02 王国暦五九八年 コンセル 四日
「この問題、解けるか?」
カミーユから出された問題を解く。
「おぉ」
これ、今日出された課題だったと思うけど。
「答え合ってるのか?」
なんで、目の前で解いたのにわからないんだ。
「ここさぁ、なんでこうなるわけ?」
教科書に公式が乗ってたな。それを見せる。
「これ、まだ先の公式だろ?」
こんなに便利な公式を後で教える方が考えられない。
「この公式を使わないとどうなる?」
途中の計算式から横に矢印を伸ばして、解き直す。
「お前、頭良いな」
別に頭が良いわけじゃない。考え方を知っていれば、後はその応用。
教科書とノートを閉じようとしたところで、止められる。
「わ、待てよ。今写すから!」
ノートのページを一枚破いて渡す。
「お。ありがとう」
鞄に教科書とノートをしまって、席を立つ。
「待てよ。ランチ、一緒に行こうぜ」
アレクが待ってるかもしれないけど。
まぁ、いいか。
※
「なぁ、聞いてるのか?」
一応、聞いてるけど。大して面白い話しじゃない。
読んでる本の方が面白い。
「本当に無口な奴だな」
「カミーユ、やめなさいよ。困ってるじゃない」
「マリー。どうしたんだ?」
「はい。後期にやる室内楽の授業の、調査票よ」
室内楽?
マリアンヌが、一枚の紙を渡す。
ピアノ、バイオリン、ビオラ、チェロ、フルート、オーボエ。
どれか一つ、もしくは二つを選択すること。
そういえば、そんなのがあるって聞いたな。
楽器なんてやったことがない。
「マリーは何にするんだ?」
「ピアノとフルートよ」
「どっちも好きじゃないな。バイオリンなら少しは弾けるけど。お前は何かやったことあるのか?」
首を横に振る。
「なら、バイオリンにしようぜ」
「勝手に決めないで。…エルロック、今月末までに提出して頂戴ね」
ピアノはわかるけど。
他の室内楽の楽器なんてわからない。
アレクかフラーダリーに聞いてみよう。
「ねぇ、あなたって、アレクシス様とどういう関係なの?」
どういう関係?
アレクはフラーダリーと異母姉弟で。
だから、俺に構ってるだけなんだろうけど。
「ほら、困ってるぞ、マリー」
「悪かったわね。…何かあったら言ってね。私、このクラスの委員長だから」
それは最初に教師から聞いてる。
「それじゃあね」
名家のお嬢様なのに、やたらと面倒見が良いんだな。
この養成所って、ほとんど貴族しか居ないって聞いていたけど。
思ったよりも皆、偉そうじゃない。
アレクがあんな感じだからかもしれない。
「お前ってさー、本当に無口だよな。何か喋ろよ」
声が出せないんだから仕方ない。
「ばーか」
馬鹿?何が?
「あぁ、やめよう。苛めたなんて言われたら、それこそマリーに殴られるな」
気に入らないことがあると殴るのか?マリアンヌって。
カミーユが、じっと俺の顔を覗き込む。
「何か気に入らないことでもあるわけ?」
別に。
「これ、面白いか?」
面白いから、読んでるんだけど。
「なんつーかさぁ」
なんでこんなにしつこいんだ。
「お前、女みたいな顔してるよな」
誰が、女だ。
反射的に殴る。
あ。
周囲から悲鳴が上がる。
「ふぅん。良い度胸してるじゃねーか」
力の加減を誤った。
胸ぐらをつかまれて、殴られる。
いってぇ…。
口の中に血の味が広がる。
くそっ。
変なこと言う、お前が悪いんだよ!
「何やってるのよ!」
殴り合い。
「おー。カミーユと新入生が面白いことやってるぜ」
喧嘩なら慣れてる。
「誰か、止めてよ!」
「やれやれー」
「いっけー」
「先生呼んで来て!」
誰かが俺の腕を掴んだが、それを振りほどいて殴りかかる。
「泣かせてやる」
それは、こっちのセリフだ!
カミーユの一撃をかわし、蹴り上げる。と、その足を掴まれて、放り投げられた。
机や椅子が背に当たる。
「カミーユ!やめなさい!」
あぁ、くそ。
負けるか!
カミーユの懐に入って、思い切り腹を殴る。
「…っ」
怯んだところで、わき腹に膝蹴りを入れる。
膝をついたカミーユを見下ろす。
「いってぇ…」
血の味がする口元を、服の袖で拭う。
短剣があれば、もう少し早く片が付いたのに。
「やられるかよ!」
足払いをかけられて、よろけたところで、腕を引かれて支えられる。
「その辺にしておけ。カミーユ、エルロック」
赤い髪。
誰だ?
「シャルロ。庇う気か」
シャルロ?
