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旧作2-1  作者: 智枝 理子
Ⅵ.恋とバイオリン
38/53

00 Brisé et tombé

「……ってわけだ。わかったか?」

「うんっ。出来そう」

 ユリアが数学の計算を続ける。

 放課後、ユリアから数学で解らないところがあると言われたから、図書館で一緒に勉強することになったのだ。

 ついでに、錬金術の課題も済ませることにした。

 中等部は勉強がどんどん面白くなっていく。

「これ、合ってるかなぁ」

 ユリアのノートを見る。

「あぁ。出来てるよ」

「やったぁ」

 ユリアは数学が苦手だって言ってるけど。充分、出来てる。

「あのねぇ。もう一つ、相談があるんだぁ」

「相談?」

 ユリアが鞄の中から紙の束を出す。

「楽譜?」

「うんっ。エルも知ってる奴だよぉ。ほら、これぇ」

 

七つの管弦楽曲

一 炎の精霊と戦いの詩

二 光の精霊と調和の詩

三 水の精霊と翼の詩

四 闇の精霊と快楽の詩

五 大地の精霊と時の詩

六 風の精霊と魔法使いの詩

七 大河の精霊と奇跡の詩

 

「これ……。俺たちが初等部の時に、アレクのクラスがやってくれたやつ?」

「そうっ。皆、あの演奏を聞いて自分がやりたい楽器を決めたでしょぉ?だから、新入生歓迎会で出来ないかなぁって」

 確かに、あの演奏はすごく良かった。

「でも、アレクたちが演奏出来たのは、養成所の音楽祭でやったことがあるからだろ?」

 音楽祭は、ヴィエルジュの十五、十六日に養成所の講堂で開催されるイベントで、保護者が観覧出来るものだ。学生が音楽活動の成果を発表する場なんだけど、参加も選曲も自由の為、アレクのクラスは全員で組曲を演奏したらしい。養成所の歴史の中でも、組曲が演奏されたのは、あれだけという話だ。

 というのも。

「皆で集まって練習する時間がない」

 あの規模の組曲を完成させるには、かなりの時間と練習が必要だ。

 中等部は錬金術と魔法の専門コースに分かれる上に、選択授業も人によってばらばらだから、初等部の時のように集まるのは難しい。

「だからね、コース別に負担を変えることにしてみたんだぁ。炎と大地と大河は錬金術コースの皆がメインで。光と闇と風は魔法コースの皆がメインでやるのぉ。これなら、コース別で分けて練習して、最後の全体練習で合わせて調整出来ると思うんだぁ」

