01 Il ne pleut jamais mais il pleut à verse
朝のホームルームの前に、ユリアとマリー、セリーヌが俺の方に来た。
「エル。水の精霊の部分、もう練習始めちゃったぁ?」
「まだ」
「良かったぁ」
「変更があるのか?」
「うん」
「私とユリアでピアノデュオをやることにしたのよ。エルとユリアじゃ、一緒に練習する時間が取れないでしょう?」
「あぁ。……良いんじゃないか?」
元々、ピアノデュオの楽譜だったはずだ。
「ありがとぉ。それから、ここの楽譜も少し変えたんだぁ。……ちょおっと難しくなるけど、出来そう?」
ユリアの手書きの楽譜を見る。
「問題ないよ」
「後はぁ……。何かあったっけぇ?」
「まとめ役よ。ユリアが全体を見るとして、魔法コースはマリーが、錬金術コースは私が指揮をすることになったの」
「セリーヌが?」
「何よ。文句あるって言いたいの?」
……初っ端からこの態度じゃ、先が思いやられる。
「まとめ役はシャルロの方が向いてるだろ。……シャルロ!」
呼ぶと、カミーユとシャルロがこちらに来た。
「何だ?」
「どうしたんだ?」
「歓迎会、シャルロが錬金術コースの指揮者になってくれないか?」
「俺が?」
「じゃないと、セリーヌになる」
「はぁ?」
「どいつもこいつも失礼ね」
セリーヌがカミーユを睨んで、カミーユがシャルロを見る。
「シャルロ、頼む」
「指揮なんてやったことないぞ」
「大丈夫よ。私もこれから練習するんだもの」
「お願い出来るぅ?」
「仕方ないな」
良かった。シャルロがやってくれるらしい。
「皆に伝えなきゃ」
「シャルロも来るのよ」
マリーたち三人がシャルロを連れて教室の前へ行く。
「みんな、聞いて!昨日の話の続きよ」
昨日は遅刻したせいで朝のホームルームに間に合わなかったけど、歓迎会の話は、皆、賛成したらしい。
「お前さ。ユリアと何かあったのか?」
ユリアとは……。
「別に、何も」
あんな風に誰かを抱きしめたのは初めてだ。
泣いている人に、何をするのが正解だったのかわからない。
「一昨日だって、どこに行ってたんだよ。無断外泊して教師に怒られてただろ」
一昨日はキアラの所に泊めて貰った。遅刻したのもそのせい。
……あの日のことは上手く思い返せない。
今でも気持ちがぐらつく。
「なんか変だぞ。何が……」
「関係ないだろ」
「関係ないって、」
「詮索するな」
カミーユがため息を吐いて、肩をすくめる。
「はいはい。わかったよ」
※
「……エルロック!」
呼ばれて、顔を上げる。
「何度、言ったらわかるんだ。変な癖をつけるな。ここは、薬指じゃなく中指から始めるんだ」
「こっちでも良いだろ」
弾けてるんだから。
「駄目だ。これは運指の勉強の為のスコアなんだぞ。正しい指使いじゃないと合格は与えられない。もう一度、やり直しだ」
「なんで」
「話を聞いていたか?」
聞いてる。
もう一度、自分のやり方で演奏する。
「いい加減にしろ。不合格だぞ」
「不合格にしたきゃすれば良いだろ」
「何故、出来るのにやろうとしないんだ」
「なんでやり方をそっちに合わせなきゃいけないんだ」
「今は基礎を学ぶ時間だからだ」
もう、うんざりだ。
「どの曲をどう弾こうと、俺の勝手だろ!」
あ。
バイオリンが手から滑り落ちる。
『エル、』
慌てて取ろうとしたところで、先生に背中を引かれた。
「何をしている!頭を打つぞ」
頭……?
