第十話 銀色グリンブル
「どうなってるんですか⁉」
涙目になりながら、クローナが怒鳴る。
眼前ではシキリアを放り出したゴブリンが逃走を開始し、飛び出してきたグリンブルを攪乱していた。
グリンブルは周囲のゴブリンを忌々しそうに睨みながら牙を振り回している。
キロはクローナと共に街道脇に生えていた大木の根元に身を隠していた。
グリンブルの動きを気にしつつ、キロは説明する。
「ゴブリンがシキリアを使って、興奮させたグリンブルをここまで誘導してきたんだ。手に負えないから人間の力を借りようとしてるんだろうさ」
「あんなの私達の手に負えるわけがないじゃないですか。体毛が銀色になってるんですよ? 長生きした百戦練磨の個体ですよ、きっと!」
クローナの言葉通り、街道で暴れまわるグリンブルは銀色に輝き、体長はキロの倍以上、振り回している牙ときたら成人男性の太ももくらいの太さである。
周囲のゴブリンと合わせると、マンモスから原始人が逃げ惑っているように見えてくる。
――神に縋りたくなるのも分かるな。
他人事のように考えるが、神様役を押し付けられた身としては笑えない状況だ。
「逃げたいけど、さっきから目が合ってるんだよなぁ……」
ゴブリンよりも体格が良いキロ達を警戒しているのだろう、グリンブルは周囲のゴブリンに当たり散らしつつ、キロ達に注意を向けている。
仮にここから逃げ出したとしても、興奮状態にあるグリンブルが見逃してくれるとは思えなかった。
隠れ続けていれば注意が逸れるかと期待していたが、望み薄である。
事実、キロが少しでも動けばグリンブルが牙の先を向けてくる。
戦闘は避けられないだろう。
「クローナ、向こうさんはやる気満々だけど、逃げる方法は何かないか?」
「……あったら昨日のグリンブルとあった時にやってますよ」
もうゴブリンなんて大っ嫌いです、とクローナは涙を拭いながら覚悟を決めたように杖を強く握りしめた。
「ゴブリンごと魔法の餌食にしてやります……」
「開き直りすぎだろ。敵を増やすようなまねはするな」
クローナの暴走にくぎを刺し、キロも槍を片手に立ち上がる。
キロ達の交戦の意思に気付いたのか、グリンブルがゴブリンを無視して向き直った。
キロはクローナの一歩前に立ち、槍の穂先をやや上方に向けて構えた。
――さて、どうしたものかな。
戦う覚悟は決めたものの、昨日と同じくただ槍を振るっただけでは文字通り歯が立たないだろう。
動作魔力を使った戦い方は教わったばかりで碌に練習もできておらず、実戦で使うには心もとない。
こんな時に思い浮かぶのは、町で引退した冒険者達にさんざん言われた言葉だった。
曰く、考えてばかりで行動に反映されるまでが遅い。
一分一秒、時には一瞬で勝負が決まる戦いにおいては致命的と言われた癖だ。
――でも、考えないよりましだって思うんだよな。
自分の考えに一人苦笑しつつ、キロは槍の穂先をグリンブルに向けたまま、少しづつ横に移動する。
グリンブルが突進してきてもクローナを巻き込まない位置まで移動し終えたキロは、足元からパキッと軽い音がしたことに気付いて、一瞬だけ視線を下に向ける。
「枯れ枝か」
森からグリンブルが飛び出した時にでも、一緒に転がり出てきたのだろう。
ふと思いついて、キロは器用に足先から放出した魔力で枯れ枝を覆う。
キロは薄く魔力で覆った枯枝を爪先で空に跳ね上げた。
グリンブルが小さく身じろぎするように一歩後退し、キロの足元から突然飛び出したものの正体を見極めるように空を仰いだ。
爪先だけで蹴りあげたにもかかわらず、枯れ枝は空へと舞いあがる。枯れ枝を覆った動作魔力により、力がかかっているのだ。
枯れ枝は放物線を描いてグリンブルの目の前に落下した。
「……なるほど、重力の影響は受けるんだな」
動作魔力を使っても物理現象を完全に無視できるわけではないらしい。
あくまでも、腕力の代わりを魔力で行うだけなのだ。
枯れ枝の動きから冷静に分析したキロは、さらに思考を進める。
――借り物だから粗末に扱いたくはなかったけど。
キロは司祭に渡された外套の片袖を握り、作戦を決めた。
いつのまにか、攪乱するように逃げ惑っていたゴブリンは姿を消している。
これで戦いやすくなったとばかり、グリンブルがおもむろに頭を下げ、突撃体勢を作った。
狙いは明らかに、キロだ。
グリンブルの巨体が放つ威圧感に気圧されそうになりながら、キロはいつでも避けられるように身構える。
鼻息荒く前足を踏み出した瞬間、グリンブルの巨躯が加速する。
前回のグリンブル戦を踏まえて突進を警戒していた事もあり、キロは大きく横に跳び、余裕を持ってグリンブルの突進を回避できた。
走り抜けていくグリンブルを目で追いながら、キロは素早く外套を脱いだ。
外套の中央あたりに動作魔力を集中させ、グリンブルの顔を狙って打ち出す。
石を包んだ布を勢いよく投げたように、外套はグリンブル目がけて飛んでいく。
そして、突進の勢いを殺して振り返ったグリンブルの顔に衝突した外套は、慣性に従って広がり、グリンブルの視界を塞いだ。
「――クローナ、やれ!」
キロはクローナに魔法による攻撃を促す。
自らも魔法による攻撃を行うべく、外套を打ち出したばかりの手の先に魔力を集める。
キロは現象魔力で作り出した拳大の石を放とうとグリンブルに狙いを定めようとして、違和感を覚えて眉を寄せる。
――こんなに距離があったか……?
