第二十一話 ラッペン大通りの戦い
通りにいた人々は降ってきた人間の手足を見て硬直し、次の瞬間には悲鳴を上げて逃げ出した。
ファフロツキーズ現象、などというオカルト用語が脳裏に浮かんだキロだったが、キロ達を中心に半径五メートル以内に手足が降って来ない事に気付く。
「――シールズか!」
弾かれたように上空を見上げると、暗い夜空を背景にして屋根の上に立つシールズがいた。
闇討ちにしては派手な登場に訝しむより早く、キロは声を張り上げる。
「クローナ!」
キロに名を呼ばれたクローナが速度を重視して杖から魔力を引き出し、シールズに向けて白熱する火球を打ち出した。
屋根の上にいたシールズを狙った火球はあっさりと避けられ、夜の空へと高く昇った。
だが、キロもクローナも火球が避けられる事は織り込み済みである。
――これでアンムナさんがアジトに向かうはずだ。
合図が届いている事を願いつつ、キロはシールズを睨みつけ、駆け出した。
シールズに違和感を持たれる事なく足止めしなければならない。
シールズが降らせた人間の手足が通行人を追い払ったため、大通りには空白地帯ができ始めていた。
大通りを横切ったキロは跳躍し、シールズの立つ民家の屋根に降り立つ。
槍を構えるキロに対し、シールズは肩を竦めた。
「速攻を掛けてくるとは意外だね。人払いが完全に済むまでのんびりお話ししようかと思っていたのに、台無しじゃないか」
「悪趣味な雨降らせやがって、のんびり話していられる環境かよ」
キロ達が立つ民家を挟んだ別の通りにも手足が数本転がっていた。距離があるため、右腕か左腕かはわからなかったが、拾っても届け先に困る物であることには変わらない。
「誰の手足だ」
「この街で襲った冒険者の手足だよ。防腐処理をあれこれ試してみたんだ」
練習にね、とシールズは明るい笑みを浮かべる。
「グリンブルでの実験で死蝋化の手順は完成しているんだけど、人間相手に通用するかと思って、確認したんだ。半端な物ではあるけど、場所を取らないしなかなか美しいとは思わないかい?」
シールズは宝物を自慢するような口ぶりで通りに転がる手足を指し示す。
うんざりしたキロはため息交じりに言い返す。
「大事な物なら道端に捨てるなよ」
シールズが肩を竦めた。
「半端な物だからね。誰かが拾って大事に飾ってくれるなら止めないけど、僕の手元に置いておくほどの完成度ではないよ」
シールズの審美眼に弾き出された手足をざっと数え、犠牲者数を割り出したキロは眉を寄せる。
――ラッペンだけにしては明らかに数が多いな。
「別の街で襲った分も含めてるだろ」
「それが今重要かい?」
シールズに聞き返されて、全部終わった後で検証すればいいだけだ、とキロは思い直す。
キロがシールズと会話している間に、大通りに面した店は裏口から客を避難させた事を、クローナとミュトが手を振って知らせてくれた。
シールズが横目にクローナ達を見て、短剣を取り出す。
「これで通行人を庇ってキロ君やミュトさんが怪我をする心配もなくなった」
シールズが両手に短剣を構え、半身に構える。
「――始めようか」
言葉を放った直後、シールズの姿が掻き消えた。
――さっそくかよ!
