 キロは靄がかかったような頭の片隅で考え、時刻を確かめる。

 ついに四十分を指していた。

 流石のキロも、屋根伝いに路地裏へ急がない限り間に合わない時間だ。

 それでいい、とキロは思う。

 出会わない方が、自分にとってもクローナにとっても幸せなのだから、と思い込む。

 ――そうか、異世界に送り込まないなら、ここにバイト帰りの俺がきて鉢合わせするのか。

 キロはクローナをそっと床に寝かせて、シャワーを浴びる支度に取り掛かる。

 自分が帰ってくる前に外出の準備を始めなくてはならない。

 これも一種の自己矛盾か、と下らない事を考えつつ、キロがベランダにいるミュトとフカフカに声を掛けようとした時、コンコン、と玄関の扉が叩かれた。

 怪訝に思って、キロはインターホンを見る。現代日本でインターホンを鳴らす前に玄関扉を叩く者はほとんどいない。

 壊れていた記憶はないが、何しろ体感では二か月前に住んでいた部屋の設備だけに自信が持てない。

 キロはクローナの遺体と玄関扉を交互に見て、思案する。

 自らの血まみれの服を鑑みて、扉を開けて来客の対応をすることはできないと結論付けた。

 キロが居留守を決め込もうとした、その時――


「キロさん、いますか?」


 玄関の扉越しに駆けられた声に、キロは慌てて振り向いた。

 この二か月間、一日も空けず聞いていた声だったのだ。

 急激に乾く喉が痛みを訴える中、キロは玄関扉へ歩み寄り、ドアスコープを覗き込む。

 ドアの前に、不思議そうな顔で天井の電球を見上げるクローナの姿があった。


「クローナ……?」


 キロは部屋の中を振り返り、クローナの遺体があるのを確認する。

 幻聴、幻覚、そんな単語が頭の中をグルグルと回りだした。


「そういえば、ボタンを押すとかなんか言っていたはずですけど」


 キロが反応を返せずにいると、クローナがこめかみに指を当てて、ムムム、と何かを思い出すようなそぶりを見せる。


「出っ張りみたいのがあって、いい感じに押したくなるような物とか言ってましたけど……」


 扉の向こうでクローナはあちこちを観察するように見回し、ドアスコープに目を止める。

 ドアスコープ越しに目が合ったキロがどきりとしたのもつかの間、クローナは片手を持ち上げた。


「――えいっ!」


 小さな掛け声と共に、クローナがドアスコープを人差し指で押した。

 どうやら、インターホンの呼び出しボタンとドアスコープを混同しているらしく、クローナは反応を示さないドアスコープに首を傾げている。

 あまりにも普段通りの行動をしているクローナに、キロはますます自分が作り出した幻影ではないかと疑うが、ひとまず声を掛けるべきだと考えて口を開く。


「クローナ、なのか?」


 キロがクローナの声を聴き分けたように、扉越しでもクローナにはキロの声だと分かったらしい。

 嬉しそうな顔をして頷いた。


「やっぱり部屋はここで合ってたんですね。キロ……さん」


 呼び捨てにしそうになって慌てて付け足したような間を開けて、さん付けしたクローナが玄関扉を抑えた。


「扉は開けずに聞いてください」


 扉を隔てた向こう側に自分の遺体があると知らないような明るい声で、クローナは続ける。


「未来のあなたから伝言を預かってます」


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