キロが躊躇した瞬間、クローナの声が飛んだ。
「このグリンブル、怯んでません!」
クローナの言葉で、キロは理解する。
グリンブルは外套で覆われた視界を気にせず、突進するつもりなのだ。
――だとしたら、離れたように見えたのは目の錯覚じゃなく、助走距離を稼いだからか!
理解が及んだ瞬間、グリンブルが加速する。
顔に外套を張り付けたまま、砲弾の様に飛び出したグリンブルがキロに向かってくる。
外套で覆われる直前に見たキロの位置を覚えているのだろう。
キロは準備していた石つぶての魔法を中断し、全力で横に跳んだ。
キロのすれすれをグリンブルの牙がすり抜けていく。
冷や汗を流しながらも回避に成功したキロは、跳んだ勢いのままに地面にスライディングし、すぐに地面に手をついて立ち上がる。
振り返れば、頭突きの体勢で止まったグリンブルと、衝撃で折れ倒れていく樹が瞳に映った。
――突進するだけで木をへし折るって……。
ゴクリと喉を鳴らしたキロを後目に、グリンブルは悠々と振り返る。外套は突進の最中に剥がれたのだろう、獰猛な顔がありありと視認できる。
直後、グリンブルの胴体にバスケットボール大の石つぶてがぶち当たった。
肉を叩く鈍い音が響き、流石のグリンブルもよろめいた。
石つぶてが飛んできた方向を見れば、クローナが次弾を打ち出すところだった。
かなりの動作魔力を込めたらしく、二発目は高速でグリンブルに向かう。
忌々しげにクローナを見ていたグリンブルは、頭を下げた。
グリンブルが二発目を避けたのだと考えたのか、クローナが苦々しい顔をする。
しかし、グリンブルの牙が倒れた樹の下に差し込まれたる様子が、キロには見えていた。
キロの世界であれば到底持ち上がらない大きさの樹だ。
それでも、動作魔力で補佐すれば、持ち上がらないとは限らないのがこの世界。
三発目を準備し始めたクローナに、キロは怒鳴る。
「倒れた樹を投げてくる、気を付けろ!」
キロが言い終わらないうちに、グリンブルが牙を振り上げる。
同時に、倒れていた樹が投げ飛ばされた。
地面と水平に飛ばされた樹は屈んでもジャンプしても避ける事を許さない絶妙な高さでキロ達へ迫ってくる。
そう、素の身体能力では避ける事が出来なかっただろう。
だが、キロは散々グリンブルの動きを見ていた。
「クローナ、跳べ!」
キロは叫ぶと同時に動作魔力で全身を覆い、膝を軽く曲げ、ジャンプする。
動作魔力の補助を受けた身体が、単なるジャンプでは不可能な高さを実現する。
しかし、無理な動きに筋肉が付いて行かなかったか、脚や腰に鈍い痛みが走った。
キロは思わず顔をしかめる。
ちらりとクローナを横目で確認するが、動作魔力で体を動かす事に不慣れなためか、樹を避けるには高さが足りなかった。
クローナの高さが足りない事態も想定していたキロは空中で槍に動作魔力を纏わせ、思い切り振りおろす。
再びの急激な動きで腕の筋肉が軋むが、痛みに耐えただけの価値はあった。
振り下ろされたキロの槍によって樹は叩き落とされ、地面に衝突してゴロゴロと転がったのだ。
クローナが空中で慌てて足を引っ込め、転がってくる樹を避ける。
キロより低く飛んだクローナが先に地面に足を付けた。
クローナの無事を確認して安堵したキロは着地する寸前、地面を叩き割るような異質な音を聞いた。
正面を見れば、グリンブルが牙を突き出して突進を開始していた。
樹を投げ飛ばした目的は攻撃ではなく、キロ達の隙を作るためだったのだと、遅ればせながら気付く。
着地したばかりで体勢が整っていないキロは足で地面を蹴る事も出来ず、舌打ちした。
動作魔力で緊急回避すべく魔力を集めようとするが、間に合いそうもなかった。
――避けらんねぇ……っ!