キロはすぐさま民家の屋根を飛び下り、視界が開けた大通りに着地する。
フカフカへ視線を向けると、シールズの特殊魔力を視認できるフカフカは尻尾をわずかに右斜め前へ揺らした。
知らなければ見逃されてしまうほど微細な合図。
しかし、事前に取り決めた合図を見たキロの動きは早かった。
キロは躊躇なくミュト達に背中を向ける。
キロの後方の何もない空間から上半身を乗り出して水球を放とうとしていたシールズが、攻撃する前にキロに見つかった事実を前に意外そうな顔をしていた。
キロは槍を薙ぎ、上半身へ切りかかるが、シールズはすぐに張ってあった特殊魔力の中に体を引っ込め、再び屋根の上に姿を現した。
「良く分かったね」
探るように目を細めて、シールズがキロを見つめる。
キロは無言で槍を腋に挟んで構え、自由になった左手に現象魔力を集中させる。
――手加減抜きでいこう。
キロは決意し、槍を握る手に力を込めた。
これまでのやり取りを見ても、シールズはキロ達を完全に格下として見ている。
確かに、キロ達三人が協力しても、実力ではシールズに敵わないだろう。
だが、シールズは一つ勘違いしているのだ。
それは、キロ達がアシュリーの居場所を知らないと思い込んでいる事。
キロ達がアシュリーの所在を知るためには彼を生け捕りにしなければいけない、とシールズは思い込んでいるのだ。
ただでさえ実力差がある中で、生け捕り前提の動きしかできないならば、キロ達の戦闘力は大幅に落ちる。
だが、キロ達にとって究極的に言えばシールズの生死はもはや関係ない段階にあった。
なぜなら、アンムナがアシュリーの回収に向かっているのだから。
キロは動作魔力を込めた足で大通りの石畳を強く蹴りつけ、加速する。
「クローナ、水を!」
「了解です!」
キロの声に応え、後方からクローナが五つの水球を放った。
水球のうち二つはすぐに破裂し、霧となってクローナとミュトの姿を覆い隠す。
三つの水球がキロの横を通り抜け、シールズへと向かった。
興味無さそうに水球に向けてシールズが手を突きだす。手の前には石弾が形作られた。
シールズの石弾が完成したタイミングを狙って、キロは左手から雷撃を放つ。
クローナが放った水球を介して直進した雷撃は、シールズが作り出した石弾を避雷針と認識したように直撃する。
しかし、キロが雷撃を繰り出すことを予期していたように、シールズは石弾をその場に残して後方に大きく飛び退いていた。
雷撃を免れたシールズが短剣をキロの足元へ投げつける。
――空間転移か。
短剣に空間転移の特殊魔力が込められていると予想して、キロは右足に力を込め、左へ跳ぼうとする。
しかし、後ろから走り込んできたミュトがキロの右腕に抱き着いて押しとどめ、短剣を左へ蹴り飛ばした。
左に蹴り飛ばされた短剣が掻き消え、シールズの手元に落ちる。
キロの右腕に抱き着いたまま、ミュトは小さく呟く。
「短剣はキロを左に誘導するための物だよ」
おそらくはフカフカが見破ったのだろう。
キロは小声で礼を言って、槍を構え直す。
シールズが何かを深く考えるように腕を組んだ。
二度も空間転移を見破られたため、仕掛けがある事に気付いたのだろう。
――考える時間を与えるのは良くない。
再び駆け出そうとしたキロを、ミュトが引き止める。
「キロは補佐に回って。危なっかしいから」
少し胸に刺さる物がある言い方だったが、フカフカを連れているミュトの方がシールズに対する相性がいい。
渋々、前衛を譲ったキロを振り返ったフカフカが、まぁ見ていろ、とばかりに尻尾を振った。
小剣を構えたミュトに、シールズが初めて警戒するように一歩引いた。
「ミュトさんの戦い方は全く知らないんだよね。肩に乗っているイタチも気になるけど、どこの出身だい?」
シールズの問いかけを無視して、ミュトが左腕を横に突き出す。
「――行くよ、フカフカ」
ミュトの一言に既視感を覚えて、キロは身構える。
次の瞬間、フカフカが強烈な光を放った。
戦闘力を見るラビルとの模擬戦で見せた、ミュトの目くらましだ。
身構えていたキロとクローナは対処できた。
フカフカの光をやり過ごしたキロが瞼を開くと、シールズは片目をつぶった状態で周囲を見回していた。
「カッカラでやられた時はまさかと思ったけど、やっぱりそのイタチは魔法が使えるんだね。面倒な生き物もいたものだ」
カッカラのギルドで戦闘した際にキロが使った目くらましから、ミュトの行動を読んでいたらしい。シールズは片眼を固く閉じて目くらましをやり過ごしたようだった。
しかし、ミュトの姿を完全に見失ったらしく、しきりに顔を動かしている。
それもそのはず、ミュトは特殊魔力の壁で姿を隠しているのだ。
対ラビル戦の再現をするように、ミュトが特殊魔力を張りながらシールズに接近する。
シールズが事前に張った空間転移の特殊魔力を目視できるフカフカがシールズの死角を逐一ミュトに伝達し、見る見るうちにシールズとの距離を詰めていく。
その時、キロはミュトが張った特殊魔力の壁の変化に気付き、声を張り上げた。
「――ミュト、退がれ!」
だが、キロの声がミュトに届くより早く、シールズの手から水球が放たれていた。
ミュトの作りだした特殊魔力の壁に阻まれ、水球はむなしく四散する。
ミュトが後ろに跳躍して距離を取り、キロの前に立った。
舌打ちするミュトに、シールズが微笑みかける。
「面白い特殊魔力だね。一部分だけ夜明け前みたいに真っ暗になってたよ」
ミュトが姿を隠しながら接近する際に張った特殊魔力の壁の一部が、他とは異なる明度であったため、居場所を見抜かれたのだ。
ミュトはシールズの指摘に再度舌打ちする。
キロはシールズの洞察力にうすら寒いものを感じた。
――夜明け前……ミュトの特殊魔力が時間に関係ありそうなことまで見抜かれたか?
