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複数世界のキロ  作者: 氷純
第一章 クローナの世界

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第十二話  初めての宿探し

 グリンブルについて詳しい話を聞きたいという受付の女性に明日またギルドを訪ねる約束をして、キロとクローナは外に出た。

 冷たい風に身震いして、キロ達は歩き出す。

 羞恥心をようやく乗り越えたクローナの顔色が戻っていくのをキロは眺めた。


「ああいう話は苦手なのかもしれないけど、反応すると余計に面白がられるだけだぞ」

「分かっているんですけど、経験がなくて……。羊かシスと結婚するつもりか、と司祭様にも言われた事があるくらいで」


 ――シス、確か死んだ牧羊犬だったな。

 以前、司祭の口から出た名前だったと思い出し、キロは苦笑した。


「筋金入りだな」


 旅から旅への羊飼いという職業柄、人と関わる機会があまりなかったのだろう。

 魔物という脅威が存在するこの世界で、安全な町から出たがる人間は多くない。

 クローナはあまりこの話題を続けたくないようで、別の話のタネはないかと辺りを見回している。

 キロとしても、クローナをからかうつもりはない。高校時代の寮生活では男友達と恋バナと下ネタで一晩話し込んだりもしたが、年頃の女の子であるクローナ相手には憚られた。

 しばらく視線を彷徨わせていたクローナは話のタネを見つけて口を開く。


「実は私、宿に泊まるのは初めてなんですよ」

「もしかして、羊飼いの頃はずっと野宿してたのか?」


 にわかに信じられずにキロは訊ねるが、クローナは何でもない事のように頷いた。


「いつも町の防壁沿いに野宿ですね。防壁の傍まではめったに魔物もやってきませんし、万が一にも魔物が近付いて来たらシスが吠えてくれました」

「優秀な牧羊犬だったんだな」


 キロが見た事もない牧羊犬に感心すると、クローナが自分の事のように照れた。

 少し寂しそうな顔して、クローナは夜空を見上げる。


「心強い相棒でしたよ。話しかけたら言葉を返してくれるんじゃないかと思うくらい、頭のいい子でした」


 遠い目で語った後、クローナははっとした様にキロを見る。


「キロさんも心強いですから!」

「いや、別に嫉妬とかしないから」


 変なフォローをしてくるクローナに突っ込みを入れる。


「嫉妬……あ、はい……」


 一部の単語に反応して、クローナが顔を赤くする。


「この程度で反応するのはさすがにどうかと思うな」

「すみません、なんか変に意識してしまいまして……」


 結局、振出しに戻ってしまい、キロとクローナは気恥ずかしさを抱えたまま押し黙った。

 クローナの赤い顔を眺め続けても回復に余計な時間がかかってしまうだろうと、キロは夜空を見上げる。

 少し赤みがかって見える月といくらかの雲が浮かんでいた。

 沈黙の中でしばらく夜道を歩いているうちに、クローナの顔色が戻ってくる。


「その、何が言いたかったかというとですね。初めて宿に泊まるのでちょっと楽しみなわけです」

「気持ちはわかる。寝る場所が違うってだけで妙にワクワクしたりするよな」


 キロの通っていた高校は全寮制だ。どうせ学校の敷地内で寝るのだからと、文化祭の準備では校舎で寝泊まりした事もある。

 修学旅行は言うに及ばず、普段とは違う環境で寝るのはなぜか楽しい。

 一晩中、友達と話し込んで結局は一睡もしなかった経験しかない事にはこの際、目をつむるキロである。

 防壁に近い場所に見つけた木賃宿を覗いてみると、雑魚寝している幾人かの男の姿があった。横に放り出されている荷物に武器が混ざっている。

 ――駆け出しの冒険者か。

 お金がないのは誰でも同じらしい。

 小さな建物だったが、クローナと二人分なら寝る場所も確保できそうだ。

 やっと休めると思い、歩き続けて疲れた足を中に入れようとしたところ、出入り口横の親父に呼び止められた。


「お前さんら、まさか二人で泊まるつもりか?」


 宿の主らしき親父は怪訝な顔でクローナをジロジロと眺めている。

 キロはクローナと顔を見合わせた。


「そのつもりですけど、もう空きがないんですか?」


 クローナが不思議そうに宿の中を見回して、親父に問う。

 親父は頭をぼりぼりと掻いて、呆れたような顔をした。

 親父はキロを見て、宿の中、正確には雑魚寝している男達を指差す。


「ずいぶんと美味そうな餌をぶら下げて入るんだな」

「……なるほど」


 親父の言葉が聞こえたのか、視線を逸らす泊り客の男達を見て、キロは合点がいった。


「なるほどって、何がですか?」