一か八か、迎え撃とうとしたキロは、押し出すような衝撃を横腹に感じる。
これ幸いと、勢いに逆らわずキロは衝撃を利用して横に飛んだ。
衝撃のおかげでグリンブルの突進を回避したキロは、地面を転がり、受け身を取って立ち上がる。
横腹を見れば、服が凍っていた。
クローナが水球の魔法でキロの体を横から突き飛ばしたのだ。
咄嗟の事だったため、特殊魔力を混ぜて水球を打ち出してしまったのだろう。
「キロさん、無事ですか⁉」
焦った声でクローナが確認する。
キロは片手をあげて無事をアピールしつつ、口を開く。
「あぁ、助かった」
キロの言葉に安心したのか、クローナは胸に手を当てて小さく息を付くと、グリンブルを睨みつけた。
グリンブルは鼻息荒く振り返り、前足で地面を掻いている。何度も突進を避けられてイライラしているようだ。
キロは槍を構えようとして、あまりの軽さに二度見した。
「……折れてる」
「えっ⁉」
キロの呟きを聞きつけたクローナが慌てて視線を向けてくる。
キロは半ばから折れた槍を掲げた。
グリンブルに注意しつつ周囲を探せば、折れた槍の先端が倒れた樹の側に落ちていた。
樹を叩き落とした時に折れたようだ。
――武器なしでどうすればいいんだよ。
口元が引きつるが、グリンブルが待ってくれるはずもない。
倒れた樹を利用するほど賢いグリンブルは、キロの手元にある折れた槍を見つめていた。
無力になったキロに狙いを定めたグリンブルが頭を下げる。もう何度も見た突撃の体勢だ。
武器がない以上、いつかは体力の限界を迎えて避ける事さえ叶わなくなる。
キロは必死に頭を働かせ、打開策を練った。
――いや、武器ならあるか。
グリンブルが一歩を踏み出し、地面を蹴る。
瞬時に最高速に達したグリンブルが風切音さえ伴いながら突進してきた。
今までは反撃を警戒して抑えていたのだろう、間違いなく全力で殺しに来ている速度だ。
キロはすぐに動作魔力を併用して、クローナのいる方向とは逆に駆ける。
足腰がズキズキと痛むが、グリンブルの突進を正面から受けるよりは遥かにマシだ。
しかし、グリンブルが突進の途中で前足を地面に打ち付け、前足を軸に急旋回する。
――追撃できるのかよ!
初めて見せた動きに肝を冷やしながら、キロは折れた槍に動作魔力を込め、グリンブルの目を狙って投げつけた。
流石に頑丈なグリンブルといえども目を狙われては無視できないらしく、地面に四足を付いて速度を落とし、牙で折れた槍を弾き飛ばした。
その隙を狙って、クローナが石つぶてを立て続けにグリンブルへ叩き込む。
しかし、キロを逃がす隙を作るために乱造された石つぶては、グリンブルをわずかにひるませるだけでダメージを与えていないようだった。
キロはひたすら一方向に駆け、同時に動作魔力を大量に練り上げる。
――もっと尖った物か、大きくて重い物をぶつけないと無理だ。
だが、魔法で作り出す石の形や大きさに拘るには、相応に魔力で練る時間が必要になる。
だからこそ、人は武器を使うのだから。
そう、例えば――
「倒木とか、な!」
グリンブルが突進で倒し、あまつさえ牙で放り投げて見せた樹。
グリンブルが使えるのだから、人が使えない道理はない。
キロは練っていた動作魔力をありったけ倒木に注ぎ込み、グリンブル目がけて撃ち出した。
迫る倒木を見たグリンブルが初めて逃げようとするが、クローナの石つぶてがそれを許さない。
キロが残りの魔力を全て注ぎ込んだだけあって、倒木は異常な速度でグリンブルに衝突し、さらには街道の脇に生えた木々へとグリンブルを叩きつけた。
「クローナ、やれッ!」
「分かってます、よ!」
倒木と街道脇の木に挟まれて動けないグリンブルに、クローナが尖らせた石つぶてを高速で射出した。
グリンブルが頭を動かして牙で弾こうと試みるが、クローナの石つぶては見越したように牙が届かない後ろ脚の付け根に突き刺さった。
肉が穿たれ、血飛沫が上がり、骨が折れる音までが聞こえてくる。
乱造した石つぶてとは桁違いの殺傷力を示した石つぶては、グリンブルの下半身を深く抉り取り、街道脇の木に穴をあけてようやく消滅した。
グリンブルは前足だけで立ち上がろうとしたが、身体を起こす前にあえなくくずおれた。