切り札が少しずつ暴かれていく感覚に急かされながら、キロは打開策を練る。
その時、ちらりと視界に入ったフカフカの尻尾の動きに、キロは違和感を抱いた。
フカフカがキロに横目を投げてくる。
それだけで、何か策があるのだとキロが気付いた瞬間、左右を石弾が通り抜けた。
ミュトが張った特殊魔力の壁を縫うように飛んで行った石弾は、シールズに最も近い特殊魔力の壁の上部に衝突した。
特殊魔力の壁に衝突した石弾は破損しながらもわずかに上方向に軌道を変え、なおも飛ぶ。
シールズの頭上を通り過ぎる軌道で飛んだ石弾だったが、攻撃のかなめは石弾の〝中身〟にあった。
石弾に詰め込まれていた熱湯がシールズ目がけて降り注ぐ。
ミュトの特殊魔力があったために直前まで石弾を認識できなかったシールズが、降り注ぐ熱湯から逃れようと飛び退く。
袖の長い服を着ていたことが幸いし、シールズは熱湯を浴びた服の上からさらに自らが生み出した水を掛け、火傷を回避する。
シールズの動きを目で追っていたキロは眉を寄せた。
――空間転移を上に張れば熱湯を回避できたはずなのに。
濡れてまとわりつく服が鬱陶しいのか、シールズが顔をしかめる。
しかし、シールズの視線は攻撃したクローナではなくミュトに向けられていた。
「そんなにボクが怖いの?」
ミュトが小剣を左右に振ってシールズを挑発する。
シールズは空間転移を二度も見抜いたミュトを警戒していたため、直接的なダメージはさほどでもない熱湯を甘んじて受けたのだとキロは気付く。
ミュトはシールズに心理的な揺さぶりをかけ、空間転移をした瞬間を攻撃できるとほのめかしているのだ。
そして、フカフカがいれば本当に先制攻撃は可能なのだろう。
シールズはミュトの挑発に取り合わず、視線をクローナへ転じる。
キロとミュトの後方、大通りに面する料理屋の前にたたずむクローナは油断なく杖を構えていた。
シールズが盛大にため息を吐く。
「どうやら、本当に特殊魔力を張ってある位置が分かるみたいだね」
どういう事だとキロはミュトに視線で問う。
「クローナが立っている辺りには空間転移の出口が張られてないんだよ」
ミュトが笑みを浮かべながら、キロの疑問に答えた。
シールズは両手に一本ずつの短剣を持つ。
「勘違いしているようだけど、そこに出口があるかどうかなんて些細な問題だよ。この距離なら、ね」
言うや否や、シールズが水球を上空へ放り投げる。
「空間転移を使えばこういう事も出来るんだ」
シールズの手元から一本の短剣が消え、投げ上げられた水球から姿を現した。
キロ達の頭上を越え、クローナの元へと届く軌道だ。
キロがすぐに石弾で撃ち落とす。
その時、短剣を起点に石弾が飛び出してくる。
――魔法や物に込めた特殊魔力で連続転移させてるのか!
この方法ならば特殊魔力が枯渇しない限り延々と遠距離攻撃を続けることができる。
それなら、とキロが転移してきた石弾を石壁で隔離しようと現象魔力を練った時、石弾から四方八方に水球が乱射された。
「まさかあの水球全部に特殊魔力が込められてるんじゃないだろうな⁉」
「そのまさかみたい!」
キロとミュトは同時に駆け出し、クローナの元へ走る。
四方八方へ散った水球のすべてから、さらに複数の水球が飛び出す。
無数に飛び交う水球から、とどめとばかりに石弾がクローナに向けて射出される。
――たった一人で全方位からの一斉攻撃って、ありかよ!
