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複数世界のキロ  作者: 氷純
第二章 地下世界の帰路

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第五十一話  空へ続く選択肢

 キロ達はロウヒの縄張りから遠ざかり、温泉のある地点まで引き返していた。

 態勢を立て直す意味もあったが、ロウヒのうわ言が耳にこびりついて離れなかったのだ。

 駄馬に冷ました温泉を飲み水として与えながら、キロはミュトに問う。


「ロウヒの言葉、どう聞こえた?」

「我らの空は失われた、引き返せ」


 壁際で膝を抱えたミュトが、膝に顔を埋めたまま返す。

 心配そうにミュトを見上げていたフカフカが、キロを振り返った。


「キロよ、お前にも聞こえたのだろう?」


 分かり切った質問でミュトを追い詰めるなと言外に含み、フカフカはキロを睨む。

 だが、キロの質問の意図は別にあった。

 キロは再び、口を開く。


「ロウヒが繰り返したうわ言に対して、翻訳の腕輪は作動したか?」


 フカフカが尻尾で地面を強く叩く。


「作動した。それがどうかしたのか?」


 キロはクローナを横目に見る。


「ロウヒに知性があると思うか?」


 ロウヒに知性があるのなら、なぜ当てる気のない攻撃を行う前に警告を発しなかったのか。

 同じ言葉をうわ言のように繰り返すだけのロウヒに知性があると、キロは思えなかった。

 キロはポケットから携帯電話を取り出し、起動する。

 起動音の後、キロが幾度かボタンを押すと、音楽が流れだした。

 一年近く前に流行った曲だ。

 キロは携帯電話のスピーカー部分をクローナやミュトに向ける。


「この曲の歌詞は翻訳されてるか?」


 携帯電話を見つめていたクローナが戸惑いつつも頷いた。


「翻訳されてますけど……。絵を描いたり歌ったり、キロさんみたいに色々できるんですね」

「実際に歌ってるわけじゃない。これは録音だ」


 キロは携帯電話の電源を切り、ポケットにしまう。

 キロの実験の意味が分からなかったのだろう、クローナ達はそろって首を傾げた。


「録音ってなんですか?」

「音声を保存する技術だ。多分、ロウヒは録音された音声を繰り返し再生しているんだと思う」

「――待て、理解する時間を寄越せ」


 キロが説明に入る前に、フカフカが遮った。

 気付けば、ミュトも膝から顔を上げ、真剣な面持ちで考え込んでいる。

 原理が分からなくとも、何ができるかさえ分かればキロの実験の本質が見えてくる。

 クローナがいち早く答えを導き出した。


「ロウヒは人工物、という事ですか?」


 クローナの質問にキロが頷くと、ミュトが口を開く。


「ロウヒにあの台詞を録音した誰かがいるってこと?」


 キロが再び頷くと、フカフカが尻尾で地面をテンポ良く叩く。


「意味を理解せずに口をした言葉は翻訳されぬが、意味を理解している者が発した言葉を録音すれば翻訳の腕輪が機能する。キロはそう言いたいのだな?」

「そうだ」


 氷穴の町での実験結果も踏まえてフカフカが導き出した結論を、キロは肯定した。

 フカフカはしばらく考えた後、キロを睨む。


「それでは……やはり空は失われておるのではないか」


 ダメ押しをしてどうするつもりだ、と尻尾の振り方で咎めてくるフカフカを無視して、キロはミュトを見る。


「空を見る方法がある」


 キロの言葉に、沈みかけていたミュトの頭が跳ね上がる。


「……それ、本当?」


 キロはクローナを横目に見る。

 クローナは微笑んだ。


「私も、話すならいまだと思いますよ」


 キロは頷いて、地面に座る。

 鞄から懐中電灯を取り出し、ミュトの前に置いた。


「俺やクローナのいた世界になら――空がある」


 前に置かれた懐中電灯を見て、ミュトが硬直する。

 フカフカが懐中電灯とキロを交互に見て、口を開いた。


「キロ達の世界に我らがついて行けるのか?」

「おそらくな。考えてみてくれ」

「考えるまでもなかろう。我らはキロ達と共に空を見に行く」

「――ちょっと、フカフカ⁉」


 フカフカが即答すると、ミュトが慌てて手を伸ばす。

 伸ばされた手をあっさりと避けたフカフカは、ミュトを振り返った。


「異論があるのか? 各種権利の売却金を金属貨幣ではなく、大粒の宝石に換えてきたのはこのためであろう」


 フカフカが尻尾を大きく振り上げ、パンッと地面に叩き付ける。

 怯んだミュトは視線を彷徨わせようとして、キロの視線とぶつかった。


「あぅ……」


 悪戯を見つかった子供のように、ミュトは面を伏せた。

 キロは頭を掻きつつ、考えをまとめる。


「もしかして、最初から付いて来るつもりだったのか?」


 ミュトは顔を伏せたまま、コクリと頷く。


「だって、キロ達と別れるのは寂しいし……」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、帰って来れなくなる可能性もかなり高いんだ。もう少し考えろ」