「分けるって……」

 あぁ、そういう意味か。

 ただでさえ足りてない楽器をどうカバーするのかと思ったら。

 ソロを多用して誤魔化しつつ、基本はコース別で仕上げられるようにしている。

「だめかなぁ」

「いや。元々、新入生に楽器を見せるのが目的なんだから、ソロを多用して一つ一つの楽器の音をより鮮明に印象付けるってコンセプトは良いんじゃないか?」

「本当ぉ?」

「あぁ。まずは担当の曲を完璧に演奏できるようにして、時間があったら、もう一方がやってる曲に加わるってことで良いか?」

「うんっ。皆でどれだけ練習できるかわからないけどぉ。これなら、形だけでも組曲を出来ると思ってぇ。それでねぇ……」

「水は俺とユリアでやるってわけか」

「短い曲だから、ピアノデュオの楽譜を少し変えてみたんだぁ。楽譜は全部、専門家にも見て貰ってるから、出来ると思うんだけど……。どぉ?」

「出来るよ」

 いけそうだ。

「それからねぇ……。出来れば、エルには通しで入って貰いたいって思ってるんだぁ。お願い出来る?」

 ユリアが、楽器の担当表を出す。

 もう割り振りまで完了してるらしい。

 俺とユリアだけ、最初から最後まで参加することになってる。

 だから、俺に相談して来たのか。

「良いよ」

「本当ぉ?」

「あぁ。楽しそうだし」

「良かったぁ……」

 ユリアが微笑む。

「じゃあ、明日のホームルームで、クラスの皆に聞いてみるねぇ」

「ん」

 きっと、皆もやりたがるだろう。

 練習する時間を作らないと。

「俺の担当の楽譜、貰って良いか?」

「もしかしたら、ちょっと変更するかもしれないけど……」

 これから皆に話すから、意見や演奏を聞いて調整するんだろう。

「良いよ。難しそうな部分を優先して練習しておく」

 貰った楽譜を眺めながら、アレクたちの演奏を思い出す。

 懐かしいな。

 あれと同じにはならないだろうけど、やりたい。

「あのねぇ。もう一個、やりたいのがあってぇ……」

「組曲をやるのに、他の曲もやるのか?」

 ユリアが首を振る。

「そうじゃなくってぇ。たまには、エルと演奏したいなぁって。だめぇ?」

「良いよ」

「本当ぉ?」

「あぁ。バイオリンを取ってくるから、ピアノ練習室で待ってて」

「うんっ。待ってるねぇ」

 誰かと演奏するのは久しぶりだ。

 楽しみ。

 

 ※

 

 部屋に戻って、バイオリンを持ってピアノ練習室に行く。

「どんな曲にしよっかぁ」

「順番に好きなのを演奏していこう」

「じゃあ、愛の挨拶からねぇ」

「ん」

 ユリアと一緒に演奏を始める。

 

 ……楽しい。

 久しぶりだ。

 ユリアは、弾むように踊るように演奏をするから、こっちの気分もどんどん上がる。

 

「次は、何にしよっかぁ?」

 一緒に演奏したことがあるのは……。

「愛の喜び?」

「良いねぇ。じゃあ、愛の悲しみもやろうねぇ」

 

 懐かしい。

 初等部の時に練習した曲だ。

 結局、愛の喜びは舞台で演奏しなかったけど、ユリアとはたまに演奏している。

 

「次は、何にしよっかぁ?」

「やったことあるのは……」

 

 バイオリンの個人授業で習った曲。

 ユリアは、どんな曲でも演奏出来るから、すごい。

 楽しい。

 もっと演奏したくなる。

 

「せっかくだから、もっと難しいのもやってみよっかぁ」

「難しいの?」

 ユリアが出した楽譜を見る。

「知らない曲ばかりだ」

 しかも、難しそうな曲ばかり。

 アレクがやってた妖精の踊りもある。

 これは……?

