01 王国暦六〇三年 ベリエ 十九日
もうほとんど花が散った木を見上げる。
アレクもフラーダリーも居ないから、結局、満開の時には来なかった。
あたたかい春の陽気と花の香りだけが残っている。
あぁ。
つまらない。
『ツァレンが来た』
え?
振り返ると、本当にツァレンが居た。
「なんで?アレクと一緒に行ったんじゃ……」
「俺は留守番」
「嘘だろ?」
『アレクの近衛騎士がぁ、どぉして残ってるのよぅ』
皇太子となったアレクは今、大陸中の国々を巡り歩いている。
なのに、近衛騎士のツァレンを同伴しないなんて。
「南部は行って来たんだぜ。でも、ガラハドと交代したんだ」
「なんでガラハドが行ってツァレンが行かないんだよ」
「ガラハドは、北部で顔が利くからな」
ガラハドは元傭兵の王都守備隊三番隊の隊長だ。
あちこちで名の知られた傭兵だから、各国の要人とも会ったことがあるのかもしれないけど。アレクの直接の部下じゃない。
ただ、アレクが勧誘して連れて来たから、アレクの命令があれば従うのかもしれない。
「俺は王都の情報収集の為に残ってるんだよ。何かあったら主君に報告しなきゃいけないからな」
「そんなの近衛騎士の仕事じゃない。近衛騎士の仕事は主君を守ることだろ」
こんなところに居て良いはずがない。
「何かやったのか?」
アレクが怒るようなことを。
「なんだよ。俺が主君に捨てられたって言いたいのか?」
「違うのか?」
「そんなわけないだろ。だいたい、少しは喜んだらどうなんだ」
「喜ぶ?なんで?」
「主君もフラーダリーも忙しくて寂しいんだろ?代わりに、俺が遊んでやるよ」
「別に、寂しくなんかない」
「ってことは、また去年の夏みたいにふらふら遊び歩いてるってわけか」
去年の夏は……。
家出をして。フラーダリーに心配をかけてしまった。
「そういや、エルが帰らないって、フラーダリーが嘆いてたな」
「え?」
「あんまり親を泣かせるんじゃないぜ」
嘘だ。
しばらく魔法部隊の宿舎に寝泊まりするから、家には帰らないって言ってたのに。
ツァレンがにやりと笑う。
「嘘だよ。ずっと魔法部隊の宿舎で働き詰めだ」
……嘘かよ。
からかいやがって。
「エルは単純だな」
「うるさいな」
「でも、間に合ったみたいで良かったぜ」
「何が」
「俺はお前を引き留めに来ただけだからな」
「なんで」
「すぐに居なくなったら困るからさ」
「だから、なん……」
「エル」
え?
絶対に聞き間違えない声に、後ろから包まれた。
「ありがとう、ツァレン。エルを引き留めておいてくれて」
フラーダリー。
だめだ。
急すぎる。
「本当に。桜が満開の時に来なくてどうするんだよ」
だって。
―じゃあ、毎年皆で見に来ようね。
今年は、一緒に見る人が居なかったから……。
「またな。エル、フラーダリー」
「うん。またね」
「……ん」
手を振って、ツァレンが去って行く。
まだ、心臓が落ち着かない。
平静を保てない。
「エル。久しぶり。元気にしていたかい」
会いに来たわけじゃなかったから、何の心の準備もしてない。
落ち着け。
呼吸を整えて。
もう少し、落ち着いて。
大丈夫。
振り返る。
「久しぶり」
上手く笑えてると良いけど。
「久しぶり。会いたかったよ」
フラーダリー。
会いたかった。
会いたくてたまらなかった。
「仕事中だろ?こんなところに居て良いのか?」
「一月以上会ってない子供が会いに来てくれたんだ。これぐらい許されるだろう」
子供。
いつまで経っても変わらない。
「会いに来たわけじゃない。桜、今年は見忘れていたから。ここなら咲いてると思って」
ここの桜は王都で一番、遅咲きだから。
「珍しいね。じゃあ、グラム湖にも行ってないの?」
マリーたちに誘われたけど。
「気分が乗らなかったから、行かなかったんだ」
「風邪でも引いていた?」
「見ての通り、元気だよ。心配されるようなことはない」
「アレクが居なくてつまらないのかな」
「別に」
フラーダリーだって、ずっと忙しい。
「来年は皆で見ようね」
フラーダリーが俺の頭を撫でる。
いつまでも子供扱い。
「来年は卒業してる」
「そうだね。卒業したら一緒に暮らせるね」
養成所を出たら寮生活も終わって、あの家でフラーダリーと暮らすことになる。
「ちゃんと家に帰って来る?」
「もちろん」
「本当に?」
「信用されてないね。エルが居るなら毎日、家に帰るよ。年末はちゃんと暦通りの休暇を取る予定だし、家族で一緒に過ごそう」
フラーダリーが俺の頬にキスをする。
……頬が熱い。
「卒業が楽しみだね」
フラーダリーにとって、俺は、いつまで子供なんだろう。
卒業すれば、すぐに成人の年齢になるのに。
「フラーダリー」
「何だい」
「キスして良い?」
「いいよ」
目を閉じて頬を向けたフラーダリーを見つめる。
普通の親子でも、こういうことってするのかな。
……するんだろうな。
フラーダリーもきっと、家族と普通にしていたんだ。
でも。
俺がしたいのは、そういうのじゃない。
好きだって気付いてから、どれぐらい経ったかわからない。
好きだって気付いてから、どれだけ我慢してきたかわからない。
俺にとって、フラーダリーは親なんかじゃない。
このままでは居られない。
フラーダリーの首に腕を回す。
そして……。
腕を解いて一歩後退ると、目を開いたフラーダリーが俺の額にキスをした。
「そろそろ戻らないと。エル、来てくれてありがとう。嬉しかった」
「ん。……いってらっしゃい」
出来なかった。
何も。




