第九話 ゴブリンの森
司祭様の頼みとあっては断れません。
そう意気込み、二つ返事で承諾したクローナに苦笑しつつも、キロは反対しなかった。
引き継ぎを円滑に進めるためにも、必要な準備だと分かっているからだ。
他の冒険者への依頼であれば薬草の捜索期間分も上乗せした依頼料がかかるところを、群生地を知るクローナにかかれば移動にかかる日数分で済む。
司祭は費用が削減でき、キロとしてもお金を貰える以上否やはない。
「では、お願いしようか。どれくらいの期間が必要かな?」
ギルドへと足を向けながら、司祭がクローナに問いかける。
「隣町まで行かないといけないので、三日くらいですね」
クローナは悩む素振りもなくすぐに答えた。
司祭は思案するように腕を組む。
「後任の羊飼いがやってくる時期もちょうどそれくらいだよ。羊達もそろそろ出したいから、三日で帰ってきてくれるなら助かるね」
キロは羊を入れていた柵の中の光景を思い出す。
――草はほとんど食べられてたな。
食欲旺盛な羊達のおかげで、当分は草刈りの必要もないだろう。
同時に、羊達の食糧が残り少ない事を意味している。
クローナもキロと同じ光景を頭に浮かべていたらしく、深刻な表情をしていた。その真剣なまなざしときたら、流石は元プロである。
「必ず三日で戻ります」
「あまり気負ってはいけないよ。いざとなれば、私が防壁の外で草を刈って運ぶから」
笑いながらの司祭の言葉に、キロは内心で苦笑する。
――力のいる作業が難しいんじゃなかったのかよ。
クローナが無茶をしないよう、司祭は気を使ったのだ。
言葉を交わしていると、ギルドに到着した。
受付に事情を話すとすぐに依頼の手続きが済んだ。
グリンブルを討伐した事実が証明されたため、遠出しても問題なしと判断されたのだろう。
ギルドを出ると、司祭はキロの服装を眺めた後、身に着けていた外套を差し出した。
「隣町では木賃宿に泊まる事になるだろう。毛布代わりに使うといい」
「ありがとうございます」
差し出された外套を受け取り、キロは袖を通した。少し丈が大きかったが、毛布に使うならちょうどいいくらいだ。
「それでは、よろしく頼むよ」
教会へ帰るという司祭とギルドの前で別れて、キロとクローナは防壁に向かう。
クローナは空を見上げ、太陽の高さから時間を計っていた。
「多分、夕方か少し暗くなった頃に向こうの街へ着くはずです」
「案外、距離が近いんだな」
「道を進めば、明日の昼頃になると思いますけど」
「……おい、まて」
おかしな返答を聞き流しそうになりつつも、キロは時効を迎える寸前で気が付いた。
「道以外のどこを進む気だよ?」
「森の中ですけど?」
何かおかしな事を言っていますか、とばかりにクローナは首を傾げた。
あまりに自然な態度であったため、キロは自分の感覚がおかしいのかもしれないと思い直す。
整備された道ではなく、森を突っ切るというクローナの考え方がこの世界での標準なのかもしれない。
「――って、そんなわけあるか。道が整備されてるんだから使えよ!」
「道なりに行ったら、時間に余裕がなくなっちゃいます。それに街道の途中で野宿できますか? ぐっすり眠ったりできませんよ?」
クローナに反論され、キロは口を閉ざした。
日本とは違うのだ。積極的に襲いかかってくる魔物という脅威が存在するこの世界で頼りない星明りの下、周囲を警戒して一晩過ごすなど考えたくもない。
野宿するくらいなら、まだ明るいうちに森を突っ切ってしまう方が安全なのだ。
何しろ、森を熟知しているクローナがいるのだから。
「なるほど、クローナの言い分はわかった。ただな――」
防壁を潜りぬけて、キロはクローナに言い含めるように声のトーンを落とした。
「今度から依頼を受ける時に、街道を使っても時間的余裕があるかどうかを判断基準にしてくれ」
キロの言葉に、クローナは視線を逸らした。
時間を考えずに安請け合いした自覚はあったらしい。
キロはため息を吐いて空を見上げる。
「まだまだ、冒険者の仕事に慣れていないから、これからもいろいろ失敗するだろうけどさ」
「槍が抜けなくなったりですか?」
「雑ぜ返すな。まぁ、何が言いたいかっていうと、失敗するたびに相談しようって事」
ホウレンソウは大事だからな、とキロは元の世界のバイト先で言われた事をそのまま口にした。
――そろそろ、行方不明扱いになってるんだろうな……。
脳裏を過った心配事を、頭を振って追い出した。
帰ってから考えればいい、とキロは自分に言い聞かせる。
道を外れて森へと入り、まっすぐ突き進む。
本当にまっすぐ進んでいるのか分からなくなりそうな、獣道すらない森を抜けるのは、なかなかの苦行だった。
今まで依頼を受けて森に入った事は何度もあるが、あんな場所でも最低限の枝や藪を払ってあったらしい。
