第五十二話 脱出
作戦を立て終えたキロが再び縄張りに赴くと、ロウヒは洞窟道の出口で待ち構えていた。
「我らの空は失われた。引き返しなさい」
「本当か?」
ロウヒが繰り返すうわ言に、キロは無駄と知りつつ問い返す。
「我らの空は――」
「やっぱダメか」
期待してなかったけど、と呟いて、キロは動作魔力を纏う。
さらに現象魔力を練り、手元と足元に光球を作り出した。
後ろは振り返らなかった。
――まずは天井を目指す、
キロはロウヒが塞ぐ洞窟道の横を睨み、駆け出す。
ロウヒの縄張りへ、キロはただ一人で飛び込んだ。
「……作戦開始」
洞窟道の奥でクローナやミュトと共に待っているフカフカにだけ聞こえる小さな声で告げ、キロはロウヒの横を駆け抜ける。
直後、キロの目の前に巨大な石壁が現れた。
ロウヒがキロの行く手を魔法で塞いだのだ。
しかし、キロは意に介さず、目の前の壁に足をつけ、動作魔力を調節して壁を登り始める。
石壁では効果が薄いと判断したのか、ロウヒは石壁の上部に水球をぶつけ、キロを洗い流そうとした。
キロは素早く左右を確認し、近くにあった支柱に目を止める。
降りかかる水に足を取られるたびに槍を石壁に突き、バランスを保つ。
キロが支柱にたどり着いた瞬間、ロウヒは洞窟道の入り口から動き始めた。
キロが縄張りの奥へ侵入しないよう、正面に立ちはだかるためだ。
キロは自分の役割が成功しつつあるのを感じていた。
――ロウヒを洞窟道から十分に遠ざけ、クローナとミュトが侵入するチャンスを作る。
キロは支柱を駆け上る。
ロウヒを引きつけ、別の支柱に飛び移った時だった。
「おいおい、その魔法は反則だと思うんだけど」
ロウヒの体の正面に火柱が上がっていた。
天井を焼くような勢いでごうごうと燃え盛る火柱にロウヒが風を吹き込む。
風にあおられた火柱の形が崩れ、火が広がる。
炎のカーテンがたなびく様にキロの行く手を遮った。
「これは確かに、登りようがないな」
確固とした足場になる石壁ならばともかく、炎のカーテンに足を突っ込む勇気はない。
だが、キロの目的は縄張りの奥へ進むことではなく、ロウヒを洞窟道から遠ざける事だ。
行く手を塞がれたなら、進む方向を変えればいい。
キロは支柱から飛び降り、地面に着地すると同時にロウヒに背を向けて走り出す。
再びロウヒが追いかけてくる。
キロはロウヒの立ち位置を確認し、洞窟道にいるミュト達へ声をかけた。
「今だ!」
キロの号令を聞いたミュトとクローナが洞窟道から飛び出した。
ミュトは肩にフカフカをのせ、左手はロウヒとの間に特殊魔力の壁を作っている。右手には駄馬の手綱を握っていた。
ミュト達の目的地は天井に開いた洞窟道のそばにある支柱だ。
ロウヒがミュト達に反応する。
ミュト達とキロとの間に挟まれている事を知ったロウヒが一瞬動きを止めた。
――さぁ、どう出る。どちらかを追うか、両方攻撃するか。
出方を窺っていたキロは、ロウヒが動き出したのを見て声を張り上げる。
「射線を斜めにとって魔法で挟み撃ちにしてくる。気をつけろ!」
ロウヒは壁から遠ざかり、キロ達の進行方向に自らが立つと同時に魔法で左右を塞ぎにかかるつもりだ。
クローナやミュトと事前に予想していたロウヒの行動パターンの一つである。
積極的に殺そうとしてこないロウヒの行動パターンは行く手を塞ぐか、追い立てるかの二パターンに大別されると考え、キロ達は作戦を立てていた。
作戦を立てている以上、対応策も練ってある。
ミュトが駄馬の手綱をクローナに投げ渡し、進路を変える。
向かう先はロウヒの後ろだ。
キロ、ミュト、クローナの三人でロウヒを三角形に囲む形である。
魔法は手元から放たれる関係上、この形になれば行く手を塞ぐパターンを潰せる。
後は三角形の包囲を維持しつつ支柱に向かうだけだ。