『譜面台に頭をぶつけるところだったのよぅ』
「だって、バイオリンが……」
「ふざけているからだろう」
ふざけてるわけじゃない。
落ちたバイオリンを拾うと、バイオリンの中から変な音が鳴った。
「まさか……」
教師が俺のバイオリンを引ったくるように取って、バイオリンを調べる。
あ……。
バイオリンの表板がへこんでる。
「修理を頼んでくる」
「修理なら、自分で……」
「エルロック。私が戻るまで、このバイオリンで練習しているんだ。時間までに戻らなかったら片付けて帰って良い」
俺の話を無視して、先生が部屋から出て行った。
『持って行っちゃったわねぇ』
フラーダリーのバイオリンなのに。
それに、どこに修理に持っていくつもりなんだ。バイオリンのメンテナンスを頼む楽器店は決まってる。いつもの店に言えば直してくれるはずなのに。
……とにかく、今はバイオリンの時間だ。
ユリアから貰った楽譜を出して練習を始める。
『さっきの曲はやらないのか?』
「気分じゃない」
バイオリンの授業は、前半に基礎練習を行って、後半は課題曲に取り組む。
今やってる曲はスケルツォ・タランテラだけど。
あれも、今はやる気分じゃないから。
……っていうか。
なんだこれ。
自分のじゃないから演奏しにくい。
他人のバイオリンが、こんなに扱いにくいなんて思ってなかった。
修理って、どれぐらいかかるんだ。
直らなかったら、どうしよう。
※
結局、何の連絡もないまま授業が終わった。
バイオリンがないと歓迎会の練習が出来ない。
ランチを食べに食堂へ向かってる途中でカミーユに会った。
「エル。一緒に食いに行こうぜ」
丁度良い。
「カミーユ。バイオリンを貸して」
「バイオリン?自分のはどうしたんだよ」
「修理に出すって先生が持って行った」
「修理?なんかやったのか?」
「落として……。表面がへこんで。中に何か入ってるみたいな音がしてた」
「……まじか」
「直ると思う?」
「んー。楽器は小さな傷でも影響があるからな。程度によっては、同じ音を出せる状態に戻るかわからないぞ」
え……?
直らないってこと?
「あー。でも、ほら。最近の修理屋は腕が良いって言うから。何とかなるんじゃないか?」
どうしよう。
壊れて、直せなくなったら。
「あ。あれ、お前の先生じゃないか?」
バイオリンの先生だ。
俺のバイオリンケースを持ってる。
「先生!」
カミーユと一緒に、先生の方に行く。
「エルロック。遅くなって悪かったな」
「直った?」
「いや……。これが今のバイオリンの状態だ」
貰った紙には、バイオリンの絵と共に、傷の場所が書かれている。
「落とした際に外部にも内部にも複数の傷が付き、根柱も倒れてることが解った。見て貰った修理屋では扱えないと言われたんだ」
扱えない……?
「直せないってこと?」
「元通りにしたいなら、このバイオリンに詳しい者を探す必要がある。次の授業までに間に合わせるには、新しいバイオリンを買うしかないだろう」
そんな……。
「でも、直せる修理屋を見つければ良いんだろ?」
「そんな簡単な話ではない。……とにかく。バイオリンをどうするか、急いで保護者に連絡を取るんだ。わかったな」
「……はい」
貰ったバイオリンケースを抱きしめる。
どうしよう。
直せないなんて。
「エル。それ持って、フラーダリーに会いに行くぞ」
……無理。
どんな顔して会えば良いかわからない。
ただでさえ気持ちの整理がついてないのに。
バイオリンを壊したなんて……。
「なら、手紙を書こうぜ」
「手紙?」
「このメモを同封すれば、フラーダリーもこっちの状況がわかるだろ。それで、どうすれば良いか聞くんだ」
手紙なら、会うよりも冷静に言葉を伝えられる気がする。
「わかった」
「でも、その前にランチだ」
「……気分じゃない」
「良いから来い。手紙の文面だって、まだ考えてないだろ?」
なんて書こう……。
食欲がなくて、スープと林檎だけ持って席に着く。
「お前さ。ずっと変だぞ。何か悩みでもあるのか?」
悩み?
……そうか。
悩んでるんだ。
「カミーユ」
「なんだ?」
「絶対に答えが出ない問題があったら、どうする?」
「なんだよそれ」
好きなのに。
好きだと伝えてはならない。
「要は、今は問題を解く為の材料が揃ってないってことだろ?条件が整うまで、そんな問題は無視するしかない」
無視なんて。
無理だ。
だって、好きだって気付いたから。
「条件が整うことなんてないかも」
もう、他人じゃないから。
これ以外の関係になんてなれない。
「なら、その問題と一生付き合ってくしかないんじゃないか?」
一生、このままなのか。
「どんな問題だ?」
「何が?」
「答えが出ない問題」
「……例えだよ」
「例え?」
誰にも言えない。
「まぁ、もう一つ答えがあるとすれば、そんなことにかまけてないで、もっと夢中になれるものを探すことだな」
「夢中に?」
「例えば、好きな奴を作るとか」
「すきなやつ?」
「恋人だよ。お前だって、好きな相手ぐらい居るだろ?」
その、好きな相手で悩んでるのに。
でも、もっと他のことに意識を向けるのは良い案かもしれない。
好きなもの……。
「バイオリン」
「……は?」
「好きなもの」
カミーユが大げさなため息を吐く。
「お前に恋の話なんかした俺が馬鹿だったよ」
ずっと、してたんだけど。
……言えない。
「カミーユ。バイオリンって、いくらぐらいするんだ?」
「いくらって。子供が買えるような値段のわけないだろ」
高いのは知ってる。
でも、具体的な値段は知らない。
「ユリアなら知ってるんじゃないのか?……ユリア!」
カミーユがユリアを呼ぶと、マリーとセリーヌも一緒に来た。
甘いデザートと紅茶を持って。
食後のお喋りをしてたらしい。
「どうしたの?」
「バイオリンって、いくらぐらいするんだ?」
「バイオリンの値段?」
「値段なんて聞いてどうするの?良い職人のものなら天井知らずな値段よ」
「練習用ならぁ、二万ルシュぐらいからあるよぅ」
最低でも、二万ルシュ?
銀貨十枚もするなんて。
……買えない。
「ただ、値段や品質は工房によって違うからねぇ。まずは、好みの工房を探すところかなぁ」
「これは、いくらぐらい?」
フラーダリーのバイオリンを見せる。
「えっ?何よこれ。壊したの?」
頷く。
「良いバイオリンだよねぇ。でも、これはもう、値段が付けられないんだぁ」
「なんで?」
「職人が引退しちゃって、取引価格が高騰し続けてるのぉ」
引退……?
「最初は十万ルシュ……。金貨一枚ぐらいで売られてたと思うよぉ。でも今は、その十倍から二十倍……」
「ニ十倍だって?」
ユリアが首を振る。
「それ以上でも、買いたいって人が居るよぉ」
「もしかして、名工ニコラの作品なの?」
「うん」
「有名な人?」
「ティルフィグンの伝説の職人よ」
ティルフィグン……。
これは、ラングリオンで作られたものじゃなかったんだ。
「今、活躍している有名な職人たちを育てたバイオリンの親としても知られてるねぇ」
「じゃあ、ラングリオンにも弟子が居るんじゃないのか?」
「居るよぉ」
「なら、そいつに頼めば……」
ユリアがまた、首を振る。
「直してくれないと思う」
「なんで?」
「この先、もう新しいものは作られないからぁ、壊れていたとしても欲しいって人がたくさん居るんだぁ」
「壊れてたら使えないだろ」
「すでに美術的、博物館的な価値があるものだからねぇ。ちょっとへこんでるけど、見た目が綺麗だしぃ、これ以上、劣化させたくないって、断られると思う」
先生が言っていた意味がようやく分かった。
誰も修理を請け負ってくれない。
これはもう、直せないんだ。
「あのねぇ、エル。手に馴染んだバイオリンを手放すのは苦しいと思うけど、私は、新しいバイオリンを買った方が良いと思うよぉ。お金の心配があるなら、このバイオリンを、うちで預かることも出来るからぁ」
「預かるって?」
「バイオリンを担保に、お金を貸してあげられるってことぉ。もしくは、代わりにエルが欲しいバイオリンを貸すことも出来るねぇ」
バイオリンを担保に?
「それは出来ない。これは、フラーダリーのバイオリンだから」
「そっかぁ……。そうだよねぇ。やっぱり、フラーダリーのだよねぇ」
ユリアは、フラーダリーが名工の作品を持ってることを知ってたんだ。
これが、そんなに価値のあるバイオリンだったなんて……。
「フラーダリーなら新しいのを買えるでしょう?頼んでみたら?」
「そうじゃないんだよねぇ?」
頷く。
「そうだなぁ……。卒業後にうちの専属バイオリニストになってくれるって言うならぁ、無償でうちのバイオリンを貸してあげることが出来るけどぉ」
「それ、将来、バイオリニストになることが前提だろ?」
「うん」
「俺はバイオリニストにはなる気はない」
「そっかぁ……。他に、使える制度がないか調べてみないとねぇ」
「何言ってるのよ。バイオリンなんて、働けない学生が買えるわけないでしょう。ぐだぐだ言ってないで、さっさとフラーダリーに頼みなさい。それか、バイオリンを辞めるのね」
バイオリンを、辞める?
「セリーヌ、ひどぉい」
「そうよ。言い過ぎだわ」
「でも、エルが悩んでるのは、そういうことでしょう?」
その通りだ。
バイオリンを続けるにはバイオリンが必要なのに。
フラーダリーから借りてる大切なバイオリンを壊してしまった。
これ以上、フラーダリーに負担も迷惑もかけない為の一番の方法は、バイオリンを辞めること……?
「お前、本気で辞めるなんて考えてないよな?」
辞める……。
カミーユが、俺の頭を軽くたたく。
「とにかく、現状を伝えないことには始まらないだろ?フラーダリーに手紙を送りに行くぞ」
「……ん」
壊したのは俺だ。
責任を取らないと。
「エル。大丈夫ぅ?」
「……平気」
最悪。
「元気出せよ。後で、俺のバイオリンを貸してやるから」
「本当?」
「あぁ。お前のバイオリンが戻って来るまで、好きなだけ使って良いぜ」
弾ける。
練習出来る。
でも、自分のがなければバイオリンを続けられない……。