街の近くという事で、冒険者がよく入るおかげだったのだろう。
「この辺りは討伐依頼を受けた冒険者がたまにやってくるだけですから、穴場ですよ。あちこちに山菜や薬草が生えてるんです」
観光案内でもするような軽い口調で、クローナが説明する。
少し地面に視線を落とせば、食べられるかどうかも分からないキノコが生えていた。
「魔物も多そうだな……」
人跡未踏、とまで言うと大げさではあるが、人が来ない事に変わりはない。
しかし、キロの呟きにクローナは首を振った。
「そうでもないです。この辺りはいくつかのゴブリンの群れが縄張りにしていて、年中争っている地域なので、他の魔物は避けているんですよ」
「そのゴブリンは危険じゃないのか?」
「腕の立つ冒険者が依頼を受けて、不定期に各群れのボスを倒して回るんです。この辺りのゴブリンは何度もボスを倒す人間に怯えて、襲ってこないんですよ」
「……なんという恐怖政治」
安全とは、時に恐怖から作り出されるものだと知るキロだった。
人間には怯えるゴブリン達だが、群れとして動けばなかなかの戦闘能力を発揮するそうで、グリンブルですらも倒してしまうという。
二足歩行する人型の魔物でしわくちゃのわし鼻を特徴とするゴブリンは、手先が器用で粗末ながら武器さえ作る。
しかし、器用な反面、頭の方はお粗末で本能よりであるため、天敵とみなすと襲ってこなくなる。
この世界の人々がゴブリンの徹底駆除に乗り出さない理由も、他の魔物を追い払ってくれるからだそうだ。
さしずめ防波堤である。
少し気の毒に思わないでもなかったが、キロは気にしない事にした。
実際、出くわしたゴブリンはキロ達の姿を見つけると猛獣にでも遭ったように怯えて一目散に逃げ出していく。
転んで逃げ遅れたゴブリンがガタガタと震えながら、ムンクの叫びを思い起こさせる形相で泡吹き、気絶する始末だ。
よほど猟奇的な手段でボスを殺されたのか、尋常ではない怯え方を見ていると、キロ達まで気が滅入ってくる。
早々に森を抜けてしまおうと、キロ達は足を速めた。
川に差し掛かった頃、ゴブリンの鳴き声が聞こえてきた。
またか、とげんなりしたキロだったが、鳴き声の数が多い。
――まさか、待ち伏せ?
クローナと顔を見合わせ、戦闘に備えた。
ゴブリン達の姿が見えてくる。
数は十ほど、内の一匹は蔦で編んだ頭飾りをつけて妙に着飾っていた。
ゴブリン達はキロ達の遥か前方で立ち止まり、着飾ったゴブリンと代わる代わる抱き合い、土下座した。
そして、着飾ったゴブリンだけが粛々とキロ達の元へ歩いてくる。
「……キロさん、これってなんだと思いますか?」
「生贄、じゃないかな」
頭痛を覚えながら、キロはクローナに返答する。
目の前で首を垂れる着飾ったゴブリンを見下ろしながら、クローナが困った顔をした。
どうしたらいいのか分からない、そんな顔だ。
「無視でいいのでしょうか?」
「殺すのも忍びないし、他に手はないだろ」
キロが一歩進んだ瞬間、着飾ったゴブリンがびくりと震えた。
キロは苦笑して、着飾ったゴブリンの横を通り抜けざま頭を撫でてやる。
キロとクローナが着飾ったゴブリンに何もせず歩いていくと、ゴブリンの群れが慌てて立ち上がり、左右に分かれて再び土下座した。
一応、奇襲を警戒しつつゴブリンの群れを無視して進む。
何事もなく通り抜け、ゴブリンの群れとの距離が離れるとクローナがほっと息を吐いた。
予想外の状況に出くわしたため、気を張っていたのだろう。
「それにしても、何だったんでしょう。初めてですよ、ゴブリンが生贄を差し出してくるなんて」
後ろを振り返りながら、クローナが不思議そうに呟いた。
ゴブリン自体が初見のキロに原因が分かるはずもない。
「神にもすがりたい何かがあったのかもな」
キロは適当に言ったつもりだったが、予想に反してクローナは真剣な顔で考え込んだ。
ふと顔を上げたかと思うと、クローナは枝や雑草を杖で退けて地面を観察したり、樹の幹を検分する。
一連の行動から、クローナが何を調べているのか察しが付いたキロは地面を注意深く見まわした。
「……あった」
キロが発見したのは掘り返された地面、昨日見たのと同じグリンブルのマーキングである。
クローナが駆け寄ってきて、キロの指差す先を見て眉を寄せる。
「グリンブルです。それも、大物ですよ」
杖で穴の大きさを大まかに測りながら、クローナが教えてくれる。
キロは苦い顔でゴブリンの群れがいた方向を振り返った。
「群れたゴブリンならグリンブルを倒せるって話じゃなかったっけ?」
「群れでも手に負えないって事ですね」
キロはクローナと顔を見合わせ、揃ってため息を吐いた。
「ゴブリンのためにグリンブルの駆除をしようなんて言い出さないよな?」
「当然です」