 キロがリスクを強調すると、ミュトは鞄から取り出した小袋を開いて見せる。

 中には様々な宝石が入っていた。こすれ合って傷つかないよう、紙に包んである。

 準備は万端らしい。


「ボクは空を見たくて地図師になった。空を見つけた後、帰って来れる保証なんて最初からないんだよ。覚悟なら、最初からできてる」


 強い意志を込めて、ミュトは覚悟を語り、顔を上げた。


「連れてって」


 フカフカが何か言いたそうにミュトを見つめたが、無言のままキロに向き直った。


「決まりであるな」

「そうみたいだな」


 思いの外あっさりと決まったことに拍子抜けして、キロは懐中電灯をしまう。

 クローナがポンと手を叩いた。


「話が決まったところで、当面の問題ですけど」


 クローナは洞窟道を振り返る。道の先にはロウヒの縄張りがあるはずだ。


「あの、血も涙もない美人さんの縄張りをどうやって切り抜けましょうか?」


 キロは苦い顔をして口を開く。


「ロウヒについて今のところ分かっている事は、空を目指す人間を追い返そうとする人工物で、縄張りに入ると洞窟道へ追い立ててくる行動様式くらいか」

「ランバルが盾を壊されておるのだ。決して攻撃を当ててこないとは言い切れぬ。条件によっては殺しに来るぞ」


 キロの分析にフカフカが口を挟み、全員が頷いた。

 取れる手段は多くない。


「ロウヒに対する直接攻撃は多分、フカフカが言った条件の一つだよね」

「人工物である以上、壊される心配をするであろうからな。抵抗するよう命じられていると見るべきである」


 ミュトが挙げた条件にフカフカが賛同する。

 ランバル率いる精鋭ぞろいの討伐隊が手も足も出なかったのだ。最初から戦闘するつもりはない。

 だが、牽制としての攻撃も避けるべきとなると、後手に回らざるを得ない。

 切り札となるのはミュトの特殊魔力だった。

 作戦を煮詰めているとクローナが温泉を気にし始める。

 キロはミュトと顔を見合わせて、苦笑し合った。

 この数日、毎日入っている事もあってクローナはすっかり温泉の虜になっていた。

 ミュトがクローナに声をかける。


「一度話を終わらせて、温泉に入ろうか?」


 見抜かれた事に気付き、クローナは照れたように視線を逸らした。


「全力で走って汗かいたので、入りたいです」

「というわけで、キロは壁を向いて」

「はいはい」


 回れ右をしたキロの後ろで、クローナがさっさと浴槽を用意する。

 ミュトとクローナが温泉を汲み上げる音を聞きながら、キロはフカフカを探した。

 フカフカは即席机の上で尻尾の毛繕いをしている。

 風呂の度にキロをからかってくるフカフカだが、今日は大人しくしているつもりらしい、とキロは安心して眠たそうな顔をする駄馬を見る。


「キロ、絶対に振り返らないでね」

「分かってるって」


 ロウヒの縄張りを思い浮かべて自分の役割を考えていたキロは、光源の位置が移動している事に気付いた。

 ハッとしてフカフカがいたはずの即席机の上を見るが、姿がない。

 かわりに、即席机の向こうにある壁に影ができていた。

 ミュトとクローナが着替えている、シルエットである。

 ――そう来たか。

 普段はそれなりに厚手の服を着ているミュトやクローナの体型が影になって晒されていた。

 アウトかセーフか判断が付かない、グレーゾーンの覗きである。

 李下に冠を正さず、瓜田に靴を履かず、とキロの脳裏で理性が警告する。

 キロは影から視線を逸らしたが、フカフカはキロの頭の動きに合わせて移動し、ミュト達のシルエットの位置を調節する。

 ――あいつ、わざとやってやがる……!

 機嫌よく振られる尻尾が目に見えるようだった。

 キロは最後の手段として目を閉じた。


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