シャルロ・シュヴァイン。
オルロワール伯爵家と並ぶ名家、代々裁判官を務めるノイシュヴァイン宮中伯の分家、シュヴァイン子爵の二男。
「発端は何だ」
なんだっけ。
「どっちが先に手を出したんだ?」
それは、俺に間違いない。
「どっちでも良いだろ?」
「…お前たち、何の騒ぎだ?」
クラスの先生が誰かに連れられて、教室に入ってくる。
「カミーユとエルロックが喧嘩してるの」
「喧嘩?…カミーユ、エルロック。来い」
「ちっ」
舌打ちをするカミーユと共に、教室を出る。
あ。
授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
「カミーユ。なんで喧嘩なんてしたんだ」
「べーつにー」
「発端は?先に手を出したのはどっちだ」
シャルロと同じことを聞くんだな。
「忘れた」
「まったく…。エルロック、入学早々、何をやってるんだ」
別に、喧嘩したくてしたわけじゃない。
「フラーダリーに報告するからな」
それは、まずい。
「フラーダリー?どういうことだ?」
「エルロックの保護者はフラーダリーだ」
「なんだって?…だから、アレクシス様が」
「二人とも、ちゃんと怪我を治して来るんだぞ」
連れてこられたのは、医務室だ。
説教でもされるかと思ってたのに。
「終わったら授業に戻れ。放課後は補習をやるからな。第三実験室に来い」
補習?
「はーい」
先生と別れて、医務室に入る。
「あら。喧嘩でもしたの?」
カミーユが俺を引っ張って、白衣の女の前に座らせる。
「先生、痛くしてやってよ」
これも、先生か。
「何言ってるの。…あら。あなた、珍しい目をしているのね」
ブラッドアイなんて、この国には居ないから。
「カミーユ。この瞳をからかったんじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ」
「そう。でも、あなたがからかって、この子が殴りかかったんでしょう?」
「なんでわかるんだよ」
「カミーユの顔に、綺麗に殴られた跡があるからよ」
最初以外は、上手く攻撃が入らなかったからな。
最初のは、不意打ちだったから。
少し、悪いことをした。
「さ、治してあげるわ」
怪我をした場所に、薬が塗られる。
すごいな。
見る間に傷が癒えていく。
傷の跡は残っているけれど、すぐに綺麗になるだろう。
「あなた、噂の新入生ね。薬を見るのは初めて?」
そんなことはないけれど。こんなに劇的な変化をもたらすのは知らない。
「ここで錬金術を学べば、この薬の正体もわかるわよ」
次に、顔に手を近づけられる。
これは、光の魔法…。
魔法使いなのか。
「はい、おしまい。ここに名前を書いてね」
医務室の利用名簿らしい。
名前を書く。
「さ、カミーユと変わって頂戴」
立ち上がると、カミーユが椅子に座る。
自分の顔に触れる。
口の傷も治ってる。
「あ~あ。補習なんて。何やらされるんだ」
「悪いことをした罰よ。学生の本分を思い出して、たくさん学ぶことね」
もめ事を起こすと、更に勉強が出来る?
でも、内容は選べなさそうだな。
棚に入っている薬の瓶を眺める。
これ、全部、怪我の治療に使うものなのかな。
錬金術か…。
魔法に頼らずに、人間が奇跡を起こす方法。
それが本当なら。
精霊が傷つくことなんてないだろう。
確か、養成所は錬金術と魔法を詳しく教えるんだよな。
ここに居れば、学びたいことを好きなだけ学ぶことが出来るとフラーダリーが言っていた。
「おい、行くぞ」
カミーユの怪我の治療が済んだらしい。
「あんまり喧嘩なんてしちゃだめよ」
「はーい」
だから。したくてしたんじゃない。
カミーユと一緒に医務室を出て、廊下を歩く。
「お前、孤児なのか?」
頷く。
「どっから来たんだ?ラングリオンじゃないだろ?」
俺が、ブラッドアイだから、そう思うんだろう。
出身がどこかなんて言いたくない。
「また、だんまりかよ。それとも無視か?」
無視してるわけじゃない。
「悪かったよ。少し怒らせようと思っただけだったんだ」
立ち止まって、カミーユを見る。
どういう意味だ?
「喋らないし、何やっても反応薄いし。からかって悪かったよ」
そういえば、怒ったのなんて久しぶりだ。
「同じクラスなんだから、いいかげん仲良くやろうぜ」
何の話しだ?
「いつまでも一匹狼で居てどうするんだよ?」
何が?
「あぁ、もう。いつまで無視するんだよ!せめて、何か喋ろ」
口を動かす。
「なんだって?」
もう一度。
「…え?」
喋れない。
「お前、声が出ないのか?」
頷く。
「なんで、皆に言わないんだよ」
首を横に振る。
わざわざ言う必要を感じない。
「先生は知ってるのか?」
頷く。
「で?皆には言いたくないのか」
頷く。
「変な奴。俺に知られても良いのか」
だって。
しつこいから。
「今、何て言ったんだ?」
カミーユの手に、文字を書く。
「なんだって?もっとゆっくり書けよ」
し・つ・こ・い。
「はいはい、悪かったよ。でも、喋れなかったら困るだろ」
別に、今まで困らなかった。
「決めた。俺はこれからもお前をかまう」
なんで?
「喋れるようになる方法、一緒に探そうぜ」
あぁ。それは、ありがたいかも。
良い奴なんだな。