 楽譜を目で追いながら、頭の中で曲をイメージする。

 不思議な曲。

「これ、バイオリンの独奏なのか?」

「ツィガーヌはぁ、最初は独奏なんだよぉ」

 ユリアが楽譜をめくる。

「ここから、ピアノと一緒なんだぁ」

 変わった曲だな。

 でも、いつも誰かに演奏して貰って、どんな曲か聞いてから練習してたから。誰の音も聞かずに始めるなら、もっと曲について勉強してからの方が良いだろう。

 他には……。

「あ。これは、今、練習してる曲だよ」

「どれぇ?」

「スケルツォ・タランテラ」

「本当ぉ?」

 華やかで楽しい曲だ。

「エル、こんな難しい曲まで進んでるんだぁ……。師事してる人って、居るのぉ?」

「師事?」

「プロのバイオリニストに習ってるのかなぁって」

「養成所で先生から習ってるだけだよ。プロの演奏家なんて知らない。いつも、アレクの演奏を真似してただけだから」

「そっかぁ……」

 バイオリンを出して、今、勉強中の指使いを練習する。

「ね。今度、うちに来るぅ?」

「なんで?」

「私の家は音楽堂を運営してるんだぁ。だから、色んなバイオリニストの演奏を聞けるんだよぉ」

 ユリアは音楽家一家だっけ。

 プロのバイオリニストの演奏……。

 興味はあるけど。

「別に、俺はバイオリニストを目指してるわけじゃない」

「でもぉ、エルはバイオリンがすっごく好きでしょぉ?」

「え?」

「……え?」

 そこまで好きなわけじゃないと思うけど。

「んー。えっとぉ……。私、最初は、歓迎会の演奏、エルに断られるかもって思ってたんだよねぇ」

「なんで?」

「だってぇ、歓迎会用のバイオリンの練習をするならぁ、エルが好きな勉強時間を、いーっぱい削って練習しなくちゃいけないでしょぉ?」

「ちゃんと練習時間を確保出来るように調整するよ」

 曲を完成させる為に。

 今だって、ユリアとバイオリンを演奏したいと思ったから、ここに来たんだ。

 だって、錬金術の課題は明日も出来るけど、演奏はユリアに誘われた今じゃないと出来な……。

 あれ?

 そっか。

「すごく好きなんだ」

 バイオリン。

 ユリアが笑う。

「気付いてなかったんだぁ」

「あぁ」

 バイオリンの音を鳴らす。

 好き。

 楽しい。

「もしかして、好きな人もそうだったりする?」

「好きな人?」

「うん。エルには居ないの?恋人になりたい人ぉ」

 恋人……。

 愛を誓いたいと思う人。

「居ない」

 思いつかない。

「私はねぇ、居るよぉ」

「恋人になりたい人?」

「うん」

「どんな人?」

「えっ?えっとぉ……」

 ユリアが自分の両頬に手を当てて、目を閉じる。

「一緒に居ると、すごく楽しくて、嬉しくてぇ……」

 そう思う人はたくさん居る。

「会えないと寂しくって、会いたいなって思って」

 それは、アレクかな。

 今は簡単に会えないから。

「でも、会うと体中が熱くなるぐらいどきどきしちゃって……」

「どきどき?」

「んー。胸が苦しくなる感じ?」

「……病気?」

「ふふふ。そう言うと思ったぁ。でも、これは恋の病だからねぇ」

 それは、病気じゃないって聞いた気がする。

「気がついたら、その人のことばっかり考えてて、考えるだけで、すごく幸せになれてぇ……。この人に愛されたいなぁって思って……」

 愛されたい。

 それに当てはまるのは……。

―エル。

 あれ?

 会えないと寂しくて。

 いつも会いたいと思ってて。

 会うと嬉しくて。

 でも、なんであんなに嬉しいのか……。

 それだけじゃない。

 なんで胸が苦しくなるのか……。

 え?

 苦しくなる?

 なんで?

 変だ。

 体が熱い。

「とにかく、心が奪われてぇ……」

 心が奪われて。

「恋に落ちるって、そんな感じだよぉ」

 恋に落ちる。

「エル」

 いつの間にか目を開いていたユリアが、俺を見上げる。

「その人が、エルの好きな人なの?」

「え?」

「今、エルが思い浮かべてる人ぉ」

 白百合の似合う人。

 彼女が俺の好きな人……?

 変だ。

 まるで、のぼせてるみたいに頭に血が上ってる。

 胸が苦しい。

 なんで、急に?

「そっかぁ……」

 熱い。

 好きだから?

 なんで?