きっぱりとクローナが言い返してくれたので、キロは安心した。
クローナは少し考える素振りを見せる。
「このまま森を突っ切るよりは道に出た方がいいと思います。グリンブルの縄張りを抜けたくはありませんから」
「同感だ。多少遠回りになっても安全第一で行こう」
すぐに方針は決まり、進行方向を変更して歩き出す。
注意深く地面や木の様子を観察し、縄張りを主張した痕跡や木の皮を食べた跡があれば避けて通る。
警戒しながらも足早に森を抜け、最短距離で街道に辿り着いた。
無事に整備された道に出る事が出来たキロ達は緊張を解く。
街道周辺にはグリンブルの縄張りもないらしく、ここまでくれば安全だと判断したのだ。
クローナが空を見上げる。
「多分、到着は夜になりますね。野宿は避けられると思いますけど、かなり歩くので覚悟してください」
そんな脅し文句を言って、クローナが歩き出す。
暗くなったら明かりはどうするんだと言いかけたキロは、魔法の存在を思い出して口を閉ざした。
――改めて、魔法って便利だな。
クローナの後を追いながら、キロは街道の様子を観察する。
前後に人影はないが、むき出しの地面には馬車が通った跡があり、畝のようになった道の中央には雑草がまばらに生えている。
道幅はキロとクローナが並んで歩いても十分に余裕がある。馬車同士ですれ違えるように幅を広く取っているのだろう。
アスファルト舗装に慣れたキロには少し不満が残る歩き心地だが、先ほどまで歩いていた森の中に比べれば随分と歩きやすい。
前後の見通しが利くため、警戒も左右のみで済む事が一番ありがたかった。
「それにしても、昨日といい今日といいグリンブルが縄張りを移しすぎだろ。よくある事なのか?」
キロが訊ねると、クローナは首を振った。
「昨日のグリンブルは小さかったので、魔力溜りから発生してすぐの個体がやってきたんだと思います。でも、今回はちょっと大きすぎますね」
クローナの見立てでは、ゴブリンの縄張りに割り込んだ今回のグリンブルは体長がキロの倍近いという。
――三メートル以上か。でかすぎだろ。
クローナの口ぶりから察するに、グリンブルとしても大きな部類なのだろう。
それだけに、住み慣れた縄張りを離れた事に疑問が残る。
「大きな身体が災いして餌を食べ尽くした、とか」
「縄張りを広げるならともかく移り住むとなると、何らかの原因で住めなくなったと考えるべきですね」
クローナに正論を返され、キロは考える。
「グリンブルって、天敵はいるのか?」
クローナは首を振った。
「知りません。ゴブリンが怯えるくらいの巨躯を誇るなら並の魔物には負けません」
キロは昨日のグリンブルを思い起こす。
クローナ曰く小さな個体だったが、鳥型の魔物を瞬殺していた。
元々頑丈な身体を持っているだけあって、そう簡単に殺される魔物ではないのだろう。
「あれこれと考えていても仕方がないな。街に着いたらギルドに報告するんだろ?」
「そうですね。ゴブリンと違って、縄張りに入ると襲ってきますから――」
クローナが不意に口を閉ざし、眉を寄せる。
キロが怪訝に思う間もなく、森の中からゴブリンの群れが転がり出てきた。
すぐさま武器に手を掛けたキロとクローナだったが、どうにもゴブリン達の様子がおかしい。
街道に転がり出てきたゴブリンはキロ達を指差したかと思うと、手を取り合って喜んでいるのである。
今まで怯えて逃げ惑っていたゴブリンが、キロ達を見て喜んでいる。
――どうなってるんだ。
キロ達が戸惑っている間に、ゴブリンは次々と森から転げ出てくる。
そして、一様にキロ達を見て喜んでいた。
注意深く観察していると、ゴブリンの群れの中に焦げた草を持っている個体がいることに気付く。
――頭が楽しくなるような、おクスリか?
キロが観察していると、クローナも視線を追ってゴブリンが持つ草に目を凝らす。
あ、と何かに気付いたように小さく呟いた。
「あれ、シキリアです」
「シキリアって、依頼のあった羊用の薬草か」
なんでゴブリンが持っているのか、とキロはクローナと顔を見合わせて首を傾げる。
そして、今度はキロが先に気が付いた。
以前、テレビで見た口蹄疫に関する情報を思い出したのだ。
偶蹄目が罹患する家畜伝染病で、対象となるのは豚や牛、羊など。中には猪も含まれる。
そして、ゴブリンを脅かすグリンブルは猪のような魔物だ。
キロは体中の血が一気に下がったような気がした。
「なぁ、シキリアの効果ってなんだっけ?」
「えっと、興奮作用ですけど……キロさん、大丈夫ですか?」
青い顔をしているキロを心配したクローナが気遣う。
クローナに構わず、キロはゴブリンの群れが出てきた森の奥に目を凝らした。
そして、見つけてしまう。
――森の奥に光るぎらついた猪の瞳を。
「MPK最高」byゴブリンズ




