03 王国暦六〇三年 リヨン 朔日
「久しぶりだね、エル」
碧と菫の瞳のラングリオンの皇太子が微笑む。
「久しぶり。レクス」
アレクシスは、レクス。ガラハドはそのまま。レンシールはシールで、ツァレンはアレン。
そう呼ぶよう指示したのは、ルプカナ村の入口で待っていたアレクの精霊だ。
偽名のつもりらしい。
ラングリオンの上級騎士・レクスとその従者という設定。
「そっちは?」
見慣れない二人がアレクと一緒に居る。
「一緒に来たいと言うから、連れて来たんだ」
兄弟かな。
……俺みたいな瞳を見るのは初めてなんだろう。
「はじめまして。私はローグバル。こっちが弟のパーシバルです」
「はじめまして。あなたがエルさんですか?」
「はじめまして。エルロックだ」
「エルロックさん。男の人なんですね」
「どういう意味だ?」
「えっと……。レクス様の大切な人って聞いてたんで、女性かと思ってました」
「どういう説明してるだよ」
「会いたかったよ、エル」
「説明になってないぞ」
アレクがくすくす笑う。
「エルは私の弟だよ。さぁ、出発しようか」
「どこに?」
「竜の山」
竜の山。
ドラゴンが棲む険しい山だ。
「何しに行くつもりだ」
「ドラゴン退治だよ」
「は?」
「この子たちの親がドラゴンに食われたんだ」
ドラゴンに……?
「ドラゴンが人間を食うなんて、」
「本当です。突然、紫のドラゴンが襲って来たんです」
「レクス様が助けてくれたんです」
紫ってことは。
「紫竜ケウス?」
「おそらくね」
「クレアドラゴンのはずだろ?」
「でも、血は赤かったよ」
赤。ブラッドドラゴンだ。
ドラゴンの分類方法の一つに、クレアドラゴンとブラッドドラゴンがある。
クレアドラゴンは血の色が無色か乳白色の草食のドラゴンで、生き物を襲わない温厚なドラゴンとされている。
ブラッドドラゴンは血の色が赤い肉食のドラゴンで、人間や家畜を積極的に襲うドラゴンとされる。その為、過去にすべて討伐されていて、オービュミル大陸には存在していない。
……ただ。
草食のクレアドラゴンが血肉を食うと、その血が赤く変化し、ブラッドドラゴンになると言われている。
「なんで、ケウスが……」
「ケウスがいつブラッドに堕ちたのかは不明だ。それを調べる為にも、竜の山に行かなければならない」
「危険過ぎる」
「でも、退治するって、この子たちと約束したからね」
約束って。
ただでさえ勝手なことをしてるのに、陛下が知ったら、絶対許さないだろう。
「誰も止めないのか?」
ガラハドとシールの方を見る。
「俺が言って聞く方じゃないからな」
「右に同じ」
なんで、そうなんだ。
隣に居るツァレンを見る。
「主命は絶対だ」
どいつもこいつも。
いくら主命だからって、主に命の危険があったら止めるのが近衛騎士の役割じゃないのかよ。
「俺は反対だ」
「心配してくれるのかい」
「当然だろ。ラングリオンに帰って、討伐隊を編成すべきだ」
「怖いなら留守番していても良いんだよ」
「誰が怖いって言った」
「じゃあ、一緒に来てくれるね」
行くことは決まってるらしい。
「わかったよ。ついて行く。死人が出ても知らないからな」
「私が死を許さないのに、誰が死ぬというんだ」
「は?」
「その通りだぜ、エル。我が主君の命令は絶対だ。死ぬなと言われれば死なない、ドラゴンを殺せと言われれば殺しに行く。納得したか?」
だから、アレクが行方不明になると言えば、その通りにしたって?
「お前ら、それでも騎士なのか?」
「当然だろ?」
うんざりだ。
※
街道を馬に乗って進む。
今度は、アレクの愛馬である黒炎に乗せて貰うことになった。
「エルが馬に乗れないなんて意外だね」
「騎士でもないのに乗馬の練習なんてするわけないだろ」
養成所だって、乗馬は選択科目だ。必修じゃない。
でも、ローグバルもパーシバルも馬に乗れるらしい。二人とも、ルプカナで買った馬に乗っている。
ルプカナはクエスタニアでも名馬の里として知られていて、本当は、俺の馬も買うつもりだったらしいけど。乗れないから、二人乗り用の鞍だけ付けてもらうことになった。
「そろそろ、機嫌を直したらどうだい」
「皆、言いなりだから面白くないんだよ」
「私に逆らえる人間が居るわけないだろう」
皇太子だから?