 コントロール出来ない。

 体が変。

 突然、ユリアが涙を零す。

「ユリア?」

 バイオリンを置いて、ユリアの頬に触れる。

「なんで、泣いて……」

「ごめんっ……。ちょっとぉ……。悲しいお話、思い出してぇ……」

「悲しい話?」

「悲恋……。好きな人から、見向きもされないお話……」

 見向きもされない。

 ……当然だ。

 されるはずがない。

 有り得ない。

 だって、俺の保護者なんだから。

 彼女が愛しているのは子供の俺。

 俺のことを大切にしてくれるのも、俺の面倒を見る義務があるから。

 それだけの関係。

 それ以外の関係にはなれない。

 一人の人間として見てもらえることなんてない。

 恋人になるなんて不可能だ。

 なのに……。

「抱きしめて良い?」

「なんでぇ……?」

「ユリアが、泣いてくれるから」

 泣かないって決めてるから。

 ユリアだけでも、泣いて。

「エルの、ばかぁ」

 俺に体を寄せたユリアを抱きしめる。

 震えてる。

 違う。

 震えてるのは自分かもしれない。

 こんな感覚、初めてだ。

 胸が苦しい。

 息もできないほどに。

「好きなだけ泣いて良いよ」

「なんっ……、でぇ……?」

「解るから」

「なに、がっ……?」

「苦しくて、しんどいのが」

「わかる、わけっ……」

「わかるよ」

「え……」

「だって……。気持ちを受け取ってもらえないんだろ?」

「……っ」

 ユリアが更に声を上げて泣く。

 好きなんだ。

 どうして今まで気付かなかったんだ。

 俺にとって、たった一人の人なのに。

 ようやく、ユリアが教えてくれた物語の意味がわかる。

 悲恋。

 閉ざされた世界から外に出て愛を知ったのに、愛を捨てる道しかないマーメイド。

 幸せな物語ばかりじゃない。

 それでも、好きであることに抗えない。

 

「エル……」

 ようやく落ち着いたユリアが顔を上げる。

 泣き腫らした真っ赤な瞳。

 マリーなら癒しの魔法で癒してあげられたのに。

「エル……。目を閉じて」

 目を閉じると、頬に何か触れた。

「さよなら」

 さよなら?

「今日は、もう帰るね」

 目を開くと、荷物を持ったユリアが走って部屋を出て行った。

 床に楽譜が散らばる。

 ……行かなきゃ。

 

 ※

 

 いつもは、いつ帰るかを手紙で知らせてから帰ってる。

 手紙をしょっちゅう貰うから、その返事のついでに。

 けど。

 今は、ただ会いたくて。

 どうしようもなく会いたくて。

 暗い雲で覆われた空の下を家へ向かって走る。

 呼吸が苦しいのが、走ってるせいなのか、どうしようもない気持ちのせいなのかわからない。

 息を切らしたまま暗い玄関の前に立って呼び鈴を鳴らす。

 何の音も聞こえないし、扉が動く気配もない。

『エル』

「言わないで」

 メラニーは、家の中に人が居るかどうか解る。

 闇の精霊だから。

 フラーダリーは、魔法研究所で働いていて。

 その後、魔法部隊設立の為の活動を行っていて。

 だから、帰るのは遅い。

 だから……。

 居ない。

 落ち着いて考えれば解ることなのに。

 居るはずなんかないって。

 なのに。

 会いたいって。

 会えるかもしれないって。

 有り得ないことを期待して。

 ……会って、何かが変わるわけでもないのに。

 どうすることも出来ないのに。

 空が暗い音を立てる。

『雨が降りそうねぇ』

 戻らないと。

 

 雨。

 

 頬に雫が当たる。

 足元が濡れていく。

 

 雨。

 

 暗い。

 誰も居ない。

 

 雨。

 

『大丈夫か?』

 どんどん濡れて重くなる。

 体が冷える。

『雨宿りしようよぉ』

 そうだ。

 探さなきゃ。

 雨がしのげるところを。

 行かなきゃ。

 ……どこへ?

 

「どうしたの」

 声と共に降り注ぐ雨が消えて、顔を上げる。

「ずぶ濡れね。帽子ぐらい被ったらどう?」

「誰……?」

 青い傘。

 知らない女性。

「キアラよ」

 知らない。

「風邪を引くわ。私のところに来る?」

 頷く。

「知らない人について行っちゃいけないって教わらなかったの」

「名前を聞いた」

 キアラが、くすくすと笑う。

「だめな子ね。フラーダリーが心配するのもわかるわ」

「フラーダリーの知り合い?」

「そうよ。友達なの。あなたのことは良く知ってるわ。雨が苦手な子だって」

「苦手じゃない。嫌いなだけで」

「いらっしゃい。温かいコーヒーを淹れてあげるわ」

 腕を引かれる。

 もう何も考えられない。

 

 


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