03 Maître et disciple
「おい、お前ら。その辺にして、飯でも食って来い」
「飯?」
「何時だと思ってるんだ」
もう、こんな時間だ。
バイオリンを演奏してると、時間が経つのがあっという間だ。
「あんたは?」
「俺はもう食って来た」
「どこで?」
「すぐそこのカフェだよ」
そういえば、来る途中にあったっけ。
今ならカフェがやってる時間だ。
「じゃあ、続きは食べてからにしようか」
「ん」
※
ヴュータンと一緒にカフェに行って、おすすめのクロックムッシュとコーヒーを頼む。
「どうして、バイオリンが壊れてしまったのか聞いても良いかい」
あれは……。
「先生と喧嘩して。俺が落としたんだ」
「喧嘩か。気分が昂るようなことでもあったのかい」
変な表現。
「運指が気に食わなかったんだ」
「運指?」
ここにはバイオリンが無いから、上手く見せられないけど。
「先生は、こう……」
鼻歌を歌いながら、中指から順に指を動かす。
「こうして欲しいらしいんだけど。俺は、こっちの方が弾きやすいから」
もう一度、鼻歌を歌いながら、薬指から順に動かす。
すると、ヴュータンが笑いだした。
「君はもう、自分の演奏法を確立しているんだね」
「どういう意味?」
「君らしい弾き方が出来上がってるという意味だ」
頷く。
「でも、先生は駄目だって」
「駄目ではないが、基礎学習だからね。学んでおいて損はない。今は不要に思えても、いずれ君の力になるんだよ」
どっちでも出来るなら、どっちでも良いことに変わりはないはずだ。
「君はまだ、バイオリンを演奏する為の体作りをしている時期なんだ」
「体作り?」
「子供の頃の経験は生涯の助けになる。意地を張る理由があるのかもしれないけれど、前へ進む為には素直であることも重要だよ」
意地を張る?
……そうか。
「八つ当たりだったかも」
「嫌なことがあったのかな」
「嫌なことっていうか……」
ずっと、気持ちがざわついてたから。
イライラしてたのは確かだ。
「つまり、溜まっているエネルギーをすべてバイオリンの演奏にぶつけているんだね」
ぶつけてる?
「君は、内に秘める情熱を音に乗せて発散している。さっき聞いたスケルツォ・タランテラは、まさに情熱の塊だった。おそらく君は、自分のやり方を否定されたことで、自分の情熱を否定されたような気がしたんだろう。若い子には良く起こり得ることだ」
否定されたことに腹が立ったのは確かだ。
でも。
「俺に、情熱なんかある?」
「あるとも。バイオリンが好きなんだろう?」
頷く。
「保護者は、君がバイオリンを弾くことに否定的なのかい」
首を振る。
「好きなことをやれって。たぶん、バイオリンが欲しいって言ったら、すぐに買ってくれると思う」
フラーダリーは、俺を甘やかしたがるから。
「君は、それが嫌なんだね」
頷く。
「お待たせ致しました」
テーブルに、湯気の立つクロックムッシュとコーヒーが並んだ。
良い匂い。
「いただきます」
早速、クロックムッシュを食べる。
「美味しい」
それに、コーヒーにも合う。
「エルロック。私の弟子にならないかい」
「弟子?」
「師弟契約を行うんだ。そうすれば、君は新しいバイオリンを手に入れられる」
なんか、ユリアが出した条件と似てる。
「弟子って、何をするんだ?」
「私と共に各地を巡りながら音楽活動を行うんだ。もちろん、望みどおりにバイオリンも教える」
「無理」
「何故?」
「俺はプロのバイオリニストになるつもりはないから。学生を辞めるつもりもない」
「それは残念だ」
思ったより、お腹が空いてたかも。
美味しい。
「なら、学生のまま、私の弟子になるのはどうかな」
それなら、出来るかもしれないけど……。
「私が王都に居る間だけ、君にバイオリンを教えることにしよう」
つまり、バイオリンを続けられる。
養成所だけがバイオリンを学ぶ場所じゃないんだ。
でも、弟子入りしてバイオリンを教われるのは、師匠の音楽活動を手伝うからだろう。
何の手伝いもせずに学生のまま教わるだけなんて。
「それって、あんたにメリットがあるのか?」
「あるとも」
「どんな?」
「君のバイオリンを聞くことが出来る」