そう思った矢先――ロウヒが垂直に跳んだ。
三角形の中央からでは行く手を塞げなくとも、三角錐の頂点からなら射線を確保できる。
「八千年の歳の功か」
ロウヒの対応力にキロは苦笑を浮かべる。
だが、三角錐を作るその対応も――想定内だ。
「行きますよ」
クローナが杖を頭上に掲げた。
キロ、ミュトが動作魔力を使って一斉にクローナへ走り寄る。
クローナの掲げていた杖から光が急速に失われ、蓄積していた魔力の大部分を本来の持ち主であるクローナへ供給する。
ロウヒが地面に降り立つより早く、クローナの杖の先から石壁が広がる。
――地面とは、平行に。
落下してきたロウヒはクローナが生み出した石壁に着地する。
キロ達は全員が石壁の下にいるため、ロウヒは進路妨害ができなくなっていた。
「よし、狙い通り!」
「喜ぶのはまだ早い。洞窟道に逃げ込むまで安心するな」
喜ぶミュトに注意して、キロはクローナから駄馬の手綱を受け取って走る。
予想より三角包囲へのロウヒの対応が早かったため、洞窟道に通じる支柱まではまだ距離がある。
全力で駆け抜け、支柱まであと一歩まで迫った時、キロ達の頭上にあったはずの石壁が突然消失した。
キロは反射的にクローナを見る。
クローナは唖然として頭上を見上げていた。
「まだ保つはずなのに……」
クローナのつぶやきを聞き取って、フカフカがロウヒを振り返った。
「奴め、魔力を食いおった!」
フカフカの言葉で、キロは壁画を想起する。
「ロウヒは魔力食生物なのかよ⁉」
――誤算だった。
キロは歯噛みするが、ロウヒは考える時間を与えてはくれなかった。
ロウヒの体の前に水球が形成されたかと思うと、パチパチと爆ぜるような音が聞こえてくる。
ロウヒの生み出した水球に紫電が舞っていた。
「何、あれ?」
「見た事はないが、攻撃魔法のようであるな」
ミュトとフカフカが初めて見る現象に困惑する。
だが、キロとクローナの青ざめた顔に気付いて、恐る恐るミュトが口を開いた。
「あの魔法、知ってるの?」
「知ってるも何も、あれって……」
「――雷、ですよね」
緊張に乾く喉を湿らせるために言葉を切ったキロの後を引き継いで、クローナが正体を告げる。
「強い魔法みたいだけど、対処法は?」
気象現象を知らないミュトとフカフカは首を傾げるが、キロとクローナの警戒振りから威力を推し量ったらしく、対策をキロに訊ねる。
「魔法として使われているのは見た事ないから何とも。クローナは知ってるか?」
「魔力消費が激しい上に誤射が怖いので誰も使わない魔法です。対処法は分かりませんよ」
話している内に、ロウヒの手元に新たな水球が生み出される。
ロウヒが右腕を振りかぶり、新たに生み出した水球を近くの支柱に投げつけた。
次の瞬間、眩い閃光と共に轟音が鳴り響き、水球を撃ち抜いた雷が支柱に命中、焦げ跡を作った。
怯えた駄馬が興奮気味に嘶く。
回避不能としか思えない雷を初めて見たミュトとフカフカが絶句し、キロとクローナは支柱に直撃させたロウヒの命中精度に言葉を失った。
そして、ランバル率いる討伐隊が手も足も出なかったという理由を理解した。
「気象現象を操るとか、冗談だろ⁉」
デモンストレーションは終わりばかりに、ロウヒが両手を広げて右に紫電を纏った水球、左に狙いを定めるための水球を生み出す。
電気が弾ける音が無数に木霊し、比喩ではなく万雷の拍手となっていた。
キロは天井の洞窟道を指さす。
「クローナ、魔法で足場を作って、駄馬を連れて先に行け。ミュトはクローナの横で絶えず防御!」
「キロは⁉」
「ロウヒの攻撃を逸らすッ!」
言うや否や、キロは魔力を練って進路を変更する。
立ち止まったキロは水球を生み出し、ロウヒの動きを注視する。
ロウヒが水球を放つ。狙いは、クローナ達が向かう先にある支柱だ。
「させるかよ!」
キロが水球に動作魔力を込めて放つ。
ロウヒが放った雷が先行する水球に吸い寄せられ、さらにキロが放った水球に捻じ曲げられて地面を焼いた。
ロウヒが再び水球を放つ。
しかし、今度の狙いは――キロだった。
咄嗟に動作魔力を練って、キロは横に跳ぶ。
だが、雷は放たれる事なく、水球が地面にぶつかった。
ぬかるんだ地面に着地したキロはぞっとして、近くの支柱に跳び上がる。
ロウヒが水球を放ち、間髪を置かずに雷を撃ち放った。
雷は水球を貫き、ぬかるんだ地面に衝突する。
「感電させるのが狙いかよ。性格悪すぎるだろ」
悪態をつくが、石像であるロウヒに通じるはずもない。
キロはちらりとクローナ達の様子を見る。
支柱の下に辿り着いたクローナが石壁を生み出して支柱に螺旋階段を作っていた。クローナが集中するためか、駄馬の手綱はミュトに渡っている。
すでにクローナの杖から光は失われており、蓄積した魔力が枯渇している事を知らせていた。
ミュトの特殊魔力もいつまで持つか分からない。
ロウヒが水球を支柱に向けて放つ。
キロは咄嗟に生み出した石弾で迎撃し、走り出した。
動作魔力で一息に加速し、キロは一直線に縄張りの奥を目指す。
――奥を目指す俺と、天井を目指すクローナ達、どっちを優先する?
キロはロウヒの動きを確認する。
ロウヒはわずかに逡巡する気配を見せた後、キロに向けて水球を放った。
キロは支柱を盾にして水球とそれに続く雷をやり過ごし、再び駆け出す。
狙い通り、その後もロウヒは優先的にキロを狙ってきた。
だが、クローナが支柱から天井の洞窟道へと足場を作った途端、ロウヒは弾かれたように体の向きを変え、狙いをキロからクローナ達に変更する。
キロは舌打ちし、その場で反転した。
クローナ達は支柱をほぼ登り終え、天井に開いた洞窟道へ掛けた石の橋を渡っている。
ミュトがキロを見て、問題ないというように頷いた。
特殊魔力の壁を生み出す余力がまだあるのだろう。
――あとは俺が辿り着くだけって事か。
ロウヒが放った雷がミュトの特殊魔力に着弾する。
飛び散った水球の名残が光を反射しながら落ちていく。
キロが見上げれば、光虫がロウヒの攻撃に巻き込まれてぱらぱらと落ちてきていた。
洞窟道に逃げ込んだクローナ達から視線を移し、ロウヒはキロを見下ろす。
ロウヒの左手に残っていた水球が一斉に放たれ、キロの周囲を地面のみならず支柱さえも濡らした。
逃げ場をなくして感電させるつもりなのだ。
「もうこれ、殺しに来てるだろ」
感電でも人は死ぬんだ、とキロはロウヒに教えてやりたくなるが、聞く耳を持ってくれるとは思えない。
逃げ場をなくしたキロに向けて、ロウヒが右手をかざした瞬間、天井から複数の石弾が降ってきた。
すべてがロウヒの右手側にあった帯電した水球を打ち抜き、破裂させる。
石弾のやってきた方向を見ると、天井に開いた洞窟道の端に立つ、クローナの姿があった。
「キロさん、早く!」
「流石、クローナ」
キロは残っている魔力を全て動作魔力に変換し、最高速で地面を走り抜け、支柱に足をかける。
クローナが放った石弾を攻撃とみなしたのか、ロウヒが片手に水、もう片手に炎を生み出した。
石像ゆえに熱さも関係がないらしく、ロウヒは両手を打ち合わせ、水と炎を強引にぶつけて熱湯を作り出す。
ロウヒが熱湯を生み出したのを見て、ミュトがクローナを押しのけて両腕を突き出す。
「クローナ、後ろに隠れて!」
特殊魔力の壁で熱湯を防ぐつもりなのだ。
キロはクローナをミュトに任せて支柱を登る。
ロウヒが熱湯を洞窟道の入り口へ放り投げ、ミュトが特殊魔力の壁を形成した、その瞬間――
ミュトが特殊魔力で張った透明なはずの壁が眩い光を放った。
「なッ⁉」
――なんだよ、いきなり!