 経験不足で理解が及んでいないクローナの質問を聞いて、宿の主と一緒にため息を吐いた。


「お邪魔しました」

「おう、夜はその嬢ちゃんから目を離すなよ」

「――キロさん、何がなるほどなんですか?」


 なおも問いかけてくるクローナの背中を押して、キロは木賃宿を出た。

 クローナは答えを返さないキロに不満そうな顔をする。

 どうしたものかと思いつつ、このままでは木賃宿に踵を返しかねないクローナの態度をみて、キロは仕方なく説明する。


「男共に襲われても知らないって話だよ」

「えっ……」


 赤い顔で固まったクローナに、キロはため息を吐く。


「どこか安宿を探して泊まるしかないな。女性冒険者が少ない理由が分かったよ」


 下積み時代に木賃宿にも安心して止まれないのでは利益を上げにくい。必然的に女性冒険者は男性冒険者よりも金銭的なやりくりが難しく、なり手が少ないのだろう。

 ――需要はあると思うんだけど。

 グリンブルとの戦闘の疲れもあり、キロは重さを増してくる瞼に抗いながら安宿を探して回る。

 少しガタがきている建物を見つけて、軒先に下がった看板の文字をクローナに読んでもらい、宿である事を確認する。

 これでようやく眠れる、とキロ達は宿に入った。

 男女二人組のキロ達を見て、宿の主が下卑た笑みを浮かべる。


「銅貨三枚だ。素泊まりだろ?」


 クローナが頷いて、財布代わりの革袋を覗き、悩み始めた。

 お金が足りないのかと思ったが、どうやらクローナは一部屋だけ借りて節約するか、きちんと二部屋借りて別々に泊まるかで悩んでいるらしかった。

 クローナはキロを横目で窺って赤い顔をした後、恐る恐るといった風に銅貨三枚を宿の主の手に落とした。

 部屋のカギを受け取り、キロの顔を見ないように背を向けて階段を上り始める。

 後ろから見ても耳が赤い。

 ――完全に意識してるな。

 ギルドでも木賃宿でもからかわれたため、クローナはキロを男性として意識しすぎている。

 部屋は別だったにせよ、教会ではひとつ屋根の下だったのだが、部屋を同じくするとなるとハードルが上がるらしい。

 キロも緊張しないわけではなかったが、クローナの様子を見ていると冷静さが働いてくる。

 二階突き当りが割り当てられた部屋らしい。

 安宿らしいオンボロ具合ではあったが、掃除はきちんと行き届いており、埃一つ落ちていない。

 部屋の隅には場違いに新しい箪笥が一つ置かれている。壊れた備品だけを新調する経営方針なのだろう。

 ただし、案の定ベッドは一つだった。

 赤い顔を向けてきたクローナは緊張の面持ちで胸の前に持ってきた拳を固く握る。


「だ、大丈夫です!」

「何がだ?」


 間髪入れずに聞き返すと、クローナは酸欠の金魚のように口をパクパクと開閉し、決意した瞳を向けてくる。


「覚悟はできてます!」

「……は?」


 先ほどまで恥ずかしがっていた少女の言葉とは思えず、キロはつい変な声を上げてしまう。

 キロが反応に困っていると、クローナは赤い顔でプルプルと震えだした。


「冗談なので、突っ込んでください……」


 どうやら、慣れる努力をし始めたらしい。


「この状況で突っ込んでくださいとか言うなよ」


 適当に軽口を返してみると、クローナは首を傾げた。


「なんで冗談を指摘してもらったらだめなんですか?」

「……翻訳のせいで掛詞が伝わらないのか」


 キロが呟くと、クローナが納得顔で頷いた。

 掛詞に類する言葉はクローナの使う言語にもあるようだ。


「もう寝よう。クローナも疲れただろう?」


 面倒臭くなってキロは提案する。

 一つしかないベッドを見てため息を吐いたキロは、ベッドの横に荷物を置き、それを枕に寝転がった。

 クローナはベッドから枕と布団を剥がすと、キロの隣で横になる。

 キロにもかかるようにクローナが布団を掛けようとした時、キロは上半身を起こした。


「――ベッドで寝ろよ!」

「だってキロさんは床で寝ようとしてるじゃないですか。私だけベッドに入れません!」

「律儀だな! 百歩譲って床に寝るとしても、なんで一緒の布団で寝ようとしてんだよ」

「大事なパートナーに寒い思いをさせるわけにはいきません。司祭様に渡された外套も無くしてしまったキロさんが悪いんです。大人しく寝てください!」

「なんで俺が怒られてんの⁉」

「――お客さん、夜も遅いんで静かに〝して〟くれ」


 階下から宿の親父の声が聞こえ、キロとクローナは口を閉ざす。


「……寝ようか」

「……寝ましょう」


 結局、羞恥心よりも疲労と睡魔の方が勝り、キロとクローナは二人で横になった。


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