意味が解らない。
「あんたは教える側だろ?」
「私は君のバイオリンが気に入ったんだ。もっと、様々な曲に挑戦して欲しいと思っている」
俺も、もっと色んな曲を知りたいし、もっと演奏したい。
『どうするのぉ?』
『勝手に決めて良いことなのか?』
わからない。
「弟子って、保護者の許可が必要?」
「本来は必要だが、君の身分は学生のまま変わらないからね。私に教わりたいかどうかという君の意向だけで構わないよ」
弟子入りしたからと言って、現状が変わるわけじゃなさそうだ。
「ツィガーヌを教えてくれる?」
「もちろん」
「なら、弟子になる」
『やるのか』
『えぇ?本当ぉ?』
だって、弟子になればバイオリンを続けられる。
「では、後で、君のバイオリンを作ってもらうよう頼むことにしよう」
「それは、待って」
「何故?」
「俺の保護者と話したいんだ。まだ、壊れたって手紙を送っただけだから……。弟子になったことを伝えて、バイオリンをどうするのか、ちゃんと相談しようと思う」
前より気持ちが落ち着いたから、今なら、会って話せそうな気がする。
バイオリンを壊してごめんなさいって。
バイオリンを続けたいって。
「では、私も君の保護者に挨拶に行かなければならないね」
挨拶……。
「次の休みは暇?」
「ちょっと待ってくれるかい」
ヴュータンが手帳を開く。
「丁度、音楽堂で私の公演があるんだ。家族で見に来ないかい」
「行きたい」
さっきみたいな演奏が聴けるんだ。
「では、チケットを用意しよう。家族は何人だい」
家族は……。
「保護者と俺の二人だけ」
「そうか。では、二人分用意するよ」
どうして、聞かないんだろう。
普通は親を保護者なんて呼ばない。
母とか父とか、そうやって呼ぶ。
だから、俺が保護者と言い続けることは違和感があったはずなのに。
「あのさ」
「なんだい」
「留学生でも、良い?」
「どういう意味かな」
「俺はラングリオンの人間じゃない。留学生なんだ。だから、家族は俺の後見人であって、本当の親じゃ……」
「それは、故郷の家族も呼びたいと言うことかな」
「違う」
ヴュータンが笑う。
「君が何者でも構わない。君だって、私が何者であるか知らないだろう」
知らない。
でも。
「俺の先生だ」
先生が優しく微笑む。
「そうだね。君は私の弟子だ」
「続きを教えて」
「もちろん」
※
『エル。そろそろ日が暮れる』
やばい。
「もう帰らないと」
外出禁止令が出る。
「また明日もおいで」
「明日は授業があるから、来るのは午後になる」
「わかった。また、ここで会おう」
良いけど。
「先生、一人でここに来れるのか?」
職人が先生を見てため息を吐く。
「お前、まさか、初めてここに来る子供に案内してもらったのか?」
先生が笑う。
「いつも辿り着けているからね。何とかなるだろう」
本当に?
※
走って、走って……。
正門に着いたら、受付嬢が居た。
「間に合った?」
受付嬢がため息を吐く。
「しょうがないわね。ぎりぎり間に合ったことにしてあげるわ」
良かった……。
「明日も外出して良い?」
「どこへ行くの?」
「同じとこ」
「同じところって?」
「セントラルの……。旧市街にあるバイオリン工房」
「え?旧市街?」
そういえば、あの職人の名前を聞くの忘れてたな。
受付嬢と一緒に事務所へ向かう。
「今日は、楽器店に行ったんじゃなかったの?」
「バイオリン工房に連れて行ってもらったんだ」
「誰に?」
今日のことをそのまま話せば、あの職人みたいに怒られる。
「バイオリンの師匠」
「あなた、バイオリンの師匠が居たのね」
頷く。
『連れて行かれた時はぁ、弟子じゃなかったけどぉ?』
でも、今はもう弟子だ。
「あなたの師は誰なの?」
「ヴュータン・ソーレ」
「え?」
「知ってる?」
「えぇ、もちろん。今度、音楽堂で公演を行うバイオリニストでしょう?」
「そう。次の休みに見に行くんだ」
楽しみだ。
「それなら、外出禁止令が出ないように気を付けなくちゃね」
『そうねぇ』
『大人しくしてられるか?』
大丈夫。
だって、フラーダリーと行く予定だから。
保護者の許可があるなら、外出禁止令があったって外に出られる。