目標地点である洞窟道を見つめていたキロは、気構えもなく浴びせられた閃光に対し、咄嗟に腕で目を庇う。
目が眩む事こそなかったが、キロはバランスを崩していた。
繊細に動作魔力を扱わなければならない壁走りの途中では、痛恨のミスだった。
バランスを立て直そうとして速度が落ちたキロに、ロウヒが狙いを定める。
ロウヒが火球に風を吹き込む炎の渦をキロに向けて放つ。
バランスを立て直しているキロには迎撃ができない。
「――ミュト、よせ!」
フカフカの声が聞こえて、キロは洞窟道を見上げる。
ミュトが洞窟道を飛び出し、キロに抱き着いてきた。
バランスが決定的に崩れるが、キロは背中に酷く硬質な感触を感じて振り返る。
キロに抱き着いた直後にミュトが張った特殊魔力の壁が、キロ達を支えていた。
直後、ロウヒが放った炎の渦がキロ達に襲いかかる。
だが、ミュトが右手を突き出し、特殊魔力の壁で防いだ。
「ミュト、さっきの光はなんだ?」
「分からない。いつも通りに張っただけなのに……いきなり。そんなことより早く上に!」
ミュトに促され、キロはミュトの腰を抱え、洞窟道を見上げた。
「……動作魔力が足りない」
元々ギリギリのペース配分で動いていただけに、ミュトを抱えて支柱を登り切る余裕はなかった。
ロウヒが放つ炎の渦を食い止めながら、ミュトが青い顔でキロを見る。
「キロさん、魔力を込めてありますから、使ってください!」
洞窟道からクローナの杖が落ちてくる。
キロは槍を腋とひじの内側で挟んで固定しクローナの杖を空中で掴みとる。
それでも、支柱を登り切るには少し足りなかった。
「ロウヒの攻撃は俺が全力で避ける。だから、ミュト、合図したら杖に動作魔力を補給し続けてくれ。頼めるか?」
遠回しに命を預けろという頼みに、ミュトは困ったように笑って、杖に手を添えた。
「何を今さら。ボクはいつでもいいよ」
「――行こうか」
キロは自らの動作魔力を使って跳び、支柱に足を付ける。
加速しながら動作魔力を使い切り、杖からクローナの魔力を引き出しながら速度を維持し、支柱の裏へまわり込む。
「ミュト!」
キロが名前を呼ぶと、ミュトが杖を強く握りしめる。
杖を覆うリーフトレージにミュトの魔力が蓄積され始めた。
キロは杖からミュトの魔力を引き出し、支柱の表側、ロウヒが待ち構える面へと回り込んだ。
直上に洞窟道がぽっかりと穴を開けている。入り口に立ってロウヒを魔法でけん制しているクローナの肩から、フカフカがキロの足元を照らしてくれている。
キロが昇ってきたことに気付いたクローナが場所を開けるために洞窟道の奥へと下がる。
「――キロ、ロウヒが!」
ミュトがロウヒを振り返って叫ぶ。
キロが横目で確認すると、ロウヒが特大の水球を両手に準備していた。片方は帯電している。
ロウヒにかまわず、キロは支柱を登り切り、洞窟道へと飛び込んだ。
すかさず、ミュトが洞窟道の入り口を特殊魔力の壁で覆う。
地を揺らす大轟音と共に、光が放たれる。
反射的に目を閉じたキロはゆっくりと瞼を持ち上げ、目を見張った。
ミュトが張った特殊魔力の壁がまた光り輝いていた。