「俺は逆らうよ」
「でも、一緒に来てくれたね」
「それ以外の選択肢がなかっただけだ」
王都を出て、いくつもの街を越えて。ティルフィグンに入ってから南下してクエスタニアに来た。そこから竜の山近郊にあるルプカナに着いたのがついさっき。
そして、今は竜の山に向かってる。
異国では、未成年の俺は保護者なしに行動することは出来ない。俺の保護者代理はツァレンで、ツァレンはアレクの言うことしか聞かないから、アレクの指示に従うしかないのだ。
……それに。
ブラッドドラゴンの調査も退治も急がなきゃいけない癖に、ルプカナで三日も俺を待ってたらしいから。我儘を言って、これ以上、予定を先延ばしにすることは出来ない。
妥協した結果だ。
不機嫌にもなる。
「エルは、防腐剤を作れるかい」
「防腐剤?」
「ドラゴン用の」
倒した後、解体まで腐らないようにしておきたいのか。
ドラゴンは、鱗に皮、羽、骨、血肉に至るまで、すべてに素材として、あるいは研究対象としての価値がある。錬金術で使用されるドラゴンの骨の粉末だって、今となっては化石からしか得られない貴重品だ。
ただ、巨大なドラゴンの解体には、かなりの人員が必要になる。防腐剤を使って、解体まで保存しておく必要があるんだろう。
ドラゴンに使うとなると……。
「効果は、どれぐらい持てば良い?」
「半月から一か月かな」
長過ぎる。
「毒性の強い防腐剤でも良い?」
「良いよ」
強力な毒は防腐剤としての効果も高い。
だとすると……。
レシピは出来た。
「材料を揃えてくれたら作れる」
「じゃあ、次の街で揃えようか」
着くまでに、細かい計算をしておこう。
「それで、本当の目的は何だったんだ?」
「目的?」
「俺を呼んだ理由だよ」
ドラゴン退治はイレギュラーだ。
もっと、別の目的が……。
「年末まで、エルと一緒にのんびり過ごしたかったんだ」
「は?」
まさか……。
「ようやく公務が終わったからね」
「俺と遊ぶ為に行方不明になったって?」
「そうだよ」
「信じられない。ここまで来るのに、どれだけかかったと思ってるんだ。俺はまだ学生なんだぞ」
「卒業前の思い出になるだろう?」
「何言ってるんだよ。テスト直後に連れ出して、俺が卒業出来なかったらどうするんだ」
アレクが笑う。
「その心配は誰もしていないよ。エルが満点以外を取ったことあったかな」
『そぉねぇ』
習ったことしか出ないテストで間違えるわけないけど。
「あぁ、あったね。確か、加点式のテストでは満点を越えていた」
論文形式のテストは内容に対する加点式が多い。
「まだ受けたい授業もあるし、テストが終われば先生にバイオリンを習いに行く予定だったのに」
予定が狂った。
年末まで何も出来ない。
「フラーダリーには、どこまで話してるんだ?」
「すべてご存知だよ。これは、姉上と相談して決めたことだから」
「フラーダリーと?」
「エルは研修旅行に行かなかっただろう?だから、その代わりに旅行に連れて行ってあげたかったんだ」
……研修旅行。
養成所の研修旅行は砂漠だから、行く必要がなかっただけだ。
「外に出ることも良い経験になるよ。ツァレンとの旅は楽しかったかい」
「楽しかったよ」
ただ……。
神聖王国クエスタニアは、吸血鬼を敵と定めた国だ。
だから、俺のブラッドアイは……。
「嫌な目にでもあったのかい」
首を振る。
『遭うに決まってるじゃないのよぅ』
ティルフィグンの国境を抜けた直後は、まだ平気だった。
たぶん、屈強な騎士にしか見えないツァレンと常に一緒だったから、攻撃されるようなことはなかった。
でも、ルプカナを目指す道中は、小さな村に寄ることもあって。そこでは、ブラッドアイは攻撃対象というより、むしろ恐怖の対象として見られているような感じがした。
初対面のローグバルとパーシバルのように。
何もしてないのに。
瞳のせいで……。
「ごめん。エル」
「アレク?」
アレクが後ろから俺を抱きしめる。
「怖い思いや辛い思いをさせるつもりはなかったんだ。帰りたいのなら……」
「冗談じゃない。なんで、ここまで来て帰らなくちゃいけないんだよ」
「無理はさせたくない。エルの気持ちを優先するよ」
無理なんかしてない。
アレクの肩にもたれかかる。
「楽しかったよ」
知らない都市には知らない文化があって。見える景色が全く違って。アレクとの合流の為に急いだから、ゆっくり見てる暇がなかったのが残念だけど……。
「もっと早く教えてくれたら、研修の為の準備だってしたのに」
「実行出来るか不透明だったんだ。エルが出かけるには姉上の許可が必要で、安全な旅が出来るかどうかは各国の情勢に依存する」
「戦争中だ」
「戦争をしているのはローレライ川周辺だけだよ。一番の問題は陛下にばれないことだったからね」
そこが一番の問題だ。
「そこまでして、することか?」
「もちろん」
自分が遊びたかっただけじゃないのか。
「エルと遊びたかったんだよ」
『アレクってぇ、どぉしてエルが何も言わなくても解るのかしらねぇ』
『昔からこうだ』
その通り。
だから、俺の不安な気持ちも何もかも、アレクには筒抜けだ。
アレクを見上げる。
フラーダリーによく似た輪郭。
左が碧い瞳。
そして、右が菫の瞳。
見る度に思い出す懐かしい色。
「アレク」
「何かな」
「会いたかった」
「私も会いたかったよ」
誘ってくれて嬉しかった。
「アレクが無事で良かった」
「お守りのおかげかな」
アレクの腕には、渡したターコイズの腕輪が付いてる。
「本当に付けて歩いてたのか」
「もちろん。大切な弟からの贈り物だからね。肌身離さず付けていたよ」
弟じゃないのに。
アレクはずっと、そう言う。
「姉上との約束は守ってるかい」
「約束?」
「毎日、規則正しい生活をすること」
「守らされてるよ」
旅程は全部、ツァレンが決めてたから。
「旅の基本は健康な体作りだよ。しっかり休んで、たくさん遊ぼうね」
「なら、あの辺で休憩しよう」
「良いよ。やりたいことでもあるのかい」
鞄の中から出した絵をアレクに見せる。
「珍しい花だね」
「旅の途中で見かけた花を描いてるんだ。……花屋なら、異国の花にも興味あるだろ?」
アレクがくすくす笑う。
「ありがとう。これだけ上手いなら、錬金術研究所に提出したら良いよ」
「なんで?」
「植物の生態調査を行ってる部署があるんだ。こういった記録は、あらゆる研究に役立つからね。それに、研究所の記録なら私もいつでも見に行けるから」
「こんなのでも役に立つ?」
「もちろん。植物の特徴が良く描けてる。とても役に立つよ」
「なら、提出するよ」
帰ったら、植物学の本を見直そう。生態調査に必要な情報をもう少し整理しておかないと。
「エルは勉強熱心だね。卒業研究は、もう決めたかい」
「決めた」
「楽しみだね」
買った材料を鞄に入れっぱなしで良かった。
おかげで、ここに来る途中も研究を進めることが出来たから。
「アレクこそ、大丈夫なのか?城を留守にしてる期間が長引けば、仕事が溜まるだろ」
「グリフとロニーを返したから大丈夫だよ」
ようやく、グリフとロニーを先に帰還させた理由がわかった。
養成所を卒業した二人なら、アレクがやらなければならない雑務をこなせる。
「近衛騎士の仕事は……」
「私の主命を果たすことだよ」
違うだろ。
アレクの騎士は大変だな。
「皆、この辺りで少し休憩しよう。エルがバイオリンを演奏してくれるよ」
そんなこと言ってないのに。
「久しぶりに聴かせてくれるかい」
「良いよ」
何にしようかな。
せっかくだから、アレクが居ない間に覚えた曲を弾こう。