動作魔力で加速したキロだったが、クローナの表情を見た瞬間、槍の石突きを地面に突いて支柱にすると、九十度方向を転換する。
そして、横を走っていたミュトを横から抱え上げると、一気に加速した。
無数の石弾に狙われているクローナを無視して離脱したキロに、シールズが意外そうな顔をする。
だが、キロはクローナを見捨てたわけでは断じてない。
キロがミュトとフカフカを連れて離脱したのを見て、クローナが口元にかすかな笑みを浮かべる。
「――そんな小細工しなくても、全方位攻撃くらいできますよ!」
啖呵を切った瞬間、クローナの足元から大量の砂が螺旋を描いて巻き上がる。
風とも水とも単なる石壁とも違う砂嵐は、わずかに加えられた水と合わさり、硬度ではなく粘度で無数の石弾を受け止めた。
直後、砂嵐はさらに大量の水分が加えられ、泥と化す。
動作魔力を通されたらしい泥の螺旋が収束し、鞭のようになった。
クローナが腕を横に振り抜くと、泥の鞭は大通りをなめるように薙ぐ。
しかし、シールズに向かう泥の鞭は突然半ばから千切れ飛んだ。
シールズが、設置していた空間転移の魔力を流用して泥の鞭の一部を転移させたため、先の方まで動作魔力が通わなくなったのだ。
「泥の鞭では全方位からの攻撃とは言えないよ」
シールズが肩の高さに両手を上げて呆れを示す。
クローナはシールズの態度を笑顔で受け流した。
「何言ってるんですか。ちゃんと全方位攻撃です」
怪訝な顔をしたシールズがクローナの言葉の意味に気付いてキロを振り返った。
すでにキロは攻撃モーションに入っている。
――地面を覆う泥水と電撃で全方位だろッ!
キロの手元から放たれた紫電が泥水に直撃する。
「ちッ!」
シールズが舌打ち一つを残して空間転移した。
長年の経験からくる反射だったのだろう。
辛くも電撃を回避し、大通りの端に現れたシールズがキロ達を見て目を見開く。
なぜなら、ミュトの姿がなかったからだ。
「――こっちだよ」
まだ空間から全身が出てこれていないシールズに、ミュトが後ろから声を掛ける。
愛用の小剣を大上段に構えていたミュトは、強く一歩を踏み込むと共にシールズの腕を目掛けて小剣を振り降ろした。
シールズの腕に食い込む寸前、小剣の切っ先が掻き消える。
「キロ君から聞いていなかったのかい?」
カッカラのギルド内での戦闘でキロの槍相手にも使った、空間転移による武器破壊だ。
すでに全身を空間から出したシールズが笑みを浮かべる。
だが、ミュトもまた、笑みを浮かべていた。
「もちろん、聞いてたよ」
トンッと、ミュトが後方に飛び退きながら、シールズを指さす。
「――捕まえた」
怪訝な顔をしたシールズはミュトを追いかけようとした時、気付いただろう。
ミュトの特殊魔力で作られた不可視の枷に嵌められて、足が微動だにしない事に。
「でかした、ミュト!」
シールズに向けて、キロはクローナと共に魔法を発動する。
キロの声に振り返ったシールズは空間転移の魔力で逃れようとしたようだが、驚愕の面持ちで特殊魔力の足枷を見つめた。
キロは賭けに勝ったことを確信する。
――やはり、ミュトの特殊魔力は転移できないみたいだな。
頭の中で立てていたミュトの特殊魔力に関する仮説に信頼を強めながら、キロは石弾を放つ。
シールズが焦りの表情で特殊魔力を発動し、とんでくる石弾を次々に空間転移させる。
アシュリーの居場所を聞き出すために生け捕りにしようとするはずのキロ達が、殺傷力のある石弾を撃ってくるとは予想していなかったのだろう。
「いつまで転移させられるか、試させてもらおうか!」
「あの世への片道切符を大盤振る舞いです!」
キロはクローナと共に、シールズの特殊魔力を枯渇させる勢いで石弾を放ち続ける。
直撃間近で次々に転移した石弾が、大通りに転がり始めた。
しかし、キロ達も必死だった。
ミュトの特殊魔力は効果時間が短いのだ。
効果が切れる前にシールズを無力化しなくてはいけない。
キロがさらに石弾の数を増やそうとした時だった。
ミュトがキロの後ろを指さし、声を張り上げる。
「二人とも、後ろ!」
シールズが石弾を後方に転移させたのかと思い、キロは瞬時に振り返る。
だが、瞳に映ったのは石弾ではなかった。
「――有刺鉄線⁉」
先端に短剣を括りつけた有刺鉄線がキロ達に向かって飛んできていた。
意表を突かれながらも、キロは槍を一回転させて有刺鉄線の先に付いた短剣を弾き飛ばす。
しかし、有刺鉄線は一度大きく波打つと先端の短剣をキロに向ける。
込めた動作魔力を巧みに調節しているらしく、有刺鉄線の先に付いた短剣が蛇の頭のようにキロへ跳びかかった。
弾いても埒が明かないと見たキロは、シールズに撃ち込む予定だった石弾を短剣へと衝突させ、破壊する。
錘の代わりになっていた短剣が破壊されたためにバランスを崩した有刺鉄線がするすると離れて行った。
キロは有刺鉄線の先へと視線を転じる。
「……キアラ」
有刺鉄線を操っていた女を見つけたキロは、名前を呟